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【動画紹介】ヒトコトリのコトノハ vol.50

2024年04月12日 | 動画紹介
☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
 ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!

 ●本日のコトノハ●
  このような神話や伝説あるいは楽器の来歴からの影響とともに、楽器自体が持つ次のような特質、
  すなわち音が小さい(上品)、音色が柔らかく減衰による余韻がある(優雅)、構造が複雑・繊細である(知的)、
  演奏が難しい(高度)、形が美しい(芸術的)、演奏姿勢が優美である(容姿端麗)、壊れやすくたびたび
  修理しなければならない(富)などが、ヨーロッパの人々のこれらの弦楽器に対する階級的な通念を
  作り上げていると思われる。

 『世界楽器入門 好きな音嫌いな音』郡司すみ(1989)朝日新聞社より


 以前、社会人で教室にバイオリンを習いに来ている人が、職場の人たちとの雑談で、バイオリンを習っていると言ったら、「貴族か!」とツッコミを入れられたと話していました。
 日本人のバイオリンという楽器に対するイメージを端的に表すエピソードだと思います。さらに言えば、クラシック音楽というジャンルに対しても、日本では似たようなイメージを抱いている人が多いのではないでしょうか。

 クラシック音楽は高尚でお金持ち、上流階級のイメージがあるのに対し、ポップスやバンド音楽は低俗で庶民的に見られがちです。
 しかし、ジャンルを問わず、音楽を生業にしている人は、会社で正社員として働いている人よりも、収入が不安定で社会的な保障が十分ではありません。
 さらに、社会的信用も低く、クレジットカードの審査が通らなかったり、家や車の購入の際にローンが組めないということもあるのです。
 音楽を職業とする困難さや社会的地位の脆弱さは、今に始まったことではなく、それはモーツァルトやベートーヴェンなど、有名な作曲家たちも経験していたことです。

 音楽はお金持ちが道楽ですること、という誰が決めたか知らない価値観が日本では根強いと思います。
 私の両親は音楽家ではなく、音楽を仕事にしていませんでした。母は自宅で近所の子供たちにピアノを教えることはありましたが、家計を支えていたのは会社員の父の収入でした。

 私の家はごく普通の家庭でしたが、世間的に「音楽をやってます」というと、さぞお金持ちの家だろうと思わることが多かったです。
 父はそう思われることに満足気でした。そう思われたいがために、音楽をやっているのかと考えてしまうほどでした。
 実際、私の家は経済的には普通以下の家庭だったのかもしれません。
 食べる物に困るというようなことはありませんでしたが、ゲームやおもちゃは買ってもらえませんでしたし、私の服は親戚や近所の人からのお下がりで、私の髪はいつも母が短く切ってくれました。
 トレーナーにジーンズ、スニーカー、そしてショートカットの私は、町で男の子に間違われることもよくありました。

 小さい時から、おしゃれで可愛い洋服や髪飾りをつけていて、しかもそれが当然のようにしている兄の娘たちの姿を、四十代になってから目にすると、自分の子供時代との違いに何かとても寂しい気持ちになります。
 父は兄には本格的な高価なバイオリンを買いましたが、私には兄が使っていた練習用の楽器を使わせるだけでした。

 毎日の買い物は、スーパーの特売を計画的に利用していましたし、家族で外食や旅行に行くこともありませんでした。
 映画館に行く時でさえ、父が許可した映画しか観ることができませんでした。
 すべての権限は父にあり、子供たちが希望を言いづらい空気の中で、ひたすらバイオリンの練習をしなければいけない日々でした。

 子どもの頃の思い出は、どちらかといえば、つまらないこと、辛いことが多く、あまり思い出したくないものです。
 しかし、大人になって音楽教室でバイオリンを教える立場になった私に対して、周りの人々は私が思っているのと全く違う印象を持っていることに気がつきました。
 彼らは、私がまるで何不自由なく蝶よ花よと大切に育てられたお嬢さまのように思っているのです。

 「バイオリンという楽器を子供の頃から大人になっても続けている女性」と聞いて多くの人が連想する人物像と私自身はものすごくかけ離れていると、私は個人的に認識しています。
 にもかかわらず、バイオリンだけでなく、クラシック音楽の分野で使われる楽器のイメージがその楽器を演奏する人の人間性や暮らしぶりまでをも勝手に、無責任な虚像として生み出してしまうようなのです。

 これは、ある種の印象操作にもなりうることですし、誰かに騙されたりしないように、単純な思い込みや先入観は捨てた方がいいと思います。
 大切なのは、その人が何をしているかではなく、その人がどんな人なのかをよく見定めることではないでしょうか。
 いずれにしろ、バイオリンに対して人々が抱くイメージがヨーロッパでも日本でも、昔も今もあまり変わりがないというのは興味深い点です。
 最先端の技術が次々と誕生し、発展していく今後の社会の中で、このような音楽ジャンルや楽器に対する価値観が今後どう変わっていくのか、あるいは変わらないのか、音楽に関わる人間の一人としてじっくり見守っていきたいと思います。



ヒトコトリのコトノハ vol.50


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