風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

『‘文化’資源としての<炭坑>展』をみる

2009-12-16 00:00:56 | アート・文化
Sakubei_tankou 実にユニークかつ有意義な展覧会を見てきた。この国が1960年代の高度成長期に置き去りにし、忘れ去ってしまったもの――それらが、まるで怨嗟(えんさ)のうなりをあげてここに現れたかと思うほどで、そのおよそ50年以上前のこの国の忘れ去られた「現実」が、単なる情報としてのイメージや、写真や絵画としてではないナマナマしい人間の肉体を持ったものとして迫ってくるようにさえ感じた。まして、そこはおもにボクにとっても懐かしい九州なのである。
 ナマナマしい人間の肉体は、その掘り出すものが「黒いダイヤ」と当時呼ばれたように自らも、黒々と全身を光らせる逞しい炭坑夫であり、かっては乳房をおおうこともなく男たちと同じように「後山」として坑内に入って行った女たちの姿である。
 展覧会の名前は『‘文化’資源としての<炭坑>展』(於目黒区美術館:12月27日まで)と言うやや固いネーミングがついている。実に多様で、雑多なコレクションで<炭坑>にまつわる絵画や、写真や、図版がほとんど網羅されているのではないかと思わせるほど、ポスターから、サークル村のガリ版刷り機関誌までがある。

 色々な切り口で鑑賞することが可能だろう。しかし、そこに流れているものは1950年代までの日本にはごくありふれた風景であり、私たちの原風景でありながら、それらを打ち捨てて顧みなかった私たちを打擲(ちょうちゃく)する空気(アウラ)であることには注意しよう。
 目黒美術館で見ることができるのは、先の展覧会テーマのパート1とパート2である。パート1が、「<ヤマ>の美術・写真・グラフィック」ということで、ネーミングには色気も何もない、そのままである。パート2は、川俣正によるインスタレーションだが、ナマナマしい肉体を忘れた現代美術というものが、いかに空虚なものかということをまるで比較展示してくれているようなものである。ちなみに川俣正はこの企画展に一枚かんでいるようだから、「‘文化’資源」という妙チクリンな概念もそこから来ているのかもしれない。

 ボクが関心を持ったのは、今回膨大な全貌をはじめて原画でみることが出来た山本作兵衛の「炭坑画」。サークル村機関誌の表紙絵を描いた版画家の千田梅二。そしてひとが生活する生きている軍艦島の写真を撮った奈良原一高や大橋弘(「橋」は本当は外字ゆえ入力できません)などの写真だった。底辺ルポルタージュ作家の上野英信が絵を描いていたことも今回初めて知ったことだった。ボクは、芸術じゃない、いわば紙芝居のような絵解きの記録である山本作兵衛の「炭坑画」の方が、「‘文化’資源」よりシックリくる。それに、今回1点だけだったが、福岡県田川出身の立石大河(タイガー立石)の絵画が展示されてあったのもうれしかった。

 不思議なことにエネルギー革命があって、石炭が石油に変わってから後も「コンビナート絵画」とか、「石油画」というものがない。「萌え」としてのコンビナートや工場の写真はあっても、文化はない。それは不思議なことだが、とりも直さず石油はこの国では生産されなかったということが大きいのだろうか?
 我が国におけるこのような豊富な遺産である「炭坑画」が、打ち捨てられた背景には、実は豊かな産炭国だった自前のエネルギー資源をいとも簡単に捨て去った効率優先のエネルギー政策が関与しているのではないかと疑念している。

(写真)山本作兵衛の「炭坑画」から。「低層 先山後山」(1973年)。