1.胴体は蒸籠、頭蓋は鼎
古代中国医学において、胴体は三焦という名の蒸籠(せいろ)のような生命機械にたとえられることはすでに指摘した。今回は、頭蓋が鼎(かなえ)にたとえられることを説明する。
鼎とは、古代中国の調理器具である。円筒形の容器の下に三本足のあるのが特徴で、この空間に火を入れ、肉を炒める時などに使われた。これを頭蓋にたとえれば、三本足とは、左右の胸鎖乳突筋と頸椎になる。正面からみると、顔のようで、取っ手は耳のように見える。「鼎の軽重をはかる」とのことわざがある。これは、相手の人物の器の大小を窺うといった意味で、鼎はしばしば擬人化され、権力や器量の象徴でもあった。
2.頭部における気と血の循環モデル
頭蓋が胴体の上にあるように、蒸籠の上に鼎は据え付けられた。蒸籠上部の蒸気穴から出る熱い水蒸気が、鼎を底から温め、脳髄に気を供給する。
脾が生成した血は、身体の血管中を循環するが、血管の一部は頭蓋に入り、脳髄に血を供給する。
3.脳髄の認識
1)運動機能の中枢
「脳は髄の海」という言葉があるこれは、脳は髄の集合体といった意味である。骨髄と脳髄は、ともに骨に囲まれた中にあるという共通性がある。脊髄と骨髄の区別は考えな及ばなかった。したがって脳髄という場合、脳と脊髄の両方をさす。古人は、て腕や脚に力を入れると震えるという生理現象や、末梢神経麻痺の病態から、筋を動かす力は髄にあると推定したらしい。その髄が集まる脳は、脳卒中の半身不随やテンカン発作から類推して、運動機能の中枢と捉えたらしい。
※感情の起伏と心拍数は比例することから、精神作用は「心」の反応である。これを「心は神をつかさどる」と称した。神とは、情緒・感情などの精神作用をさす。意識・判断・思考なども心の作用と捉えるのが普通だが、そうであれば肝の作用と区別しにくくなるので、筆者はこの説を支持しない。情緒・感情とは現代生理学では、大脳辺縁系の作用(とくに大脳基底核の作用)とされている。筆者は肝は大脳新皮質の作用と考えている。他に心には、「心は血脈をつかさどる」とされ、これは現代医学と同じく、血液ポンプ作用とみなされる。
2)清竅のエネルギー源
身体上部にある穴(耳・目・鼻・口)を、清竅という。脳髄から、これらの感覚器のは、細いパイプが通っていて、感覚器の生理機能を保持するためのエネルギー源として認識されてたらしい。テンカン発作の際、口から泡を吹いたり、脳疾患で盲や聾唖になるは、古代では清竅が塞がった結果だとされていた。
3)上述した1)と2)を総合すると、知覚(眼・耳・鼻・口)などの感覚神経→大脳→運動神経という伝導路をさす。
4.頭痛の主な病態(東洋療法学校協会教科書「東洋医学臨床論」の分類に準拠した)
1)肝陽上亢
蒸籠上部の蒸気穴から、乾いた熱い空気が出過ぎ、脳髄を襲う。
2)腎陽虚
腎虚には、腎陰虚(腎水不足)と腎陽虚(火力低下により腎水が温まらない)の区別がある。腎陽虚では、水蒸気の発生量が減少し、
鼎に行く水蒸気量も減少するので、脳髄に気が十分至らない。
3)痰濁
蒸籠や鼎の清掃不良で、垢や埃が内部に付着し、水蒸気の生成を妨げている。痰濁が清竅を塞げば、脳卒中発作になる。
4)オケツ
頭部外傷などで、脳髄に入るべき血量が減少する。
5)気血両虚
鼎に入る、蒸気量と血液量の両方の不足。
気虚:清陽が頭に上がらない(≒低血圧)
血虚:頭部を栄養できない(≒貧血)
要するに、食べないので気力がでない。食べる気力もない。
古代中国医学において、胴体は三焦という名の蒸籠(せいろ)のような生命機械にたとえられることはすでに指摘した。今回は、頭蓋が鼎(かなえ)にたとえられることを説明する。
鼎とは、古代中国の調理器具である。円筒形の容器の下に三本足のあるのが特徴で、この空間に火を入れ、肉を炒める時などに使われた。これを頭蓋にたとえれば、三本足とは、左右の胸鎖乳突筋と頸椎になる。正面からみると、顔のようで、取っ手は耳のように見える。「鼎の軽重をはかる」とのことわざがある。これは、相手の人物の器の大小を窺うといった意味で、鼎はしばしば擬人化され、権力や器量の象徴でもあった。
2.頭部における気と血の循環モデル
頭蓋が胴体の上にあるように、蒸籠の上に鼎は据え付けられた。蒸籠上部の蒸気穴から出る熱い水蒸気が、鼎を底から温め、脳髄に気を供給する。
脾が生成した血は、身体の血管中を循環するが、血管の一部は頭蓋に入り、脳髄に血を供給する。
3.脳髄の認識
1)運動機能の中枢
「脳は髄の海」という言葉があるこれは、脳は髄の集合体といった意味である。骨髄と脳髄は、ともに骨に囲まれた中にあるという共通性がある。脊髄と骨髄の区別は考えな及ばなかった。したがって脳髄という場合、脳と脊髄の両方をさす。古人は、て腕や脚に力を入れると震えるという生理現象や、末梢神経麻痺の病態から、筋を動かす力は髄にあると推定したらしい。その髄が集まる脳は、脳卒中の半身不随やテンカン発作から類推して、運動機能の中枢と捉えたらしい。
※感情の起伏と心拍数は比例することから、精神作用は「心」の反応である。これを「心は神をつかさどる」と称した。神とは、情緒・感情などの精神作用をさす。意識・判断・思考なども心の作用と捉えるのが普通だが、そうであれば肝の作用と区別しにくくなるので、筆者はこの説を支持しない。情緒・感情とは現代生理学では、大脳辺縁系の作用(とくに大脳基底核の作用)とされている。筆者は肝は大脳新皮質の作用と考えている。他に心には、「心は血脈をつかさどる」とされ、これは現代医学と同じく、血液ポンプ作用とみなされる。
2)清竅のエネルギー源
身体上部にある穴(耳・目・鼻・口)を、清竅という。脳髄から、これらの感覚器のは、細いパイプが通っていて、感覚器の生理機能を保持するためのエネルギー源として認識されてたらしい。テンカン発作の際、口から泡を吹いたり、脳疾患で盲や聾唖になるは、古代では清竅が塞がった結果だとされていた。
3)上述した1)と2)を総合すると、知覚(眼・耳・鼻・口)などの感覚神経→大脳→運動神経という伝導路をさす。
4.頭痛の主な病態(東洋療法学校協会教科書「東洋医学臨床論」の分類に準拠した)
1)肝陽上亢
蒸籠上部の蒸気穴から、乾いた熱い空気が出過ぎ、脳髄を襲う。
2)腎陽虚
腎虚には、腎陰虚(腎水不足)と腎陽虚(火力低下により腎水が温まらない)の区別がある。腎陽虚では、水蒸気の発生量が減少し、
鼎に行く水蒸気量も減少するので、脳髄に気が十分至らない。
3)痰濁
蒸籠や鼎の清掃不良で、垢や埃が内部に付着し、水蒸気の生成を妨げている。痰濁が清竅を塞げば、脳卒中発作になる。
4)オケツ
頭部外傷などで、脳髄に入るべき血量が減少する。
5)気血両虚
鼎に入る、蒸気量と血液量の両方の不足。
気虚:清陽が頭に上がらない(≒低血圧)
血虚:頭部を栄養できない(≒貧血)
要するに、食べないので気力がでない。食べる気力もない。
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