弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

文学と救い、或いは哲学

2019-02-01 02:15:28 | 本など
高校生の頃、教科書に載っていた梶井基次郎の『檸檬』を読んで感銘を受けた。
だが、多分、その頃の印象と今読み直した印象とでは大分違うのだと思う。

梶井基次郎の作品は自分が病人になってようやく見えてくる部分がある。
表現が染み渡るのだ。

感銘を受けた、と言えば、アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』が一番で、他にも夏目漱石の『こころ』などがある。
カミュのそれは私のバイブルのようなものだ。おそらくだが、当時も自殺という単語に反応していたのだろう。

この著作は哲学的な部分がある文学だが・・
反証主義者なので、科学や哲学と文学は切り離すべきだと思っている。
それでもなお、改訳したこの本に惹かれて読み直している。

ある意味、そういう区分など、私には本質的でないのかもしれない。

この本は苦境の時に、いつもかじりついていた。そして、今もなお色褪せない。

学問とも趣味嗜好とも切り離されたところでしか、人は本質的に救われないのかもしれない。
だが、それは直観や啓示によるものでもない。
そしてまた、私の世界ー言語への信頼することで私の表現していくものが他者の糧になるかもしれない。

夢想か。
学問にしても何にしても、表現で食べていくしかない。
それならなおのこと、他者の存在の前提のもとで私は私の言語を突き詰めていくしかない。

(このブログは伝えることを目的としてない。ただの落書きだ。だが、私的言語がなりたたないのと同じくで、完全に他者を排していない。)


コメントを投稿