2013年度は、トップチームを再生することにしました。
佐藤慧太郎選手(筑波大卒業)中村仁選手(筑波大卒業)をプレイングコーチとして正規雇用しました。
二人は、中学、高校時代のスーパースター、大学ではもう少しやり切れていなかったので、クラブ選手として、指導者として頑張ってみようということで採用しました。
マリエコーチが2010年度に引退して、2012年に小盛コーチも茨城高校の教員になり、その後、一人で頑張ってくれていた志鎌秀昭選手
2011年12年と怪我との戦いで、かつての輝きが薄れかけていました。
ご結婚もされて、東洋大牛久高の時間講師として、阿見アスリートクラブトップ選手として
もう一度、家族の為に、自分の為に、クラブの為に・・・
この年に、後輩の二人と共に、輝きを取り戻してくれました。
7m76cmを跳び、国体でも5位入賞、再び日本選手権の資格を獲り
阿見アスリートクラブ トップ選手 志鎌秀昭ここにあり
2年間の苦しかった競技人生を吹き飛ばす
本当に復活の年となりました。
そして、この年の阿見ACアワーズ メンバーオブザイヤーに輝きました。
私も監督としての思いと、経営者としての思いが葛藤していましたが、二人の新人を採用したことも喜べ、志鎌選手の活躍も本当によかっと思いました。
クラブ選手だからこそ、やれたことと・・・志鎌くんがアワーズの挨拶の中でも言っていました。
志鎌君を通してクラブトップ選手としてのあり方とは、私なりに考えさせられました。
選手の時代は、思い切り練習のできる環境を作ってあげる事
クラブから支援を受けて続ける、プロの選手として戦えるというこは、どうしなければいけなかったのか?
あの時代、クラブとしては精一杯の支援をしたつもりでしたが、充分なものではありませんでした。
あの時に出来なかったこと、今考えても経営者として悔しい、情けないのですが、今ほど経営的な力もまだまだ不足したいました。
2020年4月から始まる第3次トップチーム戦略、中距離トップチーム発足に向けて、準備段階からしっかり、あの時代の経験を踏まえて、役立て準備しています。クラブの歴史の中で、トップチーム戦略は欠かせない事と私は思っています。先人の皆さんの活躍の実績があったからこそ、阿見アスリートクラブの知名度アップになり、今に繋がっているのです。
あらから7年が経ちました。
東日本大震災の2年後で、会費関係も値上げをして経営的にも発展させていこうと思いました。しかし、定期練習会員が減りクラブ経営的にも厳しい状況になっていました。何とか脱していかなければいけない強く思った時代でもありました。その中で2人の若者を採用することは、将来のことを考えての事でもありました。中村仁コーチは2年で退社になってなりましたが、慧太郎コーチは今も立派に事業をやってくれています。大人の部のアスリート、高校の部の指導の形も作る上げてくれています。あの時、慧太郎コーチを雇うことを決めたことは、本当に良かったと思います。
佐藤慧太郎選手(筑波大卒業)中村仁選手(筑波大卒業)をプレイングコーチとして正規雇用しました。
二人は、中学、高校時代のスーパースター、大学ではもう少しやり切れていなかったので、クラブ選手として、指導者として頑張ってみようということで採用しました。
マリエコーチが2010年度に引退して、2012年に小盛コーチも茨城高校の教員になり、その後、一人で頑張ってくれていた志鎌秀昭選手
2011年12年と怪我との戦いで、かつての輝きが薄れかけていました。
ご結婚もされて、東洋大牛久高の時間講師として、阿見アスリートクラブトップ選手として
もう一度、家族の為に、自分の為に、クラブの為に・・・
この年に、後輩の二人と共に、輝きを取り戻してくれました。
7m76cmを跳び、国体でも5位入賞、再び日本選手権の資格を獲り
阿見アスリートクラブ トップ選手 志鎌秀昭ここにあり
2年間の苦しかった競技人生を吹き飛ばす
本当に復活の年となりました。
そして、この年の阿見ACアワーズ メンバーオブザイヤーに輝きました。
私も監督としての思いと、経営者としての思いが葛藤していましたが、二人の新人を採用したことも喜べ、志鎌選手の活躍も本当によかっと思いました。
クラブ選手だからこそ、やれたことと・・・志鎌くんがアワーズの挨拶の中でも言っていました。
志鎌君を通してクラブトップ選手としてのあり方とは、私なりに考えさせられました。
選手の時代は、思い切り練習のできる環境を作ってあげる事
クラブから支援を受けて続ける、プロの選手として戦えるというこは、どうしなければいけなかったのか?
あの時代、クラブとしては精一杯の支援をしたつもりでしたが、充分なものではありませんでした。
あの時に出来なかったこと、今考えても経営者として悔しい、情けないのですが、今ほど経営的な力もまだまだ不足したいました。
2020年4月から始まる第3次トップチーム戦略、中距離トップチーム発足に向けて、準備段階からしっかり、あの時代の経験を踏まえて、役立て準備しています。クラブの歴史の中で、トップチーム戦略は欠かせない事と私は思っています。先人の皆さんの活躍の実績があったからこそ、阿見アスリートクラブの知名度アップになり、今に繋がっているのです。
あらから7年が経ちました。
東日本大震災の2年後で、会費関係も値上げをして経営的にも発展させていこうと思いました。しかし、定期練習会員が減りクラブ経営的にも厳しい状況になっていました。何とか脱していかなければいけない強く思った時代でもありました。その中で2人の若者を採用することは、将来のことを考えての事でもありました。中村仁コーチは2年で退社になってなりましたが、慧太郎コーチは今も立派に事業をやってくれています。大人の部のアスリート、高校の部の指導の形も作る上げてくれています。あの時、慧太郎コーチを雇うことを決めたことは、本当に良かったと思います。