連載三周年突破おめでとうございます!!!
ということで、宣言通りお祝い考察UPです!!
附田先生と佐伯先生、そして森崎先生と現担当の上野さんという四人五脚で育んできたこの作品。
2012年の連載開始から早3年。
単行本も15巻を超え、今年は遂に漫画にとって一つの目標でもある「アニメ化」という大きな快挙も成し遂げました。
今現在、ジャンプ本誌で大波乱の展開が続いている本作。
そんな大波乱と並行して見事に組み込まれている要素があります。
それは「原点回帰」。
そこで、私もそれに倣い、この作品の原点的な部分を基にしてこれからの展開への予想も含めた考察を三部に分けて書かせて頂こうと思います。
ちなみに最初に断らせて頂きますが、私は徹底した創真至上主義者です。(故に創真関連の項目は他の項目より数倍の文章量になるという罠)
そして相変わらずながらえりなに対しては壮絶に辛口です。(えりなファンからしてみれば罵詈雑言レベル)
そのことを御了承のうえで、どうかこれから述べる考察をご覧になってください。
まず最初はこの作品の主人公である『幸平創真』。
そしてメインヒロインである『薙切えりな』と『田所恵』。
この作品を形作る彼ら三人のキャラクター像を改めてもう一度見直してみることにします。
彼らについては、創真は単行本第1巻感想にて、えりなと恵については単行本第2巻感想にて考察を述べましたが、三人とも初期の印象から随分と味わい深くなりました。(^^)
【えりなの“背景”】
まず最初はえりなから。
彼女についてまず言いたいのは、未だに全然成長してないよね★ということ。
どんどん成長している創真や恵と比べて、えりなは見事なまでに足踏み状態。
個人的にはちょっと呆れるぐらいの遅さです。
でもこれは彼女の性格に大きく起因しているのかと。
根は素直だというのに、不器用に頑固で意地っ張り。そして人一倍寂しがり屋なくせに我儘。だけど純粋で一途。
そんな彼女の性格は「子供っぽい」という言葉で一括りにできます。
食の銘家である薙切家の後継者であり、[神の舌]という天賦の才を持つえりな。
その立場と能力故にとりわけ丁重に扱われ、常に庇護されるという環境で彼女はこれまで生きてきました。
それはまさに「籠の中の鳥の如く」。
外界からの刺激を徹底的に制限・管理されてきたため、良くも悪くも彼女は現在まで「子供」でい続けることになったわけです。
「子供」。それはまだ己の“器”が未成熟な存在。
そんな「子供」が絶大な「力」を持ってしまったら、ほぼ確実に陥ってしまうのが。
「暴走」。
初期の頃に特に顕著に見せていた横暴で身勝手な振る舞いは、そんな「暴走行為」の一環であったと言えます。
その一方で、えりなは無理に「大人」として振る舞おうとしています。
本質が「子供」のままだというのに。
その原因は彼女を取り巻く環境によるもの。
[神の舌]という、その家柄におあつらえ向きとしか言えないような才能を持って生まれてしまったえりな。
そんな彼女に集まる期待は相当なものに。
立場故に「最高」。能力故に「完璧」。
最初は単なる憧憬や羨望だったであろう、彼女に対する周囲の見方。
なのにそれは、いつの間にか
“勝者”
“完全無欠”
それが当然という固定観念に。
責任感が強く真面目な子であるえりなは、そんな偏見と化してしまったプレッシャーに常に耐え続けてきました。
それは言わば、「完璧な強がり」。
そして、そんな偏見はいつしか彼女自身のアイデンティティーそのものへとすり替わっていってしまったわけです。
そんなえりなですが、ただ傲慢に「力」を振るっているわけではありません。
そうでなければ尊敬される存在になどならなかったことでしょう。
己の言い分を通すために、彼女が常に貫いているのは「正しさ」。
至って正論だからこそ、尚更他者は抵抗できなくなるわけです。
でも。
私から言わせれば、彼女のそんな「正しさ」もやっぱり独りよがりなものにしか思えません。
これは多分社会人になると分かることだと思いますが、えりなが振りかざす「正しさ」は、いわば「お役所的考え」なんですよ。
正論を基に、効率・結果・大義名分といったものを優先する考え。
理屈としては確かに正しい。何も間違ってはいない。その通り。
だけど。
人間としての心情としては受け入れ難い。納得できない。
えりなの「正しさ」はそんな形。
子供の身でありながらも社会で大人達に渡り合うために、彼女が身に付けたであろう「正しさ」。
ですが、四角四面な「正しさ」ばかりでは通用しないのが人の世界だと私は思ってますがね。
そうやって、“権力”、“才能”、“正論”だけを武器に、料理人としての道をえりなはここまで駆け上がってきたわけです。
ですが、「頂点に上る」ことと「前に進む」ことは違います。
“頂き”に到達してしまったら他に行き場はありません。
そこに立ち尽くすだけ。
かつての四宮のように。
冒頭で敢えて「えりなの成長は足踏み状態」と表現しましたが、あれは意図的に述べさせて頂きました。
それもひとえに、彼女が[氷山]だから。
料理人としては確かにどんどん高みに上り詰めていることでしょう。
ですが、人としては全く今の位置から動こうとしていません。
“上”に登り続けることは出来ても、自分から“前”に進むことは出来ない。
まさにえりなは[氷山]という表現に相応しい子です。
薙切家の名誉を守るため。
遠月学園の格式を維持するため。
皆の期待に応えるため。
そのためにずっとずっと張り詰めて、頑張ってきたえりな。
ですが・・・違いますね。
えりなが守ってきたもの、それは所詮「自分自身」にすぎません。
薙切家や遠月学園という「自分の居場所」を守るため。
料理人としての力を振るうのも、「自分の存在価値」を認めさせるため。
周囲の期待に応えようとしているのも、「自分のイメージ」を守るため。
彼女の中枢にあるのは不安。
強気さや自信に満ちた態度は表面上だけ。
実は誰よりも臆病な子ですよ、えりなは。
秋の選抜編で、敗北し悔し泣きをするアリスの姿や(第67話)、多くの仲間達に囲まれている創真(第104話)に対して彼女が抱いたであろう感情はきっと羨望、そして孤独感。
「天才な自分」は常に勝ち続けなければならない。
「強い自分」であるために、“涙”を見せてはいけない。
「特別な自分」でいるために、“友達”は必要ない。
そう自分を戒めているのでしょう。
ですが、それは単なる思い込みです。
彼女を真に苦しめているのは、父親の薊でも、周囲の環境でもありません。
それは、これまで過剰に守り過ぎていた「自分自身」。
「自分」にがんじがらめに囚われ。
追い詰められ。
独りにさせられてしまっている。
もはや、自分でもどうしようもないほどまでに。
あまりにも強固すぎて、重厚すぎて、身動きできないほどに重くなってしまっていた、えりなを守る“鎧”。
今現在進行中の本編で、そんな“鎧”が大幅に弱体化し、その不安定な素顔を露呈させているえりな。
だからこそ今が、これまでの彼女から大きく変わるチャンスと言えます。
「遠月学園」「薙切家」という自分がこれまで守り通してきたものから逃げたことで、同時に自分の「価値」の大半を失ってしまったというのに、そんな自分を受け入れてくれる世界があった。
それは、「天上世界」にいる自分がこれまで散々見下してきた「下界」。
今まで得る機会の無かった経験。自分と対等に接してくれる同年代の人々との交流。
無礼で粗野で、でも温かく新鮮な世界。
そんな世界に初めて身を置くことで、これまで見えていなかったものがようやく見えてきたえりな。
これまでの自分を顧みることができるか否か。
まずはそれが彼女の“成長”への足掛かりになりそうです。
家柄、権力、天賦の才。
それらは全てえりな自身が望んだものではなく与えられたもの。
そして彼女自身もまた、他者に求めるだけ、欲しがるだけという。
それでは単なる「子供」です。
でも、どんなに与えられても彼女の“飢え”は決して満たされることはありません。
えりなが自ら動き、手を伸ばして、懸命にもがいて得たもの。
きっとそれが彼女を満たすものになるはずです。
これまで散々甘えていた「子供の自分」から、本当の意味での「大人」になるために。
囚われていたものに。
自分自身に。
そして、「外」の世界に。
それらと正面から向き合い、自分自身の足で歩み始めた時、彼女は真の意味で気高い「女王」になれることでしょう。
【恵の“成長”】
ここ最近の展開から一気に内面が曝け出されたえりなとは違って、恵は元々裏表があまりありませんでしたね。
キャラクターの深化をえりなは“背景”の判明とするならば、恵は純粋に“成長”と言えます。
初期のイメージをえりなは“頂点”とした場合、恵はまさに“底辺”。
外見も冴えず、「落ちこぼれ」「田舎者」というレッテルを貼られ、あと一度低評価を受けてしまったら即退学という崖っぷちに追い詰められている状況という、もう見事なまでのドン底状態にいた恵。
そんな“底辺”に位置していたからこそ、あとは上昇するのみだったわけです。
初登場時から非っ常~に強気で生意気なキャラクターだった主要人物二人とは正反対に、気弱でネガティブで自分に自信を持てていなかった恵。
ですが、残り二人が“強すぎて”共感性に非常に乏しかっただけに、弱くも良識的な恵の姿勢は読者の共感性や作品全体のバランスに大きく寄与するものでした。
ハッキリ言って、恵というキャラクターがいなかったらこの作品はアクが強いだけのものになってしまっていたと思います。
それぐらい、この作品にとって恵の存在は実はかなり重要なものだったと私は感じていますね。
そんな恵は主要人物三人の中で、最も順調に成長過程を歩んでいるキャラと言えましょう。
初期の印象はそれこそ落ち込みまくり動揺しまくり怯えまくりといった、「弱さ」の象徴のような子だった恵。
ですがこれまでの展開の中で意外とタフな一面が次第に明らかになったりと、今では随分と初期の弱いイメージが払拭されました。(それでもやっぱり基本はガタブルアワワな子ですが/苦笑)
彼女の“成長”におけるターニングポイントだった四宮編。
この章の重要性は誰しもが認めるところでしょうが、恵はこの時点で既にその外見から想像もつかない「強さ」の片鱗を見せていました。
それは、対立の原因となった品である『テリーヌ』を、敢えて勝負料理として選んだという判断。
大胆ながらも極めて正攻法なその戦い方は、謀らずも創真の戦い方と大変似ているものだったという。
そして、その性格と並行して料理人として見ても当時の恵の大きな欠点として挙げられていたのが「遅さ」。
迅速さが重要視される厨房において、恵の遅さは確かに大きな欠点と言えたと思います。
そこを「手間暇の掛けよう(熟成)」へと見事に転化。
短所と思われた点も立派な長所となることを、恵は己の料理を以って立派に証明して見せました。
この「遅さ」の長所化は、料理だけでなく彼女の姿勢にも反映されていくことに。
それが示されていたのが小説版第一弾の恵のエピソードです。
駆け足で上り詰めるのではなく、ゆっくりと歩んでいく恵。
だからこそ、大切なものを見落とすことなくちゃんと向き合えているという。
そういう彼女の姿勢は、非常に安定かつ柔軟な「強さ」です。
この章をきっかけにどんどん恵は強者や逆境に負けない精神力を身に付けていきます。
「底辺」「田舎者」「地味」といった初期の彼女のマイナスなイメージ。
それらが「土台(礎)」「故郷」「癒し」「純朴」といったプラスのイメージへと昇華されていくことに。
[田園]はまさにそんなイメージ通りのもの。
広大な大地に恵み豊かな水と緑を蓄えた場所。
恵は非常に寛大な癒しと愛情を湛えた子です。
同じヒロインでありながら、その背景や成長描写が至って正反対なえりなと恵。
ですが、この二人はお互いに自身の才能に期待を受けている身であるなど、共通している部分が幾つかあります。
なかでも重要なのが
「失敗」を極度に恐れていた(る)こと。
一度でも失敗したら終わり。
そんな崖っぷちの立場にお互い居た(る)恵とえりな。
恵は退学。
えりなはアイデンティティーの崩壊という。
そんな二人の前に現れたのが、「失敗」を肯定する人物であった創真。
恵は、えりなも抱えている問題をいち早く創真から救ってもらえていたわけです。
創真からの支えをきっかけに確かな自信が付いた今、恵はえりなと違って周囲の応援をちゃんと自分の“力”に変えていける子へと成長しました。
自分が沢山助けられてきたことをよく分かっている恵。
それだけに。
恵は大切な人達のためならどこまでも強くなっていくに違いありません。
<創真の“中間性”>
そして我らが主人公である創真!!
彼に関してはまあ・・・。
随分と天然な可愛い子になっちゃったな~~~vと。(アホ炸裂)
初期は飄々としつつも生意気という、かなり食えない印象が強いキャラでしたが、真っ直ぐさを“素直さ”へと応用させたことで随分と愛着の持てる子になってくれたと思います。(^^)
そんな風に性格的には大分マイルドになったものの、その「異端性」は今なお健在。
そもそも料理漫画において、「美味しいもの(=美食)」は絶対の正義。
その不動のセオリーに真っ向から反し、「不味いもの(ゲテモノ)」も作って楽しむという姿勢自体がもはや異端の極みとしか言えないものでした。
ですがその姿勢が
「偏見」への挑戦
「失敗」の肯定
という、創真だけが持つ重要なファクターに繋がっていたわけです。
創真のそんな型破りさは、いまや立派にこの作品を牽引していく頼もしい魅力と相成りました。
創真はその多面性故に多くのキャラクターと何かしらの共通点がある子ですが、えりなと恵双方のファクターも巧みに併せ持つ“中間”のキャラクターだったりします。
単行本第7巻感想でも[イケメンカルテット]との対照性を主体にしたキャラクター考察をさせて頂きましたが、これまでずっとこの作品に付き合ってきたお陰で彼女達との対照性もだいぶ見つけることが出来ました。
元々この作品の登場人物達の多くは、そのキャラクター性や得意ジャンルに基づいた名前が付けられているという特徴があります。
創真は『行平鍋』から「幸平」。
えりなは『菜切り包丁』から「薙切」といったような。
強い上昇思考を持つ二人。
ですが創真はその過程の中に無駄なものなど全然無いと考えている。貪欲に全てを得ようとし、長期的に物事に向き合い受け入れる“鍋(器)”。
対してえりなは自分の理念に当て嵌まらないものは容赦なく無駄と判断する。厳選したもの以外は全て短絡的に切り捨てる“包丁(刃)”。
一方。
調理器具が名前の由来になっている二人とは違って、恵は『田んぼ』から「田所」。
一見共通性など皆無に思えますが、ところがどっこい。
創真の二つ名ともいえる[果て無き荒野]と照らし合わせると、その対照性がはっきり見えるという仕組みに。
『荒野』という乾いた世界に対し、『田園』は豊かな水と緑を湛えた潤い溢れる世界。
そして、どちらもどこまでも前に進める広大な“大地”という。
何の隔たりもない大地で、誰も歩んだことが無い道なき道を歩む、そんな先頭者であり開拓者である創真はまさに[荒野]そのもの。
ですが、このブログをご覧になられている方ならご存知かと思われますが、それと同じくらい私が創真に対して用いている二つ名があります。
それは[春の嵐]。
第9話のサブタイトルに用いられていた言葉ですが、この二つ名が滅法気に入っている私。
何故なら、創真はまさに[春の嵐]そのものでもあるから。
相手の都合なんてお構いなく巻き込み、振り回し、翻弄させる強風。
それは時に“威風”にも。
でも。
その風はとても温かいという。
「優しさ」や「誠実さ」というよりも、「温かさ」。
その表現が一番創真の思い遣りの形に当て嵌まると思います。
私から見て、創真は少なくとも男性キャラの中ではぶっちぎりに優しい子ですね。
その寛大な情の深さは、もはや父性愛とも言えるのでは。
そして、そんな創真と並ぶ温かい子が恵というわけです。
料理と共に、その人柄も“温かい”。
それが創真と恵の大切な共通点です。
そんな風に他者や社会に対する本質的姿勢がよく似ている創真と恵。
一方、その点に関しては創真とえりなは相対性の方が顕著な感じ。
特に重要なのが相手への信頼。
恵はその純朴な性格から何も疑問に思わず他者を信頼する子ですが、同じく純粋な子であるにも関わらずえりなは他者を信頼しようとしません。
最も心を開いている筈の新戸にでさえも。(小説版第二弾参照)
何故なら、他者を信頼して、万が一でもそれが己の過失になってしまったら「完璧な自分」でなくなってしまうから。
恐れているんです。
裏切られることを。
それに対し、創真は根本的に他者を信用してくれます。
例えそれが戦う敵だとしても。
何故なら。
「相手を信じた自分」を信じているから。
確固とした自信を持つキャラが大変多いこの作品ですが、創真の自信の形こそが本当の「自信」と言えるのではないでしょうか。
スタジエール編で描かれていた創真とえりなの厨房での姿勢。
それはまさに社会における二人の在り方を如実に示していました。
創真ってどストレートな発言をかます半面、「~なのか?」というような“相手に投げかける言葉”をよく用いてきますよね。
気付いていることを率直に言ってしまえば早いのに、相手の方からそれに気付くような言い方を敢えて選んでいるというか。
そこに彼の思慮深さがよく感じ取られます。
恵を筆頭に、創真の周囲にいる人物がどんどん成長していくのは彼のこういう面も影響しているのかもしれませんね。(^^)
いわば、創真は天然の教え上手と言えるのでは。
対して、えりなは幼少時から料理指南や味見のアドバイスを仕事にしてきただけあって、「指導」の姿は初期からよく見せていました。
ですが、その指導の仕方は非常に高圧的な説教。
言っていることは間違っていないものの、言われる側(聞いている側)は苦痛を受けるような教え方です。
体験上言わせてもらいますが、そんな指導の仕方は才能の芽を摘み取る行為に他なりません。
教えられる側は萎縮してしまい、伸び伸びと個性を発揮することが出来なくなってしまうような、そんな「可能性」を潰すやり方。
「相手が喜んでくれる料理」よりも「叱られない料理」を作ることが目的になってしまうような指導法です。
例えるなら、えりなは言い方と態度が非常に悪い、でも仕事ができるため誰も文句を言えない上司。
そして創真はあまり多くを語らずも、常に見守り後輩の考えや努力を汲んでくれる先輩といったところですね。
正直言って、
創真のような人物が職場に居てくれたら・・・。
そう心から願ってしまうぐらい素晴らしい人物ですよ、創真は。
えりなのようなリーダーシップを持ちつつ恵のようなサポート能力にも非常に長けている創真ですが、料理人としてではなく、性格的にも創真はそれが反映されています。
先頭に立ち皆を引っ張る統率力がありながら、肝心な時は他者をさり気なく立たせてくれる、そんな風に自然体で周囲に気を配れる子である創真。
不敵な態度から敵意を受けやすい反面、裏表がなく温かい人柄はそれ以上に好意を集めるんですよね。
もはや創真は天然カリスマ少年と言えましょう。
初期は見事なまでに正反対な三人だと思ったものですが、こうして見直せば見直すほど関連性が見えてくるのですから面白いものです。
どんな窮地に立たされても決して動じず自分を見失わない創真。
「真っ直ぐさ」と「柔軟さ」。
「上を目指す意思」と「前に進む意志」。
それぞれを併せ持つ創真の「強さ」は、もはや非の打ち所がないとさえ言えるかもしれません。
ただし。
これまでの作中で、創真は垣間見せています。
大変危うい部分を。
まずその「危うさ」を覗かせたのは、四宮編のラストにあたる第27話。
恵と別れた直後、一人敗北の悔しさを爆発させた創真。
・・・もう。
絶句しました。
それは勿論創真の激情そのものに対してもですが・・・。
あの行動、とんでもないことですよ。「料理人」にとって。
「手」というのは料理人にとって命同然の部位。しかもあろうことか利き手。
それを容赦なく打ち付けた創真。
ただでさえ、創真は人一倍プロ意識がしっかりしている子だというのに。
あの行動が示す意味。
勿論ただシンプルに負けたことへの悔しさと見ることもできます。
ただ、それと同時に
仲間の力になれなかった自分への非難があったのでは。
自分の力の至らなさ。未熟さ。
そんな自分を痛烈に責めているようにも見えるんです。
そしてもうひとつ。
それは秋の選抜編で美作を静かに諭した第80話。
あの時、創真はとんでもないものを対価に差し出しました。
それは、自分の人生全て。
言ってる内容の深刻さとは裏腹に、穏やかな笑みさえ浮かべていた創真。
あの時の創真にも、言葉を失いましたよ。
創真至上主義な私ですが、創真のこういう所が一番良くないと思っています。
至って平気な顔で自分を犠牲にするところが。
秋の選抜の決勝戦にあたる第102話にて、創真の“強さ”について語っていた城一郎。
それは創真は心に“蓋”が無いということ。
それはあっけらかんに自分の足りない部分を認める、とんでもない強みであり前向きさ。
つまり、それは―――
自分の心を一切守ろうとしないということなのでは?
自分をガチガチに守りまくった挙句、身動きが出来なくなってしまったえりなとまさに対極。
創真は自分自身を野晒しにしている。
だからこそ自由でもあるわけですが。
自分に襲い掛かる障害や試練、困難。
それらを一切防御せずに迎え討とうとする創真。
でも挫折や敗北を味わったとしても、決して折れることなく前に進み続ける。
・・・自分一人の問題で済めば。
ここで振り返って頂きたいのが、前述した第27話の創真です。
非常に仲間思いな子である創真。
もしも。
自分の失敗や敗北が仲間を巻き込むことになってしまったら・・・
創真は。
誰よりも。
自分で自分を傷付けることでしょう。
自分を一切守らないだけに、尚のこと酷く。
「あがり症」という自分から、本来の実力が出せなかった恵。
「天才」という自分から、完全無欠を強いられているえりな。
彼女らが抱えていた“問題”の根源、それは「自分自身」でした。
ということは。
創真にとって最大の“問題”も創真自身となるのでは・・・。
えりなを「硬くて脆い」とするならば、
創真は「強すぎて儚い」。
そんな子です。
少しのヒビで全てが崩壊してしまうようなえりなに対して、創真は突如として消えてしまう、そんな形の「危うさ」。
創真のこの「危うさ」は、例えるなら荒野に密かに埋まっている“地雷”。
これからの展開で、創真は更に成長を重ね、強さも一層増していくことでしょう。
ですが、いまだに踏まれていない“地雷”が誰に、どんな状況によって踏まれることになってしまうのか・・・。
そんな心配をずっと抱いています。
えりなは「危うさ」。
恵は「安定さ」。
そして、「危うさ」と「安定さ」両方併せ持っているのが創真。
大抵の作品において、ヒロインは守られるべき存在です。
ですが、この作品においてはその限りではありません。
本当は、主人公である創真こそが一番守らなければならない存在なのではないでしょうか。
では、そんな創真を守れる人物とは一体誰か。
それについては次回、と言いたいところですが次々回の記念考察にて・・・。
ここまで読んでくださり誠にありがとうございました!