心が満ちる山歩き

美しい自然と、健康な身体に感謝。2019年に日本百名山を完登しました。登山と、時にはクラシック音楽や旅行のことも。

北海道・羊蹄山(4)

2017年03月27日 | 北海道の山


羊蹄山(1,898m) (つづき)


 頂上から火口の中をショートカットするように進むと、旧羊蹄小屋跡に出ました。古代の遺跡が現れたように、建物の基礎部分だけが残っています。見通しのよい場所で、戦時中ここでは日本軍が気象観測を行っていたといいます。
 
 こんな晴天は滅多にないという羊蹄山ですから、今から70年以上前にどれほどの精度で観測ができていたのかと思います。しかし、「戦時中」ということを聞いて、小屋の跡が何とも乾いた場所に見えてきたのは気のせいでしょうか。

 「 ~会報『山刀』第三号(一九四二・昭和十七年一月刊)に、乗鞍岳登山コースの実測記録が載っているのは「防諜上よろしくない」と当局(警察?)に咎められ、会報の大半が没収されたという(飛騨山岳会『山刀ー創立七〇周年記念号』一九八〇年一一月刊による)。 ~」
 (白山書房『山の本』No.98(2016年冬号) 西本武志著「戦時下の登山者≪下≫ -様々な軍事法令で制限された登る楽しみー」より)

 『山の本』2016年冬号では、西本氏による戦時中の登山にまつわる数々の不条理なエピソードがおさめられています。平和な世界で、飛行機で北海道まではるばる出かけて自由に山登りができることだけでなく、山を語る自由まであることはありがたいことだと思います。戦時中は、天気予報までも軍事秘密として、市民には知らされていなかったのです。


 この火口でスキーを楽しむ人もいるそうです。
 不思議なお椀状のゲレンデは、羊蹄山以外には日本中どこを探してもないと思いました。
 地形図を見ると、火口の深さはほぼ200mでした。しかし、そんなに深さがあるようには見えませんでした。滑ってみて初めて分かるのかもしれません。


 長い雪渓を下って避難小屋まで戻ります。
 小屋にいた人は3時間前より増えており、10人ほどはここで夜を明かす人がいるようでした。


 少しずつ暗くなっていく中を速足気味で下山しました。自分たちの2倍くらいの速さで追い抜き、駆け降りるように急坂を下る人がいたのには驚きました。羊蹄山の登山道はどの部分も変化に富んで美しく、決して登り一辺倒の山ではないと思いました。

 下山中に携帯電話で予約したタクシーの運転手さんが、行く時と同じでよかったと思いました。というのは、行きの時にもらった名刺の裏側が農園の案内になっていたので、農園のことを聞いてみたいと思っていたからです。運転手と農園経営の、2足のわらじというわけです。ニセコには実に多くの種類の農産物がとれるそうですが、最も時間を長く話されていたのはメロンでした。ニセコのメロンは有名な夕張メロンと同じくらいかそれ以上に甘みが強く、値段はあちらよりも安いとのことでした。ニセコといえば羊蹄山かスキー場しか知らないくらいでしたが、冬以外の季節に来ないと分からないことがあると思いました。


 途中、羊蹄山がよく見えるポイントで車をとめてもらいました。1カ月前に登った開聞岳に似ているものの、当然ながら開聞岳よりずっと高く、そして横の幅は高さ以上に広く、つくづく大きな山だと思いました。富士山よりも大きく見えます。本当です。たった5時間ほど前に頂上に立っていたというのが信じられません。どの山に登っても、また登ってみたいと思うものですが、羊蹄山の場合あと1回では足りません。4本の登山道(真狩ルート・比羅夫ルート・京極ルート・喜茂別ルート)全部を歩いてみたいからです。今日は真狩ルートを往復したので、残り3ルートを歩くには最低2回の山行が必要です。あと何年先になるか分かりません。生きているうちにならきっとできるでしょう。

 (登頂:2016年6月中旬)



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