上海阿姐のgooブログ

FC2ブログ「全民娯楽時代の到来~上海からアジア娯楽日記」の続きのブログです。

河北省の中国ドラマ撮影ロケ地訪問~写真ばかりの旅日記~

2012年01月28日 | 普通の日記
そこは「卧牛山撮影基地」と言われてはいるが、スタジオ設備があるわけではなく、もっぱら屋外ロケ地だった。建物といえば食堂兼宿泊所くらいだ。友達が宿泊所の玄関から出てきて私を迎えてくれた。



敷地内には2軒食堂があり、美味しいといわれる方の食堂に昼食を食べに行った。
まだ撮影は始まっておらず、食堂のホールでは機材テストや衣装合わせ、メークを試したりしていた。



この撮影基地は戦争・革命ドラマの撮影地として有名だが、この日は撮影は行われておらず基地内にはほとんど誰もいなかった。よく晴れていたが風が強く帽子無しでは耳が凍りそうな寒さだった。

作品の必要に応じて火薬、爆薬を使った戦闘シーンも撮影されるという。







建物もあったが煤けて朽ち果てそうなものが多く、銃を持った遊撃隊や民兵役の王宝強が瓦礫のかげから飛び出してきそうだった。ドラマの見すぎか・・・。







「こんな建物の原型を止めていないようなセットばかりで、どういうシーンを撮影するの?」と私が言うと、
友達は「戦場になった村はこんなかんじでしょう?」と言った。
その言い方はまるで自分の目で戦争で荒らされた村を見てきたかのようだったが、彼女は20代なのでそんな風景を見たことはないはずだ。彼女の思う戦場は、おそらく映画やドラマの中で描かれてきた光景で、それは私が今見ているのと同じく撮影基地のセットだったはずだ。だが、戦争の風景は20代の彼女の中にも明確なイメージをもって伝えられている。

中国共産党の歴史において、日中戦争(抗日戦争)は中国の勝利であり、勝利の貢献者は八路軍(現在の人民解放軍の前身の一つ)であり、1949年中華人民共和国建国という「偉業」を成し遂げる上での重要なプロセスである。戦争で多大な犠牲を払ったものの、共産党史の中では勝利の歴史であり、プラス評価されている。これが中国と日本の戦争に対する観念の大きな違いだと思う。日本の戦後生まれのほとんどの子供は「戦争そのものがよくないこと」という反戦思想に基づいた教育や文化を受けて育ってきたが、中国は現政権が革命を経て政権を執っただけでなく、第二次世界大戦以後もアメリカ、台湾、ソ連などと戦争の可能性に面しており「国のために犠牲になるのは尊いこと」という宣伝がなされてきた。

撮影基地の建物には抗日ドラマ用のスローガンなども見られる。









現在中国はドラマ制作が非常に盛んで勢いがある。制作本数は世界一といわれる。いまの「抗日ドラマ」はテレビドラマの一つのジャンルであり、視聴率を争う商業作品なので、現在の視聴者の心を捉えるものでなければならない。「悪者の日本軍を中国軍がやっつける」といったステレオタイプな構図だけは人気を勝ち取ることができない。最近の抗日ドラマは異なる立場やバックグラウンドを持つ中国人同士の物語に焦点が当てられており、ストーリーは複雑緻密化し、人間関係は異常なまでにドラマチックなものになり、つまりエンタメ化している。戦争を背景としたスパイもののドラマは、ヒット作を後追いするような作品が次々と作られる。抗日ドラマというジャンルの中にもドラマとして非常に良くできており、面白い作品もある。

「こんなふきっさらしの寒いところで何ヶ月も撮影するの?」と友達に聞くと、屋内での撮影もあるという。まともな建物がないじゃないかというと、「いま作ってる最中だ」と言った。奥の方のスペースで立派な石造りの建物と舞台を工事班が作っていた。



帰りは「下営」からバスで延慶経由で北京市内に戻るルートを選んだ。実際「下営」に着いてみて、北京のバスターミナルの切符売り場の人やダフ屋、バス車掌などが下営を知らないのも当然だと思った。下営は路線バスの終点で、周辺には雑貨屋も食堂も何ひとつなかった。バスが折り返す地点で、バス客を狙って白タクが群らがっているところだった。

北京市内からたった120km程度しか離れていないのに、ここには北京の富は全く届いていないように感じた。後になって偶然目にした新聞のオンライン版に、バスで通った地域のことが「首都北京を取り囲む貧困地帯」の一部として記述されていた。

【21世紀経済報道】首都北京を取り囲む環状貧困地帯。依然として北京だけが繁栄。
http://epaper.21cbh.com/html/2011-12/26/content_14569.htm?div=-1
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2012年お正月の旅 北京から河北省へ~写真のない旅日記~

2012年01月05日 | 普通の日記
1月1日と2日、友達に会いに上海から北京に行った。
1月1日は北京市内に住む友達を訪ねた。最近子供が生まれたばかりなので、子供を見に行った。
1月2日は別の友達を訪ねた。その友達は普段は北京に住んでいるが、ちょうど仕事の関係で北京の隣の省である河北省にいるというので、そこに会いに行くことになった。彼女は中国ドラマの女優の仕事をしており「卧牛山撮影所」に数ヶ月滞在するという。友達になった当初は彼女は別の仕事をしていたが、3年くらい前からドラマ女優の仕事をするようになっていた。中国はドラマ制作が非常に盛んで、制作本数は現在世界で最も多いと言われている。

「卧牛山撮影所」は北京市延慶県の更に先にあり、行政区画上は河北省張家口市に属する。
卧牛山に行くために、友達は二つのルートを教えてくれた。
一つは、北京市内の「徳勝門」からバス919路に乗って終点の延慶まで行き、延慶からバス920路に乗って、終点の「下営」で降りて、そこからミニバスに乗り換える。

もう一つは北京市内の「六里橋」長距離バスターミナルから「沙城」行きの長距離バスで「下営」まで行き、「下営」でバスを乗り換えるというルートだった。

どっちが早く着くの?と友達に聞いたが、友達は業務用のシャトルバスで撮影所まで移動したので、一般交通機関の状況はよく分からないという。
「卧牛山」までは北京市内から約120kmあるので、長距離バスに乗る方が早いだろうと思い、二番目のルートを選んだ。

まず北京市内南部「六里橋」長距離バスターミナルに行った。
大きなバスターミナルで、西安、鄭州、内モンゴルのフフホト行きのバスも出ている。
切符売場の窓口で「沙城」に行きたいと告げた。ところが、次の「沙城」行きのバスは昼12時まで待たなければなかった。そのときはまだ午前9:50。昼12時までは待てない。当日の夜便で上海に戻るので、日帰りしなければならないからだ。
窓口で「下営」(シャーイン)に行きたいんだけど、ここを通る他のバスはないのか?と聞いた。
窓口の人は切符販売のコンピュータで検索したが、「そんな駅はない」と言われた。

どうしよう。友達が教えてくれたもう一つのルートで行ってみようか。しかし、そのバス乗り場は正反対の方向にあるので、相当なタイムロスになる。バスターミナルの周りには白タク、白バス(非正規のバス)の客引き案内人、バス切符のダフ屋がたくさんおり、通行者に片っ端から声をかけている。

ダフ屋を利用するつもりはなかったが、声をかけられたので「下営」に行きたいと言った。
案内人たちは「下営」を知らなかった。延慶県の先の河北省の方だ。と説明すると、だいたいの位置が分かるようだった。
「延慶に行くなら「徳勝門」からバス919路線に乗ればいいのに。」と言われて、もう一つのルートを選ばなかったことを後悔した。しかしもう遅かった。
別の案内人の男が現れ、
「あのあたりに行きたいなら、張家口行きの長距離バスに乗って近くで降ろしてもらえ。1、2時間で着くぞ。」と言われた。「卧牛山撮影所」が辺鄙なところにあるというのは予め調べて知っていた。ネットの情報によると、「張家口行きの長距離バスに乗って、六街村でバスを降りる。そこから車で10元くらい。」と書いてあったので、張家口方面に行くというのは間違っていないと思い、その案内人について行った。

間もなく青い大型バスが現れて、私以外にも数人の客がバスに乗り込んだ。バスは既に8割以上の席が埋まっていた。

北京は自家用車が氾濫しすぎていて、ひどく渋滞することで有名だが、1月2日は運良く3連休の中日だったのでそれほど渋滞しなかった。

バスに乗った後、運転手と切符を売る車掌の男性の会話が耳に入った。
「下営(シャーイン)というのはどのへんなんだ?」と話し合っている。

ああ、なんかやばいな・・・ちゃんとたどり着けるのかな・・・・と心配になった。

終点の張家口まで行くと67元(約950円)だけど、私は45元(600円)と言われたので45元しか払っていない。だから途中で降ろされるんだろうなと思った。

問題は、どこで降ろされるんだろう・・・?
心配だったが、バスの中が暖かかったので眠ってしまった。
1時間ほど経って目が覚めたらとても良い天気で、バスの窓から万里の長城が見えた。万里の長城の観光スポットとして有名な「八達岭」の更に北西に目的地がある。

バスは激しい山道を北西に向かって登っていった。万里の長城を越えてしまうと、標高は高いが平坦な土地が続いた。

外は風が強いようで、橋を渡るときは風でバスが横に揺さぶられた。川の水は凍っている。
窓の外は一面の荒野と岩肌の見える黄土色の山。空は青いが緑はない。風力発電の風車がくるくる回っている。
風力発電は少なくとも毎秒4mの風力がないと発電条件を満たさないと言われる。
中国は自然エネルギーによる発電に力を入れていると思うが、効率は良くないようで、全体の電力供給に占める割合は低い。
特に風力発電は、遅れた技術の風車を乱造しているという批判もある。
広大な土地に延々と風車が並んでおり、原野に強風が吹き荒れている。
いくら設備が良くないとはいえ、地理的にこれだけ有利な条件がありながら自然エネルギーによる発電の効率は高くないことを考えると、「日本も自然エネルギーを強化」といっても、その自然条件が日本にあるのだろうかと思ってしまう。

高速道路の道路標識を見て、自分の目的地と外れた道にバスが進んで行くのに気付いた。

そろそろ降ろしてくれないと、どんどん目的地から遠ざかってしまう・・・

出発したばかりの頃は、一般道、しかも次の交通手段がある、人のいる村か町で降ろしてくれることを期待していた。だがバスが進むにつれて、私一人のためにバスが高速道を降りたり道を反れることはありえないと分かった。
バスの窓から見える風景は、人どころか、車も家も農家も工場も何もない。荒野の中で風力発電の風車が回っているだけ。
もういっそ友達に会うのは諦めて、このまま終点まで行ってしまおうかとも思った。そうすればそこから確実に北京に戻れる。

そんなとき、車掌のおじさんが「この男と一緒にここで降りろ」と私に言った。

「この男」というのは、バスの他の乗客のことで、20代の男の乗客だった。車掌さんは「この男がお前を連れて行ってくれる」と乗客に言い含めるように告げた。

高速道路の途中でバスが停車した。私は何も言わずにバスを降りた。

天気は良かったけれどすごい風だった。冷たい風が吹き荒れていた。
私は男の乗客と一緒に高速のガードレールを乗り越えて、崖を下っていった。やはり人はいない。
「お前はこのへんの人間じゃないだろう。北京で働いてるのか?」と聞かれた。
私は「上海から来た」と言った。「そんな遠くから来たのか」と言われた。
「卧牛山というところにドラマ撮影基地がある。そこに友達がいるから卧牛山まで行きたい。下営からバスが出ているというから、まず下営に行きたい。」と話した。

それからかなりの道のりを歩いた。砂ぼこりが舞い上がり冷たい風がつきささる。

一緒に歩いているこの男性がもし悪い人だったら・・・

土地カン皆無で、僻地の高速で途中下車して知らない人についていく・・・確実に「危ないからやってはいけないこと」の一つだと思って反省した。でも、今さら後悔しても遅いので、こういうときは運を信じて進むしかない。

しばらく歩くと一般道にたどり着いた。
ここから車を拾うらしい。そこに既に、数台の小型車が停車していた。

一緒にバスを降りた乗客に「送ってやってもいいけど、俺は他に行くところがある。お前、金があるんだったら、ここで自分で車を拾って行った方が早いぞ。」と言われた。
泊まっていた小型車の運転手は「駅までなら15元だ」と声をかけてきた。男の乗客は「10元にしてやれよ!」と言ってくれたが、その「駅」がどこの駅なのか、鉄道の駅なのかバス停のことなのか、どのあたりにある駅なのか、私が全く分かっていないのが問題だった。
いずれにしても交通手段が必要なので、その小型車に乗った。
だいぶ時間をロスしてしまったので、かなりぼられてしまったが、小型車に最終目的地まで乗せていってもらうことにした。

一般道もやはり人がいない。貧しいというか、僻地で人がいない。
時々小さな売店や食堂があったがひどく荒れていた。道路沿いに選炭場や石炭市場があった。河北省は石炭の生産量が多い地域の一つだ。
この辺の人たちが何で生計を立てているのかよく分からなかった。
選炭工場か石炭市場で働くか、貨物トラックの運転手、あとは農業くらいしか思いつかない。多くの人は北京や他の都市に出稼ぎに行くのだろうか。道路から「希望小学」の看板が見えたので、やはり貧しいのだろうなと思った。「希望小学」は貧困地区に学校を作るというプロジェクトにより建設された学校だ。

午後1時15分頃、友達がいる宿泊所に到着した。

朝9時に出発したので4時間くらいの道のりだったが、ここまでの間に写真を1枚も撮れなかった。
バスターミナルや長距離バスには色々な人がいるし、写真を撮っている間に携帯をすられた経験がある。それに、よそ者が一人でいると注意を引くのが心配で写真を撮れなかった。 (続く)
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