死を追いかけていながら、
途中で振り向いて、
生にもどってくるような
そんな是枝裕和の映画をたどる。
*「誰も知らない」で気になって、
「ワンダフルライフ」、そして「幻の光」を観なおした
オタクの独り言
大切な記憶の一部だったはずの映画館で見た「幻の光」と、
DVDで見直した光景が違う。
一人行き止まりの線路際を歩いていた記憶と、
線路下の道路を自転車を曳いてガード下、橋の前の曲がりまでだったし、
もっと主人公と能登の女たちとの夫の先妻についてのやり取りがあったと思うし、
家族全員で縁側から海をみていたのは、
ラストシーンではなくスイカを食べていた夏だった。
最後は、祖父と海をみながら海の光景は映らず、
「えー陽気になったなーと」相槌をうつ祖父との姿だった。
映画全体の印象も、互いに連れ合いから子供と伴に残された二人の、
一歩退いた生き様から、
彼岸の前に踏み止まろうとする心の置き処へ変わった。
是枝さんは、直接的な事件の場面より、
感情が引きずり回される距離から身を退いて、
コトの予感や、事件の後の姿を積み重ねる。
ガード下、トンネル、橋、駅、
切れた線路、僅かな港の防波堤、
電線がつながる突端の電柱、
海を背景にともる一つの電灯、
尼崎では、街並みに紛れていた他界への亀裂も、
能登では、日々、目の前に開いている。
葬儀の行列に、吸い寄せられるようについて行き、
死者が焼かれる海岸に残る主人公、
夕暮れの海を背景に、迎えに来た夫の気に引かれ、
戻りかけ、立ち止まり、
歩みだし、また止まり、
夫に抱きとめられる代わりに、
祖父が魅入られた幻の光の話を聞き、また歩みだし、
そして、足早に追いかける。
季節に様相を変える海、雪、雨、・・・
胡弓が引き起こす感情も、
おどろしい波の音にくらべれば、静かなもので、
琴、ギター、ピアノが、落ち着いた時を刻む。
映画「ワンダフルライフ」は、
現世から彼岸への間の物語、
生きてきた中で、大切な一つのシーンを選ぶことが課せられる。
生きる証ではなく、生きた証を探し、納得する過程が描かれる。
選ばれた対象は、子供、妻、恋人から、自然までさまざま、
悲しみも、喜びも、相手あってこそ。
映画「誰も知らない」では、
親と子の人生が、離れる。
父親の違う子供たち、自分の生を求める母親、
戸籍のない子供、関わりあおうとしない大人たち。
子供たちは、「幻の光」の連れ子たちが歌う
「おもちゃのチャチャチャ」のおもちゃたちのように、
人知れず歩き出て、
生も死もそのままに、受け止めている。
○ こんな感じ方もあるかも?と思った方は、ここをクリックください。人気blogランキングへ
途中で振り向いて、
生にもどってくるような
そんな是枝裕和の映画をたどる。
*「誰も知らない」で気になって、
「ワンダフルライフ」、そして「幻の光」を観なおした
オタクの独り言
大切な記憶の一部だったはずの映画館で見た「幻の光」と、
DVDで見直した光景が違う。
一人行き止まりの線路際を歩いていた記憶と、
線路下の道路を自転車を曳いてガード下、橋の前の曲がりまでだったし、
もっと主人公と能登の女たちとの夫の先妻についてのやり取りがあったと思うし、
家族全員で縁側から海をみていたのは、
ラストシーンではなくスイカを食べていた夏だった。
最後は、祖父と海をみながら海の光景は映らず、
「えー陽気になったなーと」相槌をうつ祖父との姿だった。
映画全体の印象も、互いに連れ合いから子供と伴に残された二人の、
一歩退いた生き様から、
彼岸の前に踏み止まろうとする心の置き処へ変わった。
是枝さんは、直接的な事件の場面より、
感情が引きずり回される距離から身を退いて、
コトの予感や、事件の後の姿を積み重ねる。
ガード下、トンネル、橋、駅、
切れた線路、僅かな港の防波堤、
電線がつながる突端の電柱、
海を背景にともる一つの電灯、
尼崎では、街並みに紛れていた他界への亀裂も、
能登では、日々、目の前に開いている。
葬儀の行列に、吸い寄せられるようについて行き、
死者が焼かれる海岸に残る主人公、
夕暮れの海を背景に、迎えに来た夫の気に引かれ、
戻りかけ、立ち止まり、
歩みだし、また止まり、
夫に抱きとめられる代わりに、
祖父が魅入られた幻の光の話を聞き、また歩みだし、
そして、足早に追いかける。
季節に様相を変える海、雪、雨、・・・
胡弓が引き起こす感情も、
おどろしい波の音にくらべれば、静かなもので、
琴、ギター、ピアノが、落ち着いた時を刻む。
映画「ワンダフルライフ」は、
現世から彼岸への間の物語、
生きてきた中で、大切な一つのシーンを選ぶことが課せられる。
生きる証ではなく、生きた証を探し、納得する過程が描かれる。
選ばれた対象は、子供、妻、恋人から、自然までさまざま、
悲しみも、喜びも、相手あってこそ。
映画「誰も知らない」では、
親と子の人生が、離れる。
父親の違う子供たち、自分の生を求める母親、
戸籍のない子供、関わりあおうとしない大人たち。
子供たちは、「幻の光」の連れ子たちが歌う
「おもちゃのチャチャチャ」のおもちゃたちのように、
人知れず歩き出て、
生も死もそのままに、受け止めている。
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トラックバック、ありがとうございました。
他のブログでも『誰も知らない』をきっかけに是枝監督の以前の作品をご覧になった方の記事を読みました。
すごく気になりましたので、観ようと思いつつまだ観られずにいます。
でもこのレビューを読んで、「観よう」という気持ちがあらためて強くなりました。
これからもよろしくお願いいたします。
それが、この「誰も知らない」で、出てきた感じです。映画作りの題材だった巣鴨の事件では、10年を越える毎日の昼間、人間が生きている目の前で、起きていたのです。
「そんなもんだろうな」という、今を私たちは生きていて、
自分たちも、親からの言葉も、ぬくもりもなく、
ゆっくりした坂道を下っているのかもしれません。
「幻の光」は、その親の時代、そしてその祖母との思い出から始まります。