* 昨年封切られ、DVDも出て、やっと観て 独り言。
この是枝裕和 監督の『幻の光』のシーンで、
夫の理解できない自殺の後、
主役の江角マキ子がただ無意識に歩き続けるシーンを思い出した。
丁度、その歩んでいる光景が、
この「誰も知らない」子供達の歩みに、重なってきた。
「誰も知らない」
というよりは、
”誰も、知ろうとしない”
大人でも子供でも、
自分の子でも他人の子でも、
相手に興味を持たず、どんな情況かも知ることがなく、
自分を満足させることで精一杯・・・
決して、深く関わろうとしない・・・
普通の家庭も、街も、社会も、それが日常、
映画では、事件は、起こらない。
社会から見逃され、当事者たちの感情も、ぶつかりきらない。
映像は、異常を日常にして、淡々と時を重ねる。
観る人も、繁栄の日本を、面白 ”がり” ながら、
コトも起こらない日常を、実は耐えていることに、
気付いているのかもしれない。
それは、丁度、『幻の光』のラストシーン、
能登半島の漁村の縁側から見る、
自分の生を預けて、幻の光に魅入られた人たちの眼差しを思い出す。
しかし、「誰もしらない」子供たちは、
ゆるい坂道をゆっくりと下って、振り返る。
この是枝裕和 監督の『幻の光』のシーンで、
夫の理解できない自殺の後、
主役の江角マキ子がただ無意識に歩き続けるシーンを思い出した。
丁度、その歩んでいる光景が、
この「誰も知らない」子供達の歩みに、重なってきた。
「誰も知らない」
というよりは、
”誰も、知ろうとしない”
大人でも子供でも、
自分の子でも他人の子でも、
相手に興味を持たず、どんな情況かも知ることがなく、
自分を満足させることで精一杯・・・
決して、深く関わろうとしない・・・
普通の家庭も、街も、社会も、それが日常、
映画では、事件は、起こらない。
社会から見逃され、当事者たちの感情も、ぶつかりきらない。
映像は、異常を日常にして、淡々と時を重ねる。
観る人も、繁栄の日本を、面白 ”がり” ながら、
コトも起こらない日常を、実は耐えていることに、
気付いているのかもしれない。
それは、丁度、『幻の光』のラストシーン、
能登半島の漁村の縁側から見る、
自分の生を預けて、幻の光に魅入られた人たちの眼差しを思い出す。
しかし、「誰もしらない」子供たちは、
ゆるい坂道をゆっくりと下って、振り返る。
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