愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

「チェ 39歳別れの手紙」本日公開!

2009年01月31日 17時53分30秒 | 現代に活きる Che Guevara の志


 本日「チェ 39歳別れの手紙」が公開されます。正義と革命に生きた男の生き様は現在を生きる私たちにとっても学ぶところが多いと、私は思います。早速見に行かなくては。

 日本と世界を見ると、資本主義の経済システムは人々の生活と自然環境を脅かすものとなっています。日本では「蟹工船」が若い人に読まれ、今再びチェ・ゲバラの人気が高まっています。ばらばらに考えるとたんなる偶然(そういう要素はあるけど)ではなく、現在の資本主義経済システムからの変革を求める、世界諸国(日本含む)の人民の要求が高まってきているという現実に根ざしたものであります。社会の本質の部分に照らして考えると「蟹工船」人気とチェ・ゲバラの人気は根っこでつながっていると考えられます。


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惑星X

2009年01月27日 01時13分16秒 | 自然科学


 ここ最近ブログの更新が滞り気味だったのには訳があります。それは、今月の半ばから、配達員の病気入院のために毎日「しんぶん赤旗」を配達していてこっちに手が回りづらいということがあります。それから、先週は風邪で仕事を休むくらいの状態で体がへろへろだったということもあります。

 さて、本題に入ります。冥王星が惑星から準惑星と呼ばれるようになったことは皆さんもご存知かと思われます。冥王星が準惑星になったことを"降格"とよく呼ばれていますが、本当はこれは不正確な言い方のように思われます。いままで、実は惑星の定義というのがはっきりしていなかったのですが観測技術の発展により、太陽系の姿に関する認識が進んで惑星の定義について改めて考えなければいけないところまで観測と認識が進んでいきました。詳しくは、向正さんとパトリック・ソフィア・リカフィカさんによる「太陽系に未知の「惑星Xが」(講談社+α新書)存在する!」という本に書かれています。興味ある方はそちらをご覧ください。近年の観測技術、コンピューターの発達などにより、太陽系の外縁の天体の動きが今まで発見された惑星だけでは説明できないことが分かってきて、それで力学的観点からまだ、太陽系に発見されていない惑星が存在するのではないかと言われるようになっています。著者は、これから5年から10年で「惑星X」が発見されるのではないかと述べています。「惑星X」という言い方をここでもまた、著書においてもされているのはまだ、理論的予知の段階、すなわち仮説の域をまだ出ておらず証明されていないからです。ただ、かなりこれから未知の惑星が発見される可能性があるということです。しかも、著書によると未知の惑星が今後複数発見されてもおかしくないということです。


 それにしても、私たちが住む太陽系惑星系というのは、今まで考えられていたより複雑な様相がありそうですね。宇宙の果てがどうなっているのかなどに、私たち人類が想いをはせる一方で宇宙空間の規模から見ればほんの庭先程度の事柄に関してもまだまだ未解明のことが多く残されているようです。そして、近くの(宇宙的規模から見ればということ)未解明なことが解明されていくと宇宙の歴史をさらに紐解くことができてくるわけです。

 今後の太陽系の解明のいかんによっては私たちが理科の教科書で習った、太陽系に関する認識を大きく改めなければいけなくなる時期がすぐそこに迫っているようです。私はまだ写真の著書をまだ全部は読みきっていませんのでこの辺にしておきます。興味ある方は「太陽系に未知の「惑星X」が存在する!」(講談社+α新書)を買って読まれるといいですよ。

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政党のあり方を問う

2009年01月23日 08時03分15秒 | 民主集中制
 日本共産党は、民主集中制という組織原則を採用しております。民主集中制とは何か、といってもそんなに難しいことではありません。ひらたく言うと、党員同士で民主的に議論して決めたことをみんなで守って実践しよう、というのが民主集中制の基本的な考え方です。ですから、例えば消費税を増税することに賛成か反対かということに関しては、中央委員会委員長から一般の党員にいたるまで誰もが「反対」と国民に答えます。ここで例としてあげた消費税増税問題は全国的な問題です。このような全国的問題で、同じ政党の党員で人によって「私は消費税増税に反対です」、「消費税増税に賛成です」とまったく逆のことをそれぞれが勝手に言っているようでは国民にとって一体どれが日本共産党の政党としての見解なのかが分からなくなってしまいます。ですから、民主的に議論して決めたことを全党員が統一して実践にあたることは、公党としての国民に対する責任です。

 さて、先日私は自分自身の経験を通じて民主集中制が国民に対する公党としての責任として重要なのかを痛感しました。それは、少々話を蒸し返すようですが先日(1月17日)の平井・小松川9条の会の定例会で感じたことです。定例会では私は所用のために途中参加でしたが、憲法学習の題材として取り上げられていたテレビ番組にはNPOもやい事務局長の湯浅誠さんが出演していてました。湯浅誠さんは財界関係者に不況だからといって寒空にポイ捨てでいいのか、と追求していました。憲法第25条、27条、28条をテーマに平井・小松川9条の会では学習と討論をしました。動機は年末にかけて未曾有の規模で行なわれた派遣切り、期間工切りでした。地元の区議会議員としてはおなじみの瀬端勇(日本共産党)さんと昨年の8月の暑気払いに続いて二度目の参加の滝沢泰子(民主党)さんの二人が参加しました。題材として取り扱われたビデオは日本で貧困の拡大を問題提起する内容でした。現在の日本社会に広がる貧困と格差の拡大には、市場原理を最優先してこれを社会のあらゆるところに広げようという、いわゆる新自由主義政治があります。ですから、憲法第25条、27条、28条の理念を守ろうとすると必然的に新自由主義との戦いが問題にならざるを得ません。ビデオの討論のなかで滝沢泰子さんは年始に派遣村に行ったことや湯浅誠さんが執筆した「反貧困」(岩波新書)を「おすすめです」と発言しました。同時に、滝沢泰子さん自身が民主党のなかに新自由主義寄りの人がいることに関しては議論の中で認めていました。そういう中で私ともう一人のOさんは、民主党が(政権を奪取したとして)日本をどう変えていくのかを明確にすることを要求する発言をしました。私は、討論の中で滝沢泰子さんに対して、民主党が例えば次の選挙で勝利して政権を奪取したら新自由主義から訣別するのか、憲法第9条を守るのかということを問いただしました。というのは、政権党が変わったとしても相変わらず新自由主義政治が行なわれたら、憲法第9条を変えて軍隊を持つ国を作ることをめざす政治が行なわれたとすれば、政権を交代する意味がないからです(民主党の全代表の前原さんや現在の代表の小沢さんは新自由主義者にして改憲論者です。これは懸念するべきことです)。私やもう一人のOさんの発言には、滝沢泰子さんは「私に言われても困るわ」と言いたげな表情で苦笑いしていました。確かに、民主党執行部のことに、区議会議員の滝沢さんが直接権限を持っているわけではないので、そういう意味では少しかわいそうなことをしているかもとは思いましたが、私やOさんがしたことは個人攻撃ではなくあくまでも民主党という政党に対しての国民に対する責任の問題を迫ったわけです。私自身は滝沢泰子さんに恨みがあるわけでもないし、政治的立場はともかくとして人柄には好感を持っています。地元の党員の間でも滝沢さんの人柄への評判は結構いいわけです。それでも、政党の議員、すなわち公人としての責任はあいまいにはできなかったわけです。

 結局、滝沢さんは、日本の政治風土を考えると玉虫色でないと政権を取れない面があるという旨を言いました。これでは、民主党が政権党になっても新自由主義からの訣別や憲法第9条を守り抜くことを約束できませんといっているに等しくなってしまいます。おそらく、滝沢さんにしてみれば、例えば民主党が政権党になった後、新自由主義政治が行なわれ、憲法第9条を変えて戦争をする国づくりが行なわれようとしたらできる範囲のことはする、というつもりでしょうけれども、それで済む問題ではありません。政党たるもの、国民に対しては明確な政策と公約を掲げて、これを実現するべく活動をするということを違えてはいけません。政党間の力関係により、公約として掲げた政策などがすぐには実現できなかったり握りつぶされることはあります。しかし、政党が国民に対して公約として掲げた政策とまるで違うことや逆のことを行なうようでは無責任です。しかし、現在の民主党では、民主党の党内の「力関係」によりどのような政策を行なうようになるのかわけがわからないといえます。もっとも、現状の民主党の代表者や執行部の状況などを見る限りは民主党が与党になっても、新自由主義政治や憲法第9条を変えて日本を戦争のできる国にしようという政治が行なわれるだろうと考えざるを得ません。よりマシな政権を作るために民主党と連立政権を作る気が日本共産党にはないのか、という声をきくことがあります。しかし、民主党とではよりマシな政権を一緒に作る条件がない、と日本共産党が考える一端にはここで指摘した問題があります。

 日本共産党が掲げている政策のかなりの部分は、日本共産党が政権党になれば速やかに実現できます。また、政策を実現すことにブレがありません。これは、全国的な問題に関して決めたことを全党が統一的に実践することを位置づけた民主集中制によることです。日本共産党が民主集中制を組織原則として掲げていることは、政党として自らの行いに対して国民に責任を持つということを示しています。


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活憲へ 憲法第9条を活かすとき

2009年01月18日 22時46分13秒 | 戦争のない世界をめざす
 昨日の話ですが、午後の2時から4時にかけて小松川区民館で平井・小松川9条の会の定例会が行なわれました。私は所用のために途中参加でした。

 定例会に地元の区議会議員としてほぼ毎回参加してくれているのは、瀬端勇(日本共産党)さんですが、昨日の例会では民主党の滝沢泰子(民主党)さんが参加してくれました。滝沢泰子さんは昨年の8月23日の平井・小松川9条の会の暑気払いにつづいて2回目の参加でした。


 定例会では、私は途中参加でしたのでどの番組かよく分かりませんでしたが憲法第25条、27条、28条をテーマにビデオを選んでいて湯浅誠(もやい事務局長)さんが出演していて財界関係者に「労働者を使い捨て路頭に迷わせるようなことでいいのか」と迫り、同時に国民生活に対する国家の責任を明確に指摘しました。参加者の発言のなかに「貧困が戦争を生み出す」ということが歴史の教訓としてあることを発言した人がいました。また、湯浅誠さんブレイクする状況というのはそれだけ日本が異常な状況であるからこれには湯浅さん本人もつらいものを感じているだろうなという声がありました。

 支配層は憲法第9条をなんとしても変えて日本を戦争をできる国にしようと執念を燃やしています。田母神元幕僚長の論文問題は靖国派が草の根で9条の会などの憲法を守る世論が高まっていることへあせっていると同時に改憲へ向けた執念を燃やし続けていることの現われです。日本国憲法を改正するかどうかは最終的には国民が決めることです。通常の法律のように国会での審議だけでは日本国憲法を改正することはできません。いかに9条の会など草の根で平和への世論と運動を広げていくかということの大切さを、私は感じます。

 余談ですが、昨年の8月23日における平井・小松川9条の会の暑気払いへ滝沢泰子さんが参加した記事を書いたときには具体的な名前を記事に書き込むのを遠慮しましたが、昨日の夜、ネットでいろいろ調べましたら滝沢さん本人がグーグルカレンダーで平井・小松川9条の会の暑気払いに参加していることをネット上に公開していることを知りました。そういうわけで、公職にある身ですし本人が公然と9条の会の会議へ出席したことを記している以上は遠慮する必要がないと判断し今回は名前を出しました。

 平井・小松川9条の会は、日本国憲法第9条を守るということの一致点で結成されているので思想・信条、支持政党、加入政党は問われません。ですから、社民党、自民党、公明党の議員であっても日本国憲法第9条を守ることで一致するならば9条の会としては参加を歓迎します。聞いた話だと地域によっては、自民党や公明党の議員が9条の会に参加しているケースがあるそうです。平和を守るために、今後とも超党派での9条の会への結集を高めていくことがいよいよ求められています。

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なぜ日本共産党に入ったのか

2009年01月18日 02時24分56秒 | JCPの活動、国民運動、国内の政治・経済等
 以下の文章は、私が管理しているヤフーブログ「愛と情熱の革命戦記 Yahoo出張所」で書いた文章を再掲載したものです。「自分のブログ内」とされているのはgooブログ内ではなくYahooブログ内でのことです。



 先日、自分のブログ内のコメント欄で、どうして共産党に入ったの?という疑問が寄せられました。そこで、私がどうして日本共産党に入ったのか、簡単にここに書き込もうかと思います。たまに、こういう記事をブログに書く人がいてもいいでしょう。

 私が日本共産党に入ったのは1994年6月の終わり頃です。当時は羽田内閣で、北朝鮮の核査察の問題でアメリカと北朝鮮の関係は極めて危険な状況でした。カーター元大統領の尽力で最悪の事態は避けられました。一歩間違えれば、アメリカが北朝鮮に核兵器を使用する可能性すらあり、そうなれば死の灰が日本列島に降り注ぐという由々しき事態が発生しかねない状況でした。これに対して羽田内閣は北朝鮮問題を口実にした有事法制をたくらんでアメリカと一緒になって戦争する国をつくる、策動を張り巡らせていました。羽田内閣の前は、細川内閣でした。細川内閣の時には、おコメの収穫量が少なくてタイからお米を輸入する事態が生じました。政府が減反押し付け政策をしないでお米を十分に備蓄していれば輸入しなくても済んだのです。同時に、日本が経済力にものを言わせてお米を輸入したことにより世界におけるお米の国際相場が高騰し、貧しい国のなかでも土地がやせていてあまり穀物が収穫できない国々(イランなど)の日々の糧を奪う事態を生じさせました。国内的には、食料自給率の問題、対外的には穀物を輸入して飢餓を輸出する日本のあり方には不条理なものを感じました。他にもいろあったかと思いますが、自分がすぐに思い出せる限りでもこのような問題が私の日本共産党入党の時期と前後してあったわけです。そのほかにも、いつの内閣ということとは別に、日本国憲法があり世界で第2位の経済力がありながら、なぜ日本に餓死する人が出てくるのか(あけび書房から出版されている「福祉が人を殺すとき」という本を高校生くらいのときに目にしたときには私にとって衝撃的でした)、など、どう考えてもおかしいということを解決するのにどうしたら良いか、ということを考え、大学に入って程なくして、現行政権を打倒して新しい政府を作る以外に現実的な方法がないと考えるようになりました。そんななか、大学での民青同盟の先輩から日本共産党への入党の誘いを受けて日本共産党へ入党するいたりました。もちろん、資本主義の枠内では貧困の根絶は無理(福祉政策による緩和は可能ですが)だろうとも私は考えるようになり始めていました。

 では、なぜ日本共産党なのか。
 考える基準の一つとして私が重視したのは政党がどのような歴史を持っているか、つまり政党の経歴でした。ここでは日本共産党の党史を書くのが目的ではないので詳細は書き込みませんが、日本共産党が1922年に結成されたときから、一貫して国民主権(当時は人民主権という言い回しを使っていたと思う)を要求して、侵略戦争に反対していました。1945年8月15日に日本軍国主義が敗北して政治犯の釈放が行なわれるまで日本共産党は治安維持法により非合法の政党としか存在できず党結成の当初から弾圧されました。小林多喜二のように拷問によって殺される人が出る状況下でも屈服しないで耐え抜いた人(宮本顕冶さんもその一人でした)がいて、そういう人がつくっていったのが日本共産党です。だから、日本共産党の主張は、票欲しさの人気取りではなく結成当初からの立場を貫いていることから出てくるもので、こういう政党が与党になり政府を形成するようになればもっと違う日本をつくることができるに違いないと私は考えました。私が加入する政党を選ぶ理由として欠かせない要素として、日本共産党の戦前の戦いがありました。

 眠い目をこすりながら書いたのでとりとめのない文章かもしれませんが、どうして日本共産党に入ったのかということの私なりの動機をここに書き込みました。

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ネットウヨ的麻生内閣

2009年01月15日 21時59分56秒 | JCPの活動、国民運動、国内の政治・経済等

 私は以前にこのブログにて「アホウ・麻生首相これからも暴言・妄言よろしくなw」という表題の記事を書き込みました。もちろん、これは、揶揄的に麻生内閣の反人民的本質を批判したものです。あまりカリカリしすぎることは、精神衛生上良くないです。そこで、私は麻生内閣を明確に批判しつつも笑いを武器にしてみようと考えました。

 しかし、坂本総務相政務官の年越し派遣村のことでの発言「本当にまじめに働こうとしている人たちか」という発言は、笑えませんね。年の瀬にいきなり首切り、雇い止め―とくに大企業によるものは法令違反の企業犯罪―にあい寒空の下に住まいすら失う状況で放り出された人のことを考えれば坂本政務官のような発言は出てきようがありません。とくに、年末や年始をまたがりおもだった企業は休みに入り役所の窓口が開かなくなるもとでの出来事は餓死、凍死する人を出しかねないような事態であり、人道的な問題があります。それにもかかわらず、坂本政務官のような発言が出てくるのは、彼自身の個人的資質だけにとどまらず自公政権・麻生内閣には国民の痛みに対する共感性がないことの現われです。もちろん、坂本氏自身に、個人的資質としても発言内容と時期的なことを考えれば、困窮した人々の痛みや苦しみへの共感性が欠落している、と私は考えざるを得ません。そして、困窮した人々の痛みを正面から感じ取るという共感性が欠落しているという点では、麻生内閣はネットウヨクと同質ないしは強い親和性を有しています。だいぶ日にちが過ぎていますが私はヤフーブログ「愛と情熱の革命戦記 Yahoo出張所」という表題のブログで新聞赤旗に掲載されている記事を掲載しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/aleido_che_guevara/21266204.html
程なくして私のYahooおよびgooでのブログ友達のARABOさんが記事を転載してくださいました。それから数日後に転載先のページにアクセスしたら、ネットウヨによる「年越し派遣村」の人たちへの中傷コメントが書き込まれていました。ひどいのになると、年の瀬にクビを切られて困窮して助けを求めざるを得なかった人々に対して"たかり屋"よばわりするコメントさえありました。さすがに、私も相当腹が立ちましたし、転載元の記事作成者として放置しておくわけにもいかないと考えました。社会に問題を正面から考える人の善意をふみにじること自体が容認できないものです。どのようなものかということの詳細は以下のページのコメントを読んでいただければ分かります。そこで、ネットウヨクの中傷コメントに関しては厳しく私やARABOさんが批判しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/obara_sunrise/21872795.html

 ネット上にはびこるネットウヨというのは、本当に他人の痛みをリアルに想像する、共感性というのがまるでないのが多いです。私のブログ友達に誹謗・中傷のコメントを見るにつけ、坂本総務所政務官の立場、麻生内閣の立場はネットウヨクと本質的に同質性を強く持ちます。私は、麻生内閣の反国民性を改めてこの最近痛感しました。

 最近、わが党の志位さんがマスコミからも注目されるような状況が生まれています。ちょっと前では考えられないことです。小林多喜二の「蟹工船」ブームは、作品としてのブームが一過性のものであるとしてもこのブームを生み出す根源にあるもの、つまり社会における貧困の拡大、そしてこれをなくす方向への変革を求める日本国民の要求は決して一過性のものではありません。東京都においては都議会議員選挙がありますが、これは細かいにっていはともかくとして今年の夏にあることは議員任期の関係上確実です。総選挙が任期満了まで先延ばしにされれば東京都議会議員選挙の行く末が国政選挙の方向性に重大な影響を与えます。総選挙が先に行なわれればこれが都議会議員選挙に重大な影響を与えます。いずれにしても、今では日本共産党の勝利ということがわが党の国民への責任でもある、という中央委員会の党員への呼びかけには、本当にその通りだと私は感じます。

 こういうときだからこそ、ネットに接続する条件のある方は、党中央委員会のホームページに掲載されている党綱領を一読していただき志ある方には、貧困追放の革命(変革)の政府樹立への展望を一日も早く現実化するために変革への道を生きる、ということを検討していただきたいなと思います。




追伸
 先日、私は「地方議員の議員年金破たん必至?」という記事で地方議会議員の議員年金について税金の税金の投入がない旨を書いてしまいましたが、昭和47年から公費が使われるようになったことをわが党の議員から指摘されました。私の思い違いでした。この点に関してはこの場で訂正します。申し訳ございませんでした。


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「チェ 28歳の革命」観にいきました

2009年01月12日 18時11分17秒 | 現代に活きる Che Guevara の志


 今月の10日から「チェ 28歳の革命」という映画が公開されたことはご存知でしょうか。昨日、この映画私は観にいきましたよ。上の画像は購入したパンフレットの表紙です。

 この映画は、2部構成になっています。自分が見た印象では、1部と2部両方あわせて一つのドラマが成り立つようにできているように感じました。一般的には、チェ・ゲバラというとTシャツのようなゲリラ戦士として先頭に立つイメージが大きいと思われますが、実際にはチェ・ゲバラはカストロが率いている「7月26日運動」の革命軍には当初軍医として参加していました。ですから、映画でも最初の所は軍医として地道に負傷兵の治療をする、またシエラマエストラ山中の村々の人々の治療を行なっている姿が多く描かれています。マリアおばあちゃんのエピソードらしきシーンもあります。第1部のクライマックスはサンタクララ(ゲバラシティとも呼ばれている)での市街戦です。キューバの要衝の都市サンタクララを革命軍が制圧したことが革命戦争の勝利につながります。ここでの司令官(コマンダンテ)を務めたのがチェ・ゲバラです。Tシャツのに描かれているチェのイメージに近づくのは革命戦争の最初ではなく途中からです。

 チェ・ゲバラは倫理観の面では極めて厳格でした。これを自分に課すだけではなく革命軍の部下達にも要求していましたので、「実はあいつ(ゲバラ)が嫌いだった」という人もいます。あまりの厳格さに煙たがる人もいたということです。映画の随所にチェの倫理面での厳格さをうかがわせるエピソードは盛り込まれています(もちろん、その厳格さはチェの個人的資質だけではなく、人民を圧政から解放するために戦うゲリラ戦士として要求されることでもあったわけです。革命的言辞をもてあそんで農民から略奪する、若い娘を襲うなど論外。ゲリラ戦士は変革のために最も不屈に戦う人民の核です)。今でこそチェ・ゲバラは変革と正義のアイコンとして扱われているけど、彼のそばにいる人は疲れるのでしょうね。でも、それくらいだったからチェ・ゲバラが変革と正義のアイコンとして世界から愛される革命家たりえたのかもしれませんね。

 あまり書きすぎるとネタバレになってしまうのであとは自分で映画を観てください。今月の31日に公開される第2部「39歳 別れの手紙」はチェがボリビアの山中でボリビア政府軍に捉えられて両手を後ろ手に縛られた状態で射殺されてしまうところにいたるので観るに忍びないのですが、ここまで観ないとなぜゲバラが今日に至るまで世界から愛される革命家なのか、その真髄が分からないから観ざるをえませんね。


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ソマリア―海賊対策を口実にした自衛隊派遣は違憲

2009年01月11日 15時40分30秒 | JCPの活動、国民運動、国内の政治・経済等

転載元:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-01-09/2009010902_02_0.html


2009年1月9日(金)「しんぶん赤旗」


政府・与党

武器使用を検討

海賊新法 憲法違反は明白





 アフリカ東部ソマリア沖の海賊取り締まりを口実とした派兵新法で、政府・与党は海賊に対処するための武器使用を検討していることが八日までに明らかになりました。

 従来の海外派兵法規では、武器使用は正当防衛や緊急避難に限られていました。これを海賊取り締まりのための「任務遂行」にまで拡大すれば、憲法が禁じる海外での武力行使となることは明白です。また、自民・民主両党が制定を競っている派兵恒久法の布石にもなる危険な動きです。

 さらに、検討中の新法では「国際協調」を理由に、外国船舶が被害に遭った場合も自衛隊の対処が可能だとしています。日本防衛はもちろん、日本人の保護にも無関係な軍事行動となり、集団的自衛権の行使につながるものです。

 海賊対策として政府は当面、現行自衛隊法八二条に基づく「海上警備行動」を発令して海上自衛隊護衛艦の派兵を急ぐ意向ですが、この場合、正当防衛などを除いた武器使用は困難です。

 与党関係者は「目的・任務を達成するためには、海賊の抵抗を抑止するための武器使用が必要になる」と指摘。海賊船から攻撃を加えられていない場合でも、威嚇射撃や船内への立ち入りの際の海賊の武力抵抗への応戦などを可能にする新法の必要性を強調しました。

 昨年十一月には、日本財団のシンクタンクである海洋政策研究財団(会長・秋山昌広元防衛次官)が、ソマリア沖への自衛隊派兵を求める提言を麻生太郎首相に提出。新法で(1)海賊船の近傍海域への威嚇射撃(2)船体への威嚇射撃(3)航行不能化のための射撃(4)乗船検査に武力抵抗する海賊に危害を加える射撃―を可能にするよう求めています。

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