わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

現代医学は風邪(インフルエンザ)で敗北宣言をしてしまったのか、鉄壁の壁が見えてしまったのか?

2009年02月02日 | 医学と健康

 

 

 

 

近い将来医学は鉄壁の壁に突き当たるという預言
 
岡田茂吉の医学の革命論は信者さん以外にはあまり知られていなかったのでしょうが、昨今の世界的感染大爆発で人類が危機にあるという様な医学業界のパニック的症状を見ていると、医学は「その時期」に来たんだなあと思うわけです。
 
既に昭和11年の論文執筆に現代医学が近い将来突き当たるであろう鉄壁の壁を予測していたことになります。

しかし、その 「近い将来」  が

ずいぶんと長くかかったという事です。

それも必要あってのことでしょうが・・・
 
 
 
最近特に思うのは、医学は既に頂点に達してしまったという感がします。
特に、O-157から始まり、SARSやら、鳥インフルエンザ騒ぎから、ついには
 
人獣感染とか、新型インフルエンザとか、パンデミック感染爆発だとか、まったく
感染恐怖症を植え付けるばかりの医学情報を流している現状をみると、ついに
 
医学は鉄壁に突き当たる直前に来たのではないかという思いです。
 
対症療法である西洋現代医学が頂点に達するというのは、その限界点に達するという意味ですが、そこに待っているのは輝かしい「人類から病気を激減する理想」から、遙か離れた、むしろ目の前にはもう越える事の出来ない鉄壁が待ちかまえている状態の事です。
 
人類は風邪に始まって風邪に終わる。
 
まさに天恵の浄化作用である風邪こそ万病を防ぐ元であるはずのものを
 
ついには、
 
人類最大の恐怖病であるかの様に造り上げてしまったのですから、
 
医学こそが「風邪は万病の元」に仕立て上げたとしか思えません。
 
 
自然の恩恵である風邪を最大の恐怖であるかの如く恐怖して、しかも、その対症療法的予防法に危険かつ無効な予防接種を推し進めている現状を見ると、これこそ人類が自ら行っている感染爆発を創り出しているとしか思えません。
 
心ある医学者の声はかき消され、間違った医学に心までのっとられたかの如く、世界の民衆をその崖っぷちに誘い込むかのごとく、政治を使い、メディアを使い、大衆を扇動している様相を見ると、どこまで行けば気がつくのだろうかという諦めにも似た思いでいっぱいなのです。
 
日本国内でも行政は国、地方ともに、この様な誤った現代医学が造り上げた感染症恐怖症を流布して、危険な治療薬やら、むしろ感染に導く様な予防接種と、科学とは名ばかりの対策を膨大な税金を使って推進している姿は、もう10年もしない先には「あまりにも野蛮人的思考が続いた時代だった」と笑いぐさ、いやその悲しさと怒りの方が強くわき出ているのはないかと想像しています。
 
現代医学の終焉には相応しいほどの大々的キャンペーン「世界的感染大爆発で人類の危機が来る」という大幕を掲げているのは、やはり医学自ら無意識的にその敗北を認めているかも知れません。
 
 
 
風邪(インフルエンザはそのひとつの種類に過ぎない)という、一番効率よくしかも安全であるはずの浄化作用を人類最大の恐怖であるかの様な病気に仕立て上げたのは現代医学の誤りから造り上げたものです。
 
本来はこの風邪こそ人類がおそらく永遠に付き合うべき最初で最後の浄化作用になるだろうからです。
 
人体内の異物、汚物毒素は人間生活している限り、いくらかは入り溜まるものでしょうから、未来には癌などの重篤な病気(どれも浄化作用なのだが)が無くなったとしても、風邪だけは時たま罹って体内掃除をしなければならないと思います。
 
この様に天の恵みとも言える基本の浄化作用である風邪(インフルエンザ含む)を悪化作用として様々な対症療法を行ってきた結果、ついには本当に風邪を万病の元にしてしまったのが医学の歴史であり、その結果がいま騒いでいる新型インフルエンザ感染大爆発です。
 
インフルエンザを防ぐことなどできやしないのです。
それは人体内からおこるものだからです。
 
感染はひとつの形態でしかなく、発生源は誰かの体内からわき起こるだけのことです。
 
しかも軽い風邪を止めれば止めるほど次回にはもっと重くなるか、別の病気(浄化作用)が待っているだけです。
それを何世代も繰り返してきた結果が今なのです。
 
これは風邪という天恵の浄化作用に対して、医学が「風邪に罹るな防止せよ」という基本政策が今になって「風邪は防ぎきれない、罹ったら死者が多数出てしまう」という敗戦宣言をしてしまったようなものでしょう。
 
目の前に迫った鉄壁に当たる前に背負ったお荷物(体内毒素=予防接種や治療剤なども含む)を減らせば良いものを却って増やしている現状では、壁に衝突してしまった場合の衝撃は大きく、自ら滅びの方向へ向かっているとしか思えません。
 
 
鉄壁の壁とは、もちろん、大自然の法則であり、浄化作用の原則です。
 
これを乗り越えられる者はひとりも居ませんし、それが神であろうとも例外はひとつもないのですから。
 
その大自然がいま急速に変化しているという事は世界の気象で分かります。
太陽の活動が地球の活動に影響していることは分かっています。
 
地球という場の波動上昇が人類にも当然影響しています。
すべては波動ですから、共鳴現象をおこすわけです。
 
いままで緩慢だった浄化作用の働きが活発化してくるのは当たり前ですから、インフルエンザ(風邪)の流行も年々罹ると重くなってしまうとか長く罹るというは、その浄化の波動に逆らう事をしているからです。
 
ウイルスが強毒化してきているのではなく、
人体が強毒化してきたのです。
 
それに対して自然界がマッタをしてくれないというのが今の時期であり、ますます加速している状況ですから、いままではそれで効いた、治ったという治療薬や予防接種が効かなくなるのは当然のことでしょう。
 
タミフルが効かなくなったという話しも出始めましたし、インフルエンザワクチン接種したのにかえって罹ってしまったという話しなどが聞こえ始めましたが、これからはもっともっと出る現象だと思います。
 
タミフルばかりか別の医薬品であっても原則は同じです。
 
最後には止める事が出来ないダムの決壊が始まることになります。
 
ダムの中身は自分の体内に溜め込んだ遺伝的要因も含め産まれてから溜め込んでしまった汚物毒素の山です。
 
 
ボク自身を含めて誰もが持っているお荷物なのですから、少しずつ下ろして行きましょう。
 
それをしてくれるのが風邪であるインフルエンザなのですから。
 
 
予防する とか 流行させない とか
 
まったくナンセンスだという事を知れば、いま莫大な税金を使って、しかも、人体に害を与え、しかも効かないというシロモノなどまったく無縁で、タダで毒出しをしてくれる風邪様々、インフルエンザ大明神となり、罹ってもこの安心感と感謝の気持ちがさらに風邪症状を軽くしてくれるという何倍も楽に受け入れる体勢ができるはずです。
 
何もしない選択というの方が実に有利であるという事が世の中にはたくさんあります。
 
むしろしない方が良いというのが予防接種やタミフル治療薬だとボクは思っております。
 
ながながとご静聴ありがとう御座いました。
 
 
え?聴いてなかった?
 
あんたがいつも前書きは飛ばすようにと言ってたから?
 
 
あ・・・そう・・・・・
 
ま、自己満足だから。
 
 
 
 
70年前もの古い論文を読んで、再び

近い将来

について考えてみましょう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下引用ーー 


現代医療の大誤謬

昭和11(1936)年執筆

 現在進歩せりと誇称し、世人もまたそう信じている医療なるものは、恐るべき程の大誤謬に陥っている事である。



それが為に病が治癒される所ではない。


病は大いに悪化されていたら、それを治ると信じて行っているとは、何と恐るべき事ではないか。



 難症という程でない一寸した病気に罹っても、容易に治らないというのはそれが為であり、又一度病気に罹るや持病になったり、慢性になったりするのもそれが為である。


多額の費用を使い苦痛を堪え忍びつつ受くる医療が病気を良化するのでなくて悪化さしているという事は、何と恐るべき事ではないか。


忌憚なく言えば、医療に救われるよりか、医療に害(そこな)われる方が多いという事は事実である。


たとえて言えば、三人助けて七人殺すという様な訳である。



 この根本的大誤謬は、近き将来において必ず専門家は固より一般に知識さるべき事は、火を睹(み)るよりも瞭(あきら)かである。


何となれば、誤謬や錯覚は決して長く続くものではない。


しかしながら、暴露するとしても、一日早ければ一日だけ人類は救われるのである。


私はそれらの点について悉(くわ)しく述べてみよう。



 病気とは、人間自身の自然浄化作用の課程現象であるという事は、再三述べてある通りである。


故に、発病するや発熱する。


この発熱なるものは頗(すこぶ)る貴重なものであって、発熱によって半分は治病されるのである。


これについて実際の例を挙げてみよう。



 結核患者における発熱に対し、医学は病勢悪化の為と解釈しているが、これは大いなる謬りである。


医学における結核患者と見なすものは、そのほとんどが頸部付近の水膿溜結と胸部脊〔背〕部におけるある部分の肋骨膜及び、その付近の水膿溜結であり、又、肺より出ずると思う咳嗽は実はそうでなくて、喘息の為のそれである場合がほとんどである。


未だ医学では喘息の原因が判らないが、これは胃部及び肝臓部付近に滞溜せる水膿が喀痰となって排泄される為の咳嗽である。


故に、発熱によって各部に滞溜せる病原である水膿溜結が溶解されるのである。


溶解した膿結は喀痰となり、又は排便と共に出ずるのである。


故に、発熱が高ければ高い程それは水膿がより固結せる為である。


この理によって病気治療上、発熱程貴重なものはないのであるに係らず、それに盲目である医学は、発熱を非常に恐れて下降せしめんとするのである。


これが為に、折角膿結を溶解せんとする作用を妨害するのであるから治癒するはずがないのである。


この理によって、医療を加えず放置しておく方が治癒する可能性がある訳である。



 今一つの例を述べよう。


それは扁桃腺炎である。


本療法によって扁桃腺炎は一、二回で完全に全治するのであるが、これは発熱がよく溶解させるからである。


しかるに、小児の扁桃腺肥大は治癒するのに、本療法によるも十数回を要するのである。


何となれば、発熱がないからである。


発熱がないという事は、患者が弱性の為に浄化活力が欠乏しているからである。


浄化力旺盛が発熱をさせるのである。



 今一つの例を挙げてみる。


本療法によって驚く程速かに治癒する病種はまず、盲腸炎、肺炎、肋膜炎、腎盂炎、睾丸炎等の熱性病であるにみても明かな事実である。



 次に結核予防として、風邪に罹る事を非常に恐れるのであるが、これも非常な誤りである。


結核の原因となる各部に滞溜すべき水膿溜結を、少量の時代に簡単に排除する自然浄化が風邪なのである。


故に、風邪こそ結核予防上最大な効果があるものである。


故に、風邪に再三罹る程、その浄化によって結核を免れ得るのである。


これに盲目である医学は、反対に風邪に罹らせまいとするから、そうすればする程、結核に犯されるという結果になるのである。


これを以て今日叫ばれている結核防止の手段は、実は結核増加の手段を執っているのであるから、官民ともにいかに努力するといえども、益々激増するのは当然な訳である。


噫(ああ)、医学の誤謬やまことに恐るべきである。



 次に、薬剤による病気悪化は、黙視出来ないものがある。


就中(なかんずく)、最も恐るべきは消化薬、下剤、解熱薬、強心剤、沃度剤等である。


その一々を説明してみよう。


近来頗(すこぶ)る多数に上りつつある慢性胃病患者はその原因として尽く消化薬である事は一点の疑がないのである。


これは私が毎度言う通り、消化薬を服みつつ、消化のいいものを食する時は胃が退化する。


胃が退化するからそれを行うという循環作用に因ってついに重症となるのである。


これと同じ様に、下剤を服めば排便器能が退化するから便秘する、便秘するから下剤を服むという循環作用によって、頑固性便秘症になるのである。


そうして、薬剤はその成分はほとんどが毒素である。


毒素であるが故に、効果があるのである。


それは実際をみれば能く判るのである。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上ーーーー


TITLE:
DATE:2009/02/01 08:38
URL:http://akyooon.exblog.jp/5119309/
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