手かざし療法としては、多種多様ですが、
それが宗教によるものや、単に一般人がやるもの、それぞれにまた区分けすると切りが無いので、大ざっぱにしてしまうと・・・
そのルーツを探ると、人間に本来備わっていたものーーーとして、言ってみれば当たり前の行為だったようです。
だが、いつの間にか・・・・それが消えていった・・
その復活がいまの時代に起こっているのではないかと言うことです。
まあ、最初の時期は『特殊』な条件が必要だったようです。
その先駆けとしては日本では岡田茂吉氏の「浄霊法」というものでしょう。
それが真光などにも使われ、(本質的にはちょっと違うのだけれど)
また、同じような方法で野口氏の「愉気」{文字あってるかな?など。
そして、世界的に一番有名だと思われるのは「レイキ」(霊気から来ているのかな?)
どれもこれも同じように見えるのですが、さてその根源的なもとは?
似て非なるもの
という言葉もあるようですし、どれが正しいとか後は全部まちがっているとか・・
そいいう短絡的結論はチョット待った赤信号!
大昔はどうやらほとんど病気など無かった時代、それでも時々浄化するので、手かざしをやったということのようです。
それは聖徳太子が書き留めておいたとか・・・・まあ、ボクも始めて知った話ですが。
そんなこんなでオマエの解説などよいから、ハヨ始めろヤと、イヤイヤの催促、じゃないか!!
ヤイヤの催促もあるようですので、ここで擱筆します。(お!最後に難しい言葉・・・書けないけど・・・)
松本英聖著 『医学と生命』より
------ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
22p
●日本の古代医学
日本の医神は、一般に大国主(おおくにぬし)神(大巳貴(おおなむぢ)大神)と少彦名(すくなひこな)神の二神とされている。
大国主神はご存知の「稲羽の白兎」の話で有名だが、実は天照大神(あまてらすおおみかみ)(天津神)と比肩される地上の神(国津神)で、日本最古の医書『医綱本紀』 (後述)によると百草の効用を調べた神と記されているから、中国の医神・神農伏犠(道教の祖)に優るとも劣らない医神であり、ひょっとすると同一神であるかも‥‥。
一方、少彦名神は海を渡ってやって来た外来神と記るされているだけで、素性は定かでない。
しかし日本の古歌に 「すくなひこなの にが手にて なでればおちる毒のむし おせばなくなる病(やまい)の血しおおりよさがれよ いではやく」と詠まれていることや、昔から治療のことを〝手当て〟と呼ぶことから推して、少彦名神は気功法の始祖ではないかと、と筆者は見ている。
それと言うのも、日本はもともと「気」 の民族であり、元気、気合、気配り、気色、気持ち、気を付ける、お天気、気候……など、日頃、何気なく使っている言葉の中に「気」という言葉が随所に出てくることだ。
これほどまで気を使う民族はそうザラには無いだろうし、 そう考えると、「気の医学」である気功は、まさに日本人の気質にピッタリである。
ともあれ、気功が中国渡来か、日本古来のものか、そのルーツの詮索は別として、日本の古代医学は神代の時代から「手当て」法を伝えていた。
日本神道の一派である伯家神道では、古来から『天津御手振(あまつみてふ)り』と呼ばれる「手翳し(てかざし)」が奥義として伝承されており、それは宮中の秘事として明治天皇の御代まで連綿と伝えられていたと言う。
禁中の秘事であるから、真偽は確かめようがないが、この話は代々伯家神道を伝える某家出身の方から直接伺った話であるから、まず間違いはあるまい。
それは兎も角、最近では手掌から放射される「気」のパワーに高塚光氏の超能力的パワーが、テレビや映画などで紹介されて大きな話題を呼んでいることはご承知であろう。この気のパワーは高塚氏のようにある日突然に期せずして発揮される場合と、気功師のように長年の修練によって体得される場合とがあるが、高塚氏も言っているように、気のパワーは人間に本来備わっているもので、無論、素質もあろうが、その気があれば、誰にでも出来ることであるから、大いに研究されることをお奨めしたい。
求めよ、さらば与えられん -
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
つづく
himaari倶楽部会員さんには、全文をテキストと音声詠み上げで入れるつもりです。
そのうちですが・・・汗;
ところ点、松本氏も手かざし団体に所属していた事があります。
だって、見たこと(遭ったこと)がある門ね。
(向こうは認識しなかっただろうが 汗;
ところ出、高塚光氏はいま?
ばかい人は知らないかな?
いや若い人
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