新 ノ 城  Okinawa

おきなわを サラ・さらっと 視る

  

沖縄の仏教 【13】

2017年09月20日 00時04分11秒 | 日記

   袋中良定上人 <2>

  袋中上人は、1552年2月23日福島県いわき市で誕生

1565年、十四歳の時出家し、袋中良定と称した

 

十六歳の時、如来寺に入寺

二十歳の頃に山崎の専称寺へ修行のため行脚し

さらに本山である、下野国大澤の円通寺にて修行

 

それから聖衆来迎寺で比叡山の高層泉僧正に

大戒の受得を願い、円頓戒を授けられる

 

1576年、二十五歳の時

江戸増上寺に入寺、浄土宗白旗派の奥義を極め

また、足利学校において禅を学ぶ

 

1580年、二十九歳の時

故郷の成徳寺に住侍として就任し

成徳寺の十三世と成る

 

1599年、四十八歳の時

大守岩城貞隆が袋中に帰依した

 

場内にて布教活動しながら

著作書を多数著わす

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沖縄の仏教 【12】

2017年09月15日 00時40分02秒 | 日記

  袋中良定上人 <1>

袋中上人は、沖縄に初めて浄土宗を伝え広めた

浄土宗の学僧で睦奥国磐郡の出身である

(現在の福島県いわき市常磐西郷町)

 

琉球国由来記や中山世譜に袋中上人の功績、事績が記述されている

仏学を求めて、中国明へ留学を志して渡海する事を決意するが

 

その頃の国際情勢は

豊臣秀吉の朝鮮侵攻で中国明王朝は朝鮮を支援していた

そのため日本人が明に入国することは困難な時期であった

 

まず沖縄に渡り、渡明の機会を待ったが

そのような国際情勢のなか、

外国船も日本人を恐れて乗船出来なかった

 

琉球に三年滞在し渡明する機会を待ったが叶わなかった

その間、袋中上人は浄土宗を教え広めた

 

熱心な布教活動で

国王・王府の高官始め多くの人々が帰衣する

 

琉球神道記5巻・琉球往来などを著わし

寺院の建立、伝承など多く残されている

袋中上人にまつわる石碑などもある

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沖縄の仏教 【11】

2017年09月10日 00時02分23秒 | 日記

 鶴翁和尚 <3>

末吉宮の創建された、経緯が、袋中良定(1552~1639年)が

三年沖縄に滞在し記した、琉球神道記に末吉権現事として

鶴翁が熊野三所権現を勧請(分霊)したと記述されている

 

末吉神社が鎮座する末吉公園は都市の中にあって

広大(約8ヘクタール)で大部分は森林で蓋われ

自然が残っている、聖なるムイ(森)である

 

昔から御嶽・イベとして崇拝の聖域であった

ムイ(森)の中には、最高拝所「宇天軸」や

宇天火の神・国の主・黄金軸・宇天軸底神弥勒御水

沖縄御先七御水神などの多数の拝所が、点在している聖地である

 

宇天軸とは、天の国、死者が赴くあの世

軸は中心を意味し、この世と、あの世をつなぐ特別な場所としている

末吉神社と遍照寺(万寿寺)は聖地霊住に創建されている

末吉宮の主祭神は、熊野三所権現の神

伊弉再尊・速玉男尊・事解男尊である

 

末吉宮は、仏教・神道・祖先信仰・ニライカナイ信仰が

習合した神々を拝する、沖縄特有の信仰を形成している

 

末吉宮は、沖縄戦で焼失し、現在の宮は、

1972年に再建された、琉球八社の一つの神社である

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沖縄の仏教 【10】

2017年09月05日 00時02分09秒 | 日記

  鶴翁和尚 <2>

鶴翁の生没年月日は不明であるが

壮年の頃、京都の東福寺で修行

住持の彭叔守仙(1490~1555年)に教えを受けたとされている

 

鶴翁が修行を行っていた時、熊野権現を崇信していた

学道成就したならば、かならず熊野を参詣ですると誓いを立てた

 

帰国後住持となった鶴翁は

誓願を果たすため、国王に暇請いを願い出たが

尚泰久王の許しは得られなかった

鶴翁は再び日本へ渡ることはなかった

 

ある時夢に人が現れ「師、志を遂げたいと

欲するなら是より北山に向かって大きな声で

呼なさい応じる所に霊験があるだろう

そこが即を居所である、私は熊野権現であると言った」

 

夢から目覚め、言われたとおり

峰に声を上げると前の山に響きがあった

そこは急崚な山で霊地のようで人蹴のおよぶ場所ではなかった

 

それでも登ってみると途中鬼が現れ

鶴翁は霊験であると思って、これを拝した

 

事の成り行きを、国王に奏上すると

尚泰久王も同様霊夢を見たことから

 

この出来事は、なにか意味のあることであるからと言って

この地に宮を建立した

 

また鶴翁はこの地を歩いていた時、古鏡を見つけ

それを得て宮内に納めたと云う、などの伝承がある

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沖縄の仏教 【9】

2017年09月01日 00時01分33秒 | 日記

 鶴翁和尚 <1>

鶴翁和尚は、沖縄仏教に多大な影響を与えた一人である

琉球国由来記巻11密門諸寺延縁起

 

袋中良定が著した琉球神道記などに

鶴翁の事績などが記述されている

 

鶴翁が、1450~1457年に

首里末吉に末吉宮の別途寺院として遍照寺を建立した

山号は大慶山真言宗に属した

 

元は万寿寺といい臨済宗寺院だった

その後何度か寺院名が変わっていく

 

薩摩藩の支配後(1609年)は遍照寺となり

一般民衆には、しいしーぬてぃら(末吉寺)と呼ばれた

 

遍照寺本尊は大日如来

または、毘盧遮那仏で山号は金剛山である

 

偏照寺は玉城朝薫(1684~1734年)によって

創作された組踊執心鐘入の舞台となった寺院としても有名である

 

沖縄戦で寺は焼失したが

戦後、寺地を沖縄市久保田に移し再建されている

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沖縄の仏教 【8】

2017年08月25日 00時02分05秒 | 日記

  琉球八社 <2>

琉球八社の祭神は、日本本土から勧請(分霊)したものである

安里八幡宮を除いた、全て七社、熊野三所権現が祭神として祀られている

 

熊野三所権現とは

熊野那智大社の祭神

熊野牟須美神・伊邪那美尊・事解之男神

 

熊野連玉大社の祭神

連玉之男神・伊邪那岐神

 

熊野本宮大社の祭神

家都御子神・国常立命である

 

熊野三所権現の神々は、神仏融合による、化身仏で

伊邪那美尊・事解之男神の本地仏は「聖観音」

連玉之男神・伊邪那岐神の本地仏は「薬師如来」

家都御子神・国常立命の本地仏は「阿弥陀如来」である

 

それから天照大神の本地仏は、十一面観音となっている

 

琉球八社に祀られている神々は異なっているが

安里八幡宮以外の全て七社は

伊邪那美尊と連玉之男神・事解之男神が祭神として祀られている

 

波上宮の境内にある、護国寺に祀られている、本地仏は

阿弥陀如来・薬師如来・聖観音である

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沖縄の仏教 【7】

2017年08月20日 00時02分08秒 | 日記

 琉球八社 <1>

琉球八社とは、琉球国時代王府が特別に庇護し

寺禄が与えられた官寺である真言宗の八つの寺院に

神社が併置されている、これが俗に言う

琉球八社である

 

波上宮(護国寺)・沖宮(臨海寺)・識名宮(神応寺)

末吉宮(偏照寺)・天久宮(聖現寺)・安里八幡宮(神徳寺)

普天間宮(神宮寺)・金武宮(金武観音寺)の八社である

 

護国寺の境内にある、波上宮が本社になっている

それは、護国寺が真言宗の本寺であったからと言われている

 

現在では波上宮は、一の宮に認定されている

 

波上宮の太夫は、八社神職の代表であり

各社の神職を任命並びに官位の昇降を王府に申し上げ

勤功によって昇進することになっていた

 

鳥越憲三郎著書(1965年)琉球宗教史の研究によれば

神社・寺院は一般大衆によるものではなく

民衆の済度のためでもなく

 

国王その一族、国家の案泰を祈願するもので

寺院・神社は王族階級の信仰であって

一般大衆には、ほとんど信仰されなかった

 

そのため寺院・神社には、檀家・氏子がなく

民衆は各地域にある、御嶽・御願所などを

信仰していたと述べている

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沖縄の仏教 【6】

2017年08月15日 00時01分16秒 | 日記

  日秀上人が沖縄に来島したのは

1527年から1534年の頃の間と推定されている

 

金武の鍾乳洞に居し布教活動の拠点としていた

後の日秀洞と言われるようになる

 

洞窟で熊野権現の化身本地仏像

阿弥陀如来・薬師寺如来・正観菩薩を自ら彫って波上宮に安置した

後に波上三護国寺に奉納したとされている

 

この像は、昭和初期の調査で1544年12月に完成したと

仏像に記録されて史実として証明されている

 

日秀上人は、1527年~1545年18年沖縄に滞在したと

推定され、宗教活動は多面的に及んでいる

 

沖縄に真言宗と熊野信仰を広め

数十か所の寺院の建立

頼重法印が建てた護国寺の再興や、多数の仏像の制作

大蛇退治や法力で妖怪退治したと云うストーリや

 

また、日秀に関する数多くの伝承があり

これらに関わる由来や石碑など多く残されている

 

沖縄の歴史書・地誌などに

日秀上人の事績が記録されている

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沖縄の仏教 【5】

2017年08月10日 00時01分42秒 | 日記

 日秀上人 <2>

伝承によると日秀は、1528年(享禄元年)頃

南海にあるとされる極楽浄土を目指して

補陀落渡海(ふだらくとかい)と言う捨身修行を行い

沖縄金武(きん)の富花津(ふなや)に漂着し地元の住人に救助され

沖縄へ来島したと云う経緯が伝承として伝えられている

 

日秀上人は真言密教・法華信仰・観音信仰・熊野信仰し法を極め信仰していた

 

日秀は金武の鍾乳洞(日秀洞)を神聖な場所として

そこを拠点として布教活動を行い

その洞窟のうえに金武観音寺を建立した

金武観音寺の山号は金峰山で金峰山三所大権現である

 

熊野権現の化身本地仏

阿弥陀如来・薬師如来・正観音菩薩像を彫って奉納したと伝えられている

 

琉球王府は、日秀上人の布教・宗教活動を庇護し援助した

沖縄において、真言宗は仏教二大宗派の一つになった

 

その頃の仏教は、沖縄歴史上、全盛期を迎えたと言われている

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沖縄の仏教 【4】

2017年08月05日 00時02分05秒 | 日記

 日秀上人 <1>

日秀上人は、沖縄の歴史書、中山世譜・球陽

琉球国由来記・琉球国旧記・地誌などに

 

沖縄における仏教の布教、寺院の創建や仏像彫刻

仏師としての多面的に事績が記述されている

 

日秀上人は、1503年加賀国(石川県)(上野国の説もある)に

生まれ、十代の後半頃、修業のため高野山に入寺する

 

二十五歳頃、密教僧が行う、捨て身修行と言う

補陀落渡海(ふだらくとかい)を行ったと言われている

 

小舟に、一ヶ月分の食料と飲み物と共に乗り込み

外から釘で出入り口を塞ぎ

 

南海にあるとされる極楽浄土を目指と云う

宗教的自殺行為である

 

この捨身修行は大多数の修行僧は帰ることはなかったと言われ

日本の歴史上二十数人以上の修行僧が実行したと言われている

その中で日秀上人は奇跡的に

沖縄金武の富花津(ふなや)に漂着した

 

富花津は薪を搬出する津(港)で、地元の若者に救助されたと言う

 

この若者に、日秀上人は救助のお礼に「比嘉(ひが)」姓を

与えたと言う伝承が語り継がれている

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沖縄の仏教 【3】

2017年08月01日 00時02分17秒 | 日記

 沖縄に始めて仏教が伝来したのは

禅鑑と言う僧が補陀落海(ふだらくとかい)修業中嵐に遭い

沖縄の那覇港に漂着した(国籍不明)と言う伝承が伝えられている

 

時の英祖王(1269~1300年)は

禅鑑の教えに尊信し帰依して禅鑑を開基として

浦添城の西に極楽寺を建立して住持させたと

 

中山世譜(1725年)琉球国由来記巻の琉球諸寺旧記序に

仏教が伝来したのが始めてであるとしている

 

その後、察度王(1350~1395年)の治世に

薩摩国坊津の龍源寺一乗院・頼重法印が来流して

波上山に王の祈願寺として護国寺を建立して

真言宗を始めて教え伝えた

 

第一尚氏王統六代尚泰久王(1454~1460年)の治世に

京都・南禅寺の高僧芥隠承琥が

沖縄に始めて臨済宗を伝えたとされている

芥隠は尚泰久王・尚徳王・尚円王・尚真王四人の王に仕えた

 

沖縄での仏教は王府の庇護を受け

国の鎮護を祈願する国家仏教として

首里や那覇を中心に多くの寺院が建てられた

 

民衆には布教活動はなく、そのため民衆には広まらず

国家の鎮護・案泰の祈祷が中心で

信仰には関心がなかったと言われている

 

寺院は官寺で僧侶は官僧で仏教信者も定まった寺院の壇徒ではなく

沖縄では檀家制度はなかった

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沖縄の仏教 【2】

2017年07月25日 00時02分10秒 | 日記

 第二尚氏王統三代目尚真王(1477~1527年)のとき

地方領主である按司を首都首里に集居させ武器を取り上げ

中央集権体制政策を行った

 

各地域の聖域、御願所を御嶽と言う呼び名に変え

神事、祭祀を整理し統制化した

 

また、ノロ(神女)の組織を整備し階層化した

集落のノロが各集落の御嶽を管理させ

 

全体のノロの上大阿母(おおあも)

その上に三人の大阿母良礼が首里の三間切りを掌管する

その上に阿応理屋恵佐司笠

 

その上に聞得大君を置いた

それらの高級神女を総じて三十三君と呼んでいた

 

聞得大君は

琉球全土のノロの頂点に立つ存在である

聞得大君は琉球国を守護する国王の「おなり神」である

 

王妃よりも上位に置かれていた

最初の聞得大君は尚真王の妹(音智殿茂金)である

 

祭祀制度を制定し階層化して

琉球を中央集権化と祭祀との祭祀一致の政策を行い

王権を不動のものにした

 

この第二尚氏王統は

19代(1469~1879年)410年(明治12年)続いた

(第一王統は1406~1469年、7代続いて63年)

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沖縄の仏教 【1】

2017年07月20日 00時02分15秒 | 日記

 仏教伝来の歴史

仏教を伝え布教した人物、仏教宗派伝来

その頃の最先端の知識を持った

僧侶の政治・経済などに関与した事などを

サラーさらっと紹介します

 

沖縄は明治以前、琉球国として存在していた

最盛期には北は奄美群島から、南は先島諸島(尖閣諸島)まで

軍事で平定し広大な海域を支配していた

 

日本の鎖国政策や中国明・清王朝の海禁政策の中にあって

沖縄は東シナ海の中心にある地の利を生かして

中継貿易で大きな役割を果たしていた

 

交易範囲は東南アジアから西はタイ国まで広がっていた

 

これは中国の明・清王朝の冊封体制を受け入れた

朝貢関係の上に成り立っていた

 

沖縄は日本・中国・東南アジアの交易で入る分化の影響を受け

特に、日本文化(言語・文字)、宗教(神道・仏教)に

大きな影響を受ける

 

歴史的、地理的、政治的背景の中で

他の都道府県にない、特色のある文化を持つ県と成っている

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与那国島 【3】

2017年07月15日 00時00分20秒 | 日記

 与那国(方言名;どぅなん)島(ちま)は

八重山諸島の中でも独特の自然・文化・歴史を有し

島には30にも及ぶ神事祭祀が一年を通して行われている

 

代表的な祭事は豊年祭・十六日祭・海神祭が

島全体で行われている

 

与那国島には

500年の歴史を持つ伝統工芸品与那国花織

 

また、与那国だけに生産が許可されている

花酒(はなさき)泡盛の一種で

 

泡盛の製造過程で最初に抽出される「ハナタレ」と呼ばれる

アルコール度数60度の強い蒸留酒である「ハナ」とは初の意である

島内には三か所の酒造所で生産されている

 

ビロウ(クバ)の葉で巻かれ独自の瓶に詰められて

島では古くから祭事や冠婚葬祭などに使用されている

 

2003年―2004年―2006年に

フジテレビのドラマ「Dr.コトー診療所」が

放映され有名になった、セットが現在も残っている

 

島内には、ナーマ浜・ダンヌ浜・比川浜は白砂の浜辺と

透き通った青い空、青い海が最高

マリンスポーツが盛んに行われている

 

島の南海岸に人工物なのか自然に出来た物なのか

まだ解明されていない「海底遺跡」があり

ダイビングのメッカとなっている

 

与那国島には天然記念物、名勝が多くある

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与那国島 【2】

2017年07月10日 00時03分46秒 | 日記

与那国島は

15世紀以前の史料はほとんど無い

 

14世紀後半から各集落に按司あらわれ

始めて大竹祖納堂佐が島を統治する

 

1500年頃女首長サンアイ イソバが与那国を統治していた

宮古諸島を統治していた、空広(仲宗根豊見親)の

嫡男の仲屋金盛が琉球王府の許しをえて

 

与那国に侵攻して来たが

サンアイ イソバ軍が反撃撃退し島を守った

 

1522年頃、鬼虎が統治していた

琉球国命より宮古軍が攻め滅ぼした

 

与那国島は小国だが独立国であった

与那国島を含め八重山諸島全域が琉球国の支配下になる

 

1637年宮古・八重山諸島だけに

人頭税制度が施行された

 

この人頭税は穀物の収穫に関係なく

15歳~50歳の全ての人の頭数によって徴収された

 

制度は与那国島の人々は

この重い年貢に苦しむことになる

 

人頭税を少しでも軽減するために

人口制限が行われた、久部良割(クブラバリ)がある

 

クブラバリは幅3メートルある岩の裂け目

深さ7メートルを島の全員の妊婦を集め

この裂け目を飛び越えさせた

 

飛び越えた妊婦だけが生きのこり

飛び越える事が出来なかった妊婦は

流産するか子供共々死んだ

 

また、トゥングダ(人升田)に

15歳から~50歳の男子を招集し

規定時間内に入りきれない者を殺したと言う

 

人頭税による過酷な取り立てがあった頃の

人減らしの策である

 

八重山諸島の人々を苦しめた人頭税は

1637年に始まり1903年(明治35年)まで続けられ

実に266年続けられた

 

クブラバリ・トゥングダと言う悲惨な

伝承と遺跡が今も島に残っている

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