前置き : 今は主婦のわたしが昔を思い出しながら書いていますのであしからず。
高校生の頃コンピューターに出合い。授業で少しだけかじる。
手作業で紙テープに穴を開けてたな~あれは紙テープの修正だったのか、記憶があいまい。機械に命令する命令語を紙テープに入力(穴をあける)してコンピューターに読み込ませて作業をしてもらいます。この頃COBOL という言語を習いました。
☆就職してIBMのスーパーコンピューターに出合う。
コンピューターのことを一から勉強。(給料いただきながら)
適正試験でプログラマーになったものの、この頃 プログラマー=男 キーパンチャー=女 と区別されていました。でもこの会社の社長は先を見る目があったのです。ソフトウエアの会社というと知らない人も多く先輩の女性プログラマーさんが「ジャージ(トレーニングウエア)を作ってるの?と友人に言われたわ」と話してたな。
まず、あの有名なIBMの社員の方がコンピューターは0と1で出来ているのだよ…で始まり詳しく教えてくれました。みなヒナのように高校の授業では考えられないくらいまじめに聞いてましたね。(男5+女2)
そして、プログラマーの先輩達から
BASIC・・・機械言語
AS/1・・・機械で絵を描く言語
COBOL・・・日本語に変換したり、計算する言語
PL/1・・・日本語に変換いたり、精密な計算をする言語あれ?
FORTRAN・・・精密な計算をする言語あれ?
わたしがあいまいに思ってる感じなので深く考えないでください。
と4ヶ月くらいにいろんなことを教えていただきました。
紙カード 磁気テープに出合います。入力媒体が変化していくのです。
この頃、パソコンという一人一台の時代ではなくて大型コンピューターがドンと座るとても空調と清潔感に気を配られた部屋があって(靴も履き替えないと駄目よ!)、いくら人間が外では~ふ~暑い寒いと言っていても機械のあるこの部屋だけは年間を通じてとても快適な空間を保っておりました。今じゃほこりのある部屋で、ふ~あち~と言いながらパソコンに向ってますがとても考えられません。
結婚して子供が生まれるまで働いていましたが、それから数年コンピューターにかかわることもなく過ごしていました。
そして時代は流れ、まだそれでも中型コンピュータがステキな部屋にいる頃に仕事復帰。といっても今度はとある研究所です。非常勤職員で働きました。
フロッピィーといっても、でかい!!シングルレコード(古)くらいのフロッピィで2枚入れないと機械が作動しないのよね。フロッピィも大→小 今度はCDになり その中でまた7年という歳月が流れ一人一台PCという時代になっていくのだけれど、パソコンの前にワープロという文章を打つ機械がありましたね。今じゃーみんな PL/1やFORTRAN知らなくてもエクセルでちょちょいと計算も表もグラフでさえもやってのけるんだもんね。高校生の娘は情報処理を少し勉強しているけれどわたしより高度なことをやってのけます。2?年でこれだけの進歩って怖いなー。誰か未来の人がタイムマシーンでやってきて未来はこうだよと教えてくれたのかな?
研究所から今度は5年間CADを教えてもらってプラント設計の仕事に関わる事になります。知り合いの人が手描きからCADに移行していくなかで少しでもコンピューターのことを知っている(?)わたしにお話がきたので関わることになりました。