“月イチの方”で稽古茶事があった。
3年連続で名残りの茶事。(参考:去年 一昨年)
同じ趣向なんどけど、いや同じ趣向であるが故に内容が年々パワーアップしている。
御亭主は稲の品種から研究なさって、藁灰にしやすい稲を自ら育て、藁灰をあげられた。
年より更に太い、真っ直ぐなな藁が、やつれ風炉にビッシリと入ってる“黒”と
その真ん中に炭火の“赤”のコントラストが本当に見事だった。
風炉前に拝見しに行く度に見とれた。
(角谷一圭の筒釜も見事だった)
風炉中だけではない。
外腰掛で見上げた露地の紅葉の見事さと言ったら
今年、モミジの紅葉を見たのは初めて。
色づき方が木々一本ごとに違って、それが奥に行くほど赤くなっていて、まさに紅葉の錦。
わずかな空間の中の紅葉だからこそ、立体的な日本画みたい。
その下を歩いて席入り。床の掛け物は「紅葉満山川」。
懐石になり、一文字の御飯を口にして「美味しいなぁ」と思ったら、
これも御亭主が魚沼の棚田で自ら育てたコシヒカリ。
(5kgで300袋分しか収穫できなかったという。8,000円もするのに既に完売とか)
名残だから、寄付の汲み出しから、懐石の向付、煮物椀まで全て一人ひとり違う。
ワタシの向付は織部焼。
後座の花も、なんと表現してよいのか言葉が見つからないくらいの趣向で。
水指は“破れ袋”(←信楽?)みたいな形で、魯山人作だって。
茶入は黄瀬戸。珍しいなぁ。小さい耳がカワイイ。
茶杓は円能斎。こんな感じの、9月に京都で見たなぁ。
八寸の時に御正客がお米を褒めたら、「米作りはまだ未熟なので、袋を工夫しました」と。
会話の流れで、御正客が「では袋も見たいです」と所望された。
すると、薄茶の時に米袋(米が入ったまま)が登場
「わー。半東さん、重たそう」と他人事のように思っていたら、
席中、拝見に回ってきて、最後はワタシの前に
そう、今回はワタシ、詰客だったんです
(実は、お詰客デビュー)
で、その米袋を床の間まで運んで荘るようにと云われて
茶事用に炊いた残りだから、5キロはないだろうけど、3キロはあるだろう米袋。
米袋を受ける茶上戸の底が重さで抜けちゃったら、どーしましょー
と心配しながら、底からしっかり持って立ち上がり、捧げ持ってヨチヨチ歩き。
(のろい茶運び人形みたい?)
和服でこんなに重たいものを持ったのは初めて
それでなくても、体調がとてもシビアな日で立ったり座ったりはとてもツラくて
でも、事前に交替を言い出すのは恥ずかしくて、それに詰客のチャンスを逃したくなかった。
いい加減に着ちゃった和服は練習の時から着崩れて、ボロボロ
ただ立つのだって、ワタシにとってはキビシイのに、詰客って道具持って立つ回数が多い
今まで連客として、詰客の役割は見ていて“わかったつもり”でいたものの、
こんなに頻繁に立ったり座ったりが多いなんて
着物の着方がダメダメで、とても恥ずかしかった。
ここのところ、社中稽古でウールや大島紬のお古着物で行って、前が大変だった。
「これは茶道用のじゃないから、前幅が足らないんだ」と言い訳していたけれど、
根本的にワタシの着付けが座った場合の考慮が足りてなかったのかもしれない
(だって、茶道用に仕立てた着物でもヒサンだったから)
帰る時は座るのもつらいし、裾を引き上げながら歩行しなきゃならないほど情けない状態だったけど、
やっぱ、体調がキツい時ほど油断は禁物だなぁと反省した。
詰客として、学ぶ課題はたくさんあるし、名残りの趣向も勉強になった。
すごく楽しかった思いと、落ち込む思いが頭の中でゴチャゴチャ~になってるけど、
今年の名残りいい茶事だった。
(茶事のお仲間、1級に受かってたしね こんな身近な知り合いが9.7%に入ってたなんて~)
帰宅したら、足袋に穴あいてるし。
体がつらかったから、足に力を入れてたからなぁ。
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3年連続で名残りの茶事。(参考:去年 一昨年)
同じ趣向なんどけど、いや同じ趣向であるが故に内容が年々パワーアップしている。
御亭主は稲の品種から研究なさって、藁灰にしやすい稲を自ら育て、藁灰をあげられた。
年より更に太い、真っ直ぐなな藁が、やつれ風炉にビッシリと入ってる“黒”と
その真ん中に炭火の“赤”のコントラストが本当に見事だった。
風炉前に拝見しに行く度に見とれた。
(角谷一圭の筒釜も見事だった)
風炉中だけではない。
外腰掛で見上げた露地の紅葉の見事さと言ったら
今年、モミジの紅葉を見たのは初めて。
色づき方が木々一本ごとに違って、それが奥に行くほど赤くなっていて、まさに紅葉の錦。
わずかな空間の中の紅葉だからこそ、立体的な日本画みたい。
その下を歩いて席入り。床の掛け物は「紅葉満山川」。
懐石になり、一文字の御飯を口にして「美味しいなぁ」と思ったら、
これも御亭主が魚沼の棚田で自ら育てたコシヒカリ。
(5kgで300袋分しか収穫できなかったという。8,000円もするのに既に完売とか)
名残だから、寄付の汲み出しから、懐石の向付、煮物椀まで全て一人ひとり違う。
ワタシの向付は織部焼。
後座の花も、なんと表現してよいのか言葉が見つからないくらいの趣向で。
水指は“破れ袋”(←信楽?)みたいな形で、魯山人作だって。
茶入は黄瀬戸。珍しいなぁ。小さい耳がカワイイ。
茶杓は円能斎。こんな感じの、9月に京都で見たなぁ。
八寸の時に御正客がお米を褒めたら、「米作りはまだ未熟なので、袋を工夫しました」と。
会話の流れで、御正客が「では袋も見たいです」と所望された。
すると、薄茶の時に米袋(米が入ったまま)が登場
「わー。半東さん、重たそう」と他人事のように思っていたら、
席中、拝見に回ってきて、最後はワタシの前に
そう、今回はワタシ、詰客だったんです
(実は、お詰客デビュー)
で、その米袋を床の間まで運んで荘るようにと云われて
茶事用に炊いた残りだから、5キロはないだろうけど、3キロはあるだろう米袋。
米袋を受ける茶上戸の底が重さで抜けちゃったら、どーしましょー
と心配しながら、底からしっかり持って立ち上がり、捧げ持ってヨチヨチ歩き。
(のろい茶運び人形みたい?)
和服でこんなに重たいものを持ったのは初めて
それでなくても、体調がとてもシビアな日で立ったり座ったりはとてもツラくて
でも、事前に交替を言い出すのは恥ずかしくて、それに詰客のチャンスを逃したくなかった。
いい加減に着ちゃった和服は練習の時から着崩れて、ボロボロ
ただ立つのだって、ワタシにとってはキビシイのに、詰客って道具持って立つ回数が多い
今まで連客として、詰客の役割は見ていて“わかったつもり”でいたものの、
こんなに頻繁に立ったり座ったりが多いなんて
着物の着方がダメダメで、とても恥ずかしかった。
ここのところ、社中稽古でウールや大島紬のお古着物で行って、前が大変だった。
「これは茶道用のじゃないから、前幅が足らないんだ」と言い訳していたけれど、
根本的にワタシの着付けが座った場合の考慮が足りてなかったのかもしれない
(だって、茶道用に仕立てた着物でもヒサンだったから)
帰る時は座るのもつらいし、裾を引き上げながら歩行しなきゃならないほど情けない状態だったけど、
やっぱ、体調がキツい時ほど油断は禁物だなぁと反省した。
詰客として、学ぶ課題はたくさんあるし、名残りの趣向も勉強になった。
すごく楽しかった思いと、落ち込む思いが頭の中でゴチャゴチャ~になってるけど、
今年の名残りいい茶事だった。
(茶事のお仲間、1級に受かってたしね こんな身近な知り合いが9.7%に入ってたなんて~)
帰宅したら、足袋に穴あいてるし。
体がつらかったから、足に力を入れてたからなぁ。
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