1/26神奈川県平和委員会主催の2008年新春平和学校というのに行ってきた。
関東学院大学の林博史教授が「アジアとの共生をめざして-なぜ今日本軍「慰安婦」問題なのか」という題で講演された。林博史氏は沖縄戦での集団自決に軍の強制が削除された教科書問題の時にテレビにも出演されていて知っていたので、今回話を聞いてみようと思ったのだったが、1時間半の講演は飽きさせず、感銘を受けた。単に日本軍慰安婦問題をめぐる論争点にコメントするのではなく、戦時性暴力というものがどのように問題になってきたかという大きな視点での話が印象的だった。
以下講演で印象に残った事を記す(一部はレジュメから引き写し)。
安倍元首相は日本軍「慰安婦」について「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった」としたが、そもそも強制的に連れて行く場合でも、多くの場合はじめは甘言で誘ったりして逃げられなくなってから暴力を使用する場合が多く、安倍氏の言い方に従えば北朝鮮の拉致だって強制ではなくなってしまう。現在日本では「新しい教科書をつくる会」などが南京大虐殺、沖縄戦での集団自決の日本軍強制、日本軍「慰安婦」問題などを、過去の日本が引き起こした戦争の醜さをことさらに強調するものとして否定するのに躍起になっているが、これらの動きは単に日本軍の行ったことを美化するだけでなく、世界的な認識の深まりに反するものだといえる。
戦時の内務省の文書には「南支派遣軍の慰安所設置のため必要に付醜業を目的とする婦女・・・を渡航せしむる」などの記述があり、それらは「極秘に・・・之を取扱う」こととされ、「何処迄も経営者の自発的希望に基づく様取り運」ぶようにすることが徹底されていて、軍や行政・警察の責任を回避するように配慮されていた。その背景には当時の日本においても公娼制が当たり前ではなく廃娼県が14県、石川県では「事実上の奴隷制度」などとされていたことがあった。
それでも日本軍が組織的に慰安所をつくったのには、強姦予防、性病予防、ストレス解消、機密保持などがあり、さらに日本軍が外国の軍隊と比べても休み無しに戦場にかり出され、侵略性が強かったことが要因となった。
最近でも従軍慰安婦を当然視するような発言をする政治家がいるが、その背景には日本の後進性がある。米国務省の2007年の「人身売買に関する報告書」では世界の142の国・地域を、TIER1(基準を満たす)、TIER2(基準は満たさないが努力中)、TIER2・監視対象国、TIER3(基準を満たさず努力も不足)という区分に分類している。2004年報告で日本は監視対象国とされ、2005年にあわてて人身売買禁止議定書を批准し、刑法に人身売買罪を新設した。また買春情報が載ったタブロイド新聞を電車で堂々と読み、アダルトビデオが普通に置いてある日本は欧米から見たら異常であると考えるべき。
戦場において慰安所は地元女性への強姦を決して防がず、逆に性暴力を拡大、誘発した。統制された慰安所以外に統制されない慰安所ができ、さらに強姦すればタダという状態があった。
否定論者は元慰安婦が金ほしさに嘘を証言などと攻撃するが、沖縄戦での集団自決でも、援護の金ほしさに軍命令をでっち上げたという言い方をする。彼らには被害者・住民の証言は信用しない、「権力者が語ったことが真実」という考え方がある。
世界的には1990年代から、戦争被害に対して国家間の賠償問題に解消するのではなく、女性の人権、人間の尊厳の回復の問題ととらえ直す動きが出てきたことを見る必要がある。
ユーゴ紛争で戦時性暴力が問題になったことなどがきっかけになり、2000年10月の安保理決議1325号では「すべての国家には、ジェノサイド、人道に対する罪、性的その他の女性・少女に対する暴力を含む戦争犯罪の責任者への不処罰を断ち切り、訴追する責任があることを強調する。」とされた。ここには、現在なお世界各地で起きている組織的な戦時性暴力をいかに防ぎ、解決するのか、という問題意識、さらに、現在の人身売買・様々な性暴力をいかにしてなくすのか、という問題意識がある。
この流れの上に、2007年7月30日アメリカ議会下院で従軍慰安婦問題で日本に公式な謝罪を求めるなどとした決議がある。
ハイド元下院国際関係委員会議長は「慰安婦」決議採択にあたっての声明で、「女性や子どもを戦場での搾取から守ることは、単に遠い昔の第二次大戦時の問題ではありません。それはダルフールで今まさに起こっているような悲劇的状況に関する問題です。『慰安婦』は、戦場で傷つくすべての女性を象徴するようになったのです。」と言っている。