怒りのブログ

社会批判を深める

イラク戦争開戦から10年

2013-03-20 23:30:34 | 戦争と平和
2003年3月20日世界中の「戦争を始めるな」の大反戦行動のなか、アメリカのイラクへの攻撃が始まった。
理由は大量破壊兵器所持だが、国連の査察は続いており、イラクは国連査察への協力を表明していた。こうした中で世界中の反戦運動が固唾をのむ中で開戦が強行されたというのはかってないことだった。私は会社員時代で、大変厳しい納品業務の責任者をしていたため、ろくに新聞も読めない状態で、日本でも行われていた反戦運動に参加する事もできず、ただテレビ報道を見て、本当にアメリカは戦争を始めるのか、とそれだけを気にしていた。

この戦争で、イラクでは十数万から数十万とも言われる無辜の人々の命が失われる一方で、大量破壊兵器はみつからず、この開戦についてはアメリカ、イギリスでもその正当性の問い直しが行われた。イラク国内の治安は回復せず、テロの拡散も招いている。イラク戦争が失敗だったというのはもはや明らかとなったのではないか。
今日の朝日新聞で当時の福田官房長官のインタビューが掲載されているが、イラク戦争開戦を大量破壊兵器の情報もはっきりしないのに、いち早く支持したことが日米関係のプレゼンスを高めたのが結果的に「よかった」と言っているのは情けない限りだ。

世界的な反戦運動を背景として生まれた文化としてはベトナム戦争は最大のもので、僕自身もそれを追ったりしてきたが、リアルな反戦運動としては僕にとってはイラク戦争だ。開戦時の運動に参加できなかった事が悔やまれ、そのことが勤め人をやめて自営業になっていく一つのきっかけとなったし、退職後に、当時はまだホームページとメーリングリストなどでの拡散だった自然発生的な運動にも参加し、そうした情報拡散の中で知った、楽器をもってデモをするグループにも参加し、自然発生的な運動と伝統的な民主運動との共同も行われるのをみてきた。
今起ころうとしている戦争を中止させたい、止めさせたいという運動はこれまでなかったのではないか。そうしたやむにやまれぬ人たちがインターネットの初期の形態も利用して運動を初めていったのは、現在の反原発の運動の先駆的なものと言ってもいいのではないかと思う。

こうした運動に参加した人たちがその思いを刻み、情報ツールの活用方法が進化し、世界の実質的な多数者が戦争を起こさせない力を強めていく事、そのことがあれば、たとえ戦争を止められなくても、その運動の意味が無になる事はないのだと思う。

普天間基地は「無条件撤去」しかない

2010-05-28 03:08:31 | 戦争と平和

 普天間基地撤去がどうなるか、重要な局面になっている。政府が辺野古への移設方針を決定しようといている。この時点であっても、普天間基地「無条件撤去」という要求が最も現実的だと考える。
 辺野古への移設に反対する人たちの中に、テニアンだ、グアムだと言って何か別の場所に普天間基地の機能を移設するのが普天間基地を返還させる現実的な案だという考えがある。しかしそこには米軍と日本との矛盾のない関係が前提とされていて、他に機能が移せるのならアメリカも納得するだろうという考えが横たわっている。しかし二国の間の軍事的な利益が一致するなんて事があり得るはずがない。だからこそ安保条約にしてもどういう場合に共同作戦をするのかを限定して条約にしているのだ(決して安保条約を認めるわけではないが)。
 戦後65年も経つのに外国の軍事基地が首都を含んだ国に駐留しているという現実は決して尋常ではない。まして沖縄の基地は住民の生活に多大な悪影響を与えてきた。だからこそ何度となく沖縄の負担を軽減していくことが政府によって約束されてきた。そして普天間基地については度重なる事故、事件によってこれ以上その存在が許されざることが明白になり、返還が合意された。アメリカは普天間に軍事基地を構えることが不可能になったら、自らの軍事的必要に応じて自分で普天間基地返還に伴って日本領土以外の場所に施設を作るなりすればいいのだ。そのアメリカの判断に日本が口を挟むことができるはずがない。たとえテニアンの代表者が海兵隊の誘致に積極的であったとしても、「テニアンに移設してください」などということがテニアンの住民を差し置いて言えるはずもない。そんなことは全く当然のことで、「テニアンに行ってもらう」なんて要求がいかに馬鹿げた要求かということが理解できないのだろうか?テニアンの代表者が交代して「いやだ」ということになれば、そんな計画は簡単に吹き飛んでしまう。
さらに言えば、「普天間の海兵隊をテニアンに移設させる」と主張することは、普天間基地がアメリカの世界戦略における役割を日本の人民も認めて、それをテニアンに移すという要求だということにならざるを得ない。ベトナム戦争でも必須の役割を果たし、イラクの人民をたくさん殺した海兵隊の機能を認めることなどできるはずがないではないか!
 「普天間基地は無条件で撤去せよ」という主張は、日本にある米軍基地はいずれはなくしていくという立場に立てば、その先のアメリカの手を縛らないという点においても最も現実的で効果的な要求だ。
「抑止力を維持するため」というのが鳩山首相の公約破りのいいわけだが、おかしな話だ。そもそも米軍基地自体が決して日本防衛のためではなかったが、とりわけ海兵隊はアメリカ以外では日本にしか駐留していない。そしてアフガニスタンやイラクに派遣されていて、日本にいる期間は半分でしかない。そのような海兵隊が「抑止力」であるはずがない。
 ここで前半で書いたこと、アメリカは自らの軍事的必要に応じて自分で普天間基地返還に伴って日本領土以外の場所に施設を作るなりすればいいのだ、ということと矛盾するようだが、無条件撤去の要求を前提にすれば、その先にはテニアンの住民との連帯の可能性も見えてくる。朝日新聞5月24日文化欄に鹿野政直氏が「沖縄の呻吟本土が呼応を」という文を寄せている。この中で沖縄の人々の主張が
基地を抱えるがゆえに、同様の苦しみを移設されようとしている地域の人びとに、もたらしくたくないという、いわば「共苦」から「共生」に至ろうとする意識よっても支えられている。
ととらえ、さらに
負の連鎖を断ち切ろうとするこうした思念は、徳之島だけを念頭に置くのではなく、グアム・テニアンについても、国家の壁を越えて、その地の人々の自己決定権の無視に想到する域に達している。
と述べている。
 社会運動には大儀がなければいずれはほころびが生ずる。無条件撤去の要求を堂々と掲げ、分断攻撃に屈せずに頑張っていくことが、普天間基地の撤去の近道であるとともに、アメリカの侵略的行動にたいする圧力にもなると思う。


沖縄県民大会 心打つ高校生代表のあいさつ

2010-04-26 23:25:05 | 戦争と平和


岡本かなさん

 厚さ5センチの窓。その窓いっぱいに見える飛行機の胴体。これが私たち普天間高校の日常の光景です。
 私は2年前、あこがれの普天間高校に入学しました。とても、わくわくして登校したことを今でも覚えています。しかし、グラウンドに出れば、騒音とともにやってくる低く黒い影。授業中でも、テスト中でも、容赦なく全てを中断させる音。低空飛行する機体に向かって思わず「うるさい」と叫んだこともあります。学校までの通学路は、どこまでも長い基地のフェンスが続きます。早朝講座の始まるころには、基地から上がる星条旗が見えます。
「あれ、ここって日本だよね、いったいフェンスで囲まれているのは、基地なの、私たちなの?」・一瞬、考えてしまいました。日本にある米軍基地の75%が、ここ沖縄に存在していることをあらためて実感しました。
 そんな不安と違和感を覚えた1年目でした。入学から2年たち、私は自分が変化していることに気がつきました。そして怖くなったのです。ヘリコプターは相変わらず、頭上を飛び、騒音は鳴り続けます。「でもしょうがない」「いつものこと」と思う自分がいたのです。
 軍用機がいつ、自分の上から落ちるかわからない日常。訓練が民間地域のすぐ横で行われている日常。基地や訓練が何のためにあるのか忘れた日常。危険を危険と感じなくなる恐さ。普天間高校で過ごす間に、この状況があまりに日常になって、私の感覚はにぶくなっていたのです。
 生活の中に基地があること、沖縄の中に基地があること、この問題を仕方がないから、と考えるのをやめていないか。私を含めて、いま一度多くの方に考えて欲しい。みんなが、それぞれの立場で、もう一度基地問題に向き合って欲しいと思います。私たち一人ひとりが考えれば、なにかがかわる-そう信じて、私はここに立っています。


志喜屋成海さん

 戦後65年の間、沖縄のなかには、米軍基地と何らかのかかわりをもちながら、さまざまな気持ちを抱く人がいるのもまた事実です。基地で働き生活の基盤をつくっている人、沖縄のさまざまな場所で反対運動をする人たち、辺野古の海岸で座り込みを続けている人たち、日本人だけでなく基地で働く多くの外国の人もいます。
 すべての人が一生懸命生きているからこそ、平和と基地、沖縄はいつも矛盾を抱えています。私には、それぞれの立場の人の考え方を判断するだけの人生経験がありません。でも、かつて、沖縄が琉球王国と呼ばれていた時代から、沖縄の人が平和を愛し、人と人とのつながりを何よりも大切にしてきたことだけは分かっています。この精神はいまも昔も変わらず、沖縄の人々の心に刻み込まれているのです。私たちには、お互いに手をとり、平和を築ける力を持っている、と私は思います。
 だから、ただ現状に流されて、「しかたない」と受け入れることで本当によいのでしょうか。私は純粋に素直に、この問題をみたうえで、やはり基地は沖縄には必要ないとそう思うのです。
 いま私たちの通う普天間高校では、大会をきっかけに、一人ひとりが基地問題について考え始めています。そして、いま、この会場にも、県内外から多くの方々が基地問題を何とかしたいという思いに突き動かされて集まっている。もちろんこの会場以外でも、それぞれの場所で、今この瞬間考えている人がいると思う。
 この基地問題は普天間だけでなく、沖縄県民だけでもなく、日本国民すべての人が自分の問題として考えて欲しい。私たちの思いが一人でも多くの人たちの心に届くことを、心から願っています。

(二人で)

「未来は私たちの手のなかに」

(しんぶん赤旗から。強調は引用者による。)

核密約が”苦渋の選択”などとなぜ言えるのか

2010-03-10 07:33:59 | 戦争と平和
核密約の調査委員会の結果報告の報道に、息苦しいような怒りを覚える。”憤懣やるかたない”という言い方もこういうときに使うのだろうか。
だいたい北岡伸一などという当事者に近い人間を委員長にすえて調査させたのだから、当時の首相などをかばう結論が出されるのもはじめからわかっていたことだ。
真摯に歴史に向き合うというようなものではなく、ばれたときに外交への不信を最小限にとどめるための調査だったのだ。
以前朝日新聞の論説委員の署名記事で”苦渋の選択”という言葉が出されていたので、調査の発表のされ方が気になっていたが、はじめからこのような調査に期待していた自分が間違いだった。
結局、苦渋の選択とは、国民をだますことを選択したのであり、それが”立派な態度”などというのは、ずいぶんな"超然”とした"上から目線”ではないか。
岡田外相が一応自民党政権を批判し、”政権交代の成果”などとの宣伝は抜け目なく行っているのは滑稽ですらある。米国が艦船などへの核搭載をしない政策に変更したから、今後は核持ち込みはないはずだ、というのも相変わらずの卑屈な態度だ。なぜ今後は日本には非核三原則があるのだから核持ち込みは認められない、とアメリカに言えないのか。

思い起こすということ

2009-11-03 03:27:11 | 戦争と平和
普天間基地の問題について、「世界は沖縄をどうみているか」という記事の中で、ニューヨークタイムズの23日付けでコラムニストは「英軍の駐留に反対する植民地の叫びが米国独立革命の原点だったことを思い起こせ」と述べているというものが紹介されている(しんぶん赤旗11/2付け)。
この記事は実に立派なのだが、しかし、思い起こすというならば、と思った。
今、国会でも議論されている普天間基地の移設問題。
この問題が問題として国政に登場したのは、少女暴行事件がきっかけだった。ブッシュ政権から留任しているゲーツ国防長官は米軍再編のために変更はさせないと恫喝を続けているが、この問題がどういう経過で出てきたのかを「思い起こす」べきなのだ。
マスコミはなぜこのことをしないのか!

いつまでこんな事を許しておくのか 沖縄米兵が少女暴行

2008-02-14 23:57:34 | 戦争と平和
沖縄でまた、少女が被害に遭う事件が起きた。強姦(ごうかん)容疑で沖縄県警に逮捕された米海兵隊員は「送ってあげる」と14歳の少女を安心させ、車内で乱暴したという。少女が声をかけられたのは、県内で那覇市に次いで人口が多い沖縄市の中心部。過去に多くの事件が起きた基地の街でもある。95年の海兵隊員らによる少女暴行事件から13年。沖縄で再び、怒りが広がった。(2/12asahi.com)

2/13の中央紙では朝日、毎日、産経、日経が社説を掲げ、許しがたい性犯罪への憤りを表明した。もっとも産経は”沖縄少女暴行 米軍再編への影響回避を”という表題が示すように日米関係への影響を危惧する論調だったが。読売は社説なし(いったいこの新聞はどちらを向いているのか!)。

米兵は暴行を否定しているというが、少女が携帯で助けを求め、つなぎっぱなしになった電話からは「シャラップ」という男の声、少女の泣き声が聞こえてきたというのだから暴行があったことは明らかだ。
事件が起こるたびに政府は綱紀粛正を求め、米軍は謝罪・再発防止を約束するが、事件は繰り返される。

95年の少女暴行事件では沖縄の怒りが燃え上がり、政府も抜本的な対策をせざるを得なくなり、普天間基地の移設を約束した。その翌年から、政府は米兵に対する研修制度を設け、東京や沖縄で将兵を対象にしたオリエンテーションを実施しているという。しかし、95年以降も米兵の検挙数は沖縄でも全国的にも年ごとに増減はあるものの、減ってはいない。在日米軍は米兵の夜間外出を制限する「リバティー・カード」の制度を設けているが、女子中学生を暴行した米兵は基地外に居住しており、夜間外出制限の対象外だった(2/14付けしんぶん赤旗)。
アメリカは血を流して沖縄を占領したと新兵に教育しており、それが”占領者意識”をあおり、沖縄での凶悪犯罪に拍車をかけているという。また、容疑者は13年前の事件は知らないと供述している(2/13付けしんぶん赤旗)。教育しているといってもこのような状態なのだ。
暴行をした兵士が海兵隊所属ということも重大だ。空母機動部隊、海兵隊など海外への殴り込み部隊がいるのは日本だけだという(2/14付けしんぶん赤旗)。より侵略的な軍隊の所属兵が平時において問題を起こしやすいということは十分にあり得ることだ。東門沖縄市長は「事件を起こすのはほとんどが海兵隊だ。海兵隊を減らしていくしか他にないのではないか」と訴える(2/13朝日夕刊)。そもそも海兵隊のような侵略的な軍隊が日本の基地にいることは安保条約にすら反していると言うべきだ。

期せずして直後に岩国市長選挙があり、空母艦載機受入拒否の井原候補が惜敗した。岩国市では井原市長時代に、新市庁舎建設への補助金や米軍再編交付金を凍結した。艦載機を受け入れれば凍結を解除するという露骨な誘導政策を行った。2/13付けの朝日の社説は米兵少女暴行問題と並んで岩国市長選の社説を掲げ、
市民の選択がなぜ変わったのか。
 朝日新聞が投票日におこなった出口調査では、移転反対が47%で、賛成の18%の3倍近くを占めた。福田氏に投票した人でも、移転に「賛成」と答えたのは30%にすぎない。
 それにもかかわらず福田氏への投票が多かったのは、「移転には反対だが、政府からの支援を得るためにはやむをえない」と苦渋の選択をした人が多かったということだろう。
と分析している。岩国市民は決して艦載機移転を受け入れたわけではないのだ。
基地の負担とは治安の問題を当然含んでいる。艦載機を受け入れることはより多くの米軍兵士をも受け入れるということになる。とすれば、政府の「あめとむち」の政策は”金をやるから多少の米兵の犯罪もがまんしろ”ということになるのではないか。
岩国市長に当選した福田氏は「まず、市民の不安な騒音問題や治安問題を解消し、その後に再編問題に協力するかどうかという判断をしなくちゃ行けない」と語ったという。是非ともこの言葉の通り実行してもらいたいものだ。

政府も通り一遍に「綱紀粛正」を言うばかりでなく、少なくとも、海兵隊の退去、基地以外の居住の禁止、日米地位協定の改定くらいのことを言ってもいいはずだ。そして基地強化に反対する自治体への補助金をカットするなどの政策は即やめるべきだ。

過去の問題ではない「慰安婦」問題

2008-01-31 03:56:23 | 戦争と平和

1/26神奈川県平和委員会主催の2008年新春平和学校というのに行ってきた。
関東学院大学の林博史教授が「アジアとの共生をめざして-なぜ今日本軍「慰安婦」問題なのか」という題で講演された。林博史氏は沖縄戦での集団自決に軍の強制が削除された教科書問題の時にテレビにも出演されていて知っていたので、今回話を聞いてみようと思ったのだったが、1時間半の講演は飽きさせず、感銘を受けた。単に日本軍慰安婦問題をめぐる論争点にコメントするのではなく、戦時性暴力というものがどのように問題になってきたかという大きな視点での話が印象的だった。

以下講演で印象に残った事を記す(一部はレジュメから引き写し)。
安倍元首相は日本軍「慰安婦」について「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった」としたが、そもそも強制的に連れて行く場合でも、多くの場合はじめは甘言で誘ったりして逃げられなくなってから暴力を使用する場合が多く、安倍氏の言い方に従えば北朝鮮の拉致だって強制ではなくなってしまう。

戦時の内務省の文書には「南支派遣軍の慰安所設置のため必要に付醜業を目的とする婦女・・・を渡航せしむる」などの記述があり、それらは「極秘に・・・之を取扱う」こととされ、「何処迄も経営者の自発的希望に基づく様取り運」ぶようにすることが徹底されていて、軍や行政・警察の責任を回避するように配慮されていた。その背景には当時の日本においても公娼制が当たり前ではなく廃娼県が14県、石川県では「事実上の奴隷制度」などとされていたことがあった。

それでも日本軍が組織的に慰安所をつくったのには、強姦予防、性病予防、ストレス解消、機密保持などがあり、さらに日本軍が外国の軍隊と比べても休み無しに戦場にかり出され、侵略性が強かったことが要因となった。

最近でも従軍慰安婦を当然視するような発言をする政治家がいるが、その背景には日本の後進性がある。米国務省の2007年の「人身売買に関する報告書」では世界の142の国・地域を、TIER1(基準を満たす)、TIER2(基準は満たさないが努力中)、TIER2・監視対象国、TIER3(基準を満たさず努力も不足)という区分に分類している。2004年報告で日本は監視対象国とされ、2005年にあわてて人身売買禁止議定書を批准し、刑法に人身売買罪を新設した。また買春情報が載ったタブロイド新聞を電車で堂々と読み、アダルトビデオが普通に置いてある日本は欧米から見たら異常であると考えるべき。

戦場において慰安所は地元女性への強姦を決して防がず、逆に性暴力を拡大、誘発した。統制された慰安所以外に統制されない慰安所ができ、さらに強姦すればタダという状態があった。

否定論者は元慰安婦が金ほしさに嘘を証言などと攻撃するが、沖縄戦での集団自決でも、援護の金ほしさに軍命令をでっち上げたという言い方をする。彼らには被害者・住民の証言は信用しない、「権力者が語ったことが真実」という考え方がある。

世界的には1990年代から、戦争被害に対して国家間の賠償問題に解消するのではなく、女性の人権、人間の尊厳の回復の問題ととらえ直す動きが出てきたことを見る必要がある。
ユーゴ紛争で戦時性暴力が問題になったことなどがきっかけになり、2000年10月の安保理決議1325号では「すべての国家には、ジェノサイド、人道に対する罪、性的その他の女性・少女に対する暴力を含む戦争犯罪の責任者への不処罰を断ち切り、訴追する責任があることを強調する。」とされた。ここには、現在なお世界各地で起きている組織的な戦時性暴力をいかに防ぎ、解決するのか、という問題意識、さらに、現在の人身売買・様々な性暴力をいかにしてなくすのか、という問題意識がある。
この流れの上に、2007年7月30日アメリカ議会下院で従軍慰安婦問題で日本に公式な謝罪を求めるなどとした決議がある。
ハイド元下院国際関係委員会議長は「慰安婦」決議採択にあたっての声明で、「女性や子どもを戦場での搾取から守ることは、単に遠い昔の第二次大戦時の問題ではありません。それはダルフールで今まさに起こっているような悲劇的状況に関する問題です。『慰安婦』は、戦場で傷つくすべての女性を象徴するようになったのです。」と言っている。
現在日本では「新しい教科書をつくる会」などが南京大虐殺、沖縄戦での集団自決の日本軍強制、日本軍「慰安婦」問題などを、過去の日本が引き起こした戦争の醜さをことさらに強調するものとして否定するのに躍起になっているが、これらの動きは単に日本軍の行ったことを美化するだけでなく、世界的な認識の深まりに反するものだといえる。

最大の「偽」は米軍支援

2008-01-11 01:25:56 | 戦争と平和
昨年の漢字に「偽」が選ばれたことに多くの国民が納得したところだが、私は事が国の防衛問題だけに、最大の「偽」はテロ特措法を巡っての国会論戦で明らかになった政府の米軍支援の実態だと考える。

思えば昨年10月、あの鉄面皮の石破防衛相が国会での答弁で、インド洋上で海自補給艦が米補給艦に給油した燃料の供与を受けた空母キティホークが翌日にペルシャ湾に入っていたことを認めたのに、民主党菅氏が空母がイラク作戦に従事したのではないかとただすと、イラク作戦への燃料転用を否定するということがあった。ペルシャ湾に入りながらすぐ近くのイラクへの作戦に従事していなかったという不自然さに多くの国民は「偽」を感じた。
同日、高村外相は自衛隊が給油した米軍などの艦船がアフガニスタンへの空爆やミサイル攻撃にも参加していたことを認める一方、新テロ特措法では「海上阻止行動にだけの補給をする」「(空爆やミサイル攻撃をする艦船への支援は)新法では許されない」と答弁した。
一方米国防総省は声明を発表し、油の使途をたどることは複雑な作業だとし、①海上自衛隊から提供された油は別のタンクに貯蔵されるわけではない②他の補給艦を経由した場合にはさらに複雑になる③(米海軍の)艦船は複数の任務を帯びることもある、と説明し、高村外相の言明が幻想にすぎないことを明らかにした。

最近でも共産党の井上氏が米軍に軍事掃討作戦の中止を求めるように迫ったのに対し、「空爆の被害、ましてや誤爆などあってはならない」と述べる一方、「ならば、米軍にどのような働きかけをしているのか」と迫られると、「当事者ではないわれわれが口を出すことではない」と答弁したという(しんぶん赤旗07年12/21)。要するに国際的要請だとかいいながら、事実上無条件で米軍などの艦船に給油をしながら、その米軍が何をしようと関係ないと言っていることになる。ここに米軍と一体となって作戦に従事しつつある自衛隊の最大の問題点があるのではないか。

朝鮮戦争からベトナム戦争、最近ではイラク戦争まで日本の米軍基地はアメリカが行う戦争の「浮沈空母」(昔中曽根元首相がこう言っていた!)として機能してきた。今国会では自衛隊のシビリアンコントロールが問題になったが、自衛隊がいったん米軍との共同作戦、米軍支援に踏み込んだ瞬間からシビリアンコントロールなどは画餅と化してしまう。

石破防衛相がシビリアンコントロールが機能していると言い張るのなら、5兆円の軍事費の最後の1円まで、日本の「防衛」のために機能していることを説明しろと言いたい。もちろん「米軍を信頼して」などの言葉なしにである。

このことで同じく昨年の出来事で印象的だったのは、
米海軍の原子力艦船が日本に寄港した際、軍事機密を理由に大気中の放射能の増加の有無を確認する空中モニタリング(監視)を五十メートル以内で行わないとの密約を日米両政府が結んでいたことが、国際問題研究者の新原昭治氏が米国で入手した米政府解禁文書で明らかになりました。
というしんぶん赤旗10/9の報道だ。この種の密約はいくつか明らかになっているが、驚いたのは日本政府と米軍とが日本国民からの反発をおそれて交渉していた経過が明らかになったことだ。解禁文書には密約がばれた場合に備え、日本政府が「日本の主権的権利を放棄したわけではない」と国民向けに見せかけることができるよう、周到な文言を追い求めたために、交渉が23ヶ月にも及んだということが書かれているという。

このような日米同盟の実態がわかってみれば、先の石破防衛相、高村外相などの発言もアメリカに追従する政府の実態を隠して、確信犯的に言い逃れていることが見えてくる。
新テロ特措法は昨日参院委員会で否決され、衆院で再議決される局面となっているが、問題はここで終わらない。さらに民主党を巻き込み恒久法づくりがねらわれているからだ。そうなれば、解釈改憲はさらに極まることになる。今年も言葉によるたたかいに微力ながら加わっていきたい。

「政治と言葉」と言えば、朝日新聞1/10付けで池沢夏樹氏が「コピーの文体を追い出せ」としてこの名のコラムを書いている。ここ何十年かの間に日本語の性格が大きく変わった、とし、新聞の広告、テレビのコマーシャル、街路に出れば無数の看板とポスター、商品に直接書かれた説明文、これらコピーがごく普通の日本人にとっての言葉になってしまっているという。
これが今のわれわれの言語生活である。ある程度の嘘を含み、大袈裟で、見た目には派手で魅力だけれど、しかし信用のならない言葉。
だとしたら、政治家の言葉に嘘が混じり、誇張が混じり、実態が変わるとさっさと撤回されるのも当然ではないか。
その典型が、「(2008年3月末までに)最後の一人まで年金記録をチェックし、正しく支払う」という去年の参院選の際の公約の撤回を巡る一連の発言だった。
・・・
ではどうすればよいか。
結局は、軽い商品的な言葉に対して、重みのある実質の言葉をぶつけていくしかない。それを重ねて政治家を教育するしかない。
・・・
国の責務の第一は国民の生活を保障することである。その場には「コピー」の文体が入り込む余地はないはずだ。幻想ではなく現実としての政治を奪還しなければならない。


テロ特措法に基づく給油活動はテロ拡散を防ぐものか

2007-10-10 18:51:12 | 戦争と平和
「(新)テロ特措法」が臨時国会の最大の焦点となっている。
福田首相は所信表明演説で、
テロ対策特別措置法に基づく支援活動は、テロリストの拡散を防ぐための国際社会の一致した行動であり、海上輸送に資源の多くを依存する我が国の国益に資するもので、日本が国際社会において果たすべき責任でもあります。
と述べ、給油活動の継続に全力を注ぐ決意を表明した。
テロ特措法延長問題は、安倍前首相の政権投げだしのきっかけにもなったもので、民主党の小沢党首の、「アメリカの始めた戦争への協力はできない」という発言に注目が集まり、当初はテロ特措法延長に反対する世論が大きくなっていた。
ところがその後、自民党の"マスコミジャック"ともいわれた総裁選のなかで自民党の発言への露出が高まり、風向きが少し変わってきたように思える。
読売の9月下旬の世論調査では、給油活動継続の賛否について、「賛成」が49%で、「反対」の37%を上回った、と言う。
しかし、その背景に重大なごまかしがあると思う。
自衛隊のインド洋での給油活動については、イラク戦争にも転用されているという疑惑が生じ、問題になっているが、そもそも給油活動が「不朽の自由作戦(OEF)」の一部としての「海上阻止活動」をもっぱら支援するものという説明がまかり通ってしまっているところに問題がある。イラク戦争転用問題を追及しているマスコミでも、基本的には「海上阻止活動」をやっているということへのつっこみがない。この説明が冒頭の所信表明にも言われている、「テロ拡散を防ぐ」とか「海上輸送」を守るなどの言い方と結びつき、あたかも給油活動が非軍事的な活動であるようなイメージが作られているのではないだろうか。だいたい、空母にも給油されているというのに、その空母の艦載機はアフガニスタンで行われている空爆には参加していないと考えるほうが無理がある。それでは実際のところどうなのか?

10月4日の国会質問で共産党の志位氏は、
 海上自衛隊が、米軍のアフガニスタンへの軍事活動を直接支援していることは、数々の米側の資料によっても裏付けられています。たとえば、米海軍は、二〇〇六年九月四日、アラビア海で米海軍の強襲揚陸艦「イオウジマ」が、海上自衛隊の補給艦「ましゅう」から給油を受けたこと、その後、九月二十一日までに「イオウジマ」から飛び立った攻撃機ハリアーが、アフガニスタン空爆のために百三十六回の攻撃飛行をおこなったことを明らかにしています。米側の資料です。総理、日本が提供した油が、子ども、女性、お年寄りなどアフガニスタンの民間人をも犠牲にしている空爆のために使われているという事実を認めますか(強調は筆者)。
と述べた。これに対して福田首相はまともに答弁しなかったが、反論できなかったということだろう。テロ特措法による給油活動はれっきとした軍事行動なのである。

ここで思い出すのはイラク戦争への自衛隊派遣に関する報道だ。自衛隊はサマワの復興支援と、今も続けられている安全確保支援活動としての航空自衛隊の輸送活動を行っていたが、サマワでの活動が続いていた時に、マスコミは必ず自衛隊派遣のまえに「人道復興支援をする」という枕詞をつけて報道していた。一方で自衛隊は米軍の物資などを輸送していたのにである。今、同様のことが起こっているのではないだろうか。

イラク特措法にしてもテロ特措法にしても、問題なのはアメリカの起こした戦争を支援する活動となっていることだ。そして、イラクにおいても、アフガニスタンにおいても、この間のテロ掃討作戦に多くの民間人が巻き込まれている。それがアフガンスタンにおいては人々をタリバン支持に走らせることになり、結果的にタリバンが復活していると言われている。自爆テロは増えており、テロはなくなったどころかますます拡散していることは日々の報道からも明らかだ。
自公政権などのごまかしに乗らず、戦争でテロはなくならないという事実を認識するところから出発しなければならない。

政権党による教科書書き換えを合理化する読売新聞社説

2007-10-05 01:54:54 | 戦争と平和
沖縄県民大会をうけ、文部科学省が集団自決の教科書検定見直しの検討に入ったと報じられている。こうした事態に対し、読売新聞の10/3付け社説は"沖縄集団自決 検定への不可解な政治介入"と批判している。
読売社説は
集団自決の際に軍の「強制」があったか否かが、必ずしも明らかではないことが検定意見の付いた理由だった。
と書いているが、検定前の教科書の記述は、集団自決を強制された住民もいた、というもので、すべてに軍命があったと書いているわけではない。軍命があったという証言の蓄積もあるなかで、「強制」を削除するというのは、悲惨な地上戦に傷ついた当時の住民や、彼らが話すのもいやであろう話を聞かされてきた多くの県民にとって、耐え難いこだったに違いない。

ところが社説は、町村官房長官などの「沖縄の皆さん方の気持ちを何らかの方法で受け止めて、訂正できるものかどうか」という発言をとらえ、
史実に基づいて執筆されるべき歴史教科書の内容が、「気持ち」への配慮や、国会対策などによって左右されることがあってはならない。
 時の政治状況によって教科書の内容、記述が変わるのであれば、中立公正であるべき教科書検定の制度が、その根底から揺らぐことにもなりかねない。
と指摘している。当然ながら教科書の記述は、学問的な蓄積と教育への配慮などを反映するべきもので、検定の是非はともかくとして、"「気持ち」への配慮や、国会対策などによって左右されることがあってはならない。"だろう。その意味では町村氏らのいいかたは適切でないところがある。うがった見方をすれば、沖縄県民などの世論に譲歩したという形を作って、落としどころとして、あいまいな記述をねらっているのではないか、とも言える。

しかし、順番は逆なのではないだろうか。
今回の検定意見の根拠の一つとされているのは「沖縄戦集団自決訴訟」と言われている。大江健三郎氏の書いた「沖縄ノート」で自決命令を出したとされている元隊長と遺族が軍命はなかったと主張しているものだが、裁判は継続中であり、日本軍の強制はあったという証言も現れており、この裁判を根拠とするのには無理がある。また、この裁判の支援には日本会議の議員や「新しい歴史教科書をつくる会」副会長などが名を連ねている。「つくる会」は日本軍の集団自決強制などの教科書記述を変えさせることを目標にしていた。
政府閣僚らは教科書の検定は審議会が判断することだから政治は口を出せないなどとよく言うが、実際には文科省の調査官が案を作成しているのでこちらのほうが影響力はおおきい。安倍前政権”靖国派”はこの調査官に「つくる会」系の学者を送り込んでいたのだ。この辺のところは「なごなぐ雑記」などにも書かれている。
こうした背景がわかってみれば、今回の沖縄県民の動きは、「美しい国」を掲げて日本のおこした戦争の醜さを否定しようとした安倍政権、”靖国派”の歴史の書き換えを許さないという強い意志を示したものと言えるだろう。

ブログの中には県民大会の11万人という数を"ねつ造"と言い、県内のバスの台数までその根拠にしているものがある。私に正しい人数をいうことはできないが、バスはピストン輸送したのであり、満員のバスに乗れずに会場に行けなかった人も多かった、という報道もあることは指摘しておきたい。
渡海文科省も、県民大会について「あらゆる党派、階層が参加したことは、従来と違ったものがある」と言わざるをえなかったように"島ぐるみ"の運動となったことをこそ見るべきだ。

日本の教科書の検定は、常に政権党の政治的圧力にゆがめられてきたが、読売新聞社説にたいしては、"中立公正であるべき教科書検定の制度"を名乗って政権党の教科書書き換えを合理化するのはやめてもらいたい、と言いたい。

沖縄県民大会での高校生代表の訴え(全文)

2007-10-02 00:08:08 | 戦争と平和

前回記事で紹介した教科書検定意見撤回を求める県民大会での高校生代表の訴え(全文)が「しんぶん赤旗」に掲載されていた。県民の10人に1人が参加したという県民大会にこめられた沖縄県民の意思が伝わってくる。
「沖縄戦での集団自決に日本軍の強制があったという記述は、沖縄戦の実態について誤解する恐れがある表現である」
 ある日の朝、私の目に飛び込んできたこの新聞記事。私は”誤解”という検定意見書の言葉に目を奪われました。この記述をなくそうとしている人たちは、私たちのおじぃ、おばぁたちが、うそをついていると言いたいのでしょうか。それとも、思い違いだったと言いたいのでしょうか。
 私たちは戦争を知りません。ですが、一緒に住む、おじぃ、おばぁたちから戦争の話を聞いたり、戦跡を巡ったりして沖縄戦について学んできました。おじぃ、おばぁたちは重い口を開き、苦しい過去を教えてくれました。死体の山を越え、誰が敵で誰が味方かわからなくなる恐さ、大事な人を目の前で失う悲しさ、そして悲惨な集団自決があったことを。
 なぜ沖縄戦で自ら命を絶ったり、肉親同士が命を奪い合うという残酷なことが起こったのでしょうか。
 住民は事前に「敵に捕まるくらいなら死を選べ」「米軍の捕虜になれば、男は戦車でひき殺され、女は乱暴され殺される」という教育や指示を受けていたといいます。さらに、手りゅう弾が配布されました。極限状態におかれた住民たちはどう感じたでしょうか。手りゅう弾を配った日本軍は明らかに自決を強制していると思います。
 私たちが住んでいる読谷村には、集団自決が起こった「チビチリガマ」があります。ガマの中は、窒息死をするために火を付けた布団の煙が充満し、死を求める住民が毒の入った注射器の前に列をなしました。母が我が子に手をかけたり、互いを刃物で刺し合い、八十人以上もの尊い命が奪われました。その中には年寄りから、まだ五歳にもならない子供までもが含まれていたのです。
 集団自決や教科書検定のことは私たち高校生の話題にも上がります。「教科書から集団自決の真相のことが消されるなんて考えられない」「たくさんの犠牲者が実際に出ているのに、どうしてそんなことをするのだろう」。私たちは集団自決に軍の関与があったということは、明らかな事実だと考えています。
 なぜ、戦後六十年以上を過ぎた今になって、記述内容を変える必要があるのでしょうか。実際にガマの中にいた人たちや、肉親を失った人たちの証言を、否定できるのでしょうか。
 私は将来、高校で日本史を教える教師になりたいと思い、勉強をしています。このまま検定意見が通れば、私が歴史を教える立場になったとき、教科書の記述通り事実ではないことを教えなかればいけません。分厚い教科書の中のたった一文、たった一言かもしれません。しかし、その中には失われた多くの尊い命があるのです。二度と戦争は繰り返してはいけないという沖縄県民の強い思いがあるのです。
 教科書から集団自決の本当の記述がなくなれば、次は日本軍による住民虐殺の記述まで消されてしまう心配があります。
 うそを真実といわないでください。私たちは真実を学びたい。そして、次の世代の子供たちに真実を伝えたいのです。教科書から軍の関与を消さないでください。あの醜い戦争を美化しないでほしい。たとえ醜くても真実を知りたい。学びたい、そして伝えたい。

旧日本軍の集団自決強制削除の教科書検定撤回を求める沖縄県民大会

2007-09-29 13:11:40 | 戦争と平和
今日沖縄では、太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた集団自決を巡り、旧日本軍の強制性を削除するよう求めた文部科学省の教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民大会が開かれる(毎日新聞報道)。

来年度から使われる高校歴史教科書の検定で、文科省が沖縄戦「集団自決」にかんして軍が関与したとする記述の削除・修正を求めた検定意見をつけた結果、すべての教科書が書き換えられ、日本軍による命令・強制・誘導があったことが教科書から消えた。
沖縄では検定意見の撤回を求める運動が超党派で盛り上がり、全県の議会から県民集会への参加が予定され、知事も県職員への参加を呼びかけた。県バス協会は県民大会への参加者のバス運賃を無料にすることが決められたという。なぜこのような県民ぐるみの運動がおこるのか。事実を歪曲するような動きが起こってくることへの怒りがそれだけ大きいのだと思う。貴重な武器である手榴弾が住民に配られたことや、軍がいなかった島では集団自決はなかったことなどからも、軍の関与があったことは間違いないと思う。それを、自らすすんで自決したとか、潔い最期だったなどと美化されたのではたまらないのだ。

このような形で全県の意志が示されることの意味は大きい。「本土」に住む私も、歴史の歪曲は許さないという意志を示しておきたい。

イラク戦争開戦4年に思う

2007-03-21 00:26:52 | 戦争と平和
アメリカが世界中の先制攻撃をするなの世論のなかイラクへの戦争を始めて4年が経った。このブログのきっかけとなったのもこの戦争に対する思いからだった。今日(3/20)の社説では朝日、毎日が扱っているのにたいし、読売、産経は触れていない。3/14付けの朝日では当時の社説を比較した記事をのせている。やはり朝日、毎日が開戦に反対の社説を掲げているのにたいし、読売、産経、日経は日米関係を最優先し、開戦を支持する社説を掲げていたのだ。そもそも現在の社会では戦争は認められていない。その上でほかの手段がとりようもない事態にやむを得ず武力を使用する可能性が認められているのであって、それも国連決議などが必要とされている。アメリカの開戦にたいして国連決議があったような言われ方もあるが、アメリカは国連決議を追求し、無理だということで単独の攻撃に出たのである。戦争を開始する正当性は決してなかったと言わなければならない。大量破壊兵器を使う脅威があったとされるが、国連の査察が続いており、それにたいしてイラクは協力をしており、あの時点で武力攻撃に出る必然性はなかった。大量破壊兵器が結果としてなかったことがわかったことは今や誰もが認める事実だ。

それにたいして、現在の日本政府、読売、産経などのマスコミが未だに当時の日本の選択肢は開戦支持しかなかったと語っているのには驚く。日米同盟を重視するからといってアメリカの戦争をすべて支持するのでは日本の外交は対米従属でいいといっているようなものだ。私はこの論理を会社内部の不祥事にたいして首脳部の意向を気にして外部に漏らさないようにする中間管理職の姑息さと同様のものを感じる。

今日イラクでは1日70人の人がテロなどでなくなっているという。そういう事態を作り出したのがこの戦争だということに対する想像力が欠如しているのだ。

そんな一方政府や読売、産経の主張にもかかわらず日本人の感性も決して曇らされていないと感じさせる世論調査結果があった。3/15朝日新聞のイラク戦争に関するものだ。

今の時点でアメリカがイラクと戦争をしたことは正しかったかという問いにたいして、正しかったが12%、誤りだったが75%。日本政府はブッシュ政権のイラク政策に対し、これまで通り協力を続けるべきか、という問いにたいして、協力を続けるべきが18%、見直すべきだが69%。政府は無理かもしれないが、読売、産経の論説委員はこの世論に学ぶべきだ。


外交の大義を投げ出す「核武装論」

2006-10-21 02:15:30 | 戦争と平和
政府、自民党首脳の核武装論が続いている。
北朝鮮の核実験にかんしては新たな情勢の展開があるが、やはりこの核武装論はあいまいにできない。

第一に、日本政府は北朝鮮の核実験が明らかになったときにそれへの態度表明の中で、いみじくも日本が唯一の被爆国であることを論拠にした。核武装論は政府の発言ではないものの、外務大臣、政調会長といった責任者の発言である。唯一の被爆国として核実験を批判しておきながら自国の核武装を論じるというのはまったく許されない論理だ。

第二に、新聞報道によれば、日本が核武装をちらつかせることで、それをもっともおそれる中国が北朝鮮にたいしてより大きな圧力をかけるだろうという憶測があるそうだ。これが本当なら、外交における大義をあからさまに投げ出す行為だと言われてもしょうがないだろう。

第三に、北朝鮮が核をもつなら日本も持つというのは、北朝鮮にとってのアメリカが威嚇するから防衛上北朝鮮も核をもつというのとなんら違いがないことになり、北朝鮮に核保有を思いとどまらせるという目的にたいして、最悪の行為となる。

実際に核をもつというのではなく議論をするのだなどと言っているが、議論としても最悪の議論だと思う。