怒りのブログ

社会批判を深める

高校生として身につけるべき教養という観点からどうなのか

2006-10-28 01:43:33 | 教育問題
今日の朝日新聞社説は、「必修漏れ 生徒にしわ寄せするな」として
世界史などの必修科目を生徒に履修させていなかった高校が、全国に広がっている。朝日新聞社の集計では、30余りの都道県で200校を超えた。
と書いている。
しかしそこで問題にしているのは、受験生の負担の大きさ、受験のためにルール無視、うその報告、他の高校の生徒たちはとの「不平等」といったことばかりで、これらの科目がなぜ高校の必修科目となっているのかという観点からの批判はない。読売社説では、「結果的に、生徒から他の科目を学ぶ機会を奪った。」とこの点への言及があるものの、歴史という科目の意義などを指摘しているわけではない。他の報道にしても似たようなものだ。しかしもっとも問題にしなければならないのは、教育の現場がうその報告をしてまで受験本意の教育に堕落してしまっていることなのではないだろうか。

私はいわゆる理系だったが、高校で日本史、世界史、地理、倫理・社会、政治・経済を学んで今では本当に良かったと思っている。近視眼的に生徒の関心事に答えることでないとしても、体系的に歴史などを学ぶことはその生徒の人生にとって大きな経験に違いないのだ。

一方必修漏れについてはもっぱら校長の責任が追求されているようだが、教育委員会は教育課程がどのように編成されているかについては気づいてもいなかったのだろうか。文部省は同じ教育指導要領にあるということでの日の丸・君が代の強制には熱心だ。東京都などはこれを根拠にして日の丸の掲揚のしかた、君が代の歌い方まで事細かに決めて強制している。必修漏れについては見て見ぬふりをしたのなら、その恣意性は明確だ。日の丸・君が代は尊重するが肝心の歴史は教えなくても問題ない、ということになってしまう。


「規制改革」で混乱を極める朝日新聞

2006-10-23 23:53:09 | 経済と庶民の生活
10/22付け朝日新聞の社説「規制改革 攻め方に工夫こらせ」は朝日新聞の「規制改革」あるいは「構造改革」に対する矛盾した立場をよく表している。
前半では
許認可などの権限を握り、新たな参入を制限するのが政府の規制だ。首相は「成長なくして財政再建なし」として、経済の拡大をめざしている。民間のビジネスを活発にするうえで、規制の見直しを進めるのは当然の選択だ。
と規制改革を肯定し、医療、教育、労働、農業において「消費者や労働者の安全や健康を守るといった社会的な理由から規制がかけられ」てきたことを述べながら、
こうした規制は、利益を手放したくない既存の業者や官僚、族議員が「隠れみの」にしていた例が少なくない。だからこそ抵抗の強さは、宮内氏に「厚い岩盤」と言わせるほどだった。
と規制緩和に反対する意見を「抵抗勢力」のように描くところは小泉政権の論理とそっくりだ。
そして後半では
規制を緩める一方で、民間企業の規律をどう保つか。競争が行き過ぎて国民に被害が出たときの安全網をどう整えるか。小泉政権の末期には、こうした課題も浮かび上がった。
 多様な労働の形を実現しようとする規制緩和で、企業に非正社員が増え、雇用が不安定になるという副作用が広がったのはその一例だ。
と、その結果生じた"格差"等については"副作用"と言い張っている。

しかし、「利益を手放したくない既存の業者や官僚、族議員が「隠れみの」にしていた例」などといっても具体的に述べられている訳ではなく、「副作用」というときにその本来の「効き目」と「副作用」との関係が説明されている訳でもない。「副作用」を考慮した「多様な労働の形」などを説明して初めてこのような言い方ができるのではないだろうか。
朝日新聞は偽装請負の追求など「副作用」の告発には積極的だが、偽装請負などの犯罪行為を経団連会長企業までが行ってバブル期以上の好成績を挙げている時に、「民間のビジネスを活発にするうえで、規制の見直しを進めるのは当然の選択」と言い放ち、大企業の空前の利益の一方での労働者の状態悪化との関係を追求しないのでは、自己矛盾に陥るしかないのではないだろうか。

外交の大義を投げ出す「核武装論」

2006-10-21 02:15:30 | 戦争と平和
政府、自民党首脳の核武装論が続いている。
北朝鮮の核実験にかんしては新たな情勢の展開があるが、やはりこの核武装論はあいまいにできない。

第一に、日本政府は北朝鮮の核実験が明らかになったときにそれへの態度表明の中で、いみじくも日本が唯一の被爆国であることを論拠にした。核武装論は政府の発言ではないものの、外務大臣、政調会長といった責任者の発言である。唯一の被爆国として核実験を批判しておきながら自国の核武装を論じるというのはまったく許されない論理だ。

第二に、新聞報道によれば、日本が核武装をちらつかせることで、それをもっともおそれる中国が北朝鮮にたいしてより大きな圧力をかけるだろうという憶測があるそうだ。これが本当なら、外交における大義をあからさまに投げ出す行為だと言われてもしょうがないだろう。

第三に、北朝鮮が核をもつなら日本も持つというのは、北朝鮮にとってのアメリカが威嚇するから防衛上北朝鮮も核をもつというのとなんら違いがないことになり、北朝鮮に核保有を思いとどまらせるという目的にたいして、最悪の行為となる。

実際に核をもつというのではなく議論をするのだなどと言っているが、議論としても最悪の議論だと思う。

イラク戦争による"過剰死亡"65万人

2006-10-18 01:27:15 | 戦争と平和
「内申書制度の廃止を求めます」より「イラク戦争イラク人死者65万5000人」という記事のトラックバックをいただきました。気になっていた記事なので私も書いておきたいと思います。メールの転送として紹介して頂きましたが、朝日新聞10/12付け夕刊にも掲載されていました。この数字は米ジョンズ・ホプキンス大教授らのグループが調査したもので、イラク国内の12,000人を対象に面接調査したもの。朝日の記事では
その結果を統計処理して推計した死亡率は、年間千人あたりで、イラク戦争前は5.5人だったのが、今年7月の時点で13.3人だった。イラク全体にあてはめると、戦争がなかった時点よりも65万5千人多い死者が出たという勘定になるという。
と紹介しています。
この方法はロンドンスモッグ公害で、スモッグによりどれだけよけいに死んでいるかということを推計したのと同様で、直接米軍などに殺されただけでなく戦争をきっかけにしてけがや病気でなくなった人なども含まれているのが特徴です。公害などではこういう統計を"過剰死亡"と呼んでおり、客観的な方法です。記事はさらに、
米英軍・駐留部隊の空爆などを受けて死亡した人は、06年に入り全体の中の比率は下がっているが、実数は伸びているという。以前からの反米闘争に加え、イラク人同士の宗派間対立による暴力がそれを上回る泥沼を作り出している現状を裏付ける数字となっている。
と書いています。
もちろんこの泥沼もイラク戦争が種をまいたものであり、イラク戦争がなければ死ななかった人がこんなにも多く亡くなっているというのは驚くべきことです。ブッシュ大統領は、大量破壊兵器とかアルカイダとの関係など、戦争の口実が否定され、最近では「対テロ戦争」を強調しているようですが、正常な理性なら、対テロ戦争のためにそれとは関係ない市民を殺したり、宗派間対立の引き金を引いてしまったりすることがとんでもない犯罪であると考えるでしょう。毎日のようにイラクでのテロや爆撃のことが報道され、この事態に慣れてしまいがちですが、想像力の欠如に陥ってはならないのだと思います。

規制緩和・民間開放推進会議専門委員のあけすけな立場

2006-10-17 01:23:15 | 経済と庶民の生活
10月13日の朝日新聞オピニオン欄は「偽装請負、対策どうする」として三者の意見を掲載している。あけすけに使用者側の立場に立って論じているのは政府の規制改革・民間開放推進会議の専門委員の小嶌典明氏。労働法学者ということになっている。小嶌氏は
売れ筋商品でも突然売れなくなる時代に変わり、正社員だけで生産変動に対応することは難しい。
とはじめから企業の都合を中心に考え、
経済が低迷して新規採用の抑制が続く中、請負業者が雇用の受け皿になった面もある。
・・・企業が人件費に使える財源には限界がある。偽装請負を悪者扱いしても、正社員の雇用が急に増えるわけではない。
と、大企業が、正社員を減らしてコストの低い派遣さらに請負にとシフトしてきた結果、バブル期以上の好成績をあげているのをあべこべに描いている。また、
派遣の場合、メーカ側が指揮命令するため、派遣会社は労働者を送り出すだけで、いつまでたっても技術を蓄積できない。請負では、指揮命令を含む労務管理の大半は請負会社が現場の責任者を通じて行う。技術力や生産性を高めれば、製造の専門業者への道も開ける。
などと楽観的なことを言っているが、それができないから逆にメーカが請負会社に出向するなどという姑息なことをやって、あくまでコストを下げているのではないか。さらに、
請負労働者の処遇改善のためにも、技術水準や生産性を高めるような規制緩和が必要
などと言っているが、この間いろいろな形で規制緩和がされてきた結果労働者の処遇が悪くなっている現実をどう見ているのだろう。彼の立論のなかには請負労働者が賃上げもなく年収200万そこそこの状態で生活しているということへの視線が欠けているのだ。そして最後の極めつけが、
偽装請負は、正社員の雇用を維持するための緩衝材の役割も果たしてきた・・・正社員の既得権を見直さないと、若年労働者の問題は解決できない
という暴言だ。またしても既得権。それも非正規雇用の状態悪化が問題になっているのを正規雇用の責任にしようとしているのだ!こんな理屈で政府の労働政策を作られたらたまったものではない。このような学者を専門委員に据える政府も問題だが、それならば「構造改革」そのものに同意できないという声を上げていかなければならない。

北朝鮮の核実験にたいして-読売新聞の暴論-

2006-10-13 22:43:24 | 戦争と平和
北朝鮮の核実験という事態にたいして、読売新聞の社説が暴論を続けている。
11日付け社説では
将来的な核保有の「研究」が必要だ、という論議もある。中曽根元首相が主宰する世界平和研究所は9月に、「将来の国際社会の大変動に備え、核問題の検討を行っておく」よう提言している。
 無論、核保有が早期に現実の課題になるとは考えにくい。だが、北朝鮮の核武装はまさに、「国際社会の大変動」ではないか。感情的な核アレルギーのために現実的な対応ができず、日本の存立を危うくすることがあってはなるまい。
と書き、
今日の社説「[北朝鮮制裁]『危機』の先行きに必要な法整備」では、安倍首相の「主張する外交」をけしかけ、
 国連決議に基づいて、各国が臨検に参加する中、北朝鮮の核武装という直接の危機を前に、日本が何もしない、できない、というのでは、国際社会が本気で日本を支援するはずがない。
と"一歩踏み出す"ことを迫っている。
しかし、今もっとも重要なのは国際社会が結束して北朝鮮の核実験を許さないという姿勢を示すことだろう。制裁に踏み出すにしても、中国なども含めて同意できることを一糸乱れずに行うことがもっとも効果的と思われる。
それをこことぞばかり、法整備にはしった議論や核武装まで持ち出すというのでは、北朝鮮の核実験をやめさせるよりも日本がアメリカと一緒になって軍事的な行動をすることを優先しているとしか考えられない。
全国紙は安全保障問題になるとどこも日米同盟が重要と書くが、読売は日本独自の行動を主張することで突出している。こうした議論を当たり前のものにしないために、いろいろな場で発言していかなければならないと思う。


北朝鮮の核実験

2006-10-11 00:06:32 | 戦争と平和
北朝鮮が核実験を実施してから一般新聞は今日の夕刊が最初のものだったから日本での報道を知るものとしては購読している朝日新聞しか見ていないのだが、そこで書かれている内容から大変ショックを受けた。

核兵器が世界で果たしている役割を考えるのは難しい。核兵器の抑止力で世界の平和が保たれているという迷信を信じる気はないが、核兵器がその世界への登場からして日本の「戦争を終わらせるために必要だった」という考え方は一定の影響力を持っている。日本の学会ではソ連の日本への開戦が日本の降伏に決定的だったという説と論争が行われているそうだ*1)。ヤルタ会談でソ連の参戦日程が決められていたこと、アメリカが戦後の主導権を握るためにソ連の参戦予定日に先んじて原爆を日本に落としたのだというのは否定できないところだろう。*2)

 *1)文藝春秋9月号 保阪正康連続対談「南京と原爆 戦争犯罪とは」など
 *2)西島有厚「原爆はなぜ投下されたか」(青木文庫)など

戦後の核軍拡競争から核廃絶の世界の世論を背景に、米ソ冷戦の時代と核不拡散条約によって、限られた国だけが核兵器を持ち、それ以外の国への核兵器の拡散を許さないという考え方が国連の立場ともなってきた。
そこから今回の北朝鮮の核実験も重大なことなのである。もっともそこまで行かなくても、南北朝鮮の間での非核の合意、6カ国協議の合意、日朝平壌宣言の合意等に反するものとして糾弾すべきことであるのは言うまでもない。
それでは北朝鮮はなぜ核実験を強行したのか。
アメリカを二国間協議に引きずり出す、イラクがやられたのは核兵器を持っていなかったから、などということが言われている。そして朝日新聞は、
北朝鮮は「核保有国」という新たな立場から、より大きな見返りをつかもうとする無謀なかけを仕掛けるだろう。東アジアの戦略環境は危うい方向に変わり、世界規模の核不拡散体制も大きく揺らぐことになる。・・・対話機構としての6者協議が崩壊した
と書いている。私がショックを受けたというのは、このように核兵器を持つことが大きな力を持つ、と当たり前のように語れるていることだった。
北朝鮮が6者協議に応じてきたのは核兵器開発の時間稼ぎだったという指摘がある。そう考えると核不拡散条約の体制というのは果たしてどれだけの意味を持つのだろうか。そういえばもう一つ朝日の記事で気になったものがある。9日付の日中首脳会談の解説記事の中で、共同文書に「戦略互恵関係の構築」という目標が掲げられたことについて、
中国は米ロ両大国とは世界的問題に対処する「戦略的関係」を強調する一方、日本とは2国間中心の「友好協力関係」にとどめてきた。「戦略関係は核保有国との間だけだ」という中国高官もいたほどだ。
と書いていた。これらの考え方がどれだけ世界の現実を反映しているかはわからない。しかし、核兵器を保持していることがそれだけの影響力を持っているとするなら、北朝鮮が持つことを予想しないほうがおかしいというものだ。
限られた国が大量の核兵器を保持し、その脅迫で国際社会が成り立っているなどということを仮にも考えると、吐き気を催す。

しかしながら、核不拡散体制のもとで実際に核不拡散が行われているとしたら、それを否定するわけにもいかない。問題はこの体制が語られるときに必ずセットとして提示されなければならない"核廃絶"という目標がセットになっていないことなのだと思う。繰り返しになるが、核不拡散条約の体制は"核廃絶"とセットになって初めて意味を持つのだと思う。それでなければイラン、北朝鮮なども「核兵器を持っている国からいくら言われても」という言い方ができてしまうし、結局は疑心暗鬼の状態になり、6者協議などもその信頼関係は危ういものになってしまう。日本政府にしても、こんなときばかり「唯一の被爆国として」といってみても説得力はない。
それだけに、決め手となるのは世界中の、とりわけそれこそ被爆国としての日本の核廃絶の世論であることは間違いない。

安倍内閣の矛盾(続)

2006-10-08 12:54:03 | 安倍内閣
朝日新聞は6日付けで「村山首相・河野長官談話 首相、個人でも踏襲」という記事を掲げ、7日の社説「ちょっぴり安心した」では
アジア諸国への「植民地支配と侵略」を謝罪した村山首相談話や、従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた河野官房長官談話については、安倍政権でも「受け継ぐ」とはっきりさせた。
 政府としての立場と首相個人の見解とは別と受け取れるような言い回しもあったが、「私も含めて」と答え、そこのところを明確にしたのは前進だ。
と書いている。本当にそんなに安心して良いのか。
歴史認識をめぐる安倍首相と民主党の菅直人代表代行のやりとりでは、
いわゆる従軍慰安婦の募集などに国の関与などについての言及がある。現在の政府としても受け継がれている。・・・私は内閣総理大臣ですから、私を含めて政府として受け継いでいる。
と語っているというのがその根拠だが、果たしてこれで前進といえるのだろうか。聞いていると"従軍慰安婦"とか"A級戦犯"といって言葉の前には必ず"いわゆる"という言葉を付け、その言葉の意味することをそのまま受け取っているわけではないことを主張し、「私は総理大臣ですから」とか「私も含めて政府」という言葉には認めているのはあくまで政府であり、自分自身がこれらの言葉を認めているわけではない、というニュアンスを残している。私にはあいまい戦術を貫いていると思える。

「あいまい戦術」は政府内部でも明確に語られている。
同じく7日の記事の中では7/30頃、中川秀直幹事長(当時政調会長)が
靖国参拝をやめれば支持層の反発を買い、参拝すれば中韓との関係改善は遠のく。安倍氏の周辺はこの矛盾を解決するため「あいまい戦術」をとるよう進言していた
と紹介している。
安倍首相はブレーンが協議した"ここまではよいがここからはだめ"という範囲内で答弁しているのであって、菅氏の質問などはいわば想定内なのだ。

問題は中国・韓国訪問によってもこの戦術を貫けるかどうかだ。
しかし今回の訪問では中国は靖国問題を追及するつもりはないという。そして新首相は在任中靖国神社を訪問しないと信ずるという、いわば期待を込めている。
そこで思い出されるのは小泉首相が最後に中国首脳と会談した際に、靖国神社に代わる追悼施設を検討する、と「約束」していることだ。どうやらこれを「約束」ととらえたのは中国側で小泉首相はその場しのぎであったというのが真相のようだが。この辺のことをあとから報道している記事をGK68's Redpepperで紹介されている。

もともと安倍氏は過去の日本の戦争について「日本の自存自衛とアジアの平和」のための戦争だという歴史観を主張する組織の事務局長代理まで務めていた(6日共産党志位氏の質問)人である。
結局どんな戦術をとろうと、問題の先延ばしはできても、安倍氏自身の「靖国史観」と中国、韓国などアジアの国々、国際社会、そして日本国民との矛盾を解消することはできない。安倍内閣の矛盾は続く。

安倍内閣の矛盾

2006-10-04 02:31:33 | 安倍内閣
安倍内閣が誕生して所信表明演説、各党代表質問などが始まっているが、安倍首相は
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
と述べた1995に政府が公式に表明した「村山談話」について「政府の立場」だと言いつつ、相変わらず自分自身の歴史認識については「政治家はそのような問題への発言は謙虚でなければならない」という言い方で逃げている。苦し紛れの答弁のむこうには安倍晋三というよりはそのバックで毎日作戦会議をやっているであろうブレーンの顔が浮かんでくる。

この立場は安倍首相のもっとも基本的な立場となるだろうが、それを貫き通せるのだろうか?そこにこの内閣の存続がかかっているような気がする。

安倍首相の本音は、靖国神社の遊就館と同様、戦前と戦後を連続したものとしてとらえるものだ。そのことは彼の「美しい国へ」を読んでもわかる。戦前のことを書いていたかと思うと、いつの間にか戦後のことを書いていたりする。彼には終戦によって政治体制が根本的に変わったという認識がないのだ。
私は彼の「美しい国」とは、別のサイトでも書いたように、まず、いわゆる「自虐史観」に対抗するものとして言っているのだと思う。そこには"開国以来の日本が歩んできた苦難の歴史には一点のくもりもない"と統制教育によって子供たちに刷り込みたいという野望が含まれているように思う。
そしてこの立場は安倍晋三1人の立場ではなく、彼を支えるブレーンは言わずもがな、自民党内の彼を押し出した勢力、北朝鮮にたいする「勇壮な」ふるまいで人気を引き寄せた人々の支持がかかっているのだからゆるがせにできない。
しかしそれは「村山談話」の立場とは真っ向から対立する。

一方小泉改革で部分的に壊れた自民党だが、一部の組織の利益を誘導できなくなったものの、財界の意向をより直接的に受けて新自由主義的「構造改革」を突き進む自公政権としては、最大の貿易相手国、中国との関係は最重要課題である。その中国は政治的に良好な関係の土台として靖国問題をとらえている。

また彼が憎悪をむき出しにする「自虐史観」は、基本的には悲惨な世界大戦を繰り返してはならないという立場から、日本の政府の誤りを反省するものであり、それは世界の普遍的な立場でもある。米国からの歴史認識にたいする批判が押さえきれなくなったように、今後国連の常任理事国となって「誇りの持てる国」をめざそうとすれば、彼の本来の立場は、世界中の世論とぶつからざるを得ない。

しかし最終的にはこれらの矛盾は有権者である国民に問われてくる。彼にとっての「美しい国」を作らせないためには私たち国民がNOを突きつけなければならない。