今日の朝日新聞社説は、「必修漏れ 生徒にしわ寄せするな」として
しかしそこで問題にしているのは、受験生の負担の大きさ、受験のためにルール無視、うその報告、他の高校の生徒たちはとの「不平等」といったことばかりで、これらの科目がなぜ高校の必修科目となっているのかという観点からの批判はない。読売社説では、「結果的に、生徒から他の科目を学ぶ機会を奪った。」とこの点への言及があるものの、歴史という科目の意義などを指摘しているわけではない。他の報道にしても似たようなものだ。しかしもっとも問題にしなければならないのは、教育の現場がうその報告をしてまで受験本意の教育に堕落してしまっていることなのではないだろうか。
私はいわゆる理系だったが、高校で日本史、世界史、地理、倫理・社会、政治・経済を学んで今では本当に良かったと思っている。近視眼的に生徒の関心事に答えることでないとしても、体系的に歴史などを学ぶことはその生徒の人生にとって大きな経験に違いないのだ。
一方必修漏れについてはもっぱら校長の責任が追求されているようだが、教育委員会は教育課程がどのように編成されているかについては気づいてもいなかったのだろうか。文部省は同じ教育指導要領にあるということでの日の丸・君が代の強制には熱心だ。東京都などはこれを根拠にして日の丸の掲揚のしかた、君が代の歌い方まで事細かに決めて強制している。必修漏れについては見て見ぬふりをしたのなら、その恣意性は明確だ。日の丸・君が代は尊重するが肝心の歴史は教えなくても問題ない、ということになってしまう。
世界史などの必修科目を生徒に履修させていなかった高校が、全国に広がっている。朝日新聞社の集計では、30余りの都道県で200校を超えた。と書いている。
しかしそこで問題にしているのは、受験生の負担の大きさ、受験のためにルール無視、うその報告、他の高校の生徒たちはとの「不平等」といったことばかりで、これらの科目がなぜ高校の必修科目となっているのかという観点からの批判はない。読売社説では、「結果的に、生徒から他の科目を学ぶ機会を奪った。」とこの点への言及があるものの、歴史という科目の意義などを指摘しているわけではない。他の報道にしても似たようなものだ。しかしもっとも問題にしなければならないのは、教育の現場がうその報告をしてまで受験本意の教育に堕落してしまっていることなのではないだろうか。
私はいわゆる理系だったが、高校で日本史、世界史、地理、倫理・社会、政治・経済を学んで今では本当に良かったと思っている。近視眼的に生徒の関心事に答えることでないとしても、体系的に歴史などを学ぶことはその生徒の人生にとって大きな経験に違いないのだ。
一方必修漏れについてはもっぱら校長の責任が追求されているようだが、教育委員会は教育課程がどのように編成されているかについては気づいてもいなかったのだろうか。文部省は同じ教育指導要領にあるということでの日の丸・君が代の強制には熱心だ。東京都などはこれを根拠にして日の丸の掲揚のしかた、君が代の歌い方まで事細かに決めて強制している。必修漏れについては見て見ぬふりをしたのなら、その恣意性は明確だ。日の丸・君が代は尊重するが肝心の歴史は教えなくても問題ない、ということになってしまう。