赤城山ファン(旧)

ぶらり散策
赤城山の山頂・湖畔・裾野エリア・わ鐵沿線・上電沿線
(散策備忘録&アルバム)

メモ 赤城山鋼索鉄道

2023-06-25 |  ①利平茶屋森林公園
★旧赤城山鋼索鉄道赤城山頂駅駅舎及びプラットホーム
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桐生市hp
東武鉄道は、昭和32年(1957)に赤城山観光の充実のため、赤城山鋼索鉄道を開通させ、首都圏と赤城山を結ぶ交通網を完成させた。これにより、赤城山への観光客は大幅に増大し赤城大沼を中心とした一帯は大変な賑わいをみせた。しかしその後のモータリゼーションの普及にともなう、前橋・赤城山頂間の道路改良の進展により赤城山鋼索鉄道の利用者は急激に減少し、開業から僅か10年余りの昭和43年(1968)に、幕を閉じることとなった。

旧赤城山頂駅は、昭和58年(1983)に個人が借り受けレストランとして開業し、その後駅舎の買い取りをして増改築を行いながら事業を営んできた。平成14年(2002)には、個人所有から有限会社大沼山荘に経営を移し現在に至っている。

駅舎部分は鉄筋コンクリート造2階、地下1階である。待合室と事務所部分の間仕切と天井を撤去し屋根の下地が現しになっている。天井高は約6メートルあり、天窓を設け明るい大空間の食事場所となっている。展示スペースは、旧事務室の壁と旧宿直室で、間仕切と仕上げが撤去され、旧赤城山鋼索鉄道関係の解説や資料が展示されている。地下は動力室であったが現在は倉庫となっている。

プラットホームは、鉄筋コンクリート造で地形に合わせているため急勾配の階段となっている。

メモ 赤城山鋼索鉄道

2023-06-25 |  ①利平茶屋森林公園
★赤城登山鉄道(1)
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赤城山を登るケーブルカーで、東武鉄道が手がけていた赤城山観光開発の一環として1957年に開通した。東武鉄道では前橋 - 赤城大洞 - 赤城山頂 - 桐生間の赤城山回遊ルートの開発を図ったが、山の東側の利平茶屋と赤城山頂の間は急峻な地形であり道路が建設できないため、ケーブルカーで連絡することとした。

開業後、東武鉄道では新大間々駅を赤城駅に改称し、浅草駅 - 赤城駅間に直通急行列車の運行を開始し、前橋駅・中央前橋駅 - 赤城大洞 - 赤城山頂間と桐生駅 - 赤城駅 - 水沼駅 - 利平茶屋間に路線バスの運行を開始している。このほか、赤城駅から上毛電気鉄道上毛線に乗り入れる急行「じょうもう」も運行されていた(1963年に廃止)。

しかし、前橋 - 赤城山頂間の道路の改良が進んだのに対し、桐生 - 利平茶屋間の道路が悪路のままであったのと、浅草 - 赤城間直通急行列車の所要時間が国鉄急行列車の上野 - 前橋間に比べ長かったため、観光客は前橋からの往復利用が主流となり、赤城山東側を通る利用者は減少した。そのため当路線も利用者が減少し、1967年11月5日に休止、翌1968年6月1日に廃止され、ケーブルカーは開業からわずか10年という短い歴史の幕を閉じた。

★赤城登山鉄道(2)
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赤城登山鉄道ではケーブルカーのほか、赤城大洞 - 赤城平間にリフト(1958年1月10日開業)を、赤城平 - 地蔵峠間にロープウェイ(赤城山ロープウェイ、1957年7月27日開業)を保有していた。これらは黒字を維持していたため、ケーブルカー廃止後も引き続き運行された。赤城登山鉄道はケーブルカー廃止後、社名を赤城山ロープウェイに改めたが、1979年10月1日に東武興業に吸収され解散。残っていたリフト・ロープウェイも、1998年に廃止された。

赤城山頂駅跡に開業したサントリービア・バーベキューホール
現在、赤城山頂駅の駅舎は「サントリー・ビア・バーベキューホール」と土産物店に改装されている。館内にはケーブルカーの史料が展示されているほか、ホームの跡も残されている。一方の利平茶屋駅は、桐生市営の利平茶屋森林公園の中にホーム跡が残るのみである。