2009年以来、今回訪問2016年7月の間に、遺跡の入口に立つ凱旋門が完全に修復されており、
その威風堂々とした構えは、訪れる人を、一瞬の内にしてローマ時代へと引戻します。
遺跡の中も立入禁止措置の塀が設置されて、徐々に修復作業が進められていました。
又、お土産店や駐車場等の、かなりの部分の遺跡以外の施設も整備されていました。
・・・・・
ジェラシュは紀元後(AD)1世紀~2世紀にかけて造られた建造物で、AD8世紀に大地震に見舞われ、遺跡の東側半分は瓦礫に埋もれて、現存する遺跡は西側半分のものです。
現在、東側は市街地化が進み建物が所狭しと存在しています。
北が上方部で中央の道路(紫色)を挟んで西側が遺跡で東側(茶色)が市街地。
19世紀にドイツ人観光客が発見し、20世紀から発掘・修復作業が進められています。
建物や幹線道路脇等の柱、梁は地震後の姿のままで、ローマ時代当時の面影を偲ばせています。
その状態を見ると、今にも倒壊しそうで、日本では立入禁止の処置が取られますが、大半の観光客はガイドに先導されて眼前まで連れて行かれます。何か訳があるのでしょう? 訳があるのです。
・・・・・
2009年時(before)修復中のハドリアヌス皇帝の凱旋門
2016年時(after)同上の修復後。 石段や手すり等も整備された。
・・・・・
ヨルダンは高速道路や一般道路が整備されておりアンマンからは約1時間でジェラシュに到着します。
ゆえに高速道路を跨ぐ為の、このようなトラス形式(部材を三角形にした構造体)の陸橋が数多く設置されています。通常は中央分離帯を跨ぐのでこの形式になります。ここは路面横断でも良いのではと思いますが、何か訳があるのでしょう?訳があるのです。
遺跡の入口のお土産品店。ここを通り抜けるとチケット売り場があります。ペトラ遺跡の売り場からすると、こじんまりしていますので通り過ぎる可能性があります。
チケット売り場を出たらハドリアヌス凱旋門のアクセスです。左側に戦車・競馬場があります。この石段、手すりや身障者用の斜路等も整備されました。
上記の大写し。
戦車・競馬場 (古代ローマの人が乗った戦車を数頭の馬で引く競技で相手の戦車をぶつけて倒すこともできます。チャールストン・ヘストン主演の「ベンハー」と言う映画で出てきます)左側が凱旋門です。
2009年のもの。凱旋門背面は全面に修復用の足場が組まれている。
ここが貴賓席です。今でいうロイヤル・ボックスでしょうか。
一周、約600mあります。直線の長さ約250mで幅約60mです。この場所がほぼフラットになっていますので競馬場になったものと考えます。
凱旋門から南門までのアクセス道路。南門からが見学コースでGATEが設置されています。
南門。右側にチケットのモギリがいます。その奥にビジターズセンターがあります。写真を撮ってる場所の左側にレストランがあります。
ゼウス神殿への遊歩道です。この突き当りに楕円形のフォラムと呼ばれる公共広場があり、その東南方向にゼウス神殿があります。
楕円形のフォラム。中央の円柱は毎年開催されるジェラシュ祭りの聖火台で近年、造られたもの。
外周の円柱はイオニア式建築様式で56本残存しています。円柱をつなぐ横石(アーキトレーブ)も残存しています。ここが当時は市場や商店になっていたそうです。
同上、2009年のもの。床タイルもきれいです。経年劣化に加え観光客の増加が劣化に拍車をかけています。
現存するAD1世紀に造られたゼウス神殿。
地震の後が生々しい。フォラムの入口から見る。
アカンサスの葉模様のコリント式建築様式。
フォラムの東側=地形的には北側から見る。
ゼウス神殿からフォラム及びそれに繋がる約800mの幹線道路(カルド・マキシム)を見る。幹線道路を交差する南北の2本の道路はそれぞれ南道および北道と呼ばれています。
2009年のもの。遠景では然程 変わっていません。
同上。奥に見えてる門は北道に立つ四面門で、この先に北門がある。手前の幹線道路の左半分だけ列柱が残っているのが南道。
同上、四面門。
列柱が残存する南道東側部と左奥の遥か遠くにアルタミス神殿を見る。
上記、南道東側から西側を見る。列柱をつなぐ横石(アーキトレーブ)は倒壊しています。西側は現代は市街化して、その下に遺跡が眠っています。ゆえにジェラシュは中東のポンペイと言われています。
ディオニュソス神殿跡で後の大聖堂。
アルテミス神殿遠景
アルテミス神殿
同上、礼拝場、2009年の状態。
同上、2016年
同上2016年。中央の落下しそうな石が持ち上げられたようだし、アーチ上面が欠損したように見える。
同上2009年のもの。
アルテミス神殿の中庭、円柱も大半が倒壊している。
アカンサスの葉模様
ダルマ落とし状態の円柱
同上
幹線道路からアルテミス神殿へと続く大階段
ここが幹線道路からアルテミス神殿への入口。途中の階段は修復中。
同上2009年のもの。
北道の四面門。奥が北門。
同上
同上2009年のもの。
四面門から北門を見る。
四面門の北道東側(市街地)西浴場の跡地を見る。
四面門の北道西側を見る。
四面門から南側のフォラムを見る。幹線道路の列柱の被害は大きい。
アルテミス神殿の入口と大聖堂入口の間に位置するニンファエウム。
上記2009年のもの。
南道の西側。
南道から東側市街地を見る。
南道全体2009年のもの。上記2枚の南道の東西の写真。
南道から幹線道路北側を見る。東側にパイプの柵が設置された。2009年にあった黒色のゴミ箱が撤去されている。
同上2009年のもの。
同上
幹線道路からフォラムとゼウス神殿を見る。
同上
幹線道路から市場を見る。円柱の上部は全壊。
フォラム(公共広場)
中東西部に於いてはこのアザミの花ととオリーブの木をよく目にします。
それもそのはずコリント式建築様式のアカンサスは葉アザミです。
嗚呼!! 🎵夏草や兵どもの夢のあと🎵?
その威風堂々とした構えは、訪れる人を、一瞬の内にしてローマ時代へと引戻します。
遺跡の中も立入禁止措置の塀が設置されて、徐々に修復作業が進められていました。
又、お土産店や駐車場等の、かなりの部分の遺跡以外の施設も整備されていました。
・・・・・
ジェラシュは紀元後(AD)1世紀~2世紀にかけて造られた建造物で、AD8世紀に大地震に見舞われ、遺跡の東側半分は瓦礫に埋もれて、現存する遺跡は西側半分のものです。
現在、東側は市街地化が進み建物が所狭しと存在しています。
北が上方部で中央の道路(紫色)を挟んで西側が遺跡で東側(茶色)が市街地。
19世紀にドイツ人観光客が発見し、20世紀から発掘・修復作業が進められています。
建物や幹線道路脇等の柱、梁は地震後の姿のままで、ローマ時代当時の面影を偲ばせています。
その状態を見ると、今にも倒壊しそうで、日本では立入禁止の処置が取られますが、大半の観光客はガイドに先導されて眼前まで連れて行かれます。何か訳があるのでしょう? 訳があるのです。
・・・・・
2009年時(before)修復中のハドリアヌス皇帝の凱旋門
2016年時(after)同上の修復後。 石段や手すり等も整備された。
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ヨルダンは高速道路や一般道路が整備されておりアンマンからは約1時間でジェラシュに到着します。
ゆえに高速道路を跨ぐ為の、このようなトラス形式(部材を三角形にした構造体)の陸橋が数多く設置されています。通常は中央分離帯を跨ぐのでこの形式になります。ここは路面横断でも良いのではと思いますが、何か訳があるのでしょう?訳があるのです。
遺跡の入口のお土産品店。ここを通り抜けるとチケット売り場があります。ペトラ遺跡の売り場からすると、こじんまりしていますので通り過ぎる可能性があります。
チケット売り場を出たらハドリアヌス凱旋門のアクセスです。左側に戦車・競馬場があります。この石段、手すりや身障者用の斜路等も整備されました。
上記の大写し。
戦車・競馬場 (古代ローマの人が乗った戦車を数頭の馬で引く競技で相手の戦車をぶつけて倒すこともできます。チャールストン・ヘストン主演の「ベンハー」と言う映画で出てきます)左側が凱旋門です。
2009年のもの。凱旋門背面は全面に修復用の足場が組まれている。
ここが貴賓席です。今でいうロイヤル・ボックスでしょうか。
一周、約600mあります。直線の長さ約250mで幅約60mです。この場所がほぼフラットになっていますので競馬場になったものと考えます。
凱旋門から南門までのアクセス道路。南門からが見学コースでGATEが設置されています。
南門。右側にチケットのモギリがいます。その奥にビジターズセンターがあります。写真を撮ってる場所の左側にレストランがあります。
ゼウス神殿への遊歩道です。この突き当りに楕円形のフォラムと呼ばれる公共広場があり、その東南方向にゼウス神殿があります。
楕円形のフォラム。中央の円柱は毎年開催されるジェラシュ祭りの聖火台で近年、造られたもの。
外周の円柱はイオニア式建築様式で56本残存しています。円柱をつなぐ横石(アーキトレーブ)も残存しています。ここが当時は市場や商店になっていたそうです。
同上、2009年のもの。床タイルもきれいです。経年劣化に加え観光客の増加が劣化に拍車をかけています。
現存するAD1世紀に造られたゼウス神殿。
地震の後が生々しい。フォラムの入口から見る。
アカンサスの葉模様のコリント式建築様式。
フォラムの東側=地形的には北側から見る。
ゼウス神殿からフォラム及びそれに繋がる約800mの幹線道路(カルド・マキシム)を見る。幹線道路を交差する南北の2本の道路はそれぞれ南道および北道と呼ばれています。
2009年のもの。遠景では然程 変わっていません。
同上。奥に見えてる門は北道に立つ四面門で、この先に北門がある。手前の幹線道路の左半分だけ列柱が残っているのが南道。
同上、四面門。
列柱が残存する南道東側部と左奥の遥か遠くにアルタミス神殿を見る。
上記、南道東側から西側を見る。列柱をつなぐ横石(アーキトレーブ)は倒壊しています。西側は現代は市街化して、その下に遺跡が眠っています。ゆえにジェラシュは中東のポンペイと言われています。
ディオニュソス神殿跡で後の大聖堂。
アルテミス神殿遠景
アルテミス神殿
同上、礼拝場、2009年の状態。
同上、2016年
同上2016年。中央の落下しそうな石が持ち上げられたようだし、アーチ上面が欠損したように見える。
同上2009年のもの。
アルテミス神殿の中庭、円柱も大半が倒壊している。
アカンサスの葉模様
ダルマ落とし状態の円柱
同上
幹線道路からアルテミス神殿へと続く大階段
ここが幹線道路からアルテミス神殿への入口。途中の階段は修復中。
同上2009年のもの。
北道の四面門。奥が北門。
同上
同上2009年のもの。
四面門から北門を見る。
四面門の北道東側(市街地)西浴場の跡地を見る。
四面門の北道西側を見る。
四面門から南側のフォラムを見る。幹線道路の列柱の被害は大きい。
アルテミス神殿の入口と大聖堂入口の間に位置するニンファエウム。
上記2009年のもの。
南道の西側。
南道から東側市街地を見る。
南道全体2009年のもの。上記2枚の南道の東西の写真。
南道から幹線道路北側を見る。東側にパイプの柵が設置された。2009年にあった黒色のゴミ箱が撤去されている。
同上2009年のもの。
同上
幹線道路からフォラムとゼウス神殿を見る。
同上
幹線道路から市場を見る。円柱の上部は全壊。
フォラム(公共広場)
中東西部に於いてはこのアザミの花ととオリーブの木をよく目にします。
それもそのはずコリント式建築様式のアカンサスは葉アザミです。
嗚呼!! 🎵夏草や兵どもの夢のあと🎵?