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推理小説界の神様、松本清張。
極貧の生活から自力で抜け出し、中年過ぎから書いたのがデビュー作『西郷札』
である。
既存の作家の激賛を得た。
懸賞金目当てで書いたものだが、この賛辞によって、彼は自分の可能性を見つけた。
『或る小倉日記伝』は作家として彼の地位を不動にしたものだ。
本作で昭和28年度芥川賞を受賞している。
松本清張が芥川賞、と聞くと意外に思われる方も多いだろう。
純文学と最も遠い位置にいる作風からだ。
巧みに構成した社会派推理小説の大家で、
世俗的な面も見せる。
彼の小説の本当の凄さは、緻密なトリックや構成に隠れて、犯罪に至る人間心理の分析の深さである。
『ゼロの焦点』、『砂の器』、『夜光の階段』などで描く心理プロセスは背景こそ違え、今日的な感情として納得出来る。
犯人は一様に過去を知られたくない。
過去は汚濁と屈辱に満ちている。
だから知ろうとする人間を殺すのである。
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一連のテーマの作品は全て真に迫る素晴らしいものだった。
当時の松本清張は自分の過去を隠したかったのではないか。
それは、杉並に瀟洒な邸宅を持ち作家専業で生活し始めたからだ。
彼は自分の出自や容貌に激しいコンプレックスを持っていた。
又親や妻や子に張り付かれた家族の長として、貧困や差別に悩んでいた。
そこから抜け出た時、過去を忘れるミステリーを書いたと思える。
しかし、それ以前彼は捨て身で物を書いた。
『西郷札』というよく出来たフィクションの後、彼は自分自身をぶつけるつもりで作品に取り組んだのだろう。
作り上げた作品が『或る小倉日記伝』だ。
主人公の田上耕作は脳性マヒで跛行で、見た目は白痴に等しい。
小倉で生まれた彼は幼い頃父親を亡くし、貧困の中で育つ。
しかし、並外れて鋭い頭脳と文才を持つ。
物語は、他人に不当に馬鹿にされながら耕作が自立しようと奮戦する姿を描いている。
生きる手段として、彼は文豪森鴎外の小倉時代の日記を再現しようとする。
この時代の日記が発見されていない。
脚を引きずりながら、彼は鴎外の足跡尋ねる。
実地調査を重ね、日記は正確な形を整えていく。
しかし、この間思いを寄せた恋は実らず、人は気でも狂ったかと嘲る。
結果的に彼の努力は不毛に終わり悲劇的な死を遂げる。
この物語の主人公の純粋な存在感と叙情溢れる文章はヒシヒシと胸に迫る。
耕作に私は松本清張を重ね合わせてしまう。
冴えない容姿、低い学歴、高い教養、貧困から這い上がりたい向上心、それらは作者の持つものだ。
松本清張は書く事に生きる道を見出そうとするが、前途多難である。
この心情を小説で吐露したのかもしれない。
彼を正当に評価して欲しいという努力が芥川賞として報われたのだと思う。
田上耕作は悲劇の人でなく、松本清張の筆で大輪の華に変身したと思いたい。