徒然草独歩の写日記

周防東部の徒然なるままの写日記

日本のチカラ 高森チンドン隊

2021-01-03 17:56:05 | 高森チンドン隊

テレビ朝日放送の「日本のチカラ#207 人生いまが一番(笑) うちら高森チンドン隊 」(2020年2月1日放映)を見る。高森チンドン隊長の兼近さんの紹介でTV放映を知る。

平均年齢71歳の女性隊員たちを中心とした日常活動を通じてユーモアとエネルギー溢れる人生ドラマとして紹介されている。制作はKRY(山口放送)なのでローカル放送でも見られる。こちらは題して「幸わせチンドン」

彼女たちの活躍に感動した。2020年は新型コロナ禍のため地元高森天神まつりや県内外のイベントは全て 中止となるなか、練習の合間にマスク作りと配布に取り組み、地元介護所・幼稚園や岩国市に寄贈。彼女たちの最近の活動を紹介するため、Youtubeに投稿。

コロナに負けない! うちらぁ~ 高森チンドン隊 -YouTube

 

岩国市の西部山間部に位置する周東町。かって旧山陽道の高森宿として栄えた周東町高森地区。ここにも過疎化の波が押し寄せる。2009年、過疎化による高森天満宮の高森天神祭り存亡の危機に立ち上がった岩国西商工会の平均年齢〇〇の女性たちは高森チンドン隊を立ち上げる。今では県内外のイベントに引っ張り抱っこ。「美しき天然」(天然の美)や「広島東洋カープ応援歌」・「オッペケペー節」まで多彩な演技を披露。2020年は新型コロナ感染拡大にすべてのイベントは中止に。しかし彼女たちはマスク作りに励み、周東町域内介護所・幼稚園・岩国市等に寄贈配布したマスクは3000枚。かって慰問・慰励に訪れた福島県にも寄贈。この高森チンドン隊のコロナにめげない笑いとユーモア溢れる活動の記録。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 



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陶芸薪窯研究所「伊神雄一作品展」と「通化寺紅葉まつり」の開催(予告)

2020-10-24 23:25:34 | 四境の役芸州口の戦い

「伊神雄一作品展」

アートの郷 陶芸薪窯研究所(旧通化寺窯)では伊神雄一作品展を開催します。

合わせて、2020年「通化寺紅葉まつり」(パンフは最下段に掲載)を同時期開催します。

「作品展」は通化寺窯田村悟朗氏の後を継ぎ、同氏の指導を受ける伊神雄一氏の初窯展です。

陶芸薪窯研究所では、10月24日(土)から27日(火)まで半地上式穴窯の窯焼きが行われています。

  

アートの郷 陶芸 薪窯研究所初窯焚き

 

「通化寺紅葉まつり」

  

芸州口の戦いDVDビデオ放映は、土日に限り若干の補足説明があります。
その他の日は原則ビデオ流しのままとなります。

注:新型コロナウイルス感染拡大防止対策として、マスクの着用をお願いします。体調の悪い方、体温が37.5°以上ある方は入場できないのでご協力願います。

 

 

 

 

 

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アートの郷 陶芸 薪窯研究所オープン

2020-09-12 01:06:20 | 通化寺窯田村悟朗

令和2年9月7日大梅山通化寺境内の一角。
アートの郷 陶芸 薪窯研究所のオープンPRを兼ねて地元報道機関等へのお披露目記者会見。
遠方では山口新聞記者も取材来訪。

窯の火を絶やさないよう頑張ってほしいものです。

当日の模様を中心にYouTubeにアップしました。

《アートの郷 陶芸 薪窯研究所オープン》

 https://www.youtube.com/watch?v=swUUqu-B1nE

 

 

 

 

 

 

 

 

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通化寺窯が「アートの郷(ふるさと)陶芸 薪窯研究所」に

2020-08-20 08:47:36 | 通化寺窯田村悟朗

待望のオーナーを迎え、通化寺窯がより一層充実したものとして新たに発足。
パンフレットが西岩国「松がねや」中本さんの協力で完成。

オーナーは「カメラのアート」社長の小田上智多さん。
FaseBookも開設しています。

山里の自然と陶芸を愛する小田上さんは近傍の祖生に古民家も併設

新たにHPも開設されました。 アートの郷 陶芸 薪窯研究所

陶芸家田村悟朗氏は引き続き陶主として窯変の魅力を追求。
2019年に撮影した穴窯焚きをYouTubeにアップしました。

通化寺窯田村悟朗穴窯焚き

これは、平成31年(2019)4月に「田村悟朗平成最後の窯焚き」を撮影し、
30分に編集DVD化したものを新たにYouTube用に13分に短縮したものです。
この時のブログ記事は「その1~その3」の3回に分けて掲載しています。
記事一覧またはカテゴリーからご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=ZPHWocF560g 

現在、名古屋の研修生伊神君が古民家に住み着き田村悟朗氏の指導のもと
陶芸に励んでいます。この人研師の技を持つ気鋭の若者。さすが切れ味鋭い修得の技。
悟朗さんもタジタジ。SNS発信を期待してます。

「アートの郷(ふるさと)陶芸 薪窯研究所」では陶芸教室を開設、生徒募集中。
もちろん、古民家住み込み研修生も大歓迎。
古民家の前後には広い畑もあります。里山の自然に囲まれた自給自足の陶芸研修。

  

        

    

 

 

    

 

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佐山地域交流センターの「河瀬眞孝の生涯」展示コーナーと維新前履歴書

2020-02-21 11:35:38 | 四境の役芸州口の戦い

新装なった佐山地域交流センターを訪問。

旧庁舎を壊し、2019年8月から供用開始。
玄関を入ってロビーの一角に「河瀬眞孝(石川小五郎)の生涯」展示コーナーが新設された。

佐山地区歴史研究会会長の泉 秀夫氏の案内で観覧。

2019年(令和元年7/3~9/23)河瀬眞孝没後100年を記念して十朋亭維新館で開催された企画展「遊撃隊総督・河瀬眞孝の生涯展示」のパネル・展示資料の一部複製版等が泉氏らの努力で開設展示されている。
十朋亭での企画展は曾孫河瀬眞人氏所蔵の膨大な資料のうち読解できたものを主体に展示されていたが、ここでは、そのうち「旧遊撃隊人証明一件」、「子爵爵記」、「大鳥圭介書簡」、「榎本武揚書簡」、「品川弥次郎書簡」、「岩倉具視書簡」、「山縣有朋書簡写真複製」等の写真部分複製ミニ版が展示されている。

 

    
                                                 「子爵爵記(依勲功特受子爵)」
      ・睦仁(明治天皇)・御名御璽 
    ・明治二十年五月二十四日 宮内大臣從二位勳一等伯爵  伊藤博文

   
「河瀬家写真集」・「河瀬英子(眞孝夫人)葬儀写真帳」     河瀬 眞(河瀬眞孝三男)

 

 

 膨大な河瀬家所蔵の河瀬眞孝史料のうち、
 十朋亭維新館での企画展に展示された親族書」が史料価値高いと思っているが、当方もこれと同一内容・同一文体の「維新前履歴書」(写)を河瀬眞人氏から入手しているので、その一部を晋作挙兵・四境戦前後に限り簡記。
   
 なお、本書文末部分に「明治13年の頃毛利侯爵よりの示命に維新前の履歴を報告す可しとの事 ありしが為に其概要を掲げたる原書の謄写なり」とある。

 

 

河瀬眞孝(河瀬安四郎)「維新前履歴書」

1.功山寺挙兵と内訌戦
 ・「谷(*晋作)ノ依ヲ受ケ、諸隊会議所ニ赴キ其意ヲ説クモ同席諸氏首肯スルノミ。」
 ・長府在諸隊(奇兵・八幡・南園・御楯・遊撃五隊)の首領赤根武人甘言・断行不利主張のため「隊議決スル所ナク、終に遊撃隊ノ孤行独裁ヲ要スルニ至レリ。遊撃隊ハ河瀬安四郎ノ(*ママ)諸隊ニ決別ノ留言ヲナセシ、夜即11月14日ノ月天ニ中スルノ候ヲ以テ馬関ニ轉陣シ居ル数日ニシテ詼地に藩支廰ヲ襲ヒ(*中略)谷ハ隊士14名を率い安四郎と共に小舟ヲ僦ヒ(*やとい)三田尻海軍港ニ向ヒ(*後略)」
 ・内訌戦勝利後、藩主山口に帰館し諸隊も同地に来集するが、「此時ニ當タリ谷ハ諸隊の参謀長ニ推薦セラレ又遊撃一隊ノ事ヲ任スル能ハス依テ諸隊ノ事ヲ河瀬安四郎ニ委セリ。」

2.幕長戦争・国境方面諸隊分担と広島国泰寺出向 
 ・「芸州口は要衝且先鋒ノ地ナレハ奇兵隊ニ譲リ遊撃隊ハ馬関ニ当タルヲ要望スルガ、馬関ハ繁栄ノ市場ニシテ且娼家ノ患アリ遊撃ノ新隊ヲ置ク可キノ地ニアラス。(*中略)遊撃隊ハ芸州口ニ備ウ可シト。」
 ・「此ノ議決スルヤ慶應元年春諸隊山口ヲ去テ四方ニ転陣シ安四郎は遊撃隊ヲ率イテ高森ニ還レリ。之ニ次テ安四郎ハ大田市之進等ト参政ニ班列ス可ノ命ニ接セリ同年冬幕府永井主水正ヲ広島(*国泰寺)ニ遣ハシ長藩ノ内情糾問ノ事アリ宍戸備後介カ答辨使タリシニ際シ、主水正諸隊ノ状況隊人ヨリ直接ニ聞カント要望セシコトアリテ河瀬安四郎ハ野村和介(*靖)、井原小七郎ト共ニ諸隊代表者トシテ広島ニ赴キ陳辨事ヲ了セリ。永井主水正既ニ長防ノ事理ヲ然諾シテ帰阪セリト。(*後略)」

  (参考)東京大学史料編纂所「維新史料綱要」河瀬眞孝関係分抽出
  *慶應元年8月5日野村靖之介等と無断広島に抵り萩藩士民の名を以て嘆願書を提出し、藩主敬親親子の冤枉(えんおう)を訴え斡旋を請う。(変名:梅田三郎)
  *同年11月18日諸隊代表として野村等と広島国泰寺に出向、永井主水正の糾問を受ける。
  *慶應2年5月21日萩藩家老宍戸備前親基、藩士河瀬安四郎等を従へ辺境の地理を巡見し、岩国に至る。是日、備前等、支族吉川経幹に謁す。

3.芸州口の戦い
 大野攻撃等河瀬の方面参謀としての中心的役割・活躍は、河瀬安四郎戦闘報告等を含め現段階では広く知られていることなので割愛するが、特に8月2日最大の激戦となった幕軍大野口から進発総攻撃に長軍苦戦の模様が生々しい(省略)。
 ・(8月2日激戦模様記載の文末に)
     「耕戦後藩公ヨリ使者アリ安四郎ニ賞詞アリ、次イテ新刀一振リヲ受領セリ」

4.河瀬安四郎洋行と参政山田宇衛門
 ・「将軍薨去ニ依リ止戦ノ談成ルヤ安四郎ハ参政山田宇衛門ノ斡旋ヲ以テ藩費洋行ノ命ニ接シ小瀬川口陣営ヨリ直チニ馬関ニ出テ次テ長崎ニ至リ(此際ノ事木戸孝允ノ周旋ニヨル)慶應3年4月英商トマスグラバーノ帆走船ニ客トナリ(*上海経由)4カ月ヲ経テ同年8月英京倫敦ニ着セリ。(*中略) 滞留4ケ年ノ後明治4年6月ニ帰朝セリ。帰朝前1ケ年許ハ英地在留ノ学生取締リノ官命ヲ奉シ官給ヲ受領セリ。」

*最後に、今回の洋行は大田口の一戦に勝利後、諸隊山口在の時一日山田翁を訪ね、「後日余命アレハ一ノ希望アリ、何トナレハ其向後ノ事局ハ主トシテ欧米ニ向テ関係ヲ開クナル可キニ余ノ不学ナル一見識ノ以テ之ニ応スルナシ。此際ニ於キ君公若シ假借スル處アリテ余ニ外国留学ノ命ヲ賜ルヲ得ハ實ニ余カ生前ノ幸ナリ。山田翁之ヲ諾セリ、此レ欧行請求ノ速成セシ基因ナリ。」

特に功山寺挙兵・内訌戦勝利後の動きは高杉晋作や藩府から絶大の信頼を寄せられ、諸隊の中心的役割・重要な働きをしていたことがうかがわれる。また洋行願望の目的に卓識ある人物であったことが判る。
木戸孝允の信頼厚く、帰朝後明治新政府において重鎮を務めた所以であろう。

これらについても、3月発刊予定の佐山地区誌第14号別冊に取り上げられる予定で、河瀬安四郎特集号となりそう。現在佐山地区歴史研究会会長泉 秀夫氏らによって鋭意作業中であり、その発刊に期待したい。

 
                        校正中のゲラ
  

 

 

 

            

 

 

 

 

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