私達の育てた小さな緑が失われようとしています

緑のまちを望んで、私たちは緑を育てました。その小さな緑が失われようとしています。

芋虫(キアゲハ)をめぐる攻防

2005年03月23日 | 現場から
現在、現場ではヒートアイランド対策の紹介として、約15坪の土地でプラスチック箱(トロ箱)を活用した田んぼ作りと、芝生の整備を行っている。
トロ箱田んぼは稲を育てるだけでなく、様々な生き物が生息する「ビオトープ的」機能もあり、水分の蒸発による気温上昇の抑制と、生態系の回復というふたつのメリットがある。この展示を見てヒートアイランドについての原理を学んでいただき、屋上緑化などに活用してもらうことが狙いだ。
ところで現在、この整備の過程で田んぼの脇にニンジンとパセリを植えようと企画しているのだが、それをめぐってささやかな攻防が繰り広げられている。
ニンジンやパセリは、キアゲハの幼虫が大好物で、毎年畑のあちこちで見られるが、どんなに成虫がきれいでも野菜を育てる上では害虫である。特にキアゲハの幼虫はニンジン、パセリ、アシタバなどを好んで食い散らかす困ったやつだ。普段からモンシロチョウ被害に悩まされている現地スタッフは、芋虫すべてを敵とみなしている様子。
そこで代表の私と副代表のIさん、広報のRが『キアゲハ救出隊』を結成し、畑の幼虫たちを集めて育てる保護区にしようとしたのだ。
「キアゲハは都会では貴重だから守ってあげないと」
というものの、現場のスタッフは聞き入れない。
「なんであんな芋虫育てなきゃなんないの?」
「あの色が気持ち悪くてたまらん、ウンチも大きいし」
「てんぷらにして食ってみよう」
などなど。

 (ヌヌゥ、なんという奴ら。代表と副代表が言ってるのにぃ)
と思うものの、NPOにおいて代表・副代表とは『一番責任を負う人』の意味であって、企業などの他の組織のように責任に見合う権限など全くないのである。現場では現場のスタッフが強い。「訳のわからないことをいう3名」対「多数の構図」となってしまった。私はただひたすら
「そこをなんとか、ねっ、ねっ」
とみんなに頭を下げている始末である。
 先日、アルピニストの野口健さんがテレビで
「環境問題は環境との戦いではなく人間との戦いなんですね」
と、富士山でのご自身の経験を踏まえて話をしていたが、まさにその通り。
キアゲハを守るためには、このスタッフ軍団と戦わねばならぬぅ!
―絶対に負けられない戦いがそこにはある-

そう、その通り!!我々は環境問題に取り組んでいるNPOなんだ。キアゲハが飛びまわれる環境を取り戻すんだ!「僕らはみんな生きている」の歌にあるように、ミミズだってオケラだって友達なんだぁ!!
「やめてよ、ミミズなんて気持ち悪い」

 キアゲハをめぐる攻防は、現在風向きがたいへん悪い。
あきず・あせらず・あきらめず
キアゲハをめぐる攻防(と言う名の泣き落とし)は続く。
 

ボランティアの性質を知る

2005年03月22日 | ボランティアマネジメント
 資金調達が得意でない現在のNPOにとって、またNPOの性質上、「資源」としてのボランティアの獲得は、不可欠な要素だ(「獲得」という言葉は適切な表現ではないかもしれない。ボランティアはNPOの目指す方向に共感したときに、初めて力になってくれるものだから)。
「市民が担う公共」を模索するNPOにとって、多くの市民が活動に共感し、その延長にボランティアとして労力を提供できる「場」をつくることは、NPOの重要な役割のひとつであり、NPOとボランティアとは車の両輪であると考える。
 NPOがボランティアの性質を知り、ボランティアが輝ける仕組みを作ることができれば、市民活動は大きな活力源を手に入れることができる。しかし一方で、ボランティアはこれまた扱いが難しいのが特徴である。ボランティアは
「やりたいことを」
「やりたいときに」
「やりたいだけ」
しかやらないという本質を持っているからだ。
企業であれば労働の対価として賃金を貰うのでやりたくないことでもやるが、ボランティアにはそういった「対価」や「縛り」がない。自分のやっていることに価値を見出せなくなってしまた瞬間、力を出すことができなくなる。
 また「ボランティアの自発性は揮発性」といわれるように、「活動したい!」と思ったときが力の出るピークで、時を追うごとに自発性は薄れていく。震災などの災害直後は「ボランティア難民」と呼ばれるほど人が集まるが、時がたつほどにその関わりは薄れていくのがその例だ。
 どこまでも献身的なボランティアがいる一方で、無責任なボランティアや過激なボランティア、さまよえる難民ボランティアなど、ボランティアの温度差は激しい。したがってボランティアを束ねるコーディネーターは、つねにボランティアに振り回されることになり、その労力とコストはバカにならない。
 組織としての「継続性」が求められるNPOにとってボランティアがもつ本質的な性質は大きな矛盾だ。ボランティアの「自発性」を担保しつつ、NPOの「継続性」を維持する-この両面をかみ合わせるために「ボランティアマネジメント」が必要になってくる(アメリカ経営学者のジョン・コッター氏は著書『リーダーシップ論(ダイヤモンド社)』で「マネジメントとは複雑な環境にうまく対処する力量を指す」とのべている)。

 ボランティア・マネジメントのコツは「ボランティアが求めているものは何か?」を常に配慮し、「期待以上のやりがい」を提供することと同時に、ボランティアの自由と責任の範囲を明確に示すことだ。
 このような考え方は、なにもボランティアのみにあてはまることではない。財団や寄付者などの資金提供者や事業協力者など、あらゆる関係者と「WIN・WIN」の関係を構築しながら、社会的課題に取り組む姿勢を持つことは、NPO運営にとって重要なポイントである(つづく)。

テレパシーと掲示板:市民活動のアナログネットワーク

2005年03月18日 | 広報戦略
「支出の中で、通信費が少ないのですが、情報連絡はどうしているんですか?」

ある講座で収支報告書を見せたところ、受講者からそのような質問をいただいた。
そう言われてみれば年間の通信費が2万円にも満たない。もし仮に50人の会員を抱えるNPOが2ヶ月に1回機関紙を郵送すれば、それだけで軽がると予算を超えてしまう(事務所を設けているわけではないので電話代などは個人に負担していただいている)。他のNPOは大変だなあと、そのとき気付かされた。

「うちは畑に来て活動することが大前提なので、連絡は基本的に畑の黒板ですませています」

というと、質問した方はぽかーんとしていた。

インターネットや携帯などの通信ツールが発達している現代にもかかわらず、現場では掲示板と口伝えといった昔ながらのアナログツールを使っている。
「畑にいます」-まるで宮沢賢治の世界だ。
連絡事項を知らない人がいても
「掲示板を見ないのが悪い」
「畑に来ないとねー」
と、時代錯誤で不親切なルールにもかかわらず、それがグループ内ではまかり通っている。資料なども基本的にすべて手渡。したがってボランティアへの通信費は発生していない。
 年6回発行している機関紙は、協賛企業などに郵送しているが、交流を図るいい機会と、それも一部近場の企業へは手渡しで届けている。結果、通信費が発生しない。
 改めて考えると、現場を持っている強みとは言え、お金がない弱みとは言え、ずいぶんずさんで「いい加減」な情報伝達をしていると思う(反省)。

ところがどんなずさんな連絡をしても、情報は的確にボランティアに伝わっているからこれ不思議。

カヌーイストで作家の野田知佑氏は、アラスカ・ユーコン川を下った体験記で、下流の住民に旅行者の情報が伝達される現象を『インディアン・テレグラフ』と言って不思議がっていたが、私たちの現場でもそのような現象が見られる。さながらテレパシーでもつかっているかのようだ。
テレパシーのヒミツ、-それはスタッフやボランティアの井戸端会議にある。
子供、孫、会社、酒場などあらゆる場面での口コミネットワークを持った住民たちによるお茶を飲みながらの井戸端会議が不定期に開催され、掲示板の連絡事項が雑談の合間に伝達されている。地域コミュニティが充実してくると、密なアナログネットワークができてくるものなのだろうか。

こういうアナログの情報伝達システムは、都会ではほとんど見られなくなった。隣に誰が住んでいようが無関心な社会。そんな中、こういう濃い地域ネットワークに触れることは逆に新鮮だ。
そういえば私が子供のころは、誰もいないはずの家に帰ると、近所のおばちゃんが座っていてお茶を飲んでいたことがあった。鍵も閉めず、人の家も自分の家も自由に行き来していた。いまではそんな時代があったことのほうが不思議に感じる。

インターネットをはじめとするデジタル情報伝達が発達する一方で、人と人を繫ぐアナログの「良い(いい)加減なシステム」はますます重要になってくるだろう。人は便利さだけで生きていけるものではない。ケータイやネットに依存すればするほど、人間のコミュニケーション能力は低下し、社会はトラブルを抱えていく。
「人と人をつなぐ」ことは、今後ますます重要性をますだろうし、NPOがもつアナログネットワークは、大げさに言えば社会のセーフティネットになる可能性もある。人と人がつながる場で、思いやる気持ちを学び、いざこざを防ぐ術を学び、人がひとりで生きているのではないことを学ぶ。
昔ながらのアナログネットワークによる市民社会を担う人材育成と、しなやかな組織を作ることは、NPOの社会的役割のひとつであると思う。

そうして我が組織の収支報告書を見ると、通信費のかわりに、ネットワーク作りのためにボランテァイスタッフによるかなりの時間と労力が費やされていることが見えてくる。

テレパシーと掲示板が通信費削減のコツだ(・・・コツか?)。
ではなぜそんな状況が作られるのか?それについてはまた別の機会に紹介したい。

菜の花祭りに向けて

2005年03月15日 | 現場から
4月3日(日)11時から行われる菜の花祭りでは、恒例のバーベキューのほか、ボランティアのⅠ氏・M氏による野外ミニコンサートを企画している。
Ⅰ氏はウクレレバンドを結成していて、かなりの腕前だ。公民館などで演奏会を行っていて、昨年から依頼をしていた。
今回は屋外でのコンサートなので、アンプなどをつかった大きな音は出せないが、菜の花にあったメロディーを期待している。
と、そこに突然手を挙げたのはMさん。
「えー、なんか演奏できんの?
と一同驚くと、自分は学生時代にハーモニカで全国大会に出場したという。
「うん、ダイジョウブ!蝶ネクタイまで用意してあるから」
とおちゃらけるMさん。本当にだいじょうぶかなあ?
と言うわけで、今回の野外コンサートはウクレレとハーモニカのセッションとなった。

それにしても、ここでは色々な人の隠れた才能に出会う。
Kさんのキムチ作り、Ⅰさんのリース作り、Kさんの空き缶集めネットワーク、などなど。
みんなの才能がお互いを引き出し、活き活きと、こんなにも面白いことができるんだと感心している。
人と人がつながることの力ってすごい。

ある晴れた休日、Mさんの車がエコ広場に置いてあった。畑には姿がみない。
聞けば、午後からⅠさんの家に行って、音あわせをしているのだと言う。
「練習終わったらたぶん酒飲むんで、明日まで置かせといてね」
とMさん。陰でまじめに練習するMさんの意外な一面を見た。
さてはやる気だな。

今度の花祭りが本当に楽しみだ。花と飯と音楽と笑い声のある祭りだ。面白くないわけがない。
・・・私が雨を呼ばないことを、ただ心配しているが。
参加したい方はこちらまでご連絡ください。 

事業成功のコツは『準備8割!』

2005年03月10日 | NPO設立・事業企画・運営
 NPOの運営をはじめて、身に染みて憶えたことがある。
それは、準備の大切さだ。
「事業の成功・不成功は準備で決まる。準備8割、本番2割!」
と今は確信を持っていえる(口だけのときも多いが・・・)。
もともと私は準備が苦手で、どこか行くときや何かをするときは必ず忘れ物をする常習犯である。
ヒッチハイクで全国を放浪していた学生時代は、「準備とはただひたすら未来を予測可能にする、つまらないもの」と思っていた行き当たりバッタリの私にしてこの変りようは、本当に不思議だ。

いくつかの事業において、失敗することで多くの参加者や支援者、パートナーに迷惑をかけたり、期待を裏切ったりするというリスクの高い状況を何度か経験させてもらった。本当は逃げ出したい場面もあったが、様々なしがらみもありそうも言っていられない。つねに能力の限界を感じながら、身の丈以上の責任を果たさなければならないプレッシャーを体験して得た教訓は
「一人では何もできないこと」

「準備が能力の限界をカバーすること」
だった。
 私が準備するのは、単に「現場のハプニング」がマイナスにいってしまうことが怖いからだ。事業を成功させればさせるほど、その怖さは増していく。「失敗して当たり前の市民活動」という現場のノリと、「そうはいってもなんとかしてくれるだろう」というスタッフへの期待は、ますます乖離していく。かといってリスクをあまりに考えてしまうと、現場の創造性や面白みを削いでしまうからムズカシイ。

現場で失敗を減らすには、周到な準備により『失敗の芽』を事前につんでおくことだ。
「予測できないこと」に備えるために、「予測できること」への準備を万全にしておく。
とてもシンプルなことだが、実現するには膨大で地味な労力(シャドーワーク)が必要になる。

 あるイベントでのこと。参加した子供が、イベント終了後の帰り際に犬にかまれてしまった。子供は家に帰らず、後片付けを始めたイベント会場に引き返して助けを求めた。足からは血を流し、ショックで震えている。噛んだ犬の所在はわからない。
事務局だった私は、付き添いとして救急車に乗って病院に行き、両親と会って状況説明や今後の対応などについて話した。現地では噛んだ犬も見つかったと連絡があり、狂犬病などの心配もないことがわかった。怪我が軽かったこともあり、両親も安心していただいたようだった。
「自分のせいで今後イベントができなくなってしまうのでは」
と心配して子供が泣き出してしまう場面もあったが、大変な事態は免れることができた(両親からは後日「今後とも子供をよろしくお願いします」と電話をいただきホッとした)。
会場に戻ると、残っていたスタッフが後片付けをし、翌日の準備もすべて終わらせていた。
一見スムーズに行われた事故処理の事例だが、この事故についての準備は、4ヶ月前から行われていた。怪我をしたときの応急処置や連絡体制のマニュアル作り、保険への加入、事故へ対応する班と、後片付けなどをする班に分ける打ち合わせなど、あらかじめ事故を想定した準備をしていたため、いざ事故が起こったときに混乱をきたすことがなかった。

準備は嘘をつかない。準備は裏切らない。準備は確実に成果を挙げる忠実なパートナーだ。どんな有能な手品師も、仕込みなしに手品はできない。スタッフはいかに事業を成功させるための入念な準備ができるかがポイントになる。結果、外からは
「困難なプロジェクトを手品のように成功させているように見える
のだ(ちなみに現場での私のいい加減さと、準備中のスタッフへの注文の多さのギャップに『この二重人格のええカッコしいがっ!』とスタッフからはののしられることもある)。

現場で活動するボランティアのなかには、ときどき私のことを
「口で言うばっかで、何やらせてもちゃんとできないからなあ、現場は大変だってのにさぁ」
という人がいる。私は
「へへへ、頼りにしてるよ。オレの仕事はヘボだから、現場はプロに任せないとね」
と笑って答える。それはシャドーワークが仕事の私にとって、最高の褒め言葉だ。
ボランティアがいきいきと、持っている力を十分に出す「場作り」をするのが、今の組織における私の役目だ。裏方のがんばりがみんなに見えているようでは、役目をはたしているとは言えない。
「場作り」は準備8割。現場ではのんきにしているのが良いのである。 

NPOの事業計画書は現場で書きたい!

2005年03月08日 | NPO設立・事業企画・運営
 NPOの事業計画についての講座に参加すると、たいてい聞いたことのない言葉が次々出てきてビックリする。
「マーケットリサーチ」「PDCAサイクル」「5W1H」「予算書」「費用対効果」「成果指標」「成果報告書作成」などカッコよさそうな言葉が次々出てきて、初心者の受講生は
「ふーん(右耳から入って左耳へ抜ける)
となる。結果、
「まあ、こういう難しいことは私たちには無理ね
といって、書類作成をあきらめるNPOスタッフが多いのではないだろうか?

ちなみにPDCAサイクルとは、計画(Plan)を実行(Do)し、評価(Check)して改善(Act)に結びつけ、次の計画に活かすプロセスのことだ。効率とより良い成果を挙げるために民間企業で使われたり、評価体系として行政で使われたりしている。
こういった企業用語・行政用語は、NPOが事業体として成長していく中では覚えていかなければならない言葉ではあるが、ただでさえ書類作りの苦手な生まれたて市民活動組織には、いきなり冷や水をあびせるだけで、育てることになるとは思わない(仲間うちで意識共有するための計画書は必要だと思いますが・・・)。そういうのが得意な人材がいればいいが、いなければNPOにとっては活動を妨げるおおきな「壁」になってしまう。
市民活動の意義は活動することであり、書類作成の労力によって活動ができなくなるとは本末転倒だ。(ちなみにNPO法人格を取得するために定款など多数の書類作りで燃え尽き、活動せずに休眠しているNPO法人は2万団体のうち1/3ほどになるという。これらの団体は活動を充実させる前に、苦手な書類作成からはいった市民活動団体なのではないだろうか?)

NPOの事業サイクルはDo(実行)からはじまる。

目の前に見過ごせない課題があって、その課題を放っておけずアクションを起こす市民活動は、今の事態が「放っておけない」のであって、答えを予想した計画を立てるなどのんきなこことは言っていられない。NPOは基本的に「現場」で物事が展開されるのだ。
現場で最も大切なのは、ただひたすら
「まあ、とりあえずやっちまうかー、オー!
というノリである。『DO(実行)&DO(実行)』だ。直面する課題が大きければ大きいほど、そういった無謀&勢いが必要になる。ちょうど熱烈な愛にうなされて何も見えなくなる結婚のように。
 そういう成功の可能性の低いものに果敢に取り組む姿勢はNPOの面白さであって、それが全くないNPOは面白くもなんともないと私は思う。(ただし、注意しておかなければいけないのは、組織の活動が「ノリ」だけで行くと必ず痛い目を見ることを憶えておくことだ。そういう打ち上げ花火のようなNPOをいくつもみてきた。公共的な課題解決を目指すNPOが無責任なノリを原動力に動いていてはいけない。この矛盾にいち早くコアスタッフは気づき、ノリと言う悪魔の劇薬から手を引く判断力を持ち合わせる点も不可欠だ。)

ところが、事業計画書を求める行政や財団や協賛企業は「現場」を見ていない。だからNPOがどんなに熱っぽく語っても、その意味が理解できないし、しっかりした計画書のない事業はできない性質がある。理解してもらえなければお金や協力を得られない。理解されなければ「現場」の課題は解決できない。
困った・・・。
そこではじめて事業の設計図が必要になってくる。つまり事業計画とは協力を獲得するための『説得の図式』である。
手順としては以下のようになるだろうか?

【ステップ1】実行(D)から改善(A)へ
まず自分たちでやってみる。効果や課題を見つけ出し、それから続けるかやめるか決断する。
  ↓
【ステップ2】改善(A)から計画(P)へ
続ける場合、修正を加えて、やってきた流れを計画書風にまとめる。
  ↓
【ステップ3(重要)】実行・改善・計画(DAP)を計画・実行・改善(PDA)に
最後につくった計画(P)を、最初に並べ替えて組織の実績として「物語」にする。

1、「こんな現状と課題がありました」(実際は1)
2、「こんな風に解決したいと思いました」(実際は4)
3、「実際にやってみたらこんな結果になりました」(実際は2)
4「こんな風にしたらもっとよくなるのにと思います」 (実際は3)

これで事業計画書は出来上がり!これならNPOにもできるのではないだろうか?

このプロセスは一見邪道だが、これを2・3度やることで最後につくった計画をはじめにつくる「見当」がつくようになり、そこそこ事業計画書が書けるようになる。またこれを経験すると、企業や行政がいうところのかっちりした事業計画書は書けるわけがないということにも気づくだろう。現場に立っている以上、それは仕方のないことであり、大切な気付きだ。では
「不完全にしかかけない計画書を完璧なように書く」
という矛盾を求められた場合どうすればいいのか?
そんなとき私は、情報があり、ニーズがあり、矛盾があり、説得力がある「現場のリアルさ」こそがNPOの強みであると確信している。現場の課題がいかに深刻か、それが効果的に解決可能であり、解決することでどれだけ幸せな社会が実現できるか、その生の声を拾い上げ、計画書に落とし込めばいい。現場の課題とその解決方法がリアルに書かれた計画書は、現場を大切にするNPOにしか書けない武器である。
 「NPOは事業計画書もかけない」
とバカにされ、私はなんども悔しい思いをした。力のなさも実感した。企業や行政が好きそうな計画書を書くために勉強もした。でもそんなことをすればするほど、現場から遠ざかってしまう。そんな「机上の空論」に何の意味があるのか?

 私は現場が好きだ。だからバカにされても計画書は現場で書きたいと思う。

スタッフの広報の実態

2005年03月06日 | 現場から
ある園芸講座へ参加したときのこと。
5名のグループで参加したため、講師が気を利かせて
「環境NPOの皆さんも参加しています」
と紹介してくれた。
講座終了後、活動に興味を持った受講生の方が話しかけてきた。

受講生「皆さんどんな活動をしているのですか?」

いい質問だなあ、とちょっと離れてみていた私。こういうときこそ自分たちの活動をPRするチャンスですよ。
さあ、皆さんがんばって。


Kさん「キムチ作ってますぅ」 
私「えーっっ!?(いきなりその説明かよ)

Ⅰさん「この前はキウイパン販売したわよね、あれおいしかったぁ」
私「えーっっ!?(ヒートアイランドの説明ナシ?)

Jさん「ここはじっさま、ばっさまの集まりなんです、ハイ」
私「えーっっ!?(活動とどんな関係があんの?)

Ⅰさん「花の苗売ってます、ドングリ拾ってます、空き缶集めてます」
私「えーっっ!?(ウチは何の集まり?)

受講生「そうなんですかぁ、頑張ってくださいね(笑)!」
私「えーっっ!?(りっ、理解してるー!)

・・・ちゃうやん、そういう説明ちやうやん。パーツの説明だけじゃぜんぜんわかんないでしょ?笑顔で帰っていったけど、きっとあの人僕たちのこと勘違いしてるよ。何か拾ったり、売ったりしている高齢者軍団だって。
ほら、「足元から地球環境を考えよう」を合言葉に、ヒートアイランド・生ゴミリサイクル・温暖化対策をしていて、持続可能な社会の実現のための具体的な活動をする団体だって。ほら、ちゃんとパンフレットにも書いてあるでしょ?

全員「・・・何?パンフレトって、シラナイ、シラナイ」
私「えーっっ!?

しっ、知らないんですかぁ?イラストレーターつかって頑張ってつくったこのパンフ。外部の人にはけっこう人気なんですよぅ。「絵が可愛いい」とか「わかりやすい書き方ですね」って。
全員「・・・、字小さいし、文長いし憶えられないよ。でもまあ読んでなくても大丈夫、ダイジョウブ」
私「えーっっ!?(絶対ダイジョウブじゃない、目が泳いでるし)
全員「ダイジョウブ(笑顔100%)」

恐るべし、「わが道を行く」グリーンプロジェクトのスタッフ軍団。ジャイアン、ジャイコばっかりだ。
現場でやっていることをどこへ行ってもそのまま出している。

いやいや、名刺を出せるようになっただけでもよしとすべきなんだ、多くを求めちゃいけない。

私「名刺を出すとき、『ホームページみてね!』と言ってね(乾いた声で)」
全員「はーい!」

なぜか返事だけはいいスタッフ軍団。でも私は知っている。みなさんがホームページほとんど見てないことを。人ごとの時はいつも返事がいいことを。
グリーンプロジェクトは奥が深い・・・。

進化する広報のツール

2005年03月04日 | 広報戦略
 ここ最近、インターネットが普及するスピードと進化の速さひしひしと感じている。そして市民活動における広報という概念そのものも、インターネットによって大きく変わるような予感がしている。
 今回、市民活動の広報として私たちが重要視しているインターネットについて書こうと思ったのだが、私自身その変化についていけず、自己矛盾した文章を整理できない。頭で理解していることと、現場の試行錯誤でやっていることが一致しないのだ。
 この文を書いているうちに整理できればいいのだが・・・。


 まず、市民活動における一般的な広報について
 一般に大企業や行政の広報は「広く」「早く」「多く」である。テレビCMや自治体発行の機関紙などがその例だが、こういった広く網をかける広報のやり方はコストがかかり、小さな市民活動には不向きだ。チラシを撒くにしても、電話で知らせるにしても資本力がない組織ではできることは限られてくる。
 NPOの広報のコツは「深く」「ゆっくりと」「口コミで」である。
 NPOにとっての広報の究極的な目的は、活動への理解や組織への協力を得ることである。企業のように消費者への購買行動を喚起するものではなく、伝えた人をファンにし、味方にするのが広報の目的である。したがって広報に「熱意」がこもっている必要がある。「熱」のこもった広報というのはなかなか難しいものだ。人と会い、語り、ネットワークをつくり、協力を獲得しながら、着実に広めていくことで成長していく。

 しかしここ最近、これまでの一般論が崩れつつある。
 個人がインターネットという通信手段を使って、「広く」「世界に」「熱を」「簡単に」伝えられるようになってきたのだ。その象徴的なツールが『ブログ』だ。
「そんなバカな!」
という方は、この『実録鬼嫁日記』を見て大笑いしながらその可能性を確かめていただきたい。
 これまでNPOの広報は「深く」「ゆっくりと」「口コミで」だったが、インターネットの活用により、コストをかけなくても「広く」「早く」「多く」が技術的には可能になってしまった。仮想現実のはずのインターネットが、立体的な双方向性コミュニケーションツールに進化しているのだ(おそらく我々の方がインターネットの機能に気づいただけなのだろうが)。
昨年、東京ビッグサイトで行われた『環境goo大賞2004:フィードバックミーティング』でも、ブログなどのツールを活用した「双方向性」がテーマにあがっていた(ちなみに我がGPWEBは1次審査を通過したものの、受賞には至らなかった、残念)。
 私は全くのド素人なので、ネットの活用法の細かいところまでは説明できないのだが、NPOがこれまでの広報を大切にしつつ、HP・メルマガ・ブログなどインターネット・ツールを有効に活用することで、広報の幅は飛躍的に広がると考える。これまでの概念や使い方の限度を破り、新しい広報を創造できる段階に入ったのかもしれない。
つまり
「NPOはインターネットを有効に活用すべし」
と言いたかったわけです(この一言を言うまでの前置きの長いこと)。

 インターネットという『道具』がいかに進化しようと、これまでどおり市民活動の広報は「人と人のネットワーク」であることに変わりはない。それは確信している。
 ただ、受信・発信といった『情報の網』は、NPOの飛び道具としてますます使いやすくなっている。その両方をうまく使いこなすことができれば、活動はさらにダイナミックになるのではないか。
 果たしてそんなことができるのか。いま、その仮説に基づいてサイトを作っているところで、自信をもって断言できないのだが・・・。

NPOは社会への発信を

2005年03月04日 | NPO設立・事業企画・運営
環境省から平成16年度NPO/NGO・企業政策提言集の冊子が郵送されてきた。
昨年『低・未利用地を活用したヒートアイランド対策「エコ・プチテラス」の整備とライフスタイルの改善を通じた人材育成』というテーマではじめて応募をしたが、結果は見事落選。しかしこうやって分厚い冊子として掲載され、しかも担当者のコメントももらっているのでウレシイ。
「よし、来年も!」
と性懲りもなく応募する気になっている。


私たちのような弱小団体が、企業や大規模NPOと肩を並べて環境政策提言をするなど
「100年早いわー!!ボケッ(怒)」
とバカにされるかと思っていたが、講評を見ると
「大きな団体から出てくる政策提言もよいのですが、やはりある程度小さな組織から出てくる立派な提言も欲しいと思います」
とすがりたくなるような一文があった。このコメントは何も私たちを指しているわけでもないのに、
「やっぱり提言しなくちゃダメだよねー、期待されてるよ私たち」
と数百ページの中のたった1行に光を見出してしまうどこまでもポジティブな私たち。
今年も提言に参加しますので、夜・露・死・苦!


 政策提言やコンテストへの応募、助成金申請は、私たちとって良い出稽古の場になっている。自分たちの力を試す絶好のチャンスであり、自分たちの主張が思う存分できる場であり、自分たちの活動が社会のニーズからどれくらいズレているのか知る場でもある。
『井の中の蛙、大海を知らず』
ではNPOの成長はない。
どんどんと表へ出て、時に身の程を思い知らされ、時に褒められ、時に欠点を指摘されながら組織を育てていきたい。
平成16年度NGO/NPO・企業の環境政策提言の募集及びNGO/NPO・企業環境政策提言フォーラムの開催について

ボランティアスタッフの人材育成

2005年03月03日 | ボランティアマネジメント
 韓国・釜山市からの視察をきっかけに、スタッフ間では現在静かな『韓流ブーム』がおこっている。韓国語会話集を買ってきてあいさつの勉強をするスタッフまで出てきた。
 ある日、ボランティアのOさんがやってきて、開口一番
「アルジェリアー!」
と元気に言った。みなは一瞬黙ったあと、おそるおそる
「・・・それって、『アニョハセヨー』のこと?」
聞き返すと、
「ああ、そうそうそれ!」
と真っ赤になり、みんなで大笑いした。韓国語マスターへの道は遠そうだ。
 
 釜山市からの視察に限らず、外部からの取材や視察の際は、都合がつくボランティアに同席を促している。先方にそのニーズがあろうとなかろうと、
「これがうちのやり方ですから」
と言って通している。
 取材や視察を「スタッフの人材育成の場」と捉えているからだ。
 取材では必ずここができた経緯、この組織の目標、運営の仕組み、マネジメントのコツ、将来目指すもの、など同じ内容のことを話す。それを繰り返し一緒に聞いてもらうことで、組織が目指そうとしている目標を内部のスタッフにも理解してもらうことが目的だ。取材の質問がきっかけで、内部同士の話が盛り上がり、気づくと質問者をそっちのけにして議論してることも間々ある。
また、取材に慣れてきたスタッフには、応対をお任せすることもある。隣で座っている分には気楽だが、いざ自分が答えるとなると、とたんに責任感が生まれ勉強してくるようになる。
「ゴミをリサイクルするようになってゴミの出す量が減った」
「キウイの大きな葉から水分が出て空気を冷やすんです」
など、自身の体験談を交え、じつに活き活きと話をしている。
 それが新聞記事や映像になった日には大変だ。ますますやる気を出して精力的に活動するようになる。
 人から認められることや、注目され世間に紹介されることで、かくもボランティアのモチベーションは高まり、能力開発につながるのかと、いささか驚きを持って見ている。
だれでもほめられればうれしいものだ。ましてそれが自分のためでなく、誰かのためにしていることであればなおさらだ。
 勉強や会議といったものがキライなスタッフが多いだけに、できるだけ外部から遊びに来てもらい、本人も気づかないうちに楽しみながら勉強してもらっている。
こんな人材育成のやり方も現場ではアリだ。