実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

叔母の涙

2009-01-23 | 
前々回の記事「手紙」に登場する叔母に電話をした

叔母のところに、私の超大作の手紙、「毒になる親」「母に心を引き裂かれて」
が届いているはずなので。



叔母は私からの電話を待っていたのだろう


「アッちゃんか!手紙読んだよ」


と、今にも抱きしめてくれそうな声


「あの手紙読んで泣いたよ。何度も読み返してる」




私も涙が出た。。。





「返事書くからね」




「いいのよ ゆっくりでいいの 私もあの手紙書くのに1週間以上かかった
辛い作業だったの。叔母さんも読んでて自分のことと重なってつらかったでしょう?何ヶ月先でもかまわないからね!」



「うん 必ず書くよ 待っててね」




今、「毒になる親」から読んでいるのだという

自分のこととたくさん重なるところがあったのだそうだ

やはり、祖母はおかしい母だったと。
読んでて苦しくなるところもあったという


ごめんね 辛いこと思い出させて・・・・



「いいの いいのよ なるほどな~って思うところがたくさんあるから」





手紙 出してよかった



私の身内に理解してくれるひとがいて

本当によかった






祖母のこと

2009-01-17 | 母というひと
今日は初めて祖母のことについて書きます

私の記憶にある祖母は


母にそっくり(苦笑)

私が物心ついた頃から、母は祖母の悪口ばかり言っていた


いい歳した娘のことに今だにでしゃばってくる
自分勝手で強引
口出すくせになにもしない
あれだけ子供のために何もしてやらないひと珍しい


母が怒っていたことは、私が現在怒っていることと、ずいぶんとかぶる


祖母をひとことで表すなら、まずは
「怒り」だと思う

わめきちらし、時に物にあたり散らしながら怒っていた

母は、私に
「おばあちゃんのことが大嫌い」
とよく言っていた
祖母がどんなに酷い母親かを延々と愚痴っていた
そんなときの母は、心底、祖母が憎いようにみえた


私はそんな母を通してでしか、祖母を感じていなかったのかもしれない
だから、母に加勢するつもりで、祖母を嫌った
母の愛を勝ち取るためだ


前記事に記した、ひとつ違いの母の姉(叔母)

男の子ができなかったので、長女である叔母は、婿養子をとって
生涯、祖母と同居した

祖母は暴君として君臨し、家族を牛耳っていた

従姉妹、叔母から昔話しとして、必ずと言っていいほど
この夫婦喧嘩の話しがでてくる

おばあちゃんは竹ざおを持って、逃惑う祖父を追い掛け回していたのよ


祖母の怒りの原因は、大体が祖父の女性関係のものだったようである

祖父は、とある地方都市でいくつか会社を経営していて、地元では有名人だったようだ
瀟洒な家にすみ、女中を雇い、娘たちに日本舞踊、茶道、華道を習わせ
祖父が理事長をつとめる私立の女学校へ幼稚園から入学させた

羽振りがよく、やり手な祖父だったので、女性にはモテたようだ
そんな祖父を、祖母はいつも監視し、疑っていた

~前回、会ったときに叔母から聞いた話~

あのひとは毎日のように夕方になると、私に祖父の会社へ叔母に電話をかけさせたの

仕事は終わったか、帰宅は何時になるか聞けというのよ
父が家に帰らず女のところに行くかどうか、娘に探りを入れさせるため。
私はそんなことさせられるのが嫌で嫌で・・・・
「嫌だ」と言ったら、怒鳴られ、わめかれ・・・・



叔母は小学生の頃からそんなことをさせられていたらしい



~母から昔、聞いた話~

祖父が会社の事務員と浮気してるんじゃないかと疑って、夜中に温泉へタクシー飛ばして見に行ったことがある
(結果はどうだったかわからない)
美人な事務員だったから、常に疑い続け、ケンカばかりしていた
「尼になるから髪を剃れ!」と祖父に剃刀を突きつけていたことがあった


~父から聞いた話~


祖父の女の■■子が○○町にいる ちゃんと調べがついている
○○町、△△丁目×× までわかっているので見てきてほしい
と婿である父は頼まれた
言い出したらきかないので、仕方なく、見に行ったが、そんなひとは住んでいなかった
そんなひとはいなかったといっても、決して事実を受け入れようとはしなかった


祖母は死ぬ間際まで、「夫には女がいる」
そればかり言いながら死んでいったと 叔母は言う
祖父が死んで20年後に亡くなった祖母
祖父の死後も、親戚の○子と出来てたにちがいないだの、近所の△子とも怪しいだの、疑いをやめることはしなかった

裏切られているという気持ちに支配されながら、生涯を終えたようなものなのだろうか
祖母もまたボーダーで
「見捨てられるかもしれない」という呪縛から解放されることはなかったのだろうか


そして世代連鎖


王道を行っている我が家系。。。



手紙

2009-01-16 | 
叔母に手紙を書いて出した

ここのところ、ちょっと落ちていたからだ



叔母は母とひとつ違いの姉


私はこの叔母が大好きだ


外見はそれは美しく
いっしょに歩いていると、必ず
「綺麗な叔母さんね」と言われた

知識にあふれ、物静か
絵を描き、陶芸を極めている
料理の才能が素晴らしく、叔母直伝のレシピは重宝している


ふたりの母である祖母はボーダーだったのだと思う

二人とも精神的にかなり虐待を受けていたはずだ


現在の私の状況を話し、祖母にどんなことをされたか教えてほしいと手紙に書いた

母は幼いころ、「喪失」を味わったはずだ
それは、どんなことだったのか?

叔母にとっては、辛い過去を思い出させることになるので、申し訳ないのだが
私も今、同じ道を歩いているのだと。


手紙といっしょに、「毒になる親」と「母に心を引き裂かれて」を送った

今朝、本が届いたことを知らせてきて
「興味深い本だ」と言っていた


叔母は娘たちとは良好な関係にあり、尊敬を受けている

同じ母に育てられたのに、叔母はボーダーにはならなかった

この差はいったいどこに?

叔母だけ贔屓されていたわけではない
長女である叔母は、婿をとって、生涯、祖母と同居していた
暴君のような祖母に苦労し、泣いている姿を何度も見てきた

その理由に導きがあるかもしれない


**************



この叔母と母

決裂して15年以上


これでもかというほど、姉である叔母を憎んでいる



姉は自分に嫉妬している
姉は自分を陥れようと画策している
姉は冷たくて、陰険だ
姉はがめつい



いつもそう言っていたけど

この「姉」を「母」に変えたら
それが真実

「自己投影」


この症状はさまざまなところで現われていた



母の愚痴

2009-01-08 | 母というひと
母の嫌なところのひとつに、「愚痴」がある

兄嫁の愚痴、父の愚痴


それはそれはエンドレス



兄嫁の愚痴は、彼女の子供がもう成人していることを考えると、
もう20年以上、私は付き合ってきたのだなぁ



とうとう去年、

「もう兄嫁の愚痴は聞きません」
と宣言した

母は驚いて、
「アンタにしか言うひとがいないもん!」と
まるで、当然のことをしてなにがいけないのだ?という言い方だった



「そんなこと、本人か兄に言えばいいでしょ」

と言うと


「私が一回も文句を言ったことがないから、うまくいっているのよ!!」



失笑ものだった

私に20年以上も垂れ流してきたことは、「文句を言っていない」になるわけだ
単に、私を身代わりにしていただけ。さながら、サンドバック代わりだ。


兄嫁に直接言わないのも、本人を慮って言えないのではなく、
「一度も嫁さんに文句を言ったことがない出来た姑」でいたいからだ




「愚痴」は誰でも言う
私だって、友人に愚痴をこぼすことは多いし、友人の愚痴も聞く

なのに、なぜ母の愚痴は聞くに耐えないのだろうと考えてみた


それは、愚痴を言いながら、全く解決しようとしないからだ
アドバイスを求めることもしない
オウムのように繰り返すだけ
そして、そのほとんどは私に解決できることなどなかった


去年はテープレコーダーのように、
「アノ嫁はお父さんになぜ見舞いの電話ひとつかけてこない!」
と電話でやいのやいの言われ続けた



「なぜ電話してこないか?」
この疑問は本人に問うしかないだろう

憶測だけで判断して、母に何か言おうものなら
「アッチャンが言ってた」と言われるのは容易に想像できてしまうので
「わからない」としか言わなかった。

小姑の立場から
「お義姉さん たまには両親に電話のひとつもかけてくれない?」
と言ったこともない

そんなことを私に言われたら義姉は面白くないだろうし、
なにも私と義姉のあいだに波風立てる必要もないと思ったからだ

そして、「電話をしない」理由なんて
気が利かないか、電話をしたくない どちらかしかない
後者だったら、小姑の私に理由なんて言うわけない



母はこの不毛な問いを何百回もしてきた

そんなエネルギーがあったら、一回聞いたみたらいいのに たった一度のこともしない

自分が変わる気はない


こうして、周りに変わることばかり求めて、自分はなにもしない

20年以上ね~
私も気が長かったのか?

愚痴も度をすぎると「毒」になる












新年の挨拶

2009-01-05 | 母というひと
元旦に目覚めの悪い思いをしたのには

母に新年の挨拶をしなければいけないから。

今年は喪中なので、電話しなくてもいいや!と思ったりもしたのだが

そういうわけにもいかないかと、渋々電話した


「挨拶は省くけど、今年もよろしく」
淡々と挨拶だけ

年末に「寂しいから息子のところへ行きたいと思ったけど、断られた」
と作り話をしていたので、しょげているのかと思いきや
声の感じはすこぶる元気でイキイキしていた

ひとり気楽に、誰に気を使うこともない正月を満喫しているのだろう

(この様子じゃ大丈夫だ)


でも、
父のお墓へ行きたかったけど、雪がひどいから止めた
近くのお寺へ行ってお参りしてきた。近い方のお寺のほうが重要なんだ

と、しっかり「父のため」に健気にがんばる自分をアピール
近いお寺のほうが重要だとわざわざ念を押すところが
「めんどくさがってるんじゃないのよ」と言い訳がましい
近くのお寺に行くことが怠けているなんて、こっちは思ってないのに。

他者からどう見られるかをいつも計算しているのって疲れるだろうに



昨夜、親友と長電話していて、私の母と彼女の母が実はよく似ているという結論に達した

私は日頃から、彼女に母のことを相談していて、いろいろなことを知っている
去年から実母と同居が始まり、毎日、愚痴ばかりで依存してくる母親に辟易している
その彼女が、私の母と自分の母のパターンがよく似ていると。
私の話しを聞いて、自分の母も同じように振舞っているという事がたびたび起こっているのだという
私の母と同じタイプなら、同居なんて、辛いことだろう


親友になったのは、似たもの同士だからなのかな

ACはACとしか付き合えないと、とあるブログで読んだことがあるけど、
本当なのだろうか



初夢

2009-01-03 | 母と私の現在
大晦日から元旦にかけて見た夢は母の夢だった

ううっ


目覚め悪かった!


内容もよく覚えている

母が母の実家で通帳や現金を物色しているのを私が発見するという夢。

私に見つかった母は、動揺しながらも

「取り返してるのよ!」と言った

母は実家から財産をもらえず、「奪われた」と思っている

その恨みをずっと抱えているので、私が母方の親戚と付き合うのを嫌がる

そんな背景があるにせよ、こんな夢を見てしまうなんて・・・・

元旦は、喪中とはいえ、新年の挨拶の電話をしないといけないのだな~
いやだな~と思っていた影響だと思う


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年末、また母の嘘がわかった

20日ぶりくらいの電話だった


「お正月、ひとりであんまりにも寂しいから、お兄ちゃんのところへすき焼き肉でも持って行ってあげようか?って言ってみたんだけど、『いいよ』って断られた」


(兄が暮らしているのは東京。母のところからは飛行機か新幹線を使っての移動となる)


そんなハナシをされても、ちっともかわいそうだと思わなかった私

今までさんざん

「ひとりになりたい みんなの犠牲はもう嫌」と不満ばかりぶちまけ
夫である父には「死ね」とまで言ってたんだから

年末、正月にお節を作ったり、お客をよんだりすることを「犠牲」だ「こき使われる」「しんどい」を繰り返し、チャンスがあれば温泉旅行へ出かけようとしていた。
正月に私達が帰省するのを嫌がっていた そんなことするのはとんでもないことだった



兄に

「お正月にそっちへ行きたいって言うのを断ったんだって?」

とメールした

兄もやるな~と思ったので


だが




「そんな話しされてない(怒)!!」

と、兄。



これから母の話しはますます信じられなくなるだろう
過去の話も、ほとんど眉唾だ










あっけにとられてしまった




また「嘘」だ


自覚してようがしてまいが

「嘘」は「嘘」だ


やはり、境界性の特徴が如実に表れている
自分に同情や注目を集めるためなら、嘘だって平気でつく


波乱の2009年が始まりました