【無政府理論とマルクス主義:ヘーゲル左派】
さてここまでアナキズム/無政府主義の大まかな構想を説明しました。 そしてこの項では歴史上顕著で多数のアナキストが信望する師に当たるアナキスト/無政府主義者を紹介いたします。 よく政治経済に精通していない個人たちにとって無政府主義と共産主義が双方とも急進的左翼思想である故同一視しがちになる傾向が伺えることがありますが、【多様な社会主義】で説明しました通り共産主義が計画経済/社会主義の急進思想つまりは経済的左翼思想であるのに対し、無政府主義は自由主義の急進思想つまり社会的左翼思想にあたるわけです。 たしかに【典型的な集産主義である共産主義】でも触れました無政府共産主義者であるトルストイ、プル-ドンやバクーニンは共産主義および無政府主義の双方を信望していますがおなじ共産主義でも新旧マルクス主義や国家共産主義者のように無政府主義に懐疑的な共産主義も存在しまし、無政府資本主義のように経済的に全く逆のベクトルを持つ無政府主義者も存在します。 そしてこの章では無政府主義者達から最も信望されているドイツ啓蒙思想の中でも顕著なヘーゲル哲学の急進派であるヘーゲル左派から派生しました無政府主義者達である、マックス・シュティルナー、レフ・トルストイ、ミハイル・バクーニン、ピエール=ジョゼフ・プルードンを例示していきます。 そしてその無政府思想の反例をヘーゲル左派に一時的に属していましたが後にヘーゲル哲学に懐疑的になり脱退し急進的無政府主義に反旗を翻したカール・マルクスの思想を元に分析していきます。
まず【左翼右翼の正しい定義】で述べました通り、一次元方式のコンパスでは共産主義と無政府主義の正しい配置関係および国家共産主義と無政府共産主義の違いすらわからない使い物にならない代物であることはすでに周知の通りですね。 そこでプルードン、バクーニン、トルストイら無政府共産主義者とマルクス率いるマルクス社会主義者および国家共産主義者の思想の違いを例示していきます。
マルクス曰く無政府主義者は理想におぼれるが故個人の性格そのものを支配している社会構造および不平に分配された富への見解を見失っているということです。 マルクス自身も無政府社会を最終的に迎えることを夢想していますが、現代の工業国家資本主義社会から無政府主義社会へ進化するには段階を踏まえた2、3回に渡る革命を基に社会構造の転換を経なければならないと説いています。 つまり尊厳により縛られたカースト社会を基にした封建社会からの打破に成功した我々は自由市場を基にした資本主義社会から福祉を中心とした社会主義、そして金銭取引を廃止した共産主義社会を経て政府および国家そのものを放棄することにより無政府社会を迎えなければならないのです。 つまり現段階での社会構造では個人の啓蒙が未発達であり個人を導く構造の転換が無い限り無政府は混沌へとつながると明示する思想がマルクス主義です。
その見解に反旗を翻した思想家たちがアナキスト/無政府主義者です。 とくに無政府共産主義者たちはマルクス主義、フェビアン社会主義および全て国家および社会構造を中心とした概念に反発しています。 その無政府共産主義は経済社会ベクトルは一貫してどちらも左に向いていますが実際基本的な哲学面または方法論にて相違する部分がいくつか見受けられます。 たとえばトルストイがイエス・キリストの本来の教えに立ち返り、神の前での皆平等および物質社会の終焉を迎えるための無抵抗、無謀力的な無政府革命の遂行を望んでいますが、バクーニンは個人を揺さぶる闘争心を基に権威を象徴する全てのものの破壊を遂行した上での社会の浄化を行い個人と個人が平等で博愛に満ちた田園社会の構築を促し、プルードンは理想よりも理論的考察に立ち返り、不平等を助長する社会構造の改革による個人それぞれの労働および能力に対する公平な報酬を分配する貨幣経済に変わる『資格証』を用いた無政府改革(革命と相違)を目指しています。 つまりトルストイが穏健かつ平和主義的な革命を、バクーニンが過激で暴力的な革命を重んじたのに対しプルードンは革命に懐疑し改革による合理的進化を掲げています。
おそらく相違する共産主義の間での論争で一番熱いものがなんとも『マルクスVSバクーニン』でしょう。 まさにこの2人の論争は『水と炎』です! マルクスが社会構造の発展を理性的に受け止め個人の良識の変化を信じたことに対し、すべての俗物的な社会構造および人間的物質欲そのものの根本的打開を情熱的に説いたバクーニンはまさに革命遂行派の過激派共産主義者の集団を真っ二つに分断するにいたります。 この二つの思想はともにドイツで発生したヘーゲル左派運動を原点としていますが、20世紀前期ヨーロッパにおいてこの2つの相違する革命主義の性格は方や北へ方や南へと別方向へと分散していきました。 冷静な理性に基づき規律を整えることによる人間性の成熟を促す北ヨーロッパ文明と人間に基づく野性的な情熱に基づき自由、平等、博愛を掲げ愛と勇気をもって生きることを望む南ヨーロッパ文明は方やマルクス的を方やバクーニン的革命が根付いていくのでした。 そしてトルストイのような穏健な革命は血気盛んな20世紀ヨーロッパにおいては流行しませんでした。 しかし世界の国家同士の係わり合いが深くなったその当時、そのトルストイの思想ははるか東へと流れていきました。 そして無抵抗無暴力という思想の根源はかの有名な革命家ガンジーにより受け継がれインド独立運動の原動力となりました。
* 参照:『アナーキズム、アンリ・アルヴォン著、左近 毅訳』
この章では無政府共産主義を例示しましたが、では次の章では経済的に相違するもう片方の無政府主義を例示していきます。 そしてその章が管理人およびこのサイトが夢想する無政府社会像である『シュティルナー主義』をご紹介いたします。
次へ:【マックス・シュティルナー:究極の自由主義者】
戻る:【アナーキズム/無政府理論】
さてここまでアナキズム/無政府主義の大まかな構想を説明しました。 そしてこの項では歴史上顕著で多数のアナキストが信望する師に当たるアナキスト/無政府主義者を紹介いたします。 よく政治経済に精通していない個人たちにとって無政府主義と共産主義が双方とも急進的左翼思想である故同一視しがちになる傾向が伺えることがありますが、【多様な社会主義】で説明しました通り共産主義が計画経済/社会主義の急進思想つまりは経済的左翼思想であるのに対し、無政府主義は自由主義の急進思想つまり社会的左翼思想にあたるわけです。 たしかに【典型的な集産主義である共産主義】でも触れました無政府共産主義者であるトルストイ、プル-ドンやバクーニンは共産主義および無政府主義の双方を信望していますがおなじ共産主義でも新旧マルクス主義や国家共産主義者のように無政府主義に懐疑的な共産主義も存在しまし、無政府資本主義のように経済的に全く逆のベクトルを持つ無政府主義者も存在します。 そしてこの章では無政府主義者達から最も信望されているドイツ啓蒙思想の中でも顕著なヘーゲル哲学の急進派であるヘーゲル左派から派生しました無政府主義者達である、マックス・シュティルナー、レフ・トルストイ、ミハイル・バクーニン、ピエール=ジョゼフ・プルードンを例示していきます。 そしてその無政府思想の反例をヘーゲル左派に一時的に属していましたが後にヘーゲル哲学に懐疑的になり脱退し急進的無政府主義に反旗を翻したカール・マルクスの思想を元に分析していきます。
まず【左翼右翼の正しい定義】で述べました通り、一次元方式のコンパスでは共産主義と無政府主義の正しい配置関係および国家共産主義と無政府共産主義の違いすらわからない使い物にならない代物であることはすでに周知の通りですね。 そこでプルードン、バクーニン、トルストイら無政府共産主義者とマルクス率いるマルクス社会主義者および国家共産主義者の思想の違いを例示していきます。
マルクス曰く無政府主義者は理想におぼれるが故個人の性格そのものを支配している社会構造および不平に分配された富への見解を見失っているということです。 マルクス自身も無政府社会を最終的に迎えることを夢想していますが、現代の工業国家資本主義社会から無政府主義社会へ進化するには段階を踏まえた2、3回に渡る革命を基に社会構造の転換を経なければならないと説いています。 つまり尊厳により縛られたカースト社会を基にした封建社会からの打破に成功した我々は自由市場を基にした資本主義社会から福祉を中心とした社会主義、そして金銭取引を廃止した共産主義社会を経て政府および国家そのものを放棄することにより無政府社会を迎えなければならないのです。 つまり現段階での社会構造では個人の啓蒙が未発達であり個人を導く構造の転換が無い限り無政府は混沌へとつながると明示する思想がマルクス主義です。
その見解に反旗を翻した思想家たちがアナキスト/無政府主義者です。 とくに無政府共産主義者たちはマルクス主義、フェビアン社会主義および全て国家および社会構造を中心とした概念に反発しています。 その無政府共産主義は経済社会ベクトルは一貫してどちらも左に向いていますが実際基本的な哲学面または方法論にて相違する部分がいくつか見受けられます。 たとえばトルストイがイエス・キリストの本来の教えに立ち返り、神の前での皆平等および物質社会の終焉を迎えるための無抵抗、無謀力的な無政府革命の遂行を望んでいますが、バクーニンは個人を揺さぶる闘争心を基に権威を象徴する全てのものの破壊を遂行した上での社会の浄化を行い個人と個人が平等で博愛に満ちた田園社会の構築を促し、プルードンは理想よりも理論的考察に立ち返り、不平等を助長する社会構造の改革による個人それぞれの労働および能力に対する公平な報酬を分配する貨幣経済に変わる『資格証』を用いた無政府改革(革命と相違)を目指しています。 つまりトルストイが穏健かつ平和主義的な革命を、バクーニンが過激で暴力的な革命を重んじたのに対しプルードンは革命に懐疑し改革による合理的進化を掲げています。
おそらく相違する共産主義の間での論争で一番熱いものがなんとも『マルクスVSバクーニン』でしょう。 まさにこの2人の論争は『水と炎』です! マルクスが社会構造の発展を理性的に受け止め個人の良識の変化を信じたことに対し、すべての俗物的な社会構造および人間的物質欲そのものの根本的打開を情熱的に説いたバクーニンはまさに革命遂行派の過激派共産主義者の集団を真っ二つに分断するにいたります。 この二つの思想はともにドイツで発生したヘーゲル左派運動を原点としていますが、20世紀前期ヨーロッパにおいてこの2つの相違する革命主義の性格は方や北へ方や南へと別方向へと分散していきました。 冷静な理性に基づき規律を整えることによる人間性の成熟を促す北ヨーロッパ文明と人間に基づく野性的な情熱に基づき自由、平等、博愛を掲げ愛と勇気をもって生きることを望む南ヨーロッパ文明は方やマルクス的を方やバクーニン的革命が根付いていくのでした。 そしてトルストイのような穏健な革命は血気盛んな20世紀ヨーロッパにおいては流行しませんでした。 しかし世界の国家同士の係わり合いが深くなったその当時、そのトルストイの思想ははるか東へと流れていきました。 そして無抵抗無暴力という思想の根源はかの有名な革命家ガンジーにより受け継がれインド独立運動の原動力となりました。
* 参照:『アナーキズム、アンリ・アルヴォン著、左近 毅訳』
この章では無政府共産主義を例示しましたが、では次の章では経済的に相違するもう片方の無政府主義を例示していきます。 そしてその章が管理人およびこのサイトが夢想する無政府社会像である『シュティルナー主義』をご紹介いたします。
次へ:【マックス・シュティルナー:究極の自由主義者】
戻る:【アナーキズム/無政府理論】