A-LA-KUU  ~精神世界をニョロリと漂う~

バッチフラワー&オーラソーマプラクティショナーが世田谷区駒沢から綴る精神世界。バッチフラワー、オーラソーマ、天然石、犬。

大人は不幸か?@坂口安吾『恋愛論』

2010-08-03 18:14:55 | 日記
「恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、
ということを知っている大人の心は不幸なものだ」

                        坂口安吾『恋愛論』より


坂口安吾は、私が愛してやまない、精神的支柱とも言える作家ですが、
この発言に対しては異論があります。

恋愛は、衝動です。
安吾の言うように、一時の幻影に過ぎません。
いつかは覚めます。

問題は、覚めた後にどうするかです。
強烈な衝動というバイアスの外れた「通常モード」になった時、
いかに相手と友好な関係性を保っていくか。

私は安吾の言うところの「大人」なので、
恋愛の持つ幻想性にうつつを抜かすよりも、
恋愛相手とのよりよい関係性を構築することのほうに、
遥かに人を愛することの醍醐味を覚えますね。

そう、ある意味、大人は不幸なのです。安吾の言うように。
若い頃のマボロシ的な、楽しくて嬉しくて、
まるでこの一瞬が永遠に続くかのように思われる、
夢見がちな恋愛は、大人はなかなかできません
(できるカップルもいるでしょう。
しかしそれは、幻影が長く続くか短く終わるかという程度問題に過ぎません)。
なぜならば、大人は恋愛の終焉を知っているからです。
経験によって、恋愛に対する条件づけもできてきます。
幸か不幸か、学習してしまっているのですね。

しかし、これを私は不幸とは捉えません。
愛する相手といかによい関係を築いていくか、と思案する楽しみがあるからです。
感情だけの繋がりではない繋がり方も見出せるようになります。
これが大人の恋愛の楽しみ方だと思います。



続けて安吾の言葉を引用します。

「年齢には年齢の花や果実があるのだから、
恋は幻にすぎないという事実については、
若い人々は、ただ、承った、ききおく、という程度でよろしいのだと私は思う」


その通りですね。
私も、若い頃にこんなことを言われていたら、馬耳東風だったと思います。
事実、私が『恋愛論』を初めて読んだのは高校生の時ですが、
ここに引用したフレーズを一切覚えていません。身に沁みなかったからでしょう。

そして、ここが面白い。

「ほんとうのことというものは、ほんとうすぎるから、私はきらいだ。
死ねば白骨になるという。死んでしまえばそれまでだという。
こういうあたりまえすぎることは、無意味であるにすぎないものだ」

非常に安吾的な文言だと思います。

安吾は作家ですし、私から見ると生粋の恋愛体質な人なので、
このような無頼派的物言いがさまになりますし、
かっこよく言いっぱなしてもOKなわけですが、
私のようなリアルをどう生きるかという問題を扱う者にとっては、
安吾の言う「ほんとうすぎる」こと、「あたりまえすぎること」、
「無意味であるにすぎないもの」を、だからと言って捨て置きません。
そこで終わったら、リアルの問題が解決しないからです。
そのほんとうすぎて無意味なものに悩んでいるという現実をガン見します。
すると案外、無意味と切り捨てたものに、あれれ?
問題解決のためのヒントがわんさと隠れているじゃない?
となるわけです。


恋愛に限らず、智慧を使う喜びをね、大人は持っているわけです。
だから、大人は大人で楽しみましょ!ってお話でした。

人気ブログランキングへ