*長すぎるエントリーとなったので、3つに分けてみます。(内容はほとんど変わっていません)
先週の週末は東北に出かけた。いろんな人がいろんなことでこれまでも出かけている。こちらは何の役にも立たない、見るだけの旅である。なので、結構、後ろめたいのだが、やはりインターネットやテレビで伝えられたことだけに縛られるわけにはいかない。
16年前、大阪に住んでいたぼくは倒壊家屋が延々と続く神戸の町をあるきながら、自分で見ることの大切さを感じていた。
きっとテレビの横長の映像はそのさらに左右、上下に何があるのかを考える想像力を失わせてしまうのだろう。あるいは想像することを必要と思う倫理をだめにしてしまうと言ったほうがいいかもしれない。
だから何も出来ないから行けないと思うのなら、手を合わせに行くと思って出かけたほうがいいのだ。
というわけで、23日の午前の新幹線に乗り込んだ。途中、郡山や福島を通っていく。田んぼに稲が青々と育っているが、それを見る心境は複雑だ。京大の小出さんによれば、われわれには安全という世界はもうなくなったのだ。どこまでなら我慢できるかを考えるしかないという。
お昼過ぎに一関に到着。熱帯低気圧になったマーオン(マーゴンと書かれているのは大きな間違い)のせいで雲が厚い。駅前でおそばをいただき、レンタカーを借りる。車にのってさてエンジンをかけようとしたところで地震(震度4)。風の音かと思ったのは、地震でレンタカー会社の屋根が揺れて音を立てているのだった。歓迎の地震である。