大自然からの光のメッセージ

守護神・守護霊達から送られて来る光のメッセージを霊感・霊視・霊聴により人生のテーマを言霊でお伝えします。

出雲大社 (3)

2010年02月28日 | 神社・仏閣参拝
出雲大社に参拝する2日前かと

思いますが黒龍の夢をみました。

黒の鱗がとても苦手の為、余り気持ちの良いものでなく 

黒光した鱗が妙に記憶に残り、後味の悪い夢でした。

  那智大滝は、とても波動が高く体の調子が良くなり

   まるで、ミントの様 気持ち良く 自分に合いますが...

 

出雲大社向かう、電車の中から眺めていて 神西湖

  癒されると感じ行きた~いと思いました。

こちらの神社に参拝する事になったのは

 数年前に 古代の出雲大社の夢を観て 

  ずーと神様のルーツを探しておりましたので

   自分に癒しの波動を下さる神社かの確認の為の参拝です。

 那智大社で、1つの目的を達成出来ましたが

    出雲でも大黒天の置物でも購入するのかと

                思いながらの参拝でした。

 出雲市駅に行って、大国主大神の大きな木彫りがあり 

 

手に大きな水晶の玉と大きな首飾りをとても気になりました。

駅の外には、山陰海岸 因幡の白兎と出雲大社の看板 

   それをみたら...山陰海岸 

         因幡の白兎に行きたいと思いましたが

1人旅でありませんので、計画通りのコースで変える事なく 

          出雲大社への旅となりました。

 参拝する前に、太古の出雲大社を展示場に行き

        旅の目的を 係員さんに尋ねました。

     "太古の出雲大社に、何が祀られていたのですか?"

係員さんは、すんなり『大国主大神様です』

大黒天は... インドの神様で

袋を背負いその姿が似ていたので

大黒天が祀られる様になりましたが

              本来は大国主大神様だとの事です。

 その後、出雲大社に参拝し 

社務所に行き...大国主大神様の掛け軸が

あれば購入するつもりで、お聞きしました。

案の定 "ありません" との事で

大黒天の掛け軸のみとの事でした。

     帰り道 お店に立ち寄りましたが

         出雲大社と同じ掛け軸が売られていました。

出雲大社で売られている物は、御霊入れがされた尊いものだと

思いますが、頂くことなく 後に致しました。

帰り道に立ち寄り、 名物の出雲のおソバ 

     とても美味しく 行ったかいがありました。(最高

食後に、べつ腹のあんみつ 

  さっぱりしていて 甘味を抑えてありました。

    出雲大社に今後 行く事はおそらくないと思いましたが

 

          山陰方面 海岸行ってみたいと思います。

ピジョンで観た、少し高い岬から 弥生時代の服装をされた

男女のお姿を、観させて頂きました。

岬から観える、2つの岩島に鳥居 とても景色の良い場所です。

      これからも続く、スピリチャルの旅 

生活その物が 修行だと中々思えない時もありますが

解決して行く事で...

1つ1つパズルが完成していくんだと思います。

那智大滝 (2)

2010年02月22日 | 神社・仏閣参拝
  (観世音菩薩)

那智大滝に参拝してまず感激した事は、那智大社が神仏合体のお祀りであった事です。

明治維新後に 神仏分離令は、もともと一体であった神仏習合の霊地に、神か仏かのどちらか片方を選択するように命じられてしまい、本宮も新宮も神を選び、仏を捨て、寺院は取り壊されまったそうです。

那智でも、神を選び、廃仏毀釈を行い、いくつもの仏寺や坊舎が、取り壊される中 那智権現は、明治4年(1871)に「熊野那智神社」と、名前が改められ、仏教・修験道を、排した神社となったとの事です。

10年近くまえに スクリーンに1つの物語を観させて頂いた時
 
1番印象に残った巫女さんの祭壇に、天照大神・大黒天・観音様がお祀りされていました。

今回もこの形でしなさいという🌠メッセージと受け取り、天照大神をお迎え致しました。

でも・・・大黒天は中々お迎えする機会がなく、その場所が空いている間
、5年程前からだと思いますが、白龍呼(はくりゅうこ)の言葉に、引き寄せられ、那智大滝に導かれました。

紀伊勝浦駅下車をして、観光バスに乗り込み、熊野那智大社への参道「大門坂」で、途中下車しました。

こちらも懐かしく、石畳の歩道を観た時、"行きたい" と思いました。

  
(鎌倉積みの石段)

 その後に、那智大滝を 

ワクワクする気持ちを抑えて 

              鳥居をくぐり参拝致しました。



御水を持ち帰る事が、1つの目的です。





お水は、500円の瓶に入れて、お持ち帰り出来ますので、勿論お土産にしました。 

こちらの御水は、メンタル波動が強く出ていますので、精神が安定しやすくなり、ストレスから来る脱力感などにとても、良い変化が起きると感じました。

飛瀧神社の御神体、四十八滝の中の一の滝になります。

御祭神は大己貴神(オホナムチノカミ)大国主神(オオクニヌシノ カミ)の

                 

若い時代の呼び名との説もあるそうです。
      
那智大滝の上にある 第2・第3のお滝も是非、参拝したかったのですが前もって、申し込んでいなかった為 参拝出来ませんでした。

那智大社に前もってご連絡しておくと、お滝を拝見出来るそうです。(残念)

又、観光バスに乗り 山の上に行き、那智大社へと向かいました。



階段を上がり、うえに着いて まだある 私達夫婦は



ショートカットしてやっとの思いで、那智大社に到着致しました。

主人が連絡しておいて下さった、宮司しか御作り出来ない那智大社しかないという尊い神軸、その日に、神主の所にお伺いしました。

"何処で、神軸の事を お聞きになりましたか⁉️"

神軸の事を聞いて来た人が、過去いなかったそうで、びっくりされてしまいました。

事前に連絡していたので、宮司さんと、お約束をしていると伝えました。

普通は、神軸を置いていないとの事でしたが、1つありましたと お持ち下さいました。

この事は、本来書いてはいけないかと思いましたが、ご縁のある方しか、那智大社の神軸は頂けないと、その時初めて知りました。

光のご縁は、ご自分の努力は勿論ですが、古い先祖達の強い🌠メッセージによるもので、頭で考えて理解出来るものでありません。

地上でも、試験を合格するまでに苦労して受かる方や、割と簡単に受かる方がおりますが、全部意味があり、自分の場合は、苦労して此処まで来た感じです。

占いを受けるコツとしてお伝えしたい事は、ヒントや答えを出す為の環境などの🌠メッセージであって、自分で考えて、答えを出す為のお手伝いと思って下さい。

話しが大分ずれてしまいました。
          
那智大滝の神軸を頂き、旅の1番の目的を達成出来ました。

拝殿ににて、那智大滝の奥にある、お滝のお砂を袋の詰めて 500円で、販売しておりましたので、二袋頂いて来ました。

主人は、自分のリュックに 神軸と大滝のお砂2つを入れ、明日に、出雲大社に行くという、ハードスケジュールの為、那智大滝 参拝の後 岡山のビジネスホテルに向かいました。

勿論 主人が荷物を運んでいましたが、道中 リュックを背負い"リュックが暖かい" と言うのです。

触ってみますと、確かにある部分だけが熱を放っていますので、中を確認しましたところ、何も熱を放つ物はありませんが、そこの位置に、神軸と那智大滝のお砂がありました。

私達は、目を合わせて、まさか 不思議な事があるものだと思いました。


那智大滝~出雲大社 (3)に続きます。

熊野那智大社は滝を神とする自然崇拝からおこった社です。
 
社伝には、神武天皇が熊野灘から那智の海岸「にしきうら」に上陸されたとき、那智の山に光が輝くのを見て、この大滝をさぐり当てられ、神としておまつりになったとあるそうですが、神武東征以前から熊野の原住民が神としてまつっていたと考えるのが自然でしょう。
大滝には現在、「熊野那智大社別宮飛瀧神社」が鎮座し、大己貴命(おおなむじのみこと)が祭られていますが、神社とはいっても本殿も拝殿もなく、滝を直接拝む形になります。

社殿がないことからもはっきりとこの大滝が御神体であることをわからせてくれます。かつての熊野の自然崇拝の有り様を今に伝えている神社のひとつです。

神仏習合が熊野信仰の特徴のひとつでしたが、大滝に祀られた大己貴命の本地仏は千手観音だと考えられ、飛瀧権現(ひろうごんげん)と呼ばれました。かつては那智大滝の岩壁には千手観音の磨崖仏が彫られていて(地震により崩落してしまいましたが)、大滝近くには千手堂が建っていたそうです。

那智の主神・牟須美神(ふすみのかみ)の本地仏も千手観音であり、那智は観音浄土「補陀落(ふだらく)浄土」とみなされ、那智の浜に面していた補陀洛山寺が拠点となって、補陀落渡海という一種の入水往生がしばしば実践されました。

本地仏と権現について少々。
 
6世紀に伝来された仏教ですが、次第に神道と融和していき、平安後期には本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想が浸透していきます。

本地垂迹思想とは、神の本地(本体)は仏であるという考え方。仏や菩薩が人々を救うために仮に神の姿をとって現われたのだという考え方です。

もとの仏や菩薩を本地といい、仮に神となって現われることを垂迹といいます。また、その仮に現れた神のことを権現といいます。

平安末期、12世紀には、熊野三山それぞれの12の社殿に祀られた神々は熊野十二所権現と呼ばれ、すべて本体は仏や菩薩であると考えられました。

本宮の主神の家都美御子神は阿弥陀如来、那智の牟須美神は千手観音、新宮の速玉神は薬師如来を本地とするとされ、本宮は西方極楽浄土、那智は南方補陀落浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土の地であると考えられ、熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになりました。

(那智の滝への崇拝からおこった霊場から抜粋)

那智大滝 (1)

2010年02月21日 | 神社・仏閣参拝
2月13日・14日に、スピリチャル旅行に行って来ました。

まず1日目は、岡山の那智大滝に参拝して参りましたが

今まで多くの夢や、ピジョンによってこの場所へと

導かれたと感じています。

まず夢からのお話しをさせて頂きます。

この夢は、5~6年前位、もっと幼い頃かもしれません。

高い山の景色が大好きで、分厚い雲に覆われている

景色を観ると、懐かしく 泣けちゃうんです。

帰りたくなり、訳も無く 寂しくなって 涙がぽろぽろ

20歳の時 大失恋をした時、心理テストで 

太陽と山・蛇・木・道・家を描いて 性格診断を受け

 失恋した彼から "変わった絵書くね" と言われました。

その絵は、普通に山を書き 太陽が山より下に書き 蛇を書いている時に、頭の中に白蛇のイメージが浮び 山の頂上で、天に向かって 口を開け 舌を出して、泣いていました。

 

家は、下の方に描き 木は1本 しか書きませんでした。

帰りたいという思いがとても強く込み上げてきたのを覚えています。

日本昔話しの白蛇のお嫁さんの漫画を観ては泣きました。

何故、こんなに込み上げてくる懐かしさ 悲しさ 経験がないのに、経験した様な感覚になりました。

でも、思い出せないんです。

夢は、度々異次元界に入り込んでしまい 平屋の家で、凄い行列があったので 並び 皆さんと同じ様に、人生の課題を教えて頂こうと夢の中で待っていました。

自分の番になるなり、その先生は くるりと背を向けられて 立ち去られてしまいました。

夢と解っていますが、私にもヒントを、教えて欲しかったな・・・ 

私だけ教えて頂けないですもん。

目が覚めてかららも、大変考えこんでしまいました。

この夢も忘れられませんが、その時は 1人で、沢山の赤い旗のある平屋のお宅に伺い "自分の生きて行く為のヒント 何を求めて行ったら良いか" 筆を出して、サラサラと半紙に書いて見せて下さいました。

1つの龍を中心に、両脇に2体の龍を書いて見せて下さいました。

今だに意味が解りませんが、今後この答えも理解出来ると思います。

那智大滝を拝見した時、魂の故郷と直感した理由は 

 

深い高い山の中に、深い霧 綺麗な湧き水があり、その奥にある里を、追い求めてきたわけですが、とても似ていたと言うことです。

夢で行った事がある所だと・・・

この場所は、聖地の為 肉体のある、穢れた者は入る事が出来ません。

竜宮城や養老の滝は 私は 存在すると思っています。

白龍が深い霧を発生させますので

    

人間は決して立ち入る事が出来ません。

夢で白龍の里に間違えて入ってしまった時は、皆さん昭和の初期の様な生活をしていて、着物の様な服をお召しになり、滝の下の辺りで弥生時代の様な

 格好をされた女性が踊っていられて、とても のどかな村だと思いました。

私は、オバサンですがこの村では、子供で、手を繋いで下さる、保護者の様な男性がいられて、突然 右目が白く光り、人間じゃないとはっきり解りました。

その方は、私の肩を押し

高い所から落としました。

人間の愛情とちょと違いますが、愛情を感じていましたので、必ず助けてくれる事を知っていました。

突然 その男性のお体が長くなり、落下して10M位の所で体に巻き付き助けて下さいました。

その時言われた事は "もう此処には来ては駄目だよ"それっきり その場所に 行く事はありません。

その夢を観たのは、去年だったと記憶しております。

この那智大滝に、全国に行かれている多くの白龍が、息吹を求めに来られています。



息吹の意味は、生き生きとした気配や様子ですが、精霊もお食事が必要なんです。

息吹の言葉を人間社会で言うなら、メンタル波動の事を指しますが肉眼で観える色は、まさに虹です。

人間のオーラの中に 7色の色を持つ方は、人様を癒すお力があります。

無意識に大慈のお気持ちになってしまい、エネルギーを、差し上げてしまうんです。

意味を理解しないで生活する事は、エネルギー不足に、なり易いので気を付けて、森林浴・湧き水、綺麗な小川・井戸、人間を元気にする神の偉大なお力が、ある事に気が付いて頂ければと思います。    

那智大滝(2)~に続きます


那智といえば、なんといっても那智大滝(なちのおおたき)です。

一般に「那智の滝」といわれ、「一の滝」ともいわれるこの滝は、 落差133mの日本一の直瀑です。

那智大滝は、今でも素晴らしい滝ですが、滝の背後や周囲の山々がすべて原生林に覆われていた昔の姿を想像すると、遥かに神々しい姿であったに違いありません。

滝の落ち口の岩盤に3つの切れ目があって、3本になって滝が落ちることから「三筋の滝」ともいわれます。

滝の落ち口の幅は13m。
滝の落ち口には注連縄の張られていますが、この注連縄は毎年2回、7月9日と12月27日に
神職の手によって張り替えられます。

滝の右手には「那智原始林」と呼ばれる原生林が広がっていて、国の天然記念物に指定されています。

32というわずかな面積ですが、那智原始林は和歌山県下唯一の原生林で、とても貴重な照葉樹林の森です。

滝壺の深さは10m。南方熊楠によると大滑落岩塊のため三分の一強埋もれてしまったそうで、昔はもっと広く深かったのが、滝の上の原生林を濫伐したために岩石が落下し、滝壷が埋もれて現在のように小さく浅くなってしまったらしいです。

この滝は、一の滝でさらに奥に また、那智大滝の上流には、さらに
「二の滝」「三の滝」と呼ばれる美しい滝があります。

二の滝は落差20mほどの優美な女性的な滝で「如意輪の滝」ともいわれます。

二の滝の上流にある三の滝は、落差15mほどで「馬頭観音の滝」ともいわれます。

那智山中には「那智四十八滝」といって48の滝があり、修験者により滝行が行われてきました。

全部で48滝あるそうです。そこで、修験者の滝業が行われてきたそうです。

経典や仏像をはるか未来に残すのにふさわしい霊地とされた那智の大滝。那智は、観音信仰の霊場であるとともに、弥勒信仰の一大霊場でもあったのです。

しかし、この那智の神仏習合の信仰形態も、明治元年、1864年の神仏分離令によって破壊されてしまいます。

那智大滝の飛瀧権現では千手堂が廃され、仏教・修験道を廃した神社「飛瀧神社」となりました。

(那智の滝への崇拝からおこった霊場から抜粋)