92の扉

2015年9月で一旦休止しましたが、細々再開しようと思うので、よろしければ、扉を開いてみて下さいね!

あれから11年

2006-01-17 | その他
 「人は忘却の生き物である」というような話を聞きます。

 確かに、全ての喜びや悲しみの記憶を永遠に留めておくことは難しいですし、忘れることで新たな経験を受け容れて前に進むことができるという面も大きいことでしょう。

 でも、忘れることなく、経験を財産としたいことも多いですね。

 気が付けば、あれから11年。

 直接、経験した人には及ぶべくもないけど、 うちにとっても大きな出来事だったと思っています。

 殊更、大上段に振りかぶってもしょうがないでしょうけど、何かできることがないか考えて行きたいものです。できるところから少しずつでも…


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阪神・淡路大震災の記憶 (追記あり)(2005-01-17)
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2 コメント

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本当に (U子)
2006-01-23 23:41:35
自分自身、当時の生活に追われ徹夜徹夜~で明け方帰宅して

TVをつけたのが、1/17 17:30過ぎ。

TVのテロップで「関西地方に地震」と見ても

関西でそんなに大きな地震がおこるとはおもわずウトウトしていたら、相方から電話・・・

相方は西宮出身なので(当時は本人は別の地方にいましたが)

そのままとるものもとりあえず、飛行機とバスと電車と徒歩で実家に駆けつけ、

それからは本当にバタバタしたようです。



あれから11年・・・毎年毎年 時の流れの速さと

まだ終わっていない現実が続いていることを感じています。



当時を忘れることなくできることからやっていきたい・・・本当にそう思います。

とりあえず自分は、非常持ち出し袋を枕元において寝ています。



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■ U子 さん (kuni@管理人)
2006-01-24 03:30:12
関西での大地震、多くの人のとって「想定外」だったと思います。



それだけに、朝のTVが映していたヘリからの映像で、高速がコケてるのを初めて見た時に「これは半端な揺れとちゃうな」と直感したものです。



関西に縁を持つ人なら、多かれ少なかれ、思うところがあった筈の震災。この経験を無駄にすることないようにしたいものです。





> とりあえず自分は、非常持ち出し袋を枕元において寝ています。



お、さすがですね!



うちはそこまでハッキリとはしていませんが、松本~東京の移動にかかる基本セット(?)が、非常持ち出し袋に近い存在かもしれません(苦笑)

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