hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●國學院大學博物館「絵で見る日本のものがたり」

2017-05-18 | Art

「國學院大學 春の特別列品―絵でみる日本のものがたり―」 

2017年4月14日(金)~5月21日(日)

 
先日、根津美術館のあとに、歩いて國學院へ。
 
根津美術館のカフェが行列で、國學院までの間にお店もなく、空腹に耐えかね大学内の学食に侵入。
ご近所マダム風の方が談笑していたりと、一般の方も大丈夫のようです。学食というより、きれいなカフェ。学生さんたちもさざめくようにお静か。
おいしいパンとミントティで復活。
 
絵巻の世界に足を踏み入れてしまった絵巻ビギナー。
今回は、全10点。伊勢物語、酒呑童子、竹取物語が数点ずつ、比較できるようになっていた。(いくつかは、國學院大學図書館デジタルライブラリーで公開されている)
 
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伊勢物語は、本にしたてられたもの。
古活字本(江戸初期)、覆刻製版本(江戸初期)、奈良絵本(江戸初期)の3種。
1608年に嵯峨本が刊行される。仏典や漢籍でなく、物語が印刷刊行されるのは、当時画期的なことだったのだとか。
展示の三作は、この嵯峨本に続いて刊行され、絵柄も下敷きにしたもの。同じシーンが開かれている。
奈良本だけは、着色もされていた。
 
 
 
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俵藤太物語(江戸時代中期)は、一点のみ。1軸のはしからはしまで広げてあった。7~8mはあったかと思う。絵がすばらしい。
ストーリーも楽しいことこの上ない。実話なのか、フィクションなのか、盛ったのか、よくわからないところが日本の昔話って面白い。
 
藤原秀郷が橋に差し掛かると、大蛇が横たわっており、皆が困っている(大蛇が意外としょぼく、名前負けしているのがほほえましい)。秀郷は臆することなく、大蛇をひょいと踏んづけて進む(くえっと舌を出す大蛇)。
⇒この大蛇は実は龍王で、秀郷を見込んでお願いをする。大ムカデがでて困っているので、退治してほしいと。
⇒そこで秀郷と龍王(老人の姿)は、徒歩で山を越えて現場へ向かう。(道中の山並みの絵が見ごたえあった。青と緑青で鮮やかに描かれ、紅葉も点々と赤く色を挿していた)
⇒岩の足場から、片衣ぬいた秀郷が、海中のムカデに矢を射る(秀郷とムカデのあいだで、どきどきしている大蛇姿の龍王がやっぱり愛らしい)。空には、一つ目の雷神が迫力を添える。
⇒矢を受け、ハチの巣状態になった大ムカデが、血をにじませながら海に浮いている。陸では、美しい松や紅葉。ご老人にお礼を言われ、にっこりする秀郷。(表情まできちんと描いている)
⇒お礼の宴席。
 
波頭の先の竜宮のシーンが、とにかく楽しい(國學院大學博物館のtwitterに少し画像がある)。
はまぐり男、蛸男、まきがい男、さかな男、エビ男。学芸会みたいにいろんな海のものをかぶせられた妙な住人がいっぱい。かわいい亀の親子の玄武も。
しかもとても鮮やかにきれい。秀郷にふるまうごちそうが、串焼きの蛸や魚なのはちょっといいのかなと思ったり。
こんな絵巻にしたてた、絵師の実力とおちゃめさ(いや多分大真面目)に感服。
 
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酒呑童子のお話では、4種類。
名シーンでの登場人物の動態、様子、また床材や襖といったインテリアの描きこみや、周辺風景の有無など、見比べると面白い。
 
まず、大江山酒呑童子絵貼交屏風 江戸時代前期?は、二曲一隻の屏風に各シーンを貼り合わせたもの。(経年で状態があまりよくなく、絵巻を見に行ったのに単眼鏡を忘れるという失態を犯してしまったため、よく見えなかった(泣)。デジタルライブラリーで見られる)
これは伊吹山系の酒呑童子。酒呑童子の出生にはいろいろな説があり、これは伊吹山の八岐大蛇の子であるという説に基づく。そのほかには越後生まれ説、大和生まれ説など、どれもなかなかたいへんな出自。
 
「酒呑童子絵巻」江戸時代前期は、一軸の絵巻(こちら)。これは鮮やかで細密だった。
山伏姿の源頼政一行の準備段階から始まっていた。
討たれた酒呑童子の首が頼光にかみつくシーンは、動画のコマ送りのよう。秒ごとに首が飛ぶ。(気持ち悪いので小さい画像にしておく)。
 
混乱のなかで女性たちが逃げ惑う姿も、臨場感たっぷり。
 
この後は、屋外へ逃げ出した手下鬼たちも次々に討たれていく。
畳や着物も色鮮やか。襖に描かれた波図が素晴らしく、その迫力は演出効果たっぷり。細部まで行き届いていて、見どころがたくさんの絵巻だった。
 
 
「大江山絵詞」寛文・延宝ごろ(1661~81)も、金使いの鮮やかな絵巻。確か、床は升目もようだったような。
酒呑童子の首は中に飛んでいたけれど、先の絵巻と違うのは、頼政にかみついてはいなくて、逃げる女性もいなかったところとか。
 
 
「大江山絵巻」明和2年(1765)は、狩野派の作。ほぼ墨の線描のみで、松と血だけに少し彩色が施されていた。樹木や岩から始まっていたのが、格調高く狩野派っぽい描き方。童子のとらしまパンツも毛皮が細密で明瞭なのが妙に印象的。しかし、首がおちていたり、刀で縦割りになっていたりとかなり凄惨。
 
岩佐又兵衛の「山中常盤絵巻」など見ると、その凄惨さにおののき、これは又兵衛が母や兄弟みな殺されるという体験のゆえか...と思っていたけれど、凄惨さにかけては、又兵衛だけではなかったのか。絵師が戦いものを手掛ける以上は、怖くてなんぼ、血まみれでなんぼ、なのかもしれない。
 
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最後は、竹取物語が3種類。
どれも、龍の首の玉を取りに舟で海へこぎ出し、荒波にもまれるシーン。
 
「武田祐吉博士旧蔵品」寛文・延宝記は、箱書には、狩野永徳の印があるというけれど、どうなんでしょう??。工房の作かな?
雷神の顔はちょっと迫力に欠けるかも・・
船室内の壁の竹の絵まで細やかな気配り。
黒雲もコンパクトにまとめ上げ、波もきちんと整理整頓する感じ。絵師の性格かな。
 
 
それに対して「ハイド氏旧蔵品」寛文延宝期もっと自然現象が豪胆な感じ。 
雷神の顔がおちゃめだったけれども、暗雲は大きく空に広がり、波も迫力。舟は荒波に激しくもまれ、大伴御行もひっくりかえっていた。
ハイド氏はNYの弁護士で、1960年から収集を始めたのだそう。個人的には3つのなかではこれが一番お気に入り。
 
 
「小型絵本」元禄期は、舟が雅びな感じ。海も大海っぽくなく、庭園の中の池みたいな感じだった。
 
三者三様、同じシーンでも絵師の個性が出て面白い。
 
 
いつも満足の國學院博物館の企画展示。今回は常設展示は時間がなくてみられなかったけれど、無料なのが申し訳ないくらい。ありがとうございました。
 
 


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