hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●根津美術館「行楽を楽しむ器ー堤重と重箱」

2017-05-29 | Art

前の日記の続き)

根津美術館の5室は「行楽を楽しむ器ー堤重と重箱」

堤重とは??。英語では、堤重:Picnic Sets、お重箱は:Tiered Boxesとありました。なるほど。

生活用品がため息ものの美しさ。いくつかの堤重は、旧皇族の竹田氏の寄贈。納得。

堤重は、持ち運べるフレームに、重箱、小皿、徳利などがぴったり収まる。花鳥風月、故事などを、金蒔絵、漆塗りで仕上げる。

宝石箱のようなこの中に、いったいどのようなお料理を入れていたんだろう?。唐揚げなんか入れたらだめかしら。

 

中に、柴田是真のお重箱があったのがうれしい。是真のはありきたりの図柄でなく、大胆。

「蕗茗荷漆絵重箱」は、フキとミョウガが大きく。蕗は富貴に通じるのだとか。二つの異なる地肌の木を継いでいる。漆は刷毛がかすかに見える。漆が澄んでいることにびっくり。茗荷も、四角いお重箱の形に、流れるような丸みだった。いいもの見たなあ。

「蕨漆絵堤重箱」は、黒地に金銀のわらび。フレームには縦長の窓が開いている。重箱は、円形と角型を組み合わせた、からくり箱のような形。それが上からみると、月になっている。超越した技術の粋に、遊び心。是真、すごし。

(別冊太陽「柴田是真」にあった芭蕉蒔絵提重を追記↓)

 

根津美術館のお庭は、この日は燕子花の見ごろが少し過ぎたころ。でもまだまだ美しかった。

 

 

 


●根津美術館「燕子花図と夏秋渓流図」

2017-05-28 | Art

根津美術館「燕子花図と夏秋渓流図」2017. 4.12~5.14

ずいぶん前に終わってしまったのですが、書きかけの備忘録を一応しめておきます。

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入ってすぐ、伊年印の六曲一双「四季草花図屏風」

右隻は春から夏へ

左隻は秋から

一つ一つの花が生き生き、見て描いたよう。右隻はアザミと牡丹から始まり、屏風の内へと誘ないこむように茎を内へしならせていた。巻き付く先を探す蔓、意志がありげな植物は、かいかい時代の其一のよう。其一から光琳、宗達へと戻る。

アザミや撫子、萩、牡丹などは一本のなかに赤白ピンクと三色の花が混じり、菊はほんのりピンクのグラデーション。植物図鑑のような写実さだけど、非現実的な咲き方、生え方。菊や南天であやしく収束していた。

帰宅後調べると、68種もがこの中に咲いている。タネツケバナ、メガルカヤなんて初めて聞いた。百合だけでも、ひめ百合、鹿の子百合、笹百合と。大根、かぶ、ささげマメ、茄子と、野菜がまた愛らしい。

 

「桜下蹴鞠図」17世紀 なななんだこの面白い屏風は。宗達及びその周辺で描かれたものらしい。

右隻は、桜の下でけまりをする公家や稚児。

それを上から見おろして描かれているのだけど、それとは逆に、公家はまりを追って上を見上げる。だからそれを追う私の視線も浮遊し、くらり。まりは上に半分だけ見えている。もっと高く上がるのだろうから、空間がどんどん広がる。

そして桜の幹と枝のなまめかしさ。桜の気持ち的には、蹴鞠に参加しているんでしょう。いえ、桜だけで、ちゃんとバレーボールの円陣パスが成立している!。ヒトと桜のパラレルワールド。

左隻は、画面を斜めに分断する塀で、右隻とは別の世界。ご主人たちの手がかからないひと時、従者たちの開放感あふれる顔、そこまで嬉しいのかい。いつも脇役の従者を主役に据える。

のどかな情景なのに、構成は対比と呼応を計算している。右隻は、建物の直線に木の曲線。人は分散。左隻は、塀の直線に水流の曲線、人はひとまとめに。左右の色の分量もちょうどいい按配にしてある。宗達の空間創造力、恐るべし。

 

「燕子花図屏風」18世紀、尾形光琳 やっと見られた。リズムにのみこまれそう。目の前にすると思いのほか、花が大きい。

右隻の燕子花は、横から見ているんでしょう。左隻は見下ろす視線。

離れて見ると、余白の広がりを感じるのに、近づくと花の迫力にたじろぐほど。もはや、美しいとか生易しいことでは、すまない。

右隻はそれでも、葉の緑・花の紫・金地とが、三者ちょうどよく目に入ってくる。1,2扇は黄金比率くらいのバランス、3,4扇あたりでは少し隙間があり、すうっと心に風も入ってくるよう。それが5,6扇になってくるとなんだか花がこちらに向かってくるような気配。いつのまに葉はこんなに妖しくなっていたんだろう。

左隻は大きな余白から始まり、水辺の広がり。じわじわ姿を見せる燕子花、立つ私の足元すぐにいたのだ。足先がぞくり。3,4扇は息苦しいほどの密度で花がひしめいている。立つ自分はその中に囲まれてしまっている。5,6扇には少しゆとりが取り戻され、去ってゆく燕子花たち。燕子花のイリュージョンからはっと覚めたような感覚。体験型の屏風だった。

これは鈴木其一のカイカイ時代へとつながったのでしょう。解説には、同型反復は染色の応用だとあった。

 

鈴木其一「夏秋渓流図屏風」は、サントリー美術館で見て以来。やはり、鮮烈な色とアメーバのような渓流が凄い。惜しげもなく使われた金にも圧倒される。

右隻からすでに異世界。トロルのような笹がこちらを見て、点苔は小さなエイリアンか舟虫のようにうごめく。渓流も水というよりも、粘度のある半固体のよう。青は勢い余って、岩にも色が移っていた。幹が細密なのに気づくのだけど、百合がこっそり顔を出している。

左隻は、秋の情景。点苔も少しおとなしくなり、水の流れも夏に比べると勢いを減じている。はらはら舞い落ちる枯葉は、白い百合の対比のように赤く、枯れた部分が金で、やっぱり美しい。五扇では、目の前に大きな幹が立ち、もしやここが結界なのか。そこで私は外の世界にでたのでしょう。

離れて見ると、右隻の夏の情景は、妖しくむんむんした空気。左の秋は、冷たい風が吹き抜けて、もののあわれな感じも。

解説に、応挙の保津川図屏風(1794年)の影響を指摘していた。確かに似ている。其一は1833年に京を旅している。

 

光琳では「夏草図屏風」18世紀も。近衛家熈の花木真写に登場する花が多いことを指摘していた。

光琳「白楽天図屏風」は、謡曲「白楽天」を画題にしたもの。

日本にやってきた唐の詩人、白楽天が、漁師(実は住吉明神)に和歌の偉大さを思い知らされる。三角山のつらなりのような波に、大きな三日月のような舟。対して横水平な山と、構成が爽快。それぞれの人物の表情におかしみがある。


尾形乾山「錆絵染付金彩絵替土器皿」は、制約のある色数なのに、明暗まで表現していて感嘆。

海上の帆船は太陽の光にきらめいていたし、芒は月の光で浮かび上がり、梅も雲のかかる月光を浴びている。


渡辺始興(1683~1755)「梅下寿老人図」18世紀 楽しみにしていたうちのひとつ。

ユーモラスな人物、文様なような梅、幹や枝の機知的な構成は、光琳を学んだとされる、と。

そのことは尾形乾山・光琳「錆絵梅図角皿」から見て取れるということ。

どちらも、集中しながらも肩の力ははいってない感じがいいなあ。気迫メラメラの絵もいいのだけれど、(トシのせいか)この余裕にひかれる最近。


立林何帠「木蓮棕櫚芭蕉図屏風」18世紀

もくれん・しゅろ・バナナと私の好きなお題がそろいぶみのこの絵は、以前の根津美術館での展示の時にも、渡辺始興の「木蓮棕櫚図」の影響を指摘していた。(画像とその時の日記) 

何帠は乾山の弟子。乾山から光琳風を学んだと。始興の絵は色が美しいけれど、こちらは色が少ない分、うすやかなたらしこみにほれぼれ。バナナにしゅろというと、私の中ではエスニックでトロピカルなのだけれど、先日の東洋館での中国絵画にあったように、当時は屋外のしみじみとした風情の扱いなのかな。


この後は、江戸後期の作が続く。

住吉広定(1793~1863)「舟遊・紅葉狩図」19世紀は、住吉派7代目。やまと絵が幕末風になっていた。

谷文晁(1763~1841)「山水図」1794は、どこか現代風な文人画。山紫水明、みずみずしくて空気も澄んで深呼吸。

文晁は、抱一とも交流があった。下谷のご近所飲み友。文晁は交流が広い。次に展示されてた立原杏所「枯木寒月図」、喜多武清「牡丹鸚鵡図」と、この二人とも文晁の弟子。喜多武清は、文晁の松平定信「集古十種」の編纂のための大阪行きにも同行したそう。大阪に来た時には浦上玉堂との交流もなにかで読んだ。

高久隆古は、文晁の弟子の高久何某の跡継ぎとなった絵師。「狐嫁入図」はお気に入り。やまと絵風にちらちらと赤い狐火、山里の様子もいいなあ。

企画展の最後は、渡辺省亭「不忍蓮・枯野牧童図」

晩年の作。画壇から距離を置いて、どこにも無理の野心もないような作だった。

昨年から今年は、各美術館が是真を展示していた。おそらくこれで最後だろうと思うけれど、最後にこれを見られて本当によかった。心に残る絵だった。

右隻は不忍の池。おぼろな上野の山は緑が淡く。蓮の葉は、ぽんぽんと筆をおいて、もはや呼吸するくらい自然なのでしょう。

左幅は、牛も童も本当にかわいらしい。

こちらは秋の空気か、はっきりしたラインの丸くぽかりとした山。でも間には淡く靄がかかり。

色は小さな童の着物の青、たったこれだけ。右幅もわずかな点のような蓮のピンク。

お行儀よく笛の音を聞いている感じの牛がけなげで、やさしい絵だなあと思う。

辛辣でどこかナナメな省亭だけれど、この一年省亭の絵を観てきて、心の中の寂しくも優しいところがたまに出てしまうところが愛しくなってしまった。

 

二階の展示室「行楽を楽しむ器ー堤重と重箱」と燕子花のお庭は次回に

 

 


●ダフィット・テニールス(子)、大エルミタージュ美術館展

2017-05-24 | Art

森アーツセンターギャラリー「大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち」

2018.3.18 ~6.18

 

国ごとに章立てされていて、国ごとの特徴や時代背景が比較されつつ浮かび上がってきました。

一章:イタリア:ルネッサンスからバロックへ

二章:オランダ:市民絵画の黄金時代

三章:フランドル:バロック的豊穣の時代

四章:スペイン:神と聖人の世紀

五章:フランス:古典主義的バロックからロココへ

六章:ドイツ、イギリス:美術大国のはざまで

西洋美術ビギナーの身には、章の副題だけでも頭の整理になりました。巨匠たちの絵を教材にしてお勉強できて贅沢な時間でした。以下気になったもののメモ。

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全部を通して興味ひかれたのが、フランドルのダ―フィット・テニールス(子)(David Teniers de Jonge(wiki)1610~90)

牧童」と「牧童の女性」1650年代 は対の作品

 明るくのどかで、男性がえらく陽気だなあ。と思ったら、ふと、それぞれの後ろに小さく描かれた、影のようなおじさんが気になりだす。なにか意味ありげな。

そうなると、女性の絵のグレーのグラデーションが妙にくすんでいるように思えるし、牧童の男性のほうの雲行きが不穏なのも、気になってくる。ひょうたんとかごにも寓意があるのかと、なんでも疑心暗鬼になってくる。

テニールス(子)はドレスデン国立美術館展やベルギー王立美術館展でも見ているようなのだけど、記憶にない。

それが知ってびっくり、ピーテル・ブリューゲル(父)の孫娘の婿。つまりヤン・ブリューゲル(父)の娘の婿。確かに細かな描き方は共通しているかもしれない。でも(そんなに見たことがないけれど)ピーテル父ともヤン父ともちょっと違う。

テニールスは、画家の父のもとで修業を積んだ。当時から評価も高く、21歳でアントワープの聖ルカ組合に迎えられ、35歳で組合長になる。41歳でネーデルランド総督(ハプスブルグ家のウィルヘルム大公)の宮廷画家に任命され、絵画コレクションの収集にもあたる。お城ももらっていたそう。スペインのフェリペ二世など広くファンがおり、パトロンにも恵まれる。

順風満帆な人生のようだ。多くの作品を残し、風俗画、宗教画、肖像画など多岐にわたっている。

ダ―フィット・テニールス(子)「カード遊びをする人々」1640年半ば

 実りのない遊びで時間を浪費する寓意とのこと。丸めた背、落とした視線。色調もダルダルと鬱屈し、無為な感じが充満している。

それはそうと、画面左上のほうの、男の横顔の張り紙はなんだろう?


ダ―フィット・テニールス(子)「厨房」1646年

解説:左の誇らしげな男性はテニールス自身。豪華な衣装で、鷹匠の役を演じている。1646年、彼が頂点にいたころに描いた

遠近感が巧みで、雑多感が不思議。なぜ彼らは厨房で自画像を描くんだろう。しとめた鳥やウサギといった食材が、床に置かれ壁につるされる。これはオランダ絵画でもよくあるけれど、個人的には気持ち悪い・・。

厨房のキャベツやニンジンの上の方で、猟犬に囲まれたえらそうな自分は、彼一流のジョークなのか?、持つものの余裕なのか?。それともシニカルさの表現なのか?。単純に、「厨房」が魅力的で人気の画題なのか?。

画面の真ん中、さかなをひきずった青い服の老人はなんだろう?ちょうど窓からの光が老人に集約されている。ぶらぶら美術館では、この中のみんなが老人を見ていると指摘していた。

老人の手をひく赤い服の男性は、テニールスを指さし、なにかを老人に示している。お魚をワイロにお願いごとでも??。それとも「あの調子にのった男にひとこと言ってやれよ」とでも??。髪型はなにか聖人のようにも見える。

設定はわからないのだけれども、とにかく、テニールス自身が面白くなっちゃってることにはかわりない。

そして、お肉をあぶるかまどの上、男の横顔の張り紙がここにもある。

ちなみに、テニールスはGuard Room(兵士部屋?)も好きらしく、何枚か描いている。兵士部屋でもえらそうな自画像と張り紙が。(A guardroom with a self portrait of the artist 、wikiから)

宮廷の中のあちこちに出没するのが好きなのかな?。絵の中に画家自身を描き込むというのは、レンブラントやフェルメールや下村観山でも見たけれど、人物の中で自分が一番偉そうって、他の画家の絵でもあるのかしら??。


そして彼の諧謔みは、ついに猿に。

厨房の猿」1640半ば

つるされたソーセージと鮭の切り身が生々しい。猿は一人前に、ワインを手に。かたや、暖炉でお肉をあぶっている猿や、地べたで食べる猿。

猿山のさるのように、上下関係が描かれている。これも、ジョークなのか?、人間社会の皮肉なのか?。奥にはやっぱりあの横顔の男の張り紙。

羽のついた帽子をかぶり、椅子の上で一段高いところにいる猿は、こちらを見ている。眼があう。テニールスの登場人物の視線は、レーザー光のようにはっきりしている。しかもそれが時々、画面の外のこちらに向かってきて、どきりとする。

それにしても猿がよく描けている~~。彼は猿にいろいろな職業や階層の服を着せて描き、人間の写し鏡のように、猿の絵をたくさん残している。猿画を流行させたのはテニールスだという。

ついには、猿への愛さえ感じてしまう。この寝顔の可愛らしさときたら(wikiから)。

よく描けてるとおもったら、猿をペットとして飼っていたという。東南アジアでも日本でも、動物園やネイチャーツアーなんかで猿を見て大喜びしている欧米人をよく見かけるけど、ツボなのかな。日本から輸出された日本ザルはいなかったかな。


興味ひかれるテニールス。今回の展覧会では、5点も来ており、画家の点数では一番多い。

もしかしたら、来年に東京都美術館で開催される「ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜」2018年1月23日(火)~4月1日(日)にも、来るかもしれない。

来年へのステキな宿題を置いていってくれた、エルミタージュ美術館と企画者の方に感謝。

***

以下、章ごとに印象的だった絵をメモ。

●まずは序章といえましょうか。やはりロシアから。入り口では、「戴冠式のローブを着たエカテリーナ二世の肖像」ウイギリス・エリクセン 1760 が迎えてくれる

写真撮影可(映り込みを避けようと、斜めになってしまった)。

 

池田理代子さんの「女帝エカテリーナ」が私の中にすりこまれているのだけれど、さすがに印象は違う。ちょっとふっくら、ドイツ人のエカテリーナ、ちょっとだけメルケルさんに似ているかな?。布の質感、アクセサリー類の金属や宝石の豪華さや硬質さ。

 エカテリーナ時代の収集品には、王冠マークがついていた。

 

●イタリア

光の明るさ、色彩の鮮やかさが印象的。そして大型の絵が多いのは、バロックらしいのでしょう。

ベルナルド・ストロッツイ「トビドの治癒」

みんなの視線が、一点に集まる。犬までも。目に入れるその瞬間、トビトの指が浮いてしまう臨場感。魚の内臓が治療に有効とは。そのお気の毒な魚がグロテスク。右後ろの男の肖像は何か意味があるのかな。


グイド・レーニの工房「エウロパの略奪」1632~35

オレンジと青のさわやかな色彩と光がきれい。エウロパは海辺で出会った牛の背に乗るが、牛は実はゼウスであり、そのままさらわれる。あどけなく純粋な娘はまだ何も知らず、ただただ美しい情景。

山下りんが、明治初期にエルミタージュ美術館に通って模写した中に、グイドレーニのヤコブ像があった。りんはイコンを学びながらも、イタリア絵画に憧れた。こんなに美しい色彩で、肌もこんなにふっくらしていたら、どんなに魅かれただろう(中村屋サロン美術館の日記旧手賀教会の日記)。


カナレット「ヴェネツイアのフォンダメンタ・ヌオーヴェから見た、サンクリストーフォロ島、サンミケーレ島、ムラーノ島の眺め」1724~25、都市景観図で知られるカナレット。これは平たんな島々だった。大部分を占める空と白い雲。雲の流れや上昇気流までうっすら見える。


ミケーレ・マリエスキ「フォンダメンタ・デル・ヴィンから眺めた、リアルト橋、ヴェネツイア 1738~43、働く人々の力強さ、たくましさ。洗濯物が干してあったり、殴り合っている男たち、指図するペルシャ系の男も。アパートは当時すでに6階建てだったのね。当時の下町のリアルな風景。。


ベルナルド・べロット「ドレスデンのツインガー宮殿」1752~53(部分)

これもエカテリーナの収集品。二階のバルコニーから見下ろしたものなのだろう。ここは二度訪れたので、ちょっと感覚がわかって嬉しかったりする。着工は1709年、竣工が1719年ということだけれど、地面が土がむき出し。雑草や馬車のわだちも。子供を連れた母親、マント姿の男性、馬上の人、干し草を運ぶ荷馬車があれば豪華な馬車もある。今みたいに美術館じゃなくて宮殿なのに、こんなにいろいろな人が出入りしているのか。 

洋服には白い線を描きいれ、右から光が当たっているのを明確にしている。全体の絵では、建物のむこうには平野や森が広がっていた。当時のドレスデンはまだまだ開発中だったのか。


ドルチ「聖チェチリア」1640年代、

西洋美術館にも一作あるけれど、これもやはり卵型の顔立ちが際立って。青いリボンも美しい。箱型ピアノを弾く。


ボンベオ・ジローラモ・バトーニ「聖家族」1777 は、エカテリーナの息子のパーヴェル二世が画家のアトリエを訪れて、エカテリーナに贈った。子供たちにかこまれる美しく優しい母親。子供たちの面倒をみるのに追われてバタバタしている市井の母だった。池田理代子さんの解釈では、パーヴェルにとってエカテリーナはそんなやさしい母ではなかったようなので、ちょっと心が痛む。

 

●オランダ

市民の台頭を背景に、現実的で親しみやすい絵画が多い。

ホントホルストの二枚「陽気なリュートひき」「陽気なヴァイオリン弾き」からは、楽器の音色や歓声がきこえてきそうだった。音が伝わるのが印象的。

 

アドリアン・ファン・オスターデの「五感」シリーズが面白い。嗅覚、視覚、聴覚、味覚を表現した20センチほどの小さな絵画のなかから、粗末な小屋の下世話な暮らしが訴えてくる。

視覚は、おばあさんが孫のノミをとっている。よく見えない目でとっている。

嗅覚は、子供のおしりを拭いてやる母親、父親が鼻を抑えている。確かに強烈な嗅覚にきたか。花の香とかいい香りというわけじゃないのね。こどもが足をパタパタさせているのがかわいい。

聴覚は、粗末な小屋で、父がバイオリンを、母はポットを持ったまま、腰を振り躍る。子も読めてないであろう譜面を持ち謳う。

五感の絵は流行だったそうだけれど、これはどれもちょっと斜めな皮肉めいたとらえ方の絵だった。

 

アールト・ファン・デル・ネール「月明りの川の風景」1653~56 は、この画家は確かここで開催された昨年の17世紀オランダ絵画展でも来ていて、印象深かった記憶がある。フリードリヒみたいな自然の描写。月が大きいけれど、目が慣れるといろいろなものが見えてくる。

 

ヤン・ダーフィフィッツゾーン・デ・へーム「果物と花」1655 は、ヴァニタスを表現。

実物よりも大きいくらいに、濃厚に果物や花が描かれている。ぶどう、カボチャは割れて種がむきだしに。葡萄の葉には虫が。ミカンの葉にも毛虫。蛇もまるまっている。これらを乗せる台の脚は人型で、それがとてもなさけない顔で土に埋もれている。しおれた麦にもコオロギ。カボチャにもハエや蟻が。ベリー系も傷んでいる。他にもカミキリムシみたいなのもいる。

外で育ち、人の手で採集されて室内に持ち込まれたであろうものが、また外気にさらされ、ありや虫たちのふるまいを止めることもできずなすがまま。自然の生々しさ。あとはこのまま腐敗するのを待つばかり。


ヘラルト・テル・ボルフ二世「カトリーナ・レーニングの肖像」1663

肖像に対して、必要以上に大きな余白。大きな暗闇に浮かんだようで、ティーンのあやうさを感じるような。シャンパンゴールドと黒の世界が美しいと思った。


アールベルト・カイプ「川沿いの夕暮れ」1650、この画家も昨年見た

平地がちな場所のオランダの光はこんなのだろうか。たっぷり空を描く、羊のシルエット、男女のシルエット、舟。あっというまに移り変わる夕方の空、いい時間だなあと思う。


ピーテルデホホ「女主人とバケツを持つ女中

オランダらしく、好景気といっても画家のスタンスは一般のひとに置かれている。勤勉なのだとか。主人はつつましく縫物。むこうの建物はフェルメールの絵のようだと思ったら、ほぼ同時期であり、同じデルフトの町。開いた窓、開いたゲート、鉢の矢車草、後ろの人影、それらが謎めいて、ちょっとヴァロットン的な香り。

 

●フランドル

ルーベンスとその工房の画家たちが多かった。

カトリックを復興すべく宗教建築も建てられる。したがって宗教画の需要もたかまる。ルーベンスが登場したのはそんな時代。ルーベンス工房の各分野の専門画家が見ごたえあり。

スネイデルス「鳥のコンサート」1630~40 は、鳥のエキスパート

迫力におののく。北も南も、昼の鳥も夜の鳥もごちゃまぜに勢ぞろい。なのに蝙蝠だけが責め立てられてて、ちょっとかわいそう。


ヤーコブ・ヨルダーンス「クレオパトラの饗宴」1653年 は真珠を酢に溶かし、アントニウスを驚かすシーン。なんて密度の濃い、ギラギラした絵だろう。登場人物だけでなく、杯も刀の鞘も、みんな濃い。


ピーテル・ブリューゲル二世「スケートをする人たちと鳥罠のある冬景色」1615~20

テニールスと比べると、率直に素直に道徳的だと思ったりする。雪と冷たい空気の匂いが感じられそうで、北方絵画の好きなところかなあと思う。

●フランスでは、ふんわり、軽やかな絵が多い。

印象に残ったのは、シモン・ブーエ「聖母子」、ルイ・ル・ナン「祖母訪問」(ちょっと気後れしている子供の微妙な心情がかわいい)、シャルダン「食前の祈り」など。

 

スペインは、フランスのあとに観ると、時代が戻ったかのような信仰の静かな世界だった。

スルバラン「聖母マリアの少女時代」1660、このようなソフトな描き方はスルバランでは珍しいのだそうだけれど、他にスルバランの実物を観たことがない。三角に二分した画面から、外へ出る視線が天上へ広がりだすような構成が印象的だった。

 

●ドイツでは、クラーナハ「リンゴの木の下の聖母」が目玉。エルミタージュが最後まで貸し出しを渋ったという。学芸員さんのねばりと信頼に感じ入ります。


今のところあまり混んでいなくて、ゆっくり楽しい時間でした。

この日は鑑賞前に、同階のカフェでサラダランチのセット。ダイエット中につき、スイーツはがまん。


●東博 東洋館(アジアギャラリー)

2017-05-20 | Art

東京国立博物館 東洋館

茶の湯展のあと、近代美術館も行くつもりがなぜか気力なく、気分的には日本的なものと違うものがみたいな、西洋美術館常設でバロックでも見ようかな、それとも帰ろうかな、と歩きかけたところ、 ふと、

東洋館のバルコニーのこの人に呼ばれた。

ハヌマーンさま♡

 

学生のころ以来の東洋館。

先日、京都国立博物館で暗闇に間接照明で仏像が浮かび上がる空間に感嘆したけれど、こちらも。灯台下暗し。

といっても仏像は見始めると時間がかかりそうなので、遠目だけでスルー。そのうち再訪しよう。

 

進みながら、気に入ったものを撮影。歴史的な価値もさることながら、自宅に置きたくなるすてきな品々が多くて、目移りしてしまう。


お、さっき「茶の湯展」でみた天目茶碗のギリシャ版か⁈。

ミルフィオリ皿(地中海東部出土)1世紀


バテラ杯(地中海東部)前1~1世紀 これと先ほどのミルフィオリ皿と足して二で割ると、ほんとに曜変天目かも。

 

金帯装飾ピュクシス(アレクサンドリア又はイタリア出土、前1~1世紀) 金蒔絵とやまと絵の融合のような色づかい。

これらはガラスなので、2000年経ってもそのままの鮮やかさ。しかも現代的なセンスで古いという感じがしない。

エジプトゾーンへ。

ファラオの棺桶がある、と思ったらなかにミイラ入りだったので、おののく。(パシェリエンプタハのミイラ(部分) エジプト、テーベ出土 第3中間期(第22王朝)前945~前730年頃) エジプト考古庁寄贈とのこと。

エジプトの木製の造形は、どれもインパクトあり。

ひいい「牛の」エジプト 前2025~前1794頃 ストレートな方法...。今まさにこん棒を投げた、4000年前のその一瞬。

 

中王国時代の「少女像」 妙に迫ってくるものがある。なにか入ってるよね。


「トキ像」エジプト末期王朝(前664~前332) トキは、ヒヒとともに知恵の神トトの聖動物。


イランの青銅器の轡(くつわ)は、スリムで元気な胴体が、近代美術館の「動物集合」でみた佐々木象堂を思い出す。馬にくわえさせる馬具。これが前2000~1000年ごろとは。

 

中国の青銅器

「か(←漢字が難しい)Wine Warmer」夏~殷 三本足がお気に入り

饕餮文爵 殷

 

東洋館の中国絵画コレクションは、もとは市川米庵のコレクションから始まったそう。

馬守真「秦淮水榭図巻」明(1576) 描いたのは、南京の花街の妓女。

当時の妓女は、踊りや歌だけでなく、文人たちとやり取りをする書画や詩の能力も重要だったそう。この絵巻の巻頭は、名妓で知られた馬守真が描いた自画像。

続いて河の風景。たっぷりの余白、手慣れて細やかな筆。少し寂し気で心もとなげだけど、文人的な気持ちの持ちよう。

 

清代へ。

改琦「蕉下美人図軸」清 1819年 清の代表的な人物画家。

応挙の美人図にも特徴的な「なで肩」。これは中国絵画の由来だった。バナナの葉も、渡辺始興や応挙はじめ、日本の絵師が時々書いているが、ルーツを観られて嬉しい。


こちらもバナナの葉と太湖石。凝芬「美人図軸」清 清後期の女性画家。

女性は顔色が悪く、あおみどりっぽい。はかなげを通り越して、なにか病気なのかと?

太湖石とバナナの葉のデフォルメといい、どこかシュール。中国のレオノール・フィニ的な?

 

気に入ったのは費丹旭という画家の数点。このころの清はアヘン戦争に負け、混乱と激動の時代だと思うけれど、絵の世界はとても平和。

費丹旭「柳下美人扇面」清 1839年 さらさらと、これいいなあ。

費丹旭「採菱図扇面」清 1841年 ふんわりした空気

歌に合わせて行われる菱の実取りは、江南の水郷のイメージと、農村の女性の美しさを称える題材とのこと。

費丹旭の描く柳は、どれもいいなあ。


費丹旭「美人図扇面」清 1847 流麗なラインがいいなあ~。


 

中国絵画を堪能しました。この日は「美人と梅―清末の作品を中心に」ということで、6月28日までの展示。展示替えになったらまた行こう。


韓国は小物がかわいい。

日本の土偶も魅力的だけど、新羅土偶もぽっちゃり、ほほえましい。5世紀ごろ。

 

この騎馬の土偶は全長で2センチほど。

ドンキホーテとロシナンテみたいかも。

縁日のミドリガメみたい

 

松岡美術館のコレクションでもひかれた、高麗の青磁象嵌 高級品なのにどこか素朴でかわいらしい感じ。

 *

インドは、不思議だった。

前1500年の人型銅器 なにかの信仰にかかわるものらしい。


でももっと不思議なのは、インドの細密絵画。肉眼で判別できないところに、超絶な描き込み。アジアは、例えば薩摩など超絶技巧な器といい、神秘的なほど細部に埋没するのは特性なのかな。

インドの細密画は仏教やジャイナ教の経典挿絵として始まり、中世から近世にかけて、古代の叙事詩やヒンドゥー教の神話、歴史的なエピソード、王や貴族の肖像、動物など、さまざまなテーマが描かれました。(HP)

6月11日までは、ムガール帝国の皇帝の肖像画 幅10センチほどの小ささ。色も背景も、美しいです。

ラフィー・ウッダウラ帝坐像  19世紀 

虫眼鏡も置いて下さっている。


ダーラー・シコー胸像 18世紀 教養高く、国民にも人気の高い王子だったけれど、弟に殺害されたとか。

顔だけでスプーンほどの大きさ。それでも髪の毛やひげの生え際まで写実的。

ここだって肉眼では判別できないのに・・

 *

最後にアンコール時代のもの

「黒褐釉象型容器」12~3世紀 つやつや、まるまるした象が愛らしい。クメール陶器は動物の形のものが多い。


あ、ベランダにいたハヌマーンさまでは。

ラーマーヤナにでてくる猿王。10センチ程と小さい。11世紀アンコール時代のカンボジアから。

 


ワンフロアに1~2人いるかいないかくらい、東洋館はたいへん空いている。疲れたときのクールダウンにもよさそう。

入口の獅子はどこのだったかな??。また来るね。


 

 


●國學院大學博物館「絵で見る日本のものがたり」

2017-05-18 | Art

「國學院大學 春の特別列品―絵でみる日本のものがたり―」 

2017年4月14日(金)~5月21日(日)

 
先日、根津美術館のあとに、歩いて國學院へ。
 
根津美術館のカフェが行列で、國學院までの間にお店もなく、空腹に耐えかね大学内の学食に侵入。
ご近所マダム風の方が談笑していたりと、一般の方も大丈夫のようです。学食というより、きれいなカフェ。学生さんたちもさざめくようにお静か。
おいしいパンとミントティで復活。
 
絵巻の世界に足を踏み入れてしまった絵巻ビギナー。
今回は、全10点。伊勢物語、酒呑童子、竹取物語が数点ずつ、比較できるようになっていた。(いくつかは、國學院大學図書館デジタルライブラリーで公開されている)
 
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伊勢物語は、本にしたてられたもの。
古活字本(江戸初期)、覆刻製版本(江戸初期)、奈良絵本(江戸初期)の3種。
1608年に嵯峨本が刊行される。仏典や漢籍でなく、物語が印刷刊行されるのは、当時画期的なことだったのだとか。
展示の三作は、この嵯峨本に続いて刊行され、絵柄も下敷きにしたもの。同じシーンが開かれている。
奈良本だけは、着色もされていた。
 
 
 
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俵藤太物語(江戸時代中期)は、一点のみ。1軸のはしからはしまで広げてあった。7~8mはあったかと思う。絵がすばらしい。
ストーリーも楽しいことこの上ない。実話なのか、フィクションなのか、盛ったのか、よくわからないところが日本の昔話って面白い。
 
藤原秀郷が橋に差し掛かると、大蛇が横たわっており、皆が困っている(大蛇が意外としょぼく、名前負けしているのがほほえましい)。秀郷は臆することなく、大蛇をひょいと踏んづけて進む(くえっと舌を出す大蛇)。
⇒この大蛇は実は龍王で、秀郷を見込んでお願いをする。大ムカデがでて困っているので、退治してほしいと。
⇒そこで秀郷と龍王(老人の姿)は、徒歩で山を越えて現場へ向かう。(道中の山並みの絵が見ごたえあった。青と緑青で鮮やかに描かれ、紅葉も点々と赤く色を挿していた)
⇒岩の足場から、片衣ぬいた秀郷が、海中のムカデに矢を射る(秀郷とムカデのあいだで、どきどきしている大蛇姿の龍王がやっぱり愛らしい)。空には、一つ目の雷神が迫力を添える。
⇒矢を受け、ハチの巣状態になった大ムカデが、血をにじませながら海に浮いている。陸では、美しい松や紅葉。ご老人にお礼を言われ、にっこりする秀郷。(表情まできちんと描いている)
⇒お礼の宴席。
 
波頭の先の竜宮のシーンが、とにかく楽しい(國學院大學博物館のtwitterに少し画像がある)。
はまぐり男、蛸男、まきがい男、さかな男、エビ男。学芸会みたいにいろんな海のものをかぶせられた妙な住人がいっぱい。かわいい亀の親子の玄武も。
しかもとても鮮やかにきれい。秀郷にふるまうごちそうが、串焼きの蛸や魚なのはちょっといいのかなと思ったり。
こんな絵巻にしたてた、絵師の実力とおちゃめさ(いや多分大真面目)に感服。
 
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酒呑童子のお話では、4種類。
名シーンでの登場人物の動態、様子、また床材や襖といったインテリアの描きこみや、周辺風景の有無など、見比べると面白い。
 
まず、大江山酒呑童子絵貼交屏風 江戸時代前期?は、二曲一隻の屏風に各シーンを貼り合わせたもの。(経年で状態があまりよくなく、絵巻を見に行ったのに単眼鏡を忘れるという失態を犯してしまったため、よく見えなかった(泣)。デジタルライブラリーで見られる)
これは伊吹山系の酒呑童子。酒呑童子の出生にはいろいろな説があり、これは伊吹山の八岐大蛇の子であるという説に基づく。そのほかには越後生まれ説、大和生まれ説など、どれもなかなかたいへんな出自。
 
「酒呑童子絵巻」江戸時代前期は、一軸の絵巻(こちら)。これは鮮やかで細密だった。
山伏姿の源頼政一行の準備段階から始まっていた。
討たれた酒呑童子の首が頼光にかみつくシーンは、動画のコマ送りのよう。秒ごとに首が飛ぶ。(気持ち悪いので小さい画像にしておく)。
 
混乱のなかで女性たちが逃げ惑う姿も、臨場感たっぷり。
 
この後は、屋外へ逃げ出した手下鬼たちも次々に討たれていく。
畳や着物も色鮮やか。襖に描かれた波図が素晴らしく、その迫力は演出効果たっぷり。細部まで行き届いていて、見どころがたくさんの絵巻だった。
 
 
「大江山絵詞」寛文・延宝ごろ(1661~81)も、金使いの鮮やかな絵巻。確か、床は升目もようだったような。
酒呑童子の首は中に飛んでいたけれど、先の絵巻と違うのは、頼政にかみついてはいなくて、逃げる女性もいなかったところとか。
 
 
「大江山絵巻」明和2年(1765)は、狩野派の作。ほぼ墨の線描のみで、松と血だけに少し彩色が施されていた。樹木や岩から始まっていたのが、格調高く狩野派っぽい描き方。童子のとらしまパンツも毛皮が細密で明瞭なのが妙に印象的。しかし、首がおちていたり、刀で縦割りになっていたりとかなり凄惨。
 
岩佐又兵衛の「山中常盤絵巻」など見ると、その凄惨さにおののき、これは又兵衛が母や兄弟みな殺されるという体験のゆえか...と思っていたけれど、凄惨さにかけては、又兵衛だけではなかったのか。絵師が戦いものを手掛ける以上は、怖くてなんぼ、血まみれでなんぼ、なのかもしれない。
 
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最後は、竹取物語が3種類。
どれも、龍の首の玉を取りに舟で海へこぎ出し、荒波にもまれるシーン。
 
「武田祐吉博士旧蔵品」寛文・延宝記は、箱書には、狩野永徳の印があるというけれど、どうなんでしょう??。工房の作かな?
雷神の顔はちょっと迫力に欠けるかも・・
船室内の壁の竹の絵まで細やかな気配り。
黒雲もコンパクトにまとめ上げ、波もきちんと整理整頓する感じ。絵師の性格かな。
 
 
それに対して「ハイド氏旧蔵品」寛文延宝期もっと自然現象が豪胆な感じ。 
雷神の顔がおちゃめだったけれども、暗雲は大きく空に広がり、波も迫力。舟は荒波に激しくもまれ、大伴御行もひっくりかえっていた。
ハイド氏はNYの弁護士で、1960年から収集を始めたのだそう。個人的には3つのなかではこれが一番お気に入り。
 
 
「小型絵本」元禄期は、舟が雅びな感じ。海も大海っぽくなく、庭園の中の池みたいな感じだった。
 
三者三様、同じシーンでも絵師の個性が出て面白い。
 
 
いつも満足の國學院博物館の企画展示。今回は常設展示は時間がなくてみられなかったけれど、無料なのが申し訳ないくらい。ありがとうございました。
 
 

●野間記念館「横山大観と木村武山」展

2017-05-17 | Art

 野間記念館「革新から核心へ 横山大観と木村武山」展 2017.3.11~5.21

 http://www.nomamuseum.kodansha.co.jp/installation/index.html#ehon2

先日、木村武山(1876(明治9年)~1942(昭和17年))を楽しみに訪問。そごう美術館の福井美術館展と、岡田美術館で見た大きな屏風がとってもよかった。

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大観と武山。ありそうでなかった二人展。

岡倉天心が失脚した時には、二人も下村観山や菱田春草とも共に、茨城の五浦へ拠点を移した。

同志とはいえ、なんとなく序列的には「1大観、2観山、3春草・武山」という印象だったけれど、そういえば大観と武山の関係というと、気にする機会もなかった。大観と観山の合作はたまにみるけれど、武山の合作は見たことがない。また、東博で展示していた1915年に大観、観山、今村紫紅、小杉未醒の4人が資金調達のために東海道を旅しながら描いた「東海道53次絵巻」にも、春草はすでに亡き人だけれども、そこに武山はいなかった。

にべもなく、冒頭の解説にはこのように。

「(略)四人のうち、大観と武山は、必ずしも親密な友人という関係ではなかったようです。大観はのちに『木村君は笠間の出身で、私とは同郷の茨城県の出身でありますが、あれは下村観山君との関係でした』と語っています」。

 微妙な距離感が・・。

大観は明治元年生まれ、観山はその6歳下、春草は観山より1歳下、武山は春草よりもさらに1歳下。

武山は、東京美術学校ではすでに助教授であった観山と深い絆で結ばれていたとか。「五浦の4人は、親友の大観と春草、年齢的に大観の弟分となる観山、その弟子筋の武山」という関係で、「武山はほかの三人の先輩たちとは一線を画していたようです」と。

五浦では、ちょっと頭が上がらなかった感じだろうか。なにか武山の言葉が残っていればいいのだけれど。

今回知ったのだけど、武山の父はあの常陽銀行の創立者。武山は再興日本美術院の経営にも力を尽くし、1937年(昭和17年)の脳梗塞で右手が不自由になってからも、左手で描き続けた。

今回の展示は、五浦を出てからの作品。

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武山の作品で心に残ったものを、ざっくり年代順に

「錦魚」大正12年(1923年) 47才。

水上の世界と水の中の世界が溶けあう。池の金魚は一匹じゃなくて、もう一匹ゆらめくようにしっぽが見える。水面下の豊かな世界。浮かぶ水草、あめんぼ、めだか、ザリガニらしきシルエットも。太い杭は水上に出ていて、細い葦が画面を縦にふわりと伸び上がる。なんだか満ち足りた気持ちになる掛け軸だった。

 

武山といえば、無骨な風貌には意外なパステルな色彩の仏画。しかし仏画に精力的に取り組んだのは、1913年(大正3年)に日本美術院が再興されてからだそう。

 2枚の仏画が向かい合わせで展示されていた。武山はカラリストと言われているようだけど、特に仏画に対して独特の色彩が発揮されている。

「観音」1923年(大正12年)は、蓮の花びらが散り、霞がかかっていた。眼や眉、髪のブルーが印象的。

「慈母観音」1925(大正14年)も花が舞う。観音さまの手に持つ蓮から、右手に流れ、子供に至る流線形。写真で見るより、細部まで色も線も、とても繊細な感じ。

師であった狩野芳崖の「悲母観音」に影響が受けたもの、とあった。悲母観音と印象は違うけれど、死の4日前に描き上げた芳崖の病床でのすさまじい精神性を受け止めて、自らも力を尽くしたのだろうか。

 

昭和初期は、大胆な構図の絵が続く。

「春暖」昭和初期は、没骨、たらしこみのヤツデに、カワセミなのか青い鳥。ふんわりぬるむ春の空気。

「金波」昭和初期も、フリルのような波がデザイン的で、唐突にぽっかり顔をを出した月は、まるで海ぼうずみたい。どこかおかしみのある光景だった。どうした武山??

 

昭和5年の「鴻門のはんそ(←漢字が難しい)」は、主人の劉邦を守ろうと、項羽をにらみつけるはんその目力がすごい。

その迫力に反して、武山らしいパステルの鮮やかな色彩。丁寧で端正な筆致。はんその幅の裾のグラデーションは、武山の描く仏画のよう。


昭和7年に描かれた八幅対の色紙大の「仏画」も並んでいた。観世音菩薩、虚空蔵菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩、大日如来、不動明王、阿弥陀如来。これらの仏様たちが、4枚は紺地に金泥の線描のみで、4枚は着色で。細密な線描には全く狂いも乱れもなく、安定していて美しい。写経のようにも感じた。

前年に亡くなった母の供養に、笠間の邸宅内に大日堂を建立しようと思った武山は、野間清治に援助を頼んだ。そのお礼に贈ったもの。(野間さん・・)。これに対する武山からの100円の領収証も展示されてあった。この仏画は、大日堂の絵画の習作だとか。

 

「桐花鳳」昭和初期も、ピンク、ブルー、オレンジ、緑など極彩色が仏画のように優しくまとめられている。

 

「旭光双鶏」昭和初期 は、趣が一変していて驚いた。

濃い朱に染まる画面に、旭日。黒い鶏と、白い鶏。すべてが強い印象。足元の笹葉は欠けていて枯れつつある。それでも鶏の目は、どちらも誠実そうだった。

 

武山の絵をこうして通して見てくると、誠実で安定した感じ。仏教に信心を深め、実直な人柄を想像する。

 

最後の一部屋には、武山の12か月色紙。それがなんと7セット。1927年(昭和2年)から、昭和3年、5年。7年は4セットも。たらしこみの琳派風であったり、院体画風であったりの花鳥風月。

そんななかで、いくつかに登場したのが、ほっぺたがぷくっとかわいい、ぽっちゃりスズメ。

それから金魚も時々出てくる。武山は金魚が好きなんだなあ。

 

そして、きっと昆虫も大好き。あちこちにミツバチ、トンボ。葉蔭にかくれるコオロギやバッタ。毛虫もいた。見えないくらい小さいのに、蟻すらしっかり描いている。

熊谷守一を思い起こす。庭の小さな世界を、朝に夕にじいっと見ていたんだろう。

小さな生き物に対してとても愛情深い武山。

昭和3年の12月の色紙「梟」は、最高にかわいかった。

地面にふんっと立っている。絣の着物を着たおじいさんみたい。小鳥が「な、なんだなんだ!?」

この年の色紙は、他のに比べてもわりに細やかに描かれていた。


昭和5年のものは、背景が朱のものがめだっていたけれど、先に観た「旭光双鶏」と同じ時期ににかかれたのかもしれない。二羽の鷺は少し警戒した目をしていて、芙蓉も芥子あやめも少し落ち着かない風だった。どうしたのかな?。植物や虫のリアルを追求したのかな?。それでも、雪に埋もれそうなぽっちゃり雀と南天がかわいかった。


昭和7年になると、なんだか自由になったような。波も自由なリズムを楽しんでいた。月に向かう蝙蝠の後ろ姿も、うきうき楽し気。少し稚拙に描かれた鳥など、面白みが見え隠れ。

生真面目なのにほんのちょっとだけおもしろみがかいま見える武山が、好ましくてならない。


とはいえ、さすがに1年に4セット目になるにつれ、武山も、飽きてきた感が・・。見る私が疲れてきたせいかな。この年は大日堂の建立の年。資金集めにせっせと描いたのだろうか。

最後のセットの11月は、飛び立つ小さな雉がかわいく、12月は三羽のぽっちゃり雀が「おわったぞ~」と伸びをしながら言ってるみたいだった。

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大観の備忘録を少しだけ。

大観「松鶴図」1915頃は、背景は地のまま。展覧会に出品されたものでなく、誰かの求めに応じたもの、とあった。六曲一双、大きな空白の背景は地のまま。たまに大観のざっくり過ぎにこんなんでいいのか?と思う。思い返してみれば、武山の「春暖」も地のまま残してあるけれど、その分ヤツデの面の緑や青、茶の複雑な色に入り込めたし、「錦魚」も、うすく墨がはいてあって、奥に広がる空気感の中にこちらを溶けこみ入らせてくれる。これもなにかもう少し・・。素人のたわごとです

 

参考展示の書籍「大正大震災火災」1923(大正12年)は、大観が表紙絵を手掛けた、その原画。真っ赤な大火に街が包まれて、すさまじいものだった。野間清治は、この災害を記録にとどめようと、震災後10日で編集案をまとめ、一ヶ月で刊行した。震災で大観邸は焼け残ったけれど、郵便局に占領され、大観自らも救護活動にあたったとか。

同じく参考展示で、「生々流転」1924(大正13年)の縮小版の複製がある。やはり複製でも見入った。これも震災でも焼け残ったもの。山中の深い霧に満たされた後、深い靄の中から川が流れ、こまかい水しぶき。そこは岩の山の別世界。猿が樹に。

「月明り」1920(大正9年) この作品は大観の気合が入っている。

雄大な山やまのすそを霞がみたす。少し見える月が白く輝くのを、二人の仙人が見上げる。松は細く松葉の線を描き込み、松ぼっくりも。月のあたりが一番明るく、手前の山の方はまだ暗やみに包まれていた。静かでしんとした空気。子供のころ実家でいつも見ていた遠くの山に似た形の山を、二つも見つけて驚いている。


「夜梅」1925(ぶれの大きい)大観が丁寧に描いた作なのだろう。

梅の蕾のがくには微妙な濃淡で墨が重ねられ、ほんのり色を感じるくらい。絵にむかう最初は暗さが印象的なのだけど、目が暗闇に慣れてくると、どんどん月の光の明るさが増してきた。最後には逆光が梅を浮かび上がらせるほど。そこに至るまでに少し時間が必要で、その間はつかの間の充足となる。


飛泉」1928年(昭和三年)は、画面全体が斜め下へ大きく流れるている。と、流れていると思ったのは岩肌。滝の水流はうっすらとした青。水煙がのぼり瑞々しかった。



 雨の日に傘をさして来たかいがありました。

 

 


●金沢「武家屋敷跡野村家」山口梅園・長谷川泉景

2017-05-14 | Art

先日、金沢の長町の武家屋敷が残る通りを散歩してきました。

金沢はほとんど初めてなので、戦災を免れた江戸時代の街並みにキョロキョロ。

水路の水も透明。

バスも通ってくるけれど、一本中に入ると道幅も3mちょっと。車のなかった時代の幅尺感。

長町は、中・下級武士が住んだエリアだとのこと。

 

「武家屋敷跡 加賀藩千二百石野村家」を見学。大人550円。ふらっと予備知識もなく入ってみたのだけど、これが見どころ満載だった。


読解力のなさでこの解説がいまいち咀嚼できないまま、中に入ると、錦鯉が泳ぐたいそう美しいお庭。

花鳥風月の襖絵や欄間に彩られた華やかな部屋。貴重な木材をふんだんに使った茶室。藩主をお迎えするための上段の間。

しかし疑問もわいてくる。武家屋敷っぽくない豪華さはなぜだろう??中・下級武士の家に藩主が遊びに来るかな??この建物はそもそもいつだれが建てたのじゃ?

冒頭の看板の解説でよくわからなかったので帰宅してから検索し、やっと建物の経緯が理解できたのだった。

・前田利家の代から仕えていた1200石の加賀藩士の野村家がここに1000坪を拝領し、11代にわたり明治初期まで住んでいた。

・明治維新後の武家制度の崩壊により、野村家も紆余曲折。塀や古木の一部を残して建物は解体され、土地は分割された。

・一方、金沢藩の支藩である大聖寺藩の橋立町に、北前船交易で財を成し、藩の財政にもかかわっていた6代目久保彦兵衛という豪商がいた。天保14年(1843年)、彦兵衛は橋立町に屋敷を建てた。その離れ部分は、お殿様を招くための御殿だった。

・昭和16年(1941年)、久保家はこの離れの御殿のみを、ここに移築した。その際に、(現在のチケット売り場になっている)事務所や茶室が増設された。(ちなみに、屋敷の母屋部分は、昭和16年に金沢の寺井町に移築、その後2000年に大聖寺に移築された。蘇梁館として現役利用されている) 

ということ。

ならば、「武家屋敷跡 野村家」というよりは、「北前船豪商 久保家」というほうが正確では。。。エリアが「長町武家屋敷跡」なので、観光上の制約でもあるのかな。

 


とにもかくにも、各部屋の襖絵に目が釘付け。

控えの間(だったと思う)の花鳥画。(保護ガラスにいろんな方が映り込んでしまいました)

葉の描き方には、大好きな渡辺崋山や山本梅逸の南画を思い出した。

鳥はなにやらキレがある。

 

開け放してある面は、写真が掲示してあった。

実物


梅や水仙の香りが漂ってきそう。


さらに、謁見の間に入って目をみはる。4面すべて白牡丹尽くし。

ぐるりと白牡丹にかこまれて寝てみたいけど、謁見の間と言うことは、この家の家人も寝たりしないのかな。

夢の世界のようなお部屋。牡丹だけ、それも白の牡丹一色の部屋というのは、国内に他にあるんだろうか。


なんて自由な絵師なんだろうと思う。それとも、北前船で蝦夷地まで交易を広げた船主の自由な気質が反映されているんだろうか。

解説には、大聖寺藩士の山口梅園によるものと。梅園は、心流剣士の名手であり、画は小原文英に学んだ、とか。

梅園の書も、剣士の気迫を思わせるげな達筆。

 

梅園はさらに京に赴き、浦上玉堂の息子の春琴に学んだとか。確かに似ている!

昨年、千葉市美術館の「浦上玉堂と春琴・秋琴、親子の芸術」展で、春琴(1779~1846)を知ったばかり。春琴は、京の売れっ子絵師で、華やかな花鳥画が展示してあった。梅園の生年月日は出ていなかったけれど、いつ頃に春琴のところで学んでいたのだろう。


さらに仏間の梅園の襖絵には、玉堂の描く山を思い出した。


 

玉堂ほどぶっとんでいないところは、春琴の描く山のほうに近いのかもしれない。

浦上春琴「四季山水図屏風」1821。(「浦上玉堂と春琴・秋琴、親子の芸術」展の画集からひろってみました)

 

山本梅逸も、春琴とは共同で襖絵を合作するなど交流があった。梅園も、春琴のところで梅逸と面識があっただろうか?

浦上春琴・山本梅逸・小田海僊「花鳥図合作」1834

 

梅園のことはこれ以上はわからなかったけれど、金沢や加賀の方に行けば、所蔵しているお宅やお寺がたくさんあるのかもしれない。もっと調査がなされるといいと思う。メジャーでは話題にならなくても、地方で活躍した魅力的な絵師がたくさんいるものだと嬉しくなる。


もう一人、こちらで知った絵師がいる。

お殿様をお迎えする「上段の間」の襖絵を手掛けた、佐々木泉景(1773~1848)。(上段の間は立ち入りはできませんでした。)

天井がドーム型。このお部屋の別格感が素人目にもわかる。

佐々木泉景は大聖寺生まれ。狩野派を学び、加賀藩の御用絵師となり、法眼の地位にまで登ったとか。(ウイキペディアこちら)。

上段の間は、華やかで奔放な謁見の間や控えの間と違い、格調高い感じ。

残念ながら絵は遠くてよく見えなかった(涙)

 

建物内の「鬼川文庫」には、泉景の掛け軸、「花鳥図」江戸時代後期

 

思いがけず、襖絵にはまりこんでしまったけど、お庭も素晴らしかった。(2009年のミシュランの観光地格付けで2つ星に選ばれ、かつてアメリカの「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」誌で日本庭園ランキングで3位に選ばれたそう。)

足元まで水を引き込んだ造りに安らぐ。

皆さんも座り込んで離れがたいご様子。

「上段の間」の障子は、中段が「ぎやまん」になっており、室内からも庭を眺められるようになっていました。

二階のお茶室へあがる階段わきの裏庭にも、さりげない花あしらい。

兼六園のような大名の雲の上のような庭園でなくとも、一戸建てのお庭サイズでこじんまりと愛らしいのが欧米人にも人気なのかも。


さりげなく欄間も見もの。

白牡丹の襖の上の欄間。勝手に「波に三日月図」と名付けてみる。

 

場所は忘れましたが、故事の「許由巣父」らしき欄間

東博で見た中村芳中の「許由巣父・蝦蟇仙人」(その日記)の素直な牛と違い、こちらの牛はご主人に対して反抗ぎみ。

 

対の欄間の二頭の象はどういう故事なのでしょう??

欄間のことは全くわかりませんが、立体感と迫力ある彫りがすごい。

 

個人的に一番のお気に入り欄間がこちら↓↓。

 

周辺のぶらぶら歩きも含め、楽しい時間だった。


●東京近代美術館工芸館「動物集合」

2017-05-03 | Art

東京国立近代美術館 工芸館 「動物集合ーAnimals,Animals,Animals, From The Musiam Collections-」

2017.2.28 - 5.21

3月のまだ千鳥ヶ淵の桜も咲かない頃に行ってきました。

なにかクセありげな動物たちがしれしれと配置された、このポスターにひかれて。

構成は下記の5つに章立て。

・染織と動物  ・身近な動物  ・空想の動物   ・鳥  ・鷹と虎  ・魚、虫、その他の動物

 

時間があまりなかったので、まずはポスターのエジプト風なネコの正体を確かめに、直行。

大塚茂吉「猫」2005年 


2005年の作、しかも日本の陶芸家の作というのは意外だった。古代遺跡から発掘してきたような悠久な印象だったので。

大塚茂吉さんは、1956年生まれ。藝大の日本画科を出て、画家として訪れたイタリアで陶芸に出会う。1994年からファエンツァのバッラルディーニ国立陶芸学校でテラコッタの技法を習得。

端正な中にも土のぬくもりがあるこの肌は、象嵌の技法によるのだとか。

昨年リクシルギャラリーで個展があったとのこと、技法の詳しい情報もこちらに。リクシルギャラリー


ポスターの背後霊みたいな犬も近くにいました。

田口 善国(1923~98)「漆透かし絵 犬」1985

これもチラシとは印象が違い、切り絵のような仕上げで緻密。よくよく見ればキュートな目線。

田口義国では、「日蝕蒔絵飾り箱」も。こちらも目が印象的な作。日蝕の闇に、フクロウの目だけが不穏に見ひらいている。

 

畳の間の屏風は、白い肌の狐が闇に浮かぶように妖しく舞う。

この畳の間の前にゆっくり眺められるように椅子がおかれている。と思ったら、椅子もぬかりなく動物なのでした😲

 

バーナーード・リーチの「鹿図タイル」は、角型のタイルに、鹿が弧を描くように滑らかに飛んでいる。

増田三男(1909~2009)は、数点あり、鍍金や鍍銀の細工がきれい。鍍金とは、メッキ、表面を薄い金属の皮膜でおおう技法らしい。

「金彩臥牛紋壺」は、ギリシャ風の牛。

「雪装雑木林月夜飾り箱」は琳派風な月に、雪の上に足跡。と思ったら、側面に月から出てきたようなウサギ。

 

「残月孤影」は、ススキに鈴木其一の芒図を思い出しつつ、イソップ物語のようなきつね。どちらの作も、遊び心と風流が同居している。

 

螺鈿は、角度によって変幻する輝きが美しかった。北村昭斎「兎紋螺鈿飾り箱」

螺鈿というと、高校の時に覚えた正倉院「螺鈿紫檀の五弦琵琶」がわたしの原点なのだけど、その技法を今もこのように美しく受け継ぐ人がいるということに感動。

 

三浦小平二(1933~2006)「青磁飾り壺」は、茄子?が巨大化した壺に、持ち手が小さな象というあべこべな。

他には取っ手がカンガルーな香合もありました。

 

「鳥」の章では、鷺をモチーフにしたものが並ぶ。鷺って飛んでも、停まっても、雰囲気のある鳥だ。

中でも、漆の地のものが美しかった。

片岡華江「螺鈿鷺の図漆箱」

 

松田権六「蒔絵鷺紋飾り箱」 葉の先に露が光り、羽ばたく波紋のよう。

松田権六はさすが近代美術館でも所蔵が多いのか、展示も5点。どれも優美な美しさにため息もの。

なかでも「蒔絵竹林文箱」、竹の林の根元にもしげる葉にも、そこにいるような感じになれたほど。タケノコもスズメもかわいらしい箱。

 

「蒔絵螺鈿有職分飾り箱」は、国宝級の宝物を入れたくなるような、これが宝物のような、繊細に輝く美しさ。

世の中にはきれいなものがあるもんじゃねえ。

鳥では他に、雉、うずら、鴨などのモチーフのものも。

 


「空想の動物」の章は、とても楽しい一角。やはり、鳳凰、そして蓑ガメは定番か。

それにしても香川勝広(1853~1917)「蓑亀之彫刻」の風格はすごい。


さらに感嘆したのは、精密じゃないのにちゃんと亀だっていうこのお品。

増村 益城(1910~1996)「乾漆溜塗喰篭 亀甲」

 

 

珍獣カテゴリーのかわいいのも。「信楽珍獣」2006 辻清明(1927~2008)

 きみはいったい何者?。窯の精?。大地の生命のような信楽の器を焼く辻清明は、79才の時にこの珍獣を焼き上げた。すてきなおじい様だ。

 

佐々木象堂(1882~1961)の数点の細い銅の動物は、体のリズムと動きに満ちていて楽しい。現代のかたかと思ったら、明治15年生まれとは。

「蝋型鋳銅置物 三禽」1960 それぞれ、お父さん・お母さん・子供、のような体つきに見える。ずんずん、しっかりと歩いていく。

「瑞鳥」

「采花」 風が吹き抜けるような。

 

日本の伝統的な技術の粋が並ぶ中で、異色だったのがひとつ。

チェスワフ・ズベル「野獣」1992

「ガラス、ハンマーによるカット、油彩」とある。想像するだに、ハンマーを持つズベルのほうが、野獣のようなのではと思う。ミロのような色の印象だったけれど、ポーランド出身とか。

よく見ると、いくつかの顔が刻まれている。

ガラスの断面もうねるようで、冷たくも野獣のようなエネルギーをガラスの内から放っているよう。

 

この後は、海の生き物や昆虫というそれは心惹かれる展示物だったのに、ここで終わりのアナウンスがなり始めてしまう(泣)。

と、冒頭のポスターでネコの前を横切っていた「鶴」がどこにもいなかったことに気づき、時間もないのに監視員のかたに聞いてみる。「んんっ、どこかにいたような・・あっこちらです」と嫌な顔もせず、一緒に連れて行ってくれました。

二十代堆朱楊政成「彫漆硯箱 玄鶴」

ポスターでは鶴の立体オブジェだと思い込んでいたので、気づかなかったのだ。さすが監視員さん。

ジョージナカシマの応接セットも、黒田辰明のソファも、ゆっくり座る時間がなかったのをうらめしく思いながら、最後のひとりでばたばたと出ました。

それでも短い時間でしたが楽しい時間でした。伝統的な技術の高さ、美しさと、遊び心に感じ入りました。

そしてこれを書きながら、前に見たラスコーの壁画展を思い出していました。あの人たちはどうしてあれを描いたのだろうと、あれ以来折々推察してしまう。動物を描きたくなる、描いて誰かに見せたくなる、見た人はおおー、牛だ、羊だと喜ぶ。少なくとも古今それは共通しているかなと思いました。