hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●ダフィット・テニールス(子)、大エルミタージュ美術館展

2017-05-24 | Art

森アーツセンターギャラリー「大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち」

2018.3.18 ~6.18

 

国ごとに章立てされていて、国ごとの特徴や時代背景が比較されつつ浮かび上がってきました。

一章:イタリア:ルネッサンスからバロックへ

二章:オランダ:市民絵画の黄金時代

三章:フランドル:バロック的豊穣の時代

四章:スペイン:神と聖人の世紀

五章:フランス:古典主義的バロックからロココへ

六章:ドイツ、イギリス:美術大国のはざまで

西洋美術ビギナーの身には、章の副題だけでも頭の整理になりました。巨匠たちの絵を教材にしてお勉強できて贅沢な時間でした。以下気になったもののメモ。

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全部を通して興味ひかれたのが、フランドルのダ―フィット・テニールス(子)(David Teniers de Jonge(wiki)1610~90)

牧童」と「牧童の女性」1650年代 は対の作品

 明るくのどかで、男性がえらく陽気だなあ。と思ったら、ふと、それぞれの後ろに小さく描かれた、影のようなおじさんが気になりだす。なにか意味ありげな。

そうなると、女性の絵のグレーのグラデーションが妙にくすんでいるように思えるし、牧童の男性のほうの雲行きが不穏なのも、気になってくる。ひょうたんとかごにも寓意があるのかと、なんでも疑心暗鬼になってくる。

テニールス(子)はドレスデン国立美術館展やベルギー王立美術館展でも見ているようなのだけど、記憶にない。

それが知ってびっくり、ピーテル・ブリューゲル(父)の孫娘の婿。つまりヤン・ブリューゲル(父)の娘の婿。確かに細かな描き方は共通しているかもしれない。でも(そんなに見たことがないけれど)ピーテル父ともヤン父ともちょっと違う。

テニールスは、画家の父のもとで修業を積んだ。当時から評価も高く、21歳でアントワープの聖ルカ組合に迎えられ、35歳で組合長になる。41歳でネーデルランド総督(ハプスブルグ家のウィルヘルム大公)の宮廷画家に任命され、絵画コレクションの収集にもあたる。お城ももらっていたそう。スペインのフェリペ二世など広くファンがおり、パトロンにも恵まれる。

順風満帆な人生のようだ。多くの作品を残し、風俗画、宗教画、肖像画など多岐にわたっている。

ダ―フィット・テニールス(子)「カード遊びをする人々」1640年半ば

 実りのない遊びで時間を浪費する寓意とのこと。丸めた背、落とした視線。色調もダルダルと鬱屈し、無為な感じが充満している。

それはそうと、画面左上のほうの、男の横顔の張り紙はなんだろう?


ダ―フィット・テニールス(子)「厨房」1646年

解説:左の誇らしげな男性はテニールス自身。豪華な衣装で、鷹匠の役を演じている。1646年、彼が頂点にいたころに描いた

遠近感が巧みで、雑多感が不思議。なぜ彼らは厨房で自画像を描くんだろう。しとめた鳥やウサギといった食材が、床に置かれ壁につるされる。これはオランダ絵画でもよくあるけれど、個人的には気持ち悪い・・。

厨房のキャベツやニンジンの上の方で、猟犬に囲まれたえらそうな自分は、彼一流のジョークなのか?、持つものの余裕なのか?。それともシニカルさの表現なのか?。単純に、「厨房」が魅力的で人気の画題なのか?。

画面の真ん中、さかなをひきずった青い服の老人はなんだろう?ちょうど窓からの光が老人に集約されている。ぶらぶら美術館では、この中のみんなが老人を見ていると指摘していた。

老人の手をひく赤い服の男性は、テニールスを指さし、なにかを老人に示している。お魚をワイロにお願いごとでも??。それとも「あの調子にのった男にひとこと言ってやれよ」とでも??。髪型はなにか聖人のようにも見える。

設定はわからないのだけれども、とにかく、テニールス自身が面白くなっちゃってることにはかわりない。

そして、お肉をあぶるかまどの上、男の横顔の張り紙がここにもある。

ちなみに、テニールスはGuard Room(兵士部屋?)も好きらしく、何枚か描いている。兵士部屋でもえらそうな自画像と張り紙が。(A guardroom with a self portrait of the artist 、wikiから)

宮廷の中のあちこちに出没するのが好きなのかな?。絵の中に画家自身を描き込むというのは、レンブラントやフェルメールや下村観山でも見たけれど、人物の中で自分が一番偉そうって、他の画家の絵でもあるのかしら??。


そして彼の諧謔みは、ついに猿に。

厨房の猿」1640半ば

つるされたソーセージと鮭の切り身が生々しい。猿は一人前に、ワインを手に。かたや、暖炉でお肉をあぶっている猿や、地べたで食べる猿。

猿山のさるのように、上下関係が描かれている。これも、ジョークなのか?、人間社会の皮肉なのか?。奥にはやっぱりあの横顔の男の張り紙。

羽のついた帽子をかぶり、椅子の上で一段高いところにいる猿は、こちらを見ている。眼があう。テニールスの登場人物の視線は、レーザー光のようにはっきりしている。しかもそれが時々、画面の外のこちらに向かってきて、どきりとする。

それにしても猿がよく描けている~~。彼は猿にいろいろな職業や階層の服を着せて描き、人間の写し鏡のように、猿の絵をたくさん残している。猿画を流行させたのはテニールスだという。

ついには、猿への愛さえ感じてしまう。この寝顔の可愛らしさときたら(wikiから)。

よく描けてるとおもったら、猿をペットとして飼っていたという。東南アジアでも日本でも、動物園やネイチャーツアーなんかで猿を見て大喜びしている欧米人をよく見かけるけど、ツボなのかな。日本から輸出された日本ザルはいなかったかな。


興味ひかれるテニールス。今回の展覧会では、5点も来ており、画家の点数では一番多い。

もしかしたら、来年に東京都美術館で開催される「ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜」2018年1月23日(火)~4月1日(日)にも、来るかもしれない。

来年へのステキな宿題を置いていってくれた、エルミタージュ美術館と企画者の方に感謝。

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以下、章ごとに印象的だった絵をメモ。

●まずは序章といえましょうか。やはりロシアから。入り口では、「戴冠式のローブを着たエカテリーナ二世の肖像」ウイギリス・エリクセン 1760 が迎えてくれる

写真撮影可(映り込みを避けようと、斜めになってしまった)。

 

池田理代子さんの「女帝エカテリーナ」が私の中にすりこまれているのだけれど、さすがに印象は違う。ちょっとふっくら、ドイツ人のエカテリーナ、ちょっとだけメルケルさんに似ているかな?。布の質感、アクセサリー類の金属や宝石の豪華さや硬質さ。

 エカテリーナ時代の収集品には、王冠マークがついていた。

 

●イタリア

光の明るさ、色彩の鮮やかさが印象的。そして大型の絵が多いのは、バロックらしいのでしょう。

ベルナルド・ストロッツイ「トビドの治癒」

みんなの視線が、一点に集まる。犬までも。目に入れるその瞬間、トビトの指が浮いてしまう臨場感。魚の内臓が治療に有効とは。そのお気の毒な魚がグロテスク。右後ろの男の肖像は何か意味があるのかな。


グイド・レーニの工房「エウロパの略奪」1632~35

オレンジと青のさわやかな色彩と光がきれい。エウロパは海辺で出会った牛の背に乗るが、牛は実はゼウスであり、そのままさらわれる。あどけなく純粋な娘はまだ何も知らず、ただただ美しい情景。

山下りんが、明治初期にエルミタージュ美術館に通って模写した中に、グイドレーニのヤコブ像があった。りんはイコンを学びながらも、イタリア絵画に憧れた。こんなに美しい色彩で、肌もこんなにふっくらしていたら、どんなに魅かれただろう(中村屋サロン美術館の日記旧手賀教会の日記)。


カナレット「ヴェネツイアのフォンダメンタ・ヌオーヴェから見た、サンクリストーフォロ島、サンミケーレ島、ムラーノ島の眺め」1724~25、都市景観図で知られるカナレット。これは平たんな島々だった。大部分を占める空と白い雲。雲の流れや上昇気流までうっすら見える。


ミケーレ・マリエスキ「フォンダメンタ・デル・ヴィンから眺めた、リアルト橋、ヴェネツイア 1738~43、働く人々の力強さ、たくましさ。洗濯物が干してあったり、殴り合っている男たち、指図するペルシャ系の男も。アパートは当時すでに6階建てだったのね。当時の下町のリアルな風景。。


ベルナルド・べロット「ドレスデンのツインガー宮殿」1752~53(部分)

これもエカテリーナの収集品。二階のバルコニーから見下ろしたものなのだろう。ここは二度訪れたので、ちょっと感覚がわかって嬉しかったりする。着工は1709年、竣工が1719年ということだけれど、地面が土がむき出し。雑草や馬車のわだちも。子供を連れた母親、マント姿の男性、馬上の人、干し草を運ぶ荷馬車があれば豪華な馬車もある。今みたいに美術館じゃなくて宮殿なのに、こんなにいろいろな人が出入りしているのか。 

洋服には白い線を描きいれ、右から光が当たっているのを明確にしている。全体の絵では、建物のむこうには平野や森が広がっていた。当時のドレスデンはまだまだ開発中だったのか。


ドルチ「聖チェチリア」1640年代、

西洋美術館にも一作あるけれど、これもやはり卵型の顔立ちが際立って。青いリボンも美しい。箱型ピアノを弾く。


ボンベオ・ジローラモ・バトーニ「聖家族」1777 は、エカテリーナの息子のパーヴェル二世が画家のアトリエを訪れて、エカテリーナに贈った。子供たちにかこまれる美しく優しい母親。子供たちの面倒をみるのに追われてバタバタしている市井の母だった。池田理代子さんの解釈では、パーヴェルにとってエカテリーナはそんなやさしい母ではなかったようなので、ちょっと心が痛む。

 

●オランダ

市民の台頭を背景に、現実的で親しみやすい絵画が多い。

ホントホルストの二枚「陽気なリュートひき」「陽気なヴァイオリン弾き」からは、楽器の音色や歓声がきこえてきそうだった。音が伝わるのが印象的。

 

アドリアン・ファン・オスターデの「五感」シリーズが面白い。嗅覚、視覚、聴覚、味覚を表現した20センチほどの小さな絵画のなかから、粗末な小屋の下世話な暮らしが訴えてくる。

視覚は、おばあさんが孫のノミをとっている。よく見えない目でとっている。

嗅覚は、子供のおしりを拭いてやる母親、父親が鼻を抑えている。確かに強烈な嗅覚にきたか。花の香とかいい香りというわけじゃないのね。こどもが足をパタパタさせているのがかわいい。

聴覚は、粗末な小屋で、父がバイオリンを、母はポットを持ったまま、腰を振り躍る。子も読めてないであろう譜面を持ち謳う。

五感の絵は流行だったそうだけれど、これはどれもちょっと斜めな皮肉めいたとらえ方の絵だった。

 

アールト・ファン・デル・ネール「月明りの川の風景」1653~56 は、この画家は確かここで開催された昨年の17世紀オランダ絵画展でも来ていて、印象深かった記憶がある。フリードリヒみたいな自然の描写。月が大きいけれど、目が慣れるといろいろなものが見えてくる。

 

ヤン・ダーフィフィッツゾーン・デ・へーム「果物と花」1655 は、ヴァニタスを表現。

実物よりも大きいくらいに、濃厚に果物や花が描かれている。ぶどう、カボチャは割れて種がむきだしに。葡萄の葉には虫が。ミカンの葉にも毛虫。蛇もまるまっている。これらを乗せる台の脚は人型で、それがとてもなさけない顔で土に埋もれている。しおれた麦にもコオロギ。カボチャにもハエや蟻が。ベリー系も傷んでいる。他にもカミキリムシみたいなのもいる。

外で育ち、人の手で採集されて室内に持ち込まれたであろうものが、また外気にさらされ、ありや虫たちのふるまいを止めることもできずなすがまま。自然の生々しさ。あとはこのまま腐敗するのを待つばかり。


ヘラルト・テル・ボルフ二世「カトリーナ・レーニングの肖像」1663

肖像に対して、必要以上に大きな余白。大きな暗闇に浮かんだようで、ティーンのあやうさを感じるような。シャンパンゴールドと黒の世界が美しいと思った。


アールベルト・カイプ「川沿いの夕暮れ」1650、この画家も昨年見た

平地がちな場所のオランダの光はこんなのだろうか。たっぷり空を描く、羊のシルエット、男女のシルエット、舟。あっというまに移り変わる夕方の空、いい時間だなあと思う。


ピーテルデホホ「女主人とバケツを持つ女中

オランダらしく、好景気といっても画家のスタンスは一般のひとに置かれている。勤勉なのだとか。主人はつつましく縫物。むこうの建物はフェルメールの絵のようだと思ったら、ほぼ同時期であり、同じデルフトの町。開いた窓、開いたゲート、鉢の矢車草、後ろの人影、それらが謎めいて、ちょっとヴァロットン的な香り。

 

●フランドル

ルーベンスとその工房の画家たちが多かった。

カトリックを復興すべく宗教建築も建てられる。したがって宗教画の需要もたかまる。ルーベンスが登場したのはそんな時代。ルーベンス工房の各分野の専門画家が見ごたえあり。

スネイデルス「鳥のコンサート」1630~40 は、鳥のエキスパート

迫力におののく。北も南も、昼の鳥も夜の鳥もごちゃまぜに勢ぞろい。なのに蝙蝠だけが責め立てられてて、ちょっとかわいそう。


ヤーコブ・ヨルダーンス「クレオパトラの饗宴」1653年 は真珠を酢に溶かし、アントニウスを驚かすシーン。なんて密度の濃い、ギラギラした絵だろう。登場人物だけでなく、杯も刀の鞘も、みんな濃い。


ピーテル・ブリューゲル二世「スケートをする人たちと鳥罠のある冬景色」1615~20

テニールスと比べると、率直に素直に道徳的だと思ったりする。雪と冷たい空気の匂いが感じられそうで、北方絵画の好きなところかなあと思う。

●フランスでは、ふんわり、軽やかな絵が多い。

印象に残ったのは、シモン・ブーエ「聖母子」、ルイ・ル・ナン「祖母訪問」(ちょっと気後れしている子供の微妙な心情がかわいい)、シャルダン「食前の祈り」など。

 

スペインは、フランスのあとに観ると、時代が戻ったかのような信仰の静かな世界だった。

スルバラン「聖母マリアの少女時代」1660、このようなソフトな描き方はスルバランでは珍しいのだそうだけれど、他にスルバランの実物を観たことがない。三角に二分した画面から、外へ出る視線が天上へ広がりだすような構成が印象的だった。

 

●ドイツでは、クラーナハ「リンゴの木の下の聖母」が目玉。エルミタージュが最後まで貸し出しを渋ったという。学芸員さんのねばりと信頼に感じ入ります。


今のところあまり混んでいなくて、ゆっくり楽しい時間でした。

この日は鑑賞前に、同階のカフェでサラダランチのセット。ダイエット中につき、スイーツはがまん。