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日々よろず気になる麗しいヒト、旨いモノ、楽しいコトについてキイロが勝手にほざいております。

今年を振り返って 4

2013-12-31 23:40:16 | Johnnys
【健康編】



今年は7月初旬に人間ドックに入った


その結果

・大腸がんの疑い
・縦隔腫瘍の疑い

という結果が出た


縦隔とは胸の真ん中にある器官(内臓器?)だそうだ



翌月 とりあえず家から一番近い総合病院で呼吸器内科を受診した

主治医曰く
胸部X線・CT・MRIの画像で見る限り確かに腫瘍らしき何かはある だが血管の塊なのか腫瘍なのか別の何かなのかは判断できない
また仮に腫瘍として良性か悪性かの判断もできない
判断のために組織を採取するという方法があるが 腫瘍らしき塊にはたくさんの血管が走っており その方法は大出血の危険度が高い
よって今後大きくなっていくかどうかを観察していきたい
とのことで 3ヶ月後にまたCT撮影をすることとなった


その後の会社の健康診断では大腸がんの方は所見なしとなったが
縦隔はやはり要精密検査となる


そして3ヶ月後の検査

今回のCT画像でも腫瘍らしき何かは大きくなってはいなかった
が 主治医が替わって(前の主治医は大学病院からの派遣医だったのだ)方針が変わった

大きくならないからと言って心臓のすぐ隣にある何かを放置するのは如何なものか?
患者がご高齢ならそれも有りだが あなたはまだ40代
良性悪性の判断も兼ねて取ってしまった方が良いと思う
と今回の主治医は言うのだ


実のところ私も前の主治医の経過観察という方針には少しばかり疑問を抱いていたので
今回の主治医の意見には賛成であった

が 時期が悪かった

この検査が行われたのは11月初旬である

その後に更なる検査を経て入院→手術→入院→退院→通院となったら一番忙しい12月半ば~年末に役に立たない負傷兵ということになってしまう

そういった事情も考慮したうえ 年が明けて14日から検査通院3日間 その後 検査結果によっては変更の可能性もあるが 呼吸器外科のある病院に入院して手術という大まかな流れが決まった



そして この夏から秋にかけての間にもう一つ病気が見つかった


水平な直線が歪んで見えることに気がついたので眼科を受診したのだ

検査結果は『黄斑前膜の疑い』で大学病院での精密検査をすすめられてしまった

そして大学病院での検査でもやはり『黄斑前膜』との結果が出た

この病気は手術しか治療方法がないが 手術によって歪みは解消されても視力低下のおそれがあるそうで 手術はもっと歪みが酷くなってからでも遅くないとのことだった

よって これまた経過観察という方針が示され 次回の検査は2月となった



そんなこんなだった2013年は

今まで耳にしたこともない臓器名や病名に戸惑ったり
しゅ… 腫瘍だと!?と怯えたり
次から次へと登場する「疑い」に辟易したり
どちらも原因は不明と知り じゃあ予防のしようもねぇじゃねぇかよ!と投げやりな気持ちになったり
慌てて治療する必要はないと知り少し安心したり
歳には勝てんわホンマ と諦めた気持ちになったり…

そして

これからも色々出てくるのかな?
でも何とか病気と折り合いをつけて生きてかなきゃならんのだな…
という覚悟のようなものもできた

そんな一年になった


 
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今年を振り返って 3

2013-12-31 21:00:26 | Johnnys
【ヲタ活編】



いきなりのカミングアウトだが 実は私は小中学時代と20代前半アニヲタだった

蛇足となるが 高校~短大時代は何故かアニメ方面からは足を洗っていたのだが腐ってしまったのはこの頃である


さて話を戻す

小学高学年~中学時代は主にライディーン・コンV・1stガンダムといった安彦氏がキャラクターデザインを務めた作品を好み
またハーロックなどの松本作品と009などの石ノ森作品も守備範囲とし
ドカベンなどの水島作品にも食指を伸ばしていた

そして20代前半はキャプ翼と星矢にうつつを抜かしまくっていたが
燦然と光り輝く(半裸で舞い踊るともいふ)スーパーアイドル光GENJIの出現により突如として人生初ジャニーズに目覚め そのままジャニヲタに転身し その後は全くアニメと無縁の日々を送っていたのだ



しかし!

20余年の時を経て 今年 私はアニヲタに返り咲いてしまった!

人生3度目のアニメオタク期に突入したのである



きっかけはスカパーの無料放送であった…



ちょっとばかり気になるアニメがあったのだ
だがいつもなら気にはなっても観るに至らない
何故なら何時何処で放送しているのかを知らないし
それを調べるほどの熱意などなく
結果的に観ないで終わるのである

しかしタイムリーなことにスカパーの無料放送が気になっていたアニメを放送していたのだ



予感はあった…

観てしまったら後戻り出来ないであろう予感は



でも観てしまったのだ


そして案の定 ハマった

しかも次々と ハマった



以降 私の毎日は急な坂を転げ落ちるように加速度的にアニメばかりを観る生活と成り果てたのだった


ディーガちゃんのHDDは着実にアニメに占領され
ケータイのメモリには集めた画像やアニメの主題歌が累々と堆積し
脳ミソの残り少ないメモリにはキャラクターの設定や声優の名前などが集積され
財布の中身はDVDやグッズやガチャや一番くじに費やされる


知っているだろうか?

アニメ関連の商品の売り方はジャニーズのそれよりもえげつないことを
そしてDVD等の単価が高額であることを

しかも限定版の誘引力は恐ろしいまでである


とにもかくにも 私は中途半端なジャニーズヲタク兼アニメオタクとなってしまったのだ



因みに こうなってしまった要因の一つにはKAT-TUNのライブ及びカメ様ドリボが夏~秋なかったことも挙げられる

つまりは心身ともに満たされていなかったのだ


その隙を元々大好物だったスポーツ物のアニメに突かれては私はひとたまりもなかった



50代も間近となって新たな趣味を見つけたと言えば聞こえは良いのかも知れない


しかし やってるこたぁアニメに出てくる坊や達を拝んでは「カワイイカワイイ」連呼し 小銭を握りしめてガチャ長屋に馳せ参じ あらぬ妄想をめぐらせては萌え禿げる といった凡そ大人たる知性も品性も節度もないクソ趣味だ


我ながら全くとんでもないものに手を出してしまったものだな と今年の半ばに起こった出来事に思いを馳せる年の暮れである


 
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今年を振り返って 2

2013-12-31 12:50:39 | Johnnys
【社員研修編】



自分はこのン十余年の人生を殆ど頑張らずに生きてきた

学ぶことが苦にならない科目(その世界が自分にとって興味深く積極的に知識を得たいと思える科目)以外は勉強せず
また 頑張らずとも理解し記憶できる科目も勉強せず
頑張っても理解できそうにない科目や興味関心が持てない科目はあっさりと諦めた
その延長で 身の丈に合うというよりは頑張らずとも合格できそうなレベルの学校を受験し進学

学校卒業後も親類縁者のコネに頼って就職先を見つけ
今日までその会社にしがみついて我が身を養ってきた

もちろん学生時代と違い給料分は頑張った
だがそれは当然のことをしたまでのことであり 本来はこれを「頑張った」と褒めるべきではない

私が考える「頑張り」とは 上司や教師の要求・期待を超えた働きをすること
そして そのために己れを高める努力をすることである
己が学力の向上や仕事のスキルアップを目指し学んだり鍛練したり
その成果を存分に発揮し より良い結果を出したりといったことを「頑張り」と呼ぶべきなのだ

そういった意味で 公私ともに高い目標は掲げず 楽な方へ楽な方へと流るるままに生きてきた自分は 今まで頑張ったことがなかったのだ






このたび 会社が私に頑張ることを要求してきた

研修によるスキルアップを求めてきたのだ


今のシニアリーダー(係長職ぐらいらしい)で満足せずに 課長やその上を目指して欲しいらしい

正直なところ「ぉいおい無茶言うな、人の上に立てる器ちゃうし!」といった気持ちである
しかし残念ながら私はそれを求められても文句は言えない年齢・勤続年数なのだ

致し方もなく遂に私は腹を括らざるをえない状況となった



しかしてそれは自らの能力を超えた領域
果たして私はどれ程の努力を強いられるのだろう…?


そんな不安を抱えながら迎えた6月
私の元に3冊のテキストが届けられた

内容は リーダーとは? リーダーシップのなんたるか リーダーシップの実践 etc…

それぞれをよく読み理解したうえでテストと称する小冊子の設問に回答を記入し
8月末迄に会社が研修を委託している日本能率ナンチャラに送付すると
そこの講師の方が採点してくれたテストが返送され
この結果が80点以上で合格 80点未満ならば再試となる
という流れの月1冊ペースの机上でのお勉強が第一弾であった

取りかかってみると○×問題や虫食い文に語句を当て嵌めるような問題は楽勝だったが
これこれの事例についてとるべき対策を140字~200字で書け といった問題には苦戦
それでもどうにか平均98点で筆記試験には合格した


そして9月

待ち受けるは第二弾にして最後の難関と目される 本社(東京)会議室にて行われる丸一日かけての集団研修と
その後に提出する研修レポート

研修前日の夕方 普段より少し早めに仕事を切り上げて空路東京へ乗り込んだ私は本社最寄りのビジホに宿泊
寝る前にテキストを軽く流し読んで復習

やけに軟らかく体が沈み込むベッドに閉口しつつ就寝

翌朝 ドキドキしながら本社へ出社したのである


本社ビル最上階の大会議室に足を踏み入れると 意外にも和やかな雰囲気
まずは談笑する講師の先生と総務部の社員教育担当に挨拶すると「遠くからご苦労様です」と労われ恐縮

着席し暫く待つと本社勤務の研修該当者達もやってきて挨拶
ほどなくして研修がスタートした

私よりも前に別の職位(主任~役職なし)で研修を受けた同僚から聞いていた話では
次から次へと課題が与えられ 時間内にクリアできなければ休憩時間にやらねばならず トイレに行く暇もない
とのことだったので 私の緊張はいよいよピークに達した

が どうにも先生のお話は過去に講習で訪れた有名一流企業の話や色々な業界の裏話など興味深く
また 与えられる課題も特段難解でもなければ過大でもないのだ

同じテーブルになったメンバーとディスカッションしながらレジュメの例文の正否を判断したり
性格判断テスト的な診断シートで各自の行動傾向を分析したり
相手の行動パターン別で説得方法を話し合い発表したり
といったことを 60分~90分おきに休憩を挟んで消化していくだけで
(なんと昼休みはたっぷり80分もあった!)
課題に追われることもなければ酷く緊張するような場面もないままに研修は終了したのだ

そうして大きな安堵と些かの拍子抜け感を抱え私は帰路についた


翌日以降に研修を受けた感想と学んだことを今後の仕事にどう活かしたいか?といったをレポート提出

6月から始まった私の初めての研修は終了したのである


 
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今年を振り返って 1

2013-12-31 08:30:36 | Johnnys
【会社合併編】


☆ 3月1日(金)
組合の最後の定期大会と解散式 in 全日空ホテル

定期大会は万が一の有事に備え積み立てていた組合費をどうやって分けるかが最大の争点
結果的に最新式の冷蔵庫買ってもお釣りがきそうな額を手にできることになりニンマリ
解散式という名の食事会ではうっかりと直属の上司の隣になってしまったが
なかなかに手の込んだ美味なる和洋折衷コースを味わえたので良かった


☆ 3月4日(月)
物流センター長の送別会 in センチュリーロイヤルホテル

私が入社時に配属された管理部経理課の課長で
席も向かいだったし人柄的にも親しみやすい人だったから
色々と腹立たしく思うこともあったけれど何故か憎めないオジサンでしたね
寂しいです(ノд-。)
料理はまあまあ美味しい中華
中華風サラダにおける豆苗の使い方は今後の参考にΦ(._.)


☆ 3月11日(月)
最後の部会 in 6階会議室
会議なんか嫌いなのに最後かと思うと幾ばくかの惜別の思いが込み上げ
思いがけず少々しんみりとした気持ちになってしまった


☆ 3月19日(火)
全社お別れ会 in パークホテル
前日からトラブル発生しまくりで業務進行遅れまくりだったが
致し方なく残りの業務はぶっちぎって出席
しかし立食で脚は疲れ
料理は高級感があるものの量が少なく(牛蒡のフランだけはかなり美味しかった!)
お別れ会自体は何の趣向もなく(思い出の写真スライドショーとかあるのかと思ってたに…)
歴代社長やOBも招待しているのかと思っていたのに社員だけ
という残念な会だった


☆ 3月29日(金)
部の送別会 in センチュリーロイヤルホテル
わが社の合併は部門毎に合併先が違う
同じ部にいても4月1日からは違う会社に転籍する者もおり
また同じ会社に行く者とて違う部門に配属となる者がおるため この送別会の開催となった
日程的には合併直前ギリギリではあったが
内輪の会だけあって この3月1日からのナンチャラ会ラッシュの中では一番盛り上がった会となった
料理はまあ普通の安めバンケットコース料理だった


☆ 4月1日(月)
首都東京に本社を構える某広告代理店に吸収合併された我が○○○○○の○○営業部はこの日より●●●●北海道支社となった
●●●●は同じ親会社の下で頑張ってきた兄弟会社であるからして私達の待遇は変わらないし
また同じ業種の会社ゆえ仕事の内容も変わらない
だが 当然ながら細かい部分に違いはあり
この日より我々は数字の管理や労務関連の手続きなどの差異に煩わされ悩まされる日々を送ることとなったのだ


☆ 4月2日(火)
辞令交付と社長の訓示 in 6階大会議室
4月1日に本社で新入社員の入社式やら新年度の訓示を終えた社長様が
嫌いな飛行機に乗って北海道支社までやってきた
辞令を一人一人に直接手渡しし 有り難いお言葉
有り難すぎて今や覚えていない…
国内の最大手企業を相手に仕事をするような規模の大きな会社の一員となった自覚は湧くものの
なにやら胸の片隅にある空虚感を拭えぬのも事実であった



と こんな感じに慌ただしく我が社は吸収合併され 我々が築いてきた会社は無くなった



9ヶ月経った今でこそ空虚感は薄れつつあれど 実際のところ未だに戸惑うことが多い

今年はそんな落ち着かない毎日を送った激動の一年だったと言えよう


明くる年はもう少し落ち着いた毎日を送りたいものだ


 
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