日々の事から

日々のあれこれ
by Kirari

合う合わない。

2017-04-12 00:46:23 | 日記
うちの若いもんが危ない・・。
職場の人間関係でトラブルがあり、心身耗弱状態である。
10月からこっちひたすら堪えてきて、2月にとうとうぶちギレた。

残念なのは、周囲は自分なんかどうでもいいと思ってる思い込んでいるところである。黙している人間を自分側から見て判断し、それを決めつけているところである。
他人には色んなタイプがいることを分かっていると口にしながら、反応できない周囲の人は、みんな自分なんてどうでもいいと思っていると考えるそうだ。
他人にも自分の生活がある。一日のサイクルがある。一旦立ち入ってしまうと途中で手を引けないと思う。
この子は、その時だけ助けてもらって満足なんだろうか?
一度仲裁したら、周囲はいさかいが起これば毎度その人に水を向けるはず。一度だけ仲裁する方が大変なのである。こういう問題は何度も起こるから。
小2の時に児童の間でよく集団のいさかいが起こり、何度も仲裁したが、一度場をおさめたら、毎回呼ばれるようになった。
小2でもそうなんだ。大人は子供時代となんら変わらない行動をとるから、皆記憶にないのだろうが実は繰り返しである。
仲裁は何度かしたが、私は同じことが回数を重ねると飽きてしまうので、『やり方はわかったでしょ?毎回呼びに来ないで自分たちもやってみて。』と言い渡した。
ところが他の人間では止まらないと言う。
一番嫌なのは、急に仲裁に入ると『なんだよ?関係ないだろ?』と言い渡されることである。『そりゃそうだ。私だって好きでやってない。』そう思いいつしか無関係でいることを選んでいた。
大人だってそうだろう。だから軽々しく仲裁に入れる人はいないと思う。

大人なら更に、状況がよくわからないのに下手に仲裁して当事者同士の関係を更にまずくしてはいけないだろうという考えが浮かび、行動できない人が殆どのはずだ。
よく、何かに訴えてしまって『あーあ・・そこまでやらんでも・・』っていう人がいるが、あれもこういう凝り固まった思いから来る勇み足だろうか。
自分が対応できないことに反応する勇気のないことが殆どなのに。

まあしかし、トラブルを抱えた彼女は、長く我慢してきたから、自分の窮地が救われないことに絶望感を抱いたのであろう。
被害的印象を元に話を聴けば、相手は一方的に悪くなるから話を聴く方も冷静でいなくてはならない。
自分の子供が学校で嫌な思いをしてきたときもそうだが、話は半分に聴き、学校に事実確認或いは状況説明をしておく。
大人の場合も、こういう感情から来る話は安定した部分で話をしなければ。

幸い、話はしてくれ、多少話し相手と思ってくれているようだ。
この子の同期である私の後輩も『同期達も彼女の性格を理解して付き合っている』と、会話の端々で出すものだから、身近な人はこういうこだわり行動を見知っているのだろう。
それなら尚更、周囲は仲裁することができないのかも知れない。
周囲は自分をどう思っているか。それを聴いたら彼女はもっと絶望するのだろうか?安心するのだろうか?

そういう自分が自分であるが、大人であるから、社会生活で出していい部分は考えた方がいいとも感じるよ。表現したい自分の4分の1くらい出すのがちょうどいいんじゃないのかしら・・。

自分の思うように周囲が動いてくれない=自分は周囲に認められていないっていうのは・・わがまま、だね。周囲は自分ではない。同じ行動を取ってくれるわけがない。
大人は、自分の思うように自分だけが動くものだと思うよ。周囲がどうこうしてくれないっていうのは仕事しながらは無理もあるんだから。

ただ、今の事態は膠着状態と思う。
年齢がいっているのでもう性格の軌道修正はできないかも知れない。
とりあえず話を聴いて思い込んでいる部分をほぐしてあげれればいいかなあ・・。
自分が思うように自分だけで動けるように。

ただ、それだけで済むかどうか。そこが私だって不安である。
 


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