今日は撮影日和

Raicho9の贈る、鉄道&ノラ猫のフォトページです。

あんなにいたのになあ

2023-04-01 18:15:38 | 鉄道
という気持ち半分、あれから10年以上経ったんだなあという驚愕の気持ち半分





安曇川橋梁・山科駅

下山村立和合小学校

2023-01-02 23:25:54 | 廃校・校舎(愛知)
場所は変わって愛知県



2005年から豊田市になった、旧東加茂郡下山村

そこにも、2006年(平成18)まで、小さな学校がありました

和合小学校



2005年まで現役だった校舎は既になく、講堂を残すのみ



壁面には、とても立派な絵が描かれています

自然豊かで、冬は雪も降るような、そんな下山の四季が伝わってきます

ウサギ年ですね















そのほかは、校庭と思しきエリアには農業用ハウスが建っていたり、講堂の中は農業用の備品が置かれていたり

遺された講堂は、学校としての役目は終えたものの、地域のために活かされています

年始、うさぎ年で思い出した和合小学校でした

2021.05.03/愛知県豊田市

室蘭市立絵鞆小学校

2022-12-02 19:55:52 | 廃校・校舎(北海道)
北の大地…というほど、雪深いわけでもないので、比較的住みやすい(と勝手に思っている)室蘭

木造ではないものの、とても特徴的で素敵な校舎に魅かれ、わざわざ立ち寄りました






室蘭市立絵鞆小学校

なんと言っても、特徴的でしかない、一度見たら忘れ得ない円形状の校舎

円形状の校舎は、工事費を安く上げるために有効らしいです









玄関から中を覗いてみます

絵鞆小学校の校歌が掲げられている下に、もう一つ同じような類のものが

むしろ、それよりも立派な額に入っているのは、向陽中学校の校歌

調べてみると、この向陽中学校もまた、2013年(平成25)に蘭東中と統合されて桜蘭中学校になったとあります

とりあえず大切な校歌の額を一旦引き上げたという感じですかね

ちなみに、絵鞆小学校出身の著名な方の中には、安田顕さんがいます



この時は、2015年の閉校から2年弱を経て、市の分庁舎として機能し続けていました



室内プール

でも、骨組みだけ残っているため、植物の侵食が始まっています



朽ちゆく百葉箱



温度計は無事に氷点下を指し示していました








最盛期(1960年頃)の児童数は1600人を超えたとありますが、閉校年の2015年(平成27)には218名まで減っていた様子

122年の歴史に幕を閉じたようです

北海道の栄枯盛衰を見届けるかの如く鎮座し続ける絵鞆小学校は、解体の方針から一転、どうやらクラウドファンディングで保存されていくことになりそうです

なお、「絵鞆小学校」で検索すると、解体される予定だった2019年、美しい校舎の記録を後世に残すため、なんとVRで当時の校内を残してくれており、今なお、VRで散策できるサイトが見つかります

最上階は片方が「絵鞆っ子広場」というパノラマフロア、もう片方が何と体育館…いいなあ

改修工事も行われ、2022年度からは内部公開も始まったようです


…まあ、そうなると一気に興味を失うわけなのですが

2016.12.28/北海道室蘭市

天方小学校嵯塚分校

2022-11-25 22:48:42 | 廃校・校舎(静岡)
土砂崩れで通行止めの道で車を乗り捨て(その時点で市街地から山道(一応市道)を60分程度)

そして砂利、落ち葉、倒木、落石まみれの滑る山道を登ること体感20分

見える景色は雑木か数軒の廃屋、もしくは廃屋だったと思しき瓦礫の山

登る手助けにと思って手を伸ばした木は朽ちていて、信じて体重をかけていたら一緒に谷に落ちていた



そんな道の最後に表れる石段こそ、道が間違っていなかった証



見上げた先には優しい色合いの校舎



天方小学校嵯塚分校

年々薄くなっていくプレート

でも、これは石に彫ってあってほしかったなあ



1977年閉校、1990年廃校

人の手から離れて30余年、にしてはしっかり残っている



何せ、手前はほぼ崖の石段のため、引いても校舎全景が撮れない

向かって右手



空いている窓から覗き込むと、そこは和室



和室の窓の下には、ビール瓶で囲まれたエリア

花壇…だったのか、とも思ったが、小学校の庭先にビール瓶はないか

でも、その後わざわざ運んできて挿すのもよくわからない

しかし瓶のデザインから、1980年代頃のもの…結局よくわからない



向かって左

屋根の上は植物でいっぱいも、たわむことなく美しい状態

ひときわ目を引くカラフルなものは、かご式のブランコと思しきもの

窓の割れも少なく、突き出したストーブ煙突も美しい



有難いことに割れていた窓から見えたのは温かみのある教室

スチールと木の椅子が混在していたようです

気になるのは照度

11月の14時過ぎで、フラッシュ炊いてこの明るさですので、蛍光灯一本は相当暗かったのでは



窓辺に置いてあった教科書は、複式3・4学年の東書理科

昭和43年(1968年)のものでした

散らかしたまま閉校はないので、誰かが置いたのでしょう



教室を通った先には小さな校庭

右上の根元が見えている木々が、今にも雪崩落ちて来そうな状態



校舎を振り返る

左に見える鳥居は、校庭から数段上がった先にあるお宮のもの

校舎の裏手(写真の左)に向かいます



校庭の端に置けばいいのに、日中でも薄暗い校舎の裏手に設けられたタイヤ飛び



右手には校舎の廊下から、教室が見える

建物自体はとても頑丈なようで、縦方向はしっかり建っている



斜めに入っている木は、奥の教室にもあったので、筋交いなのだろうか…心許ないが

そしてもう一つ心許ないのが自分の装備

よく見ると、足元には落ち葉から瓦をはじめ、無数に光る破片が落ちていて、ただのスニーカー装備で下手に足でも切ったら山を下りられない

次は装備品を増やして来る

ちなみにここはB組、ほかに、A組、職員室の表示が健在だった



間をそのまま進んで、振り返る

左が校舎、右が宿舎

校舎の外廊下は、屋根が朽ち落ちている

瓦はここの屋根に乗っていたものだろうか



廊下の端から、校庭方向を見る

年代物の洗濯機が無造作に置かれている

本当は、もうすこし床があったのだろうが、今となっては外廊下は地平レベルのため、各教室へは大きな段差が生じている



一周して、はじめで言う校舎の右端に到達

方角で言うところの東端

ガラスもトタン屋根もしっかりしていて、現役でもいけそう



僅かな南側の隙間に置かれた遊具の跡

チェーンが2本2セットあるところから察するに、ブランコであろう



そして滑り台

いずれも、子どもたちが最後に触れて何十年の歳月を経てもなお、黙ってあり続ける

そこに何とも言えない何かを感じるために、また、ここに来たいと思う場所



まだ14時半を過ぎた時分ながら、帰りの山中で日没を迎えると、狭隘路、砂利道、急坂、路肩崩落、圏外等々…余裕を見て分校を後にします

廊下がないのが多少残念ではあるものの、とても静かで、美しい学校でした

---
明治23年 吉川小学校嵯塚分校として開校
昭和50年 吉川小学校と問詰小学校を統合し天方小学校となり
     吉川小学校嵯塚分校を天方小学校嵯塚分校に改称
昭和52年 嵯塚分校休校
平成02年 嵯塚分校廃校

天方小学校HPより抜粋
---

2022.11.12/静岡県森町

勝賀瀬小学校

2022-09-19 22:02:42 | 廃校・校舎(高知)
灼熱の中、僅かな涼を仁淀川から得つつ、流れ込む勝賀瀬川を北上した先に遺されていた校舎

2004年(H16)に伊野町立からいの町立へと移った4年後の2008年(H20)休校

そして2017年(H29)に正式に閉校となった、勝賀瀬小学校

高知県の統計によると、へき地等級は1

正直、車があれば困らないレベルですが、人口減少が止まらないのですね



閉校から13年が経過した2017年に訪れていますが、コンクリの汚れは相応



すぐ後ろに迫る小山がいいですね

木造ではないものの、こぢんまりしたこの校舎は中々好き

きちんと瓦葺なのがいいのかな

こうしてみれば、夏休み真っ最中の現役に見えなくもない美しさを保っています



プールもこの様子なら、手入れしていたんでしょうね



プールの壁面に描かれていた絵

写真では切れていますが、左端には、閉校記念と添えられていました

こういうのが心に刺さります

暑さも脳に刺さったのか、静止物にAFなのにピントを外すというゴミっぷり



啓発の掲示もいい感じ



やさしいポストは百井分校を思い出します

あちらは、お願いします、ご苦労様ですでしたかね



いつ建てられたかは不明なものの、休校時の2008年時点を以てしても開校100年とは、なかなかの歴史

この碑の裏に書かれていたであろう変遷を撮っておかなかったことを激しく後悔しています



卒業制作と思しき石碑


このほか、体育館があり、あるべき位置に校歌も掲げられていましたが、遠すぎて撮れず、解読できませんでした
加えて、Wikipediaにも情報が皆無で慌てましたが、すでに閉鎖された以下
http://kochischool.net/shougase.htm
のページに大変貴重な情報が残されていましたので転記します
問題があれば連絡ください

---
旧神谷(こうのたに)村立勝賀瀬小学校として開校
のち、伊野町立を経ていの町立同小学校、2008年(H20)閉校
児童数の変遷
1958年(S33)162人
1963年(S38)170人
1968年(S43)113人
1978年(S53)32人
1998年(H10)5人
2004年(H16)3人

1 若葉に萌える 山合いの 仁淀の谷に 育まれ みんなは強い 鉄の意志
  この手 この足 このからだ 力みなぎる 勝賀瀬校
2 雲は流れる 青い空 文化の光 よく浴びて みんな正しく 堂々と
  平和日本を 作るのだ 励む僕たち 勝賀瀬校
3 鷹羽に響く 里の歌 世界に続く 大空を みんな仲良く 若鷲は
  自由求めて 進むのだ 希望みなぎる 勝賀瀬校
---

1975年(S50)台風による被害で一気に地域の過疎が進んだようです

それでも、30~40人程度を推移していれば何とか…というところですが、遅かれ早かれ…というところでしょう

2100年の日本の人口は大正時代に匹敵する6000万人を割り込むとも

しかも、極めて歪な人口構成になることもほぼ確定していますしね…

という暗い話題はさておき(さておけるわけないが)、この勝賀瀬小学校を書くにあたって調べてびっくり

2019年にとさ自由学校として生まれ変わっていました

一度役目を終えた校舎に、再び子どもたちがかえってくるというのは、全くの部外者ですが、なんだか嬉しいですね

反面、写真に挙げた「勝賀瀬小学校」の諸々も大切にしていてくれたらいいなあとも思います

2017.08.12/高知県いの町

阿下喜小学校

2022-09-10 23:00:49 | 廃校・校舎(三重)
役目を終えた校舎の一部を移設、施設として再利用している阿下喜小学校

建物は1937年(S12)のもの



均整の取れた校舎に、玄関の青い屋根がおしゃれです





美しいけれど、もの足りない

上手く言い表せないけれど、朽ち果て、消えそうなものが見せる最後の輝きと言うか、

思い出が随所から滲み出る感じと言うか、整えられた美しさと言うか



だから、こういう、見向きもされないであろう部分を探してしまいます

阿下喜小学校、一建造物として、楽しみました

なお、内部は休館日のため、覗くだけでした

現役ならば、中に入ってこそなのですが…

2020.08.18/三重県いなべ市

阿納尻小学校

2022-08-31 21:50:16 | 廃校・校舎(福井)
内外海半島の付け根、阿納尻地区で1873年(M6)に開校、1991年(H3)に閉校した阿納尻小学校



パッと見の状態は悪くなさそうです

象の駅として、余生を過ごしていたようで、そんな看板も見受けられます



ぴったりと閉ざされた玄関

右奥のカーテンの隙間から中を覗きたい気持ちでいっぱいですが、足元に怯んで撤退

2階へ、蔦らしき植物が侵入しているのが分かります



サッシ化されていない、美しいです

金次郎像の足元には、報徳の文字





しかし、随所が植物に侵されており、近寄ることができません

裏手など、以ての外



やはり、植物の勢いの割にはしっかりしています

手前の柵は、ここを駆け上がっていく国道162号の歩道のもの

この162号の(新)阿納トンネルが開通したのが2002年(H14)ですので、阿納尻小学校が現役だった頃、ここにこの規模の道路はなかったものと思われます

内外海半島の堅海小学校は既になく、それら含め元々4校あった小学校も、現在は内外海小学校1校に集約されています

その内外海小学校ですら、令和4年度の新入生は十余人ほど…木造の校舎を巡りつつ、国の将来を憂います

2022.08.02/福井県小浜市

安原小学校戸石分校

2022-08-24 18:19:47 | 廃校・校舎(香川)
先の綾川町から市街地へ戻って来た中にあるのが、安原小学校戸石分校

1998年に開設されたホームページが生きている(放置されているだけ?)ので、それに因れば、全校児童は5名のようです



塩江(しおのえ)町立となっていますが、2005年(平成17)からは高松市立でした

戸石分校の閉校年は2015年(平成27)ですが、2001年(平成13)からは休校状態…

ということは、休校になってから高松市立になったものの、高松市立安原小学校戸石分校に児童が在籍したことはないということですね



手前のフェンスが思いっきりアレですけど、件のホームページに1枚だけある写真にも写っているので、現役当時からあったもののようです



フェンスはこちらにも

これなら、安心してボールで遊べます

が、ちょっとフェンスと教員宿舎と思しき建物の距離が近すぎて、人同士のすれ違いすら不能な狭さ



こちらも堅いガードのため、渡り廊下のガラス越しに1枚

外窓もそうですが、随所がサッシ化されています

そして整然としていて、面影を感じることができません



と、一つだけ当時を偲ぶ児童の文字が書かれた金庫

日付は平成13年3月30日金曜日 なので、閉校記念のタイムカプセルでしょうか

とはいえ、時刻も書かれていますが、PM11:13…? 23時13分?

10年後なんて考えたくないぜ は、いいとして、 生きていますか? は…

反射して見えませんけど、天面には落書きのようなものもあり、少し残念な気持ち

そんなもんですけどね

名前の部分は消してあります



校庭には現役のサッカーボール



タイヤ飛びも現役で行けます



ブランコは退役間近

板が心許ない感じになっています

雨が落ち始めました

奥には、乗りつけたレンタカー



鉄棒は…鉄棒自体は行けますけど、土砂によって楽しむことができなくなっています

遊具付き広場として開放しているのかなあ、と思えるような、思えないような校庭の様子

開放したところで、そもそも子どもがいなくて閉校しているのなら、誰も来ませんか

いわゆる不要不急線と認められて廃線になった琴電塩江線が生きていれば、違う未来があったかもとも考えましたが、仏生山経由で高松まで60分弱…それでも、人口減少は食い止められなかったでしょうね

なお、この後、塩江町内に3校あった上西、塩江、安原(本校)も全て閉校し、2015年に再編、新たな塩江小学校が発足したということです

2017.03.30/香川県高松市

枌所小学校柏原分校

2022-08-20 00:16:26 | 廃校・校舎(香川)


曇天なのがとても口惜しく、また温暖な四国とは言え、4月を目前にして蕾すら見られなかったこの年

本来は、右手の桜が美しく咲きます

枌所(そぎしょ)小学校柏原(かしはら)分校

旧矢橋小学校と並んで、とても心に来る校舎です THE日本の小規模小学校

植栽が整えられているのも、手入れが行き届いている証拠です

でも、ここに公費が投じられている可能性は低いので、裏を返せば地域に愛されている証拠


なお読み方について、かしはら渓谷が付近に存在するので、(かしはら)と読むと思うのですが、後述のyoutubeでは(kaihara)とテロップがあるので、どちらが正しいものか分かりません



向かって左手より

猫の額ほどの運動場から、一段上がったところに校舎が建っています

手前のポストがある部分は教員宿舎と思われます

きれいな竹箒が立てかけられている辺り、やはり手入れがされているんですね



寄って1枚

流し台ですかね



反対に、校舎の右手の部分に寄ります

厠ですね

無数に空いた穴が気になりますが、細かい部分も美しく、いい雰囲気です



手洗いと



男性小用 ですよね?



いよいよ本丸へ

とはいえ、ガードが堅いので、都合よく1枚だけ割れていた窓から手を突っ込んでお邪魔します

????
????
心ゆたかに
??やかに

4つ目は、すこやかでしょう

そんなことより、壁面やガラスを見ても、平屋と言うこともありますが、美しい状態であることが分かります

1948年(昭和23年)から数えてこの時で築69年

最近の鉄筋校舎なんて、下階の廊下の窓枠が、上階の重みで歪んで窓が開かないこともザラなのに…やはり作りが違います



廊下の上部には、拡大版の日本地図

残っているんですね、昭和32年12月購入と読めます

東京教育大学名誉教授氏のもの



厠側からも覗きます

右手には、上述の地図

左手上部には、何やら作品と黒板が見て取れますが、これが限界

それにしても、床、天井ともに波打つこともなく、美しい状態



正面の玄関

こちらも、1枚だけ割れているものの、良好な状態

傘を被った電球すら割れていません



運動場に向かいます

雨の日に転ばないよう、滑り止めの石が埋め込まれている運動場からのアプローチ

落ち葉と苔が物悲しい



昭和の遊具は危険だった! みたいな手のアレで見たような遊具

どうやって遊ぶのかは知りませんが、恐らくぶら下がって回すんでしょうね

3月終わりの香川なのに…桜…



反対側には、板を外されて用途を成さないブランコと鉄棒

奥に見える植栽、やはり美しいです

屋根にも波がなく、やはり美しい



最後に、石垣と1枚

明かりさえ灯れば完璧です あと桜




…そんな柏原分校、2021年に、老朽化による危険を理由に解体されました

見えない部分は70余年の風雨によって傷んでいたんでしょうね

個人的には朽ち果てていくのもまた一興ですが、思い入れのある建物が、美しいまま記憶に残り続ける方が幸せでしょうね

解体を前に、有志の方が動画とインタビューを行った様子がyoutubeにあります

柏原分校 で調べればヒットします

もちろん、晴れた日の桜との対比も見られるほか、内部や、当時の様子、黒板の内容も映され、語られていますのでぜひ


ところで残留物も処分されたのでしょうか、だとしたら残念です

某自治体のように、廃校の残留品を某フリマアプリで売ってくれると、それなりの需要はあると思うのですが

少なくとも、昭和32年の地図が出ていたら買ってましたよ


---
1908年(明治41)-枌所尋常小学校柏原分教場 開校(現在地とは異なる)
1931年(昭和06)-一旦閉校
1948年(昭和23)-現在地に再び開校、この校舎を新築
1988年(昭和63)-閉校(閉校時の在籍2)

理由は不明ですが、一旦閉校した後、同じ名前で場所を変えて再興しています
1964年(昭和39)頃の全校児童数は40人弱
校舎の裏手には茶畑があったようです(裏は石垣が迫っていたのでスルーしたのですが、その上が畑だったんですかね)
現在は存在しない複複式(3学年)も行われていたほど、末期の児童数は少なかったようです

Wikipediaをはじめ、ネット上に情報は皆無でしたが、上述の通り、youtubeにこの校舎を特集した動画があり、その中で紹介されていた文言を抜粋しています
---

追記
4つ目は、すこやかに でしょうと自信満々に書きました
柏原分校を撮った他の方の写真の中に、左上が剥がれる前の様子が写っていました
あざやかに でした
これは意外でしたが、鮮やかの意味を引くと、「いきいきして美しいさま」と出て来ます
なるほど、そんな成長を願ったのでしょう

2017.03.30/香川県綾歌郡 枌所小学校柏原分校
2022.08.31追記

購買

2022-08-04 22:11:20 | 廃校・校舎(福井)
通りがかりに見つけた廃校を覗くと



立派な校舎ながらも、完全に複式だった様子

パソコンで見直してみたところ、その奥の壁に掛かっている表示は・・・



購買

文房具でも売っていたんでしょうか、わくわくする2文字が写っていました

2022.08.02/福井県敦賀市