心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

うつ体験を語る宮台真司のミスリード!

2009-07-20 09:00:23 | 宮台真司の病理的思考

-- (宮台真司氏が表わしている、うつ病の本当の原因!)--

こんにちは、テツせんです。

梅雨明けとはいえ、寝苦しい夜がつづくこの頃、みなさん、いかがお過ごしですか?

最近、高名な宮台真司氏がうつ病だったことを、ある雑誌で公言されていたのを知りました。

そこで、今回はその宮台氏が「日本の難点」という本を出されたところでもありますので、
この本をテキストとしつつ、
はたして宮台氏のうつ病理解とはどのようなものかを
皆さんとごいっしょに拝見してみようかなと思い立ったしだいです。

ある雑誌とはSIGHT2007春号で、
前回のブログに登場した「ツレがうつになりまして。」の細川てんてんさんの記事のすぐ後の、

「なぜ僕は『うつ体験』を語るのか」という宮台氏の記事です。

前説(まえせつ)には、
“90年代半ば、「ブルセラ」「援交」「オウム」など、
あらゆるフィールドの事象を縦横無尽に語りつくす気鋭の若手論客として
その名を馳せていた彼は、その裏で一体なぜ「うつ」を患ってしまったのか? 
自身が考える「うつ」という病の本質とその病を克服できた理由、
そしてを生きることの根源的な意味など、 
どこまでも率直に語ってもらった。”と書かれています。

もう一つの本「日本の難点」では、「普遍主義の理論的不可能性と実践的不可避性」などという、
命題の矛盾にいかにも酔いしれている、優等生先生・宮台氏の得意のスタイルが見られます。
お元気そうで、よかった。・・

それではさっそく、「うつ体験」を語る宮台氏の記事を拝見していきましょう。・・

*(宮台)「毎年または毎月、定期的に落ち込む時期が来る。月に1日あるいは2日寝込み、
年末には数日間寝込むんです。」

*(宮台)「学問もつまんない。ナンパもつまんない。でもやっている。
そのごまかしのエネルギーが枯渇したとき、寝込むのかなと。」・・

(テツせん注)・1
<< 宮台氏の以上のお話からは、
うつ病の症状を具体的に語っていることが分かります。
また、取り組んでいるフィールドワークに意味を喪失しているにもかかわらず継続したこと。
そのために離人症をまねいて行動停止に陥り、
ついにはうつ病になったということが理解できずに、
ただ、うつ病を我流に解釈して、エネルギー説を採ったことが見て取れます。>>

--“よかったり悪かったりの起伏がある中で、あるときにドーンと来てしまったきっかけは、読者の方の自殺だったと語っていらっしゃいますけど?”

*(宮台)「99年のS君の自殺。いろいろ調べて本にまとめる作業をしていて『沈没』しちゃったんですね。
S君が僕の言ったことを真に受けて駄目になっていくプロセスを再現して、僕がおかしくなっちゃった。
他方で、援交フィールドワークの意義に自信が持てなくなっていたこと。
いろんなことを全部含めて、99年にバーストしたんでしょうね。丸2ヶ月寝てました。」

(テツ注)・2
<< ここではS君をなぞって、心の病理特有の感染をこうむったことを述べています。
下手にのめり込むとカウンセラーも感染するというアレです。>>

--“それは起きる気がしないのか、それとも起きられないのか?”・・

*(宮台)「起きられないんですよ、気力がないから。頭も働かない。」

「今までと違って、はじめて『うつなんだろうな』と思いました。記憶がはっきりしないんですけど。」

(テツ注)・3
<< ここでは、うつ病は頭も働かないという点に留意しましょう。
下手すればもっと進行する、そんな領域に居たと見なければなりません。
宮台氏の場合は、深刻な(自死に向かう)孤立を回避して何かに依存するか、
破綻を無視した躁行動によってドーパミンを得ようとする。>>

--“その後回復できたきっかけはなんだったんですか?”

*(宮台)「わからないんですよ。ある日朝起きたら、『あ、起きられそう』っていう感じで。
結局、「夢見の機能」に似ていたのかもしれません。短期記憶を取捨選択のうえで長期記憶の引き出しに整理し直すっていう。
とにかく2ヶ月間寝ていることが、僕の脳には必要だったということです。」

(テツ注)・4
<< 宮台氏のいつもの自己流解釈がご活躍。
しかしどうやら、回復したのは彼の身体機能だけで、
ものの考え方、脳の働き方は何も得ないままであることは見逃せない。>>

--“でも『すべてがつまんないんだけど、やらざるを得ない』ということと、自分の中でどう折り合いをつけようとしてたんですか?”

*(宮台)「95年までナンパ生活を続けていました。その10年前に失恋したあと、
本当に好きになれる女の子を探していたんだけど、セックスした子の数が、100人・200人と増えていくだけでした。
どんなに愛されても、愛する気持ちがまったく起きなくて。
そんなとき当時の奥さんと出会い、いろいろあって、『愛の感情』が戻って、結婚したんです。」

*(宮台)「でも、どこかに問題の根が残っていたんです。世のよしなしごとにコミットメントしたいのにコミットメントできない。
コミットメントしたふりをして物を書いてきたけど、根本的にはどうでもいいと思ってきたんです。」

(テツ注)・5
<< まず宮台氏が“女の子をナンパする”ことの意味をかんがえてみましょう。
行きずりの女性とは、特定されない女性一般のことであり、
そこでは女性に対する宮台氏の一方的な性的イメージの濃淡多寡だけが、
関係を持つ動機となることを意味します。

すると、宮台氏が「愛されても、愛する気持ちがまったく起きなくて」と勝手に思い上がっているけれども、
相手から愛されることなどあり得ないわけです。
向こうの女性もまた当然のように、性的イメージだけを持った関係を動機付けしているからです。
そこに愛のように見える所作・対応は、
すべては性的イメージにまといついた前戯的行動でしかないのです。
同様にまた、宮台氏の方に愛する気持ちが起きる根拠がはじめから欠落した関係意識が、ナンパという行動だからです。

おそらく宮台氏は自身の社会システム論に縛られて、
代替可能性というキイワードからナンパという方法をあえて選択したわけでしょうが、
その方法論はいかがなものかと言わざるを得ない。・・この議論はまた後に取っときましょう。--*

それとまた、コミットメントが不可能に立ち至った事態とは、
自ら告白しているように、自分の学問的営為が破綻してきたこと。
そのためにうつ症状を表わしているということです。>>

*(宮台)「僕の場合には自殺念慮の形は取らなかったんですが、周りのすべてがつまんないと思えましてね。・・
ただうつの期間があけてみると、夢見のあとに数学の難問がすらすら解けるのと同じようなことが起きたんですよ。
『自分がうつになるのが正しかった』っていうこと。『自分には何も問題はない』とわかりました。
小さいときからの生い立ちや長い間の経験を振り返り、自分の知的なリソースを動員して、
あれこれ考えたり感じたりした結果、『うつになった自分は正しい』となったんですね。」・・

(テツ注)・6
<< カウンセリング理論の最初に習うことで、
“人は自分の事を考えても正しい結論に到れない!”という法則に則った警句があります。

宮台氏は、『うつになった自分は正しい』という痛快な!結論を導いたわけですが、
これこそ、心の病気の中で病理者が実行する思考の一つの典型を示しています。

たとえどのような結論を得ようとも、それは現実から解離した思考と見なされるべき性質のものであり、
宮台氏の場合は、そのとき妄想としての「躁」に向かったようにおもわれます。
ただ、彼の「結論」自体が後になってから“理由付け”された可能性も排除できない。・・
そのことは次回に決着をつけることにしましょう。

それにしても、
「コミットメントしたふりをして物を書いてきたけど、根本的にはどうでもいいと思ってきたんです。」という宮台氏の発言は、
やはり大変重くて、

「社会がクソなら、体は社会にあれど、心は社会の外にあっていい」と言い放つ、言葉の自己破壊の怖さを

またそのうちに、思い知らされる時が来なければいいがと懸念せずにおれません。
(次回につづきます。)
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