のほせんの「ブログ・心理カウンセラーがゆく!」をご高覧のみなさん、
旧年中は誠にありがとうございました。
今年もいっそうのご愛読をなにとぞよろしくおねがいもうしあげます。
一年の計は元旦にあり!
といいますが、正月早々、パソコンがダウン。・・ いまようやく回復しました!
さてさて、みなさんは悩み事や課題を抱えたときどのように解決されているでしょう?
自分で解決策を考えるか、気分転換をするか、時間が解決してくれるのを待つか。・・
などなど人によってさまざまな方法があると思います。
自分一人ですべてを解消できればそれに越したことはありませんが、
誰にでもどうしようもないことや、
どんなに悩んでも一人では解消できないときがあるものです。
そんなときのために、「カウンセラーのほせん」と話してみることも選択肢にいれてみてください。
-- さてこの時代は、わたしたちすべてのものが けっして心を病むことと無縁ではなく、
それどころか往ったり来たりのあやうさのなかに立たされていることを理解しておいていただきたいものです。
それを強いてくるのは、この現代社会にほかなりません。
いいかえれば、わたしたちのものの考え方の総体としての時代性、現代性がそのままわたしたちにはね返っているといえるでしょう。
つまりは、わたしたちをして「病むこと」からまぬがれがたい時代にあるともうせます。
以前にも触れましたが、
すくなくとも、樋口一葉の『おおつごもり』(明治27年)のなかでは、
どんづまったはての社会の貧苦が、堂々と書かれていて、
現代日本のしいられた孤立化に由来する、強迫観念を病む社会とは、似て非なる、「ひらかれ」方をあらわしていて
どこかいっそのことすがすがしいものがみとめられます。
しかし、
わたしたち個の存在をとりまく情況は一葉の時代とはかわって、
年をおってますます酷薄さを増すなか、
精神の生き難さに堪えられず、心の病に陥っていく人が絶えません。・・・
戦後の日本国民は、敗戦コンプレックスをかかえて、占領国アメリカへの密着依存を発現して以来、
米国流プログマティズムにのって、あくなき「消費欲求」をほとばしらせつづけた結果、
購買衝動、ギャンブル依存、薬物依存、SEX依存、ネット依存とありとあらゆる種類の依存症をつくりだしてきました。
また経営資本の職場から代替物として扱われる「個(人)の意味剥奪、記号化」の徹底が、
それでなくとも日本的依存密着を好むわたしたちを嫌でもひきはがし孤立させ、
その存在の瀬戸際までおいこまれて、ついには「無意識に強迫意識をかかえる」に到っている。
おいこまれた結果の強迫意識からは、
わたしたちはごくわずかな個人的差異(見てくれの)にしがみつくように
美容整形や性的変態をきそう人たちをうみだすようにまでなりました。
まるでそこにしか個の存在意味が無いかのように!
唯一、小金を貯めてきた小心な団塊世代は、孤立と強迫性を刻印されたまま職場から放たれ、
もとから現実解離し妄想してきた美化のイメージの「第二の人生」に歩みだすものの、
解放感の感応度が日に日に低減していくことはまぬがれないため、
やがてペット愛玩症候群などにとりこまれて、ものの考え方が社会に自閉するに到る。・・・
この間共同性としての日本社会はというと、
歴代政権が国策企業と結託し、かつアメリカ政権に隷従し、
沖縄を差し出したまま、「明るい原子力」を洗脳され、また国民の富を税にすり替え、
それをドル円・為替支配に吸い取られ翻弄されて久しい。
沖縄の人たちを見捨て!
広島、長崎の被爆者を見捨て!
水俣病患者を見捨て!、
いままた東日本大震災の被災者と東電福島原発被災者をも見捨て!、
しかもなお過去に失政者であったものたちが、何ごとも無かったかのように
厚顔にも正義の者のごとくまたぞろ登場し、あらたに政権に就いた。
どこまでも国民をたぶらかそうとする破廉恥な売国詐欺師たちの脚本どおりの、
マスメディアを総動員したいわゆる米国式PR戦略が遺憾なく発揮され、
また隈なく強大な権力装置がはたらいた結果というものだろうか?
国民としてのわたしたちもまた、個の生き難さに難渋していても、
それを国家レベルの共同観念に相似させることができないでいる。
すなわちここでも、密着依存体質に刷りこまれた好き嫌いだけの「楽観バイアス」が優勢にはたらき、
生活者の意識を率直に共同意識に反映させる「回路」が閉ざされている。・・・
あるいはさらに、生き難き情況がきわまってくるまで、
その回路は開かないものなのだろうか?・・・
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