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対日原子力戦略2(原発震災その4)

2011-05-16 16:36:40 | 現代日本および世界
こんにちは、のほせんです。
東電福島原発の爆発事故についての東電と政府の発表が
ことごとく虚偽ないし誤認であったことがいまごろになって露見しました。
これはほとんど故意にちかい誤まったままの数値データ開示といえるし、
これが二ヶ月におよんだことの責任は重い。

なぜなら結果として最悪の爆発が奇跡的におきていないだけであり、
爆発がおきていたらその結果の甚大な被害ははかりしれないからである。

これ以上、この連中に事故の収束をまかせていたらとんでもないことになるだろう。
たとえば、あの会見に出ている原子力安全保安員が法学部出身の官僚ときくが、
もとより官僚とは現場を見知らず、字づらと数字を相手にする人種である。
そういう人種が取り仕切っているかぎり、「ダイジョウブ」なはずがなかろう。

前回、“関東地方までも放射能が影響をおよぼしています。
当該地域の事業者の方にはお気の毒で、とんでもなく迷惑な事態ですが、
これは風評などではなく事実として認識しなければしかたがないことなのです ”
と申しあげましたが、これにつけくわえたいことがあります。

東電に支払わせるのもいいのですが、
せっかく産出された食物や魚介類はひとがいただくことがやはり大切なことですから、
面倒でも産物に「六十歳以上の人向け」と明記して流通させることがいい方法かとおもいます。
その年齢になれば放射性物質の影響もひどく反映されないということですから、
みなさん積極的に購買していきましょう。

それにしても、知識人の多くが、東電原発事故の真実にむかうことなく、
いまにいたるまでマスメディアの大本営報道に依拠するひとがいたということは、
日本的な個の自立意識の欠如、依存性をものがたるもので、
それはまた《個の尊厳と自由》に立脚した思考をたてられないで、
ただ既存の体制を前提とみなす迷妄にどこまでも無自覚なひとであるといえる。

戦前戦後を通してそんなマスメディアに
「クリーン」なスタンダードがあったためしがないにもかかわらず、
知識人のおおくは、自立する思想を手にしないまま、またぞろ
無邪気に翼賛の風になびき、国民大衆より先んじて吸いよせられようとしている。
むろんのことに、こう指摘されても自分のことと自覚できないひとたちだが。・・(やれやれ。)

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さて前回の「対日原子力戦略 1」につづいて、
東電福島原発事故災害にいたった歴史の真実にせまってみたいとおもいます。

1954年、
米国最初のビキニ水爆に「ブラボー」と< 愛称 >をつけたことは、
アメリカ政府指導部が、野卑で尊大な本性をもつことをよくあらわしている。
そういえば広島の原爆には「リトルボーイ」、
長崎の原爆には「ファットマン」という愛称がついていた。・・(やれやれMy GOD!)

米国はその前年に原子力潜水艦ノーチラスの竣工をみている。
対日原子力戦略はアメリカの軍事開発の民間転用ビジネス化の一環である。
米軍軍需で莫大な利益をあげた企業はその資金でジャパン・ロビーなどを組織し、
つぎの対外ビジネス戦略(現代のグローバル帝国主義)にまい進するという構図なのだ。

そのアメリカと結託し「日米原子力平和利用キャンペーン」を大々的に工作、実行したのが
あの読売新聞・日テレの正力松太郎氏である。
(かれの野心がさらなる事業拡大(電信)や政治家トップにあって、そのために
米国の「対日心理戦略計画見直し」のちょうちん持ちを買って出たものと推察される。)

55年1月の「アメリカ原子力平和利用使節団」のメンバーにノーベル賞科学者をくわえて、
「ノーベル賞」と「平和」に弱い日本人を集める全国規模の大講演会に打って出る一方で、

正力氏は読売新聞と日テレを総動員して使節団のニュースとキャンペーンを張った。
「原子力の恵み」(日本におけるアイソトープの利用)情報なるものから、
「わが友原子力」という原潜ノーチラスの成功を元にした宣伝漫画を
ディズニーが制作し、日テレ放送網で放映。

そのころ相前後して、
ノーベル賞科学者で日本で最も敬愛されていた湯川秀樹博士が
原子力平和利用に賛同したことも大きな方向付けとなった。

「日本はエネルギー資源がない国だから、原発は日本にこそふさわしい」というプロパガンダは
政治家(共産党まで含め)から産業界、国民大衆までを
< 原子力 = 平和利用 >というマジックに染め抜いていったのである。・・・

*(ここでくれぐれも注視しておかなければならないことは、
当時の原子力発電なる実態はまだ皆無といってよい、
ただの「明るい未来」を絵に描いただけの過剰な期待イメージでしかないことである。
 それが現在に到っても欠陥原子炉であることにおどろかされるとともに、
この壮大なプロジェクトがもとから生命の安全などより
膨大なビジネス・利権にシフトされていたことをゆめゆめ忘れてはならない。)

正力氏はこのときを、
「世論を変えたターニングポイントになった!」とふりかえっている。
結果的に、その年の11月には「日米原子力協定」が調印されることとなる。・・・

じつにころりと、
アメリカの作為的なプロパガンダ(「明るい科学」= 原子力)に染まってしまった日本人。
この「思想的敗北」ともいえる日本的な変節をみせつけられるとき、
ことさらに
敗戦日本の自己喪失感とコンプレックス、それを埋めたいための
あらたなものへの依存欲求・期待の度合いのつよさにおどろかされる。

この時期から
わたしたちは日本的な自身の文化のすべてを嫌悪し、
アメリカ流の物質信仰= プラグマティズムにさそいこまれていくことになる。

それはついには現代にいたって、
世界金融資本が仮構したグローバリズムに染められ、
もはや人間を捨てた拝金主義者という究極のすがたにまで変容することとなる。・・・

まるで気の遠くなるような嘘のようなことだが、
「原子力= 明るい科学」の「悪夢の未来」の舞台裏があかされるためには、
わたしたちは五十年も待たなければならなかったということになる。

2011年3月に「ついに未完の危ない原子炉」がみずから本性をあらわすまで、
わたしたちは「思想的敗北の戦後」をずうっとひきずってきただけのことになる。・・・


悔やんでも悔やみきれない、
失われたゆたかな未来、
とりかえしのつかない現実、

ひとりでもいいから あらためていかなければならない

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今回も読んでいただきありがとうございました。

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