心理カウンセラーの眼!

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感動をウリにする第5次ビジネスの正体!

2010-05-31 16:48:18 | 現代日本および世界
こんにちは、テツせんです。
すこし前までエゴの木に可憐な白い花が鈴なりに咲き、
その蜜を採ろうと、くまん蜂が羽音をうならせていましたが、
雨の後にすっかり花も落ち、いまはアブラチャンが鼻を突く精気をまきはじめたところですが、
みなさんのところはいかがでしょうか?

さて本日のテーマは、「感動をウリにする第5次ビジネスの正体」ということで、
ジャパン・ビジネス・ニュースという会社のレポートから現代の消費行動について読み解いていきたいとおもいます。
レポートによれば、
- 「昨年からブレイクしているものといえば「iPhone」や「ツイッター」が挙げられるが、
これらの最新ツールを使っても、なぜか気持ちが高揚しないという人が多いのではないだろうか。
1990年代になって以降、
パソコン、インターネット、携帯電話など、新しい情報ツールが次々と登場して手にしたときは、
何とも言えない興奮・感動があったものだが、
近頃では数ヶ月サイクルで変わるデジタルの世界に疲れたり、冷めている人も少なくない。」と書かれている。

ここでは何が現代的に表現されているのかといえば、
『超高度消費社会』の今日的な実態があかされているといえます。
つまり、メーカーサイドから供給される商品が、一定の需要を充たすと
たちまち「興奮・感動」をともなう美化のバリューをそぎ落とされ、
雪崩をうって、元の単なるハードウェア(道具)に還るということを言いあらわしているわけです。

であるからと、レポートはつづけてこう言います。
- 「今後は何かのアナログ分野で専門性を追求していくことが重要になる。
つまり、消費者は時代の変化とともに、
頭や心の深いところで感じるエモーショナルな刺激を求める傾向がつよくなっている。
人間の欲求は麻薬と同じで、より強い刺激が欲しくなっていく。
その対象はモノから無形のサービス、そして知力へと進化して、
最終的には『心』にたどりつくといわれている。」
・・というぐあいに現代消費資本主義社会では当然の成り行きとして語られています。

そしてその展開を表にしてごていねいに記しています。
《進化する欲求の五段階 》

・第一の欲求・・・無事に生きていたい(最低限の衣食住)
・第二の欲求・・・快適な生活ができるモノが欲しい(物欲)
・第三の欲求・・・生活を楽しめる娯楽が欲しい(サービスへの欲)
・第四の欲求・・・他人よりも賢くなりたい(知性への欲求)
・第五の欲求・・・脳や心で深い感動を味わいたい(心の欲求)

これ自体は恣意的で、まるでよくある、へたな社会学者の分析のようですが、
素人ながらいわんとする『欲求の昂進』の時代性はよくでているかとおもいます。

そういえば似たような表が心理学者のマズローによってかかげられています。
「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定して、
5段階の階層で理論化したものですが、
わたしはこの古色然としたスタティックな人間のとらえ方には不満を持っています。

むしろ現代では、《欲求》と《消費》が卵と鶏のような相関関係にあると感覚的にでも了解している記者のほうに軍配をあげたい。
そのことが正しいか正しくないかではなく、
それが超消費社会という時代性そのものをよくあらわしているからである。

記者は欲求の段階についてさらに解説する。・・・
- 「パソコンやインターネットは『第四の欲求』を充たすためのツールとしては最適で、
分からない事を検索すれば瞬時に該当する情報を引き出すことができるため、
巷では“にわか情報通 ”が急増しているが、彼らには何かが足りない。・・・
そこで、
情報を発信する側も消費者をつかむために、さらに高みを目指す必要がでてきた。
それが次なるトレンドとなる『感動、共感』を刺激する第五次産業であろう。」- という。・・・
さらにその事例として、
「食ビジネスにおける5段階の進化」
「オーケストラ経営から学ぶ感動ビジネスのモデル」
「感動事業を手がけるNPOの収益構造」
などが列記されている。

ここまでくると、笑ってしまいますが、記者さんはいたって本気で語っています。
はたしてわたしたちの消費行動は本当にこのような方向にいくのでしょうか?

メーカーサイドは、商品の短サイクル化に悲鳴を上げ、
消費者は、商品の陳腐化のスピードに失望するという構図を、
「感動ビジネス」なるサービスが脱出・転換できるのかは、
きわめていぶかしいようにおもえるのですが?

「脳や心で深く感動を味わいたい」という欲求のもっている《内容 》が、
言葉とは裏腹にいかにも貧弱なことと、
またそれに応えるべきサービスの内容もまた、お粗末なことは火を見るよりあきらかなことだからです。

その問題は、すべてのIT 関連のツール・道具がいくら高いクォリティを誇っていても、
検索ソフト(これも大半が不要な情報ばかりだ)以外は、
あまりにも幼稚で、ただの遊興ゲームのレベルに甘んじ続けていることとダブってみえます。

もとよりiPhonの「機能」やツイッターの「誰かのつぶやき」などに、
「なぜか気持ちが高揚しない」のは、
それらには、『他人の中での携帯症候群』とおなじく擬似的なつながりで時間を消費するほかには、
わたしたちに何の意味も価値をも与する力があるわけではないからだということでしょう。
おそらくIT には、『意味を剥奪された集客』ということ以上の役割はありえないことが分かってきつつある。

それが子どものオモチャと同じで、「あたえられた道具やシステム」でしかなく、
想像力の世界とは無縁の、ハイパーリラックスの脳の廃用萎縮に寄与するばかりだからだ。

そして、エスカレートしつづける欲求行動が、記者の言うように、
つねに、せつな的な快美感の欲求(エモーショナルな刺激欲求)にすぎないとするならば、
第四も第五もあったものではなく、ただ擬似的な感動・刺激に飢えた人間の姿にほかならず、
この際、
右脳前頭葉にアプリオリに「感動的な」快美のイメージを描きつづけるか、欲求しつづける
自覚なき病理の人と言い直すべきか。・・・

さてあらためて、
消費欲求・刺激欲求というこの時代の要請がどこの時点で止むことがあるかと考えてみても、
「それは止むことを知らない」という返答しかかえってこないはずである。
それが、機能主義とプラグマティズムという思想に覆われた、
ある種の現代の病理の本質とみられるからだ。

そうすると、この時代の病理のなかにいるわたしたちが克服していくべきは、
いまのものの考え方の総体を転倒することのほかにはありえない。
見事なまでに寸断された個人が、
現代の《代置可能とみなされる個 》という位置づけから人間の生存の本質へ到達するために、
どこまでも刺激を求める病理的思考にある自らに、
個の生存を賭けて、
問いかけてみることからはじめなければならないのではないだろうか。

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