小説です

読者の皆様を惹きつけるストーリー展開でありながら、高尚なテーマを持つ外国の小説みたいなものを目指しています。

村 (第1章 15)

2013年04月30日 | 小説

  発見されてから、二時間経った、火事の現場は、この村によくこんな大勢の人がいたかと思われるほどのたくさんの人でごったがえしていた。消防団の消防車、それに急を聞きつけて、先ほど、隣りのN町から来た消防車に救急車とパトカーも停車していた。今では、火は治まり、老人たちもその場に座り込んでいる者も多かったが、少し安堵の表情を浮かべていた。幸いなことに、養老院の百五十人くらいの老人たちは皆、全員無事だった。しかし、これには訳があった、火事が発見されてまもなく、老人たちの大部分は着の身着のままで、養老院の職員たちに助け出され、表に出ることができたが、十数人の足腰の立たない者たちが、炎の中に取り残された。その時はまだ、消防団が駆けつける前だったが、突然、あの欧開明が数人の若い男を伴い、現れ(彼らは欧開明も含め防火服を身にまとっていた)、彼らを指揮し、空気呼吸器を付けると、自らも火の中に入り、老人たちを次々と外に運び出し、最後の一人を外に出し終えると、皆が歓声を上げているさ中、彼らと共々夜の闇の中に消え去った。
  このできごとは人々に深い印象を与え、人々に感動の余韻を残していた。その時、ようやく駆けつけた村の消防団が消火活動を始めたが、消防団の装備はあまりにも貧弱だった。とてもこの火の勢いを抑えることはできそうになかった。だいたい、黄道の会の人々がこの村に定住し始めてから、養老院や大講堂、各会社の施設等、山奥の村には、不釣合いな、大型施設があり、ひとたび災害が起きたら、村の有志の人間が参加する消防団などでは、とても対処できないことは明白だった。遺憾なことに、今まで、誰も、火事や災害が起こることを予想していなかったし、また、誰もこの矛盾に気づいていなかった。
  だが、突然、闇夜の中から、地鳴りのような、プロペラの旋回音と共に、一機のヘリコプターが突然、飛来し、消火剤を投下し始め、消火活動を始めた。そのヘリコプターは闇の中で、サーチライトに照らし出され、扉に黄道の会の鳳凰のマークがあるのが見え、また、操縦桿を握るのはなんと、欧開明本人で、その美麗な顔を陰らせ、真剣な表情が見えた。ヘリコプターは一回に運ぶことのできる量を全て投下すると、確かに火勢は弱まったが、まだ完全に治まらないのを見て取ると、現場から、離れてどこかへ行ってしまった。そして、ものの二十分もすると、ヘリコプターは再び現れ、今度は前回以上の多量の消化剤を投下し、火の勢いはほぼ、鎮圧されたかに見えた。その時、隣りのN町から駆けつけた消防車もようやく到着し、消火活動を始め、火は完全に消火され、燃えた建物のあちこちで、くすぶっているような白い煙が上がっていた。ヘリコプターは、消火が確実になると、現場の上空をしばらく旋回していたが、そのうち、どこへとも知れず、夜空の中を飛び去って行った。
  来栖と友紀は途中から、火事の一部始終を見守った。そして、彼ら二人だけではなく、他のいっしょに現場に駆けつけた者たちも一様に、ある種の深い感動に包まれていた。それは、黄道の会及び欧開明に対してだった。もちろん、来栖も友紀も欧開明の顔を知っていたわけではなかった。しかし、周りの欧開明を知っている大多数の人々が、それぞれ、「欧開明先生、欧開明先生!」歓声を上げたとき、現場に居合わせた、二人は自然と、欧開明の姿を認識することとなった。
「欧開明先生はすごいね」来栖は思わず、友紀に語りかけていた。
  友紀は伏目がちの眼をまばたかせながら、うなずいた。
  ラウドスピーカーの声が夜空に響き渡った。来栖も友紀も思わず、声のする方を見やった。それは八雲の声らしかった。
「養老院のみなさん、こちらに車の用意ができたので、集まってください」
  見ると、いつの間にか、大型のバスが来ていて、老人たちは養老院の施設の係員や消防団に抱きかかえられながら、次々とバスに乗り込んで行った。しかし、バスは一台で、どこに老人たちを護送するのかわからなかったが、百五十人位いる老人たちを全員、運び出すには、少なくとも、数回、往復しなければならないようだった。また、多数の老人たちを急遽、収容できる場所はこの村には、限られていることも確かだった。群衆の中で誰かがささやく声が聞えた。「大講堂へ連れて行くらしいぞ」「大講堂」「大講堂だ」と言う声が、次第に広がって言った。
「大講堂って?」来栖は友紀に問いかけた。
「先ほどお話した、あの大講堂です。地下にある」友紀は答えた。
「養老院の老人たちは、皆、黄道の会に入っている人たちなんだろうか?」来栖は自分自身に問いかけるように言った。
「もちろん、そうです」友紀はきっぱりと断言したが、来栖の友紀をを見る目は少し疑わしげだった。

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村 (第1章 14)

2013年04月13日 | 小説

 その夜のできごとは、後になって、その場にいあわせなかった人たちから言われたことは、誰かが仕組んだシナリオ通りに行われた作為的な事件ではないかということだった。しかし、多くの人が、はっきりと強くそれを否定した。仕組んだにしては、ほとんど起こるわけのない、偶然が重なりあったからである。
  これから、物語を先に進める前に、この村のここ二十年の歴史を語らなければならない。
 この村は元々、山奥の過疎の村で、五十年前は千二百人近くいた人口も、ニ十年前の時点では、全部合わせても、五、六百人しかいなかった。ところが、更に追い討ちをかけて、ニ十年前に水力発電のダム建設の話が持ち上がり、この川の上流(ダムのある地点は隣りのH町に属する)を堰き止めて建設するダムのお陰で、ほとんど村人の半分の住居がダム建設によってできる湖の底に沈むことになり、立ち退きをよぎなくされた。ダムの建設以前、老人がほとんんどを占める村人たちがダム建設反対運動を繰り広げている頃、黄道の会の大木たちが現れ、まず、一人、二人と転入届を役場に出し、鉱山採掘の頃、労働者の宿舎だった、ぶな屋敷を改修して、住み始め、黄道の会の支部とした。やがて、黄道の会の存在に気がついた村人たちが騒ぎ始めた時、黄道の会は予想外の行動に出た。大木たちは、この村に、温泉付きの、その当時としてはかなり豪華な養老院を建て、無償で、ダム建設により立ち退きになる老人たちの面倒を見ると言い出したのである。しかも、政治家の力を借りて、それを正式なものとして、村人たちに提示した。最初はこの新興宗教に不信感を抱いていた、村人たちも、たいへんな好条件を村人たちに提示したこと、元々、村人が檀家となっている仏教の寺や氏子となっている神社の信仰を否定せず、共存するという、教義を説明し、また、大臣も勤めたことのある政権党の著名な政治家を引っ張り出して、たびたび話し合いを持った結果、ついに黄道の会は、この村を自分たちのものとすることができた。
 その後、養老院の老人たちや立ち退きにならなかった地区の村人たちに、黄道の会は布教活動を続けた。その結果、老人たちの大部分が入信し、また、この二十年の歳月でこの世を去った人も多く、今残っている村の元からの住民は九十九パーセント、黄道の会の人間になった。黄道の会がこの村に会社を誘致したことにより、全国各地から、黄道の会の若い人たちがぞくぞくやって来て、村の住民になり、現在は村の人口は千人になっていた。
 村には黄道の会が経営する会社がいくつかあり、その内、商品開発が上手で有名な製菓会社の開発試作工場、独特の合理化思想の元に開発を行う、企業向けコンピューターのソフト開発をやっている会社等、各分野で優れた業績を上げている会社ばかりだった。驚くべきことは、この黄道の会の信徒は高学歴の有名大学を卒業したものも少しはいたが、大多数は、高学歴ではないが、ユニークな発想のできる、優秀な人材が数多くいることであった。彼らは商品を開発することに優れ、その開発の元になる思想は、欧開明が説く、源体宇宙論から生み出されていると、彼らは自分たちでよく、そのことを説明することがあり、その思想は、全てが一つであると言う高遠な思想とは裏腹に、それを現実の世界で応用すると、とても実用的な、人類に幸福をもたらすものであるとのことである。具体的な例を挙げるならば、全てのこの世に存在する対立は実は、元々一つのものが分かれて、対立しているのであって、それは仮の姿で、一つに統一された状態が正しい形態である。だから、対立をやめ、黒と白はお互い混ざり合い、灰色になれば、それが正しい状態である。対立するものどうしを一つになるよう努力し、正しい状態に近づけたとき、新しいものが生まれる。この正しい状態を探求することが、黄道の会の教義の一つであった。それを実践したとき、新しい有益なものが生み出される、とのことだった。
 今年四十歳になる、システムエンジニアの桐野富士夫は、この源体宇宙論の理解にすぐれ、他の信者を指導できる黄道の会の指導五級の資格を持っていた。この「指導」という級別は、「普通」や「特別」とは違い、現実社会の階級ではなく、他宗教の聖職者や僧職に相当するもので、現実世界の序列外の等級と言ってよかった。また、彼は欧開明の理論を更に一歩展開して、思想を発展をさせることも許されていた。
 桐野は独身で、仕事は主に在宅勤務で、自由なことから、昼と夜を逆転させた生活を続け、いつも、病的な、青白い顔をしていた。真夜中に、コーヒーを何杯も飲み、タバコをたくさん吸い、その吸殻が毎夜、灰皿に山のようになるのが常であった。たまに、日曜日にでも、昼間、人前に現れると、その不健康な顔色に周囲の人々は皆、驚かされた。しかし、彼は皆を指導する役目があり、また、彼自身もこの職務をたいへん、気に入っているようだった。演台に立って、彼は、源体宇宙論の講義をするとき、非常に聴衆を引きつける話し方で、それはまさにこれは天性のものといってよかった。人々は彼の話に酔い、聞き惚れた。欧開明を除いては、誰も彼に太刀打ちできる、指導職の者はいなかった。

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