
新江戸川公園http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_kouen_annai_kuritukouen_kouen_shinedogawa.html
アジサイの季節
日本の平均気温上昇は 世界平均より温度上昇勾配が強い
年平均気温の1度の差は 東京と宮崎の差になると言う
関東も いずれ 沖縄並の気温になるのかな
http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0220a/contents/f_01_09.html
木金と34度だった
金曜日 寝苦しかったので 今年初めてエアコンをいれる
自分も軟弱になったと思う
20代の頃までエアコンなんて使った事もなく 扇風機だけで過ごしていた
10代の頃は 団扇だけだったはず 当時は何の疑問も持たなかった
一度 快適さを覚えると もう 後へは戻れないものだ
満員電車も 扇風機だけで 窓を開け放していただけ
男のワイシャツや 女のブラウスが汗で腕に貼りついていたっけ
昨日土曜日 涼しかった 散歩に出かけた
宿場町通りの横の路地
肩すれ違うのがやっとほどの路地が無数にある
寄り目の交差法を使うと3Dに見える
そんな事はどうでもよく この北千住に降りるのは初めてだ
宿場町通り 昔の日光街道 きっと宿場町として繁盛したのだろう
飲み屋が多いせいか この時間は 街はまだ半分眠っている
絵馬屋吉田家 江戸期からの際物問屋だという
路地の奥では 何処かのばあちゃんが草取りをしている
古い建物だからというより 見ようによってはみすぼらしい建物ではあるが
生業が300年ほども続いている事に 時の凄さを感じる
紙問屋横山家
きっと 昔 丁稚や番頭が大勢で 土煙りの上がる往来の大八車から荷を降ろし
主人は帳場で大福帳に荷の数や相場の値を書くのに忙しかったろう
散歩の楽しみに想像力がある 俺の場合は時代考証が不完全なので妄想力である
見るだけなら数十秒の建物でも 妄想力があると10分は妄想に浸っていられる
一人のばあちゃんが お店のばあちゃんと世間話をしながら団子を買っていた
人がようやく行き交うようになってきた
若いお姉ちゃんたちがヒールの音をカツカツと早いリズムで駅へ向かって行く
若いお兄ちゃんたちは少ない
嘗て遥か昔 お兄ちゃんだった人々が店を開け道路を掃除している
見とれてると 妻に 往来の邪魔 端に寄って と 注意される
俺は交通量が少ないと すぐ道の真ん中を歩くし
興味がある物があると 往来の真中でも立ち止る癖がある
気はつけてるのだが 癖を無くすのは難しい
名倉医院
江戸時代からの骨継ぎの名医だったそうだ
現在の当主は整形外科医らしい
こうゆう建物を保存して行くのは大変だろうと思ったが
この高級車が止まっているので お金持ちだから大丈夫か なんて思い
塀の外から写真を撮らせてもらった
北千住から日比谷線で三ノ輪へ そこから歩いて都電荒川線の三ノ輪橋駅へ出た
浮浪者が拾った新聞を読み 何もする事が無くなったじいちゃんがトイ面に腰を降ろす
ぼんやりとした目で浮浪者を見つめていた
何か 感じる事があるのだろうか? あるいはただ所在なげに視線を投げかけているのか?
拓郎とて同じ
人様があって生業がなりたつ
皆同じ 人様があっての自分だ
人それぞれ事情がある 人のせいだけじゃない 運命は天の配剤でもある
それを いいとか悪いとかは 人の越権行為である
自分もなるようになって来たし なるようになって行く
ちょっと 感慨に耽っていたら
あなた1日乗車券何処に売ってるの?
どこだべなぁ? とりあえず並ぼう 運転手の人に聞けばいいさ
都電が来たので
1日乗車券何処で買えばいいですか?
はい あります お一人 400円です
じゃ 2枚ください
一番前に座った
子供の頃から運転席から窓の外を見るのが好きだった
都電の風景は江ノ電の風景に似ている
日常生活の上にレールが敷かれているようで和む
飛鳥山の辺り
三ノ輪橋から早稲田まで約1時間
バスとはまた違う味わいがある
利用客も多い 交通の邪魔というので路面電車は廃止されてきたが
昔は結構利用した 今は車が多すぎて車の移動はすぐ渋滞にはまる
車は通勤と買い物にしか使わなくなった
自分にとって自家用車はもう必需品ではない
旧細川藩邸の跡地
鬱蒼とした森に包まれた公園
人もまばらでゆっくりと歩く 勾配がきつい石段もあり息切れした
ついでに 蚊に刺された 妻も蚊に刺された
東京には緑の自然が沢山保存されている
最近は下町と公園と美術館がいい
鬼子母神http://www.kishimojin.jp/index.html駅で降りた
足の悪いおじさんがお稲荷様や一対の仁王様などにお辞儀をしている
日本人は宗教に無定見だと言う
自分は思う
それは神や仏なるもの 絶対的なものに帰依あるいは従う人々の発想ではないか
自分たちの信仰は絶対正しく 他者を受け入れない 極端な場合は排除する
死ねば皆仏なのに 墓を暴いてまで 敵であった死者を冒涜する
宗教的論理を持たないものを 原始的遅れたものと蔑む心が見え隠れする
勝者になれば傲慢になり 敗者になれば復讐を忘れない
自分が正しいと言う概念から 自己絶対正義概念から 自己選民思想から抜け出でる事が出来ない
とても頑なで 偏っているような気がする
パワースポット パワーストーン 占い 風水など
これは いわゆるアニミズム 精霊信仰と通ずる
教会で信者でもないのに結婚式を挙げ クリスマスを祝い 正月 神社仏閣を何の違和感もなくお参りする
アイヌの熊祭り 昔のクジラ供養 針供養や豆腐供養 人形供養 道具供養など
ありとあらゆるものに それを生業とする人は それでご飯食べられる事に 感謝の意味で供養をする
自分たちが生きるために犠牲になった生物無生物に祈りをささげる
それらに批判的な人々もいる
が
タイラーの言う 汎神論的宗教観が日本人の底に流れているような気がする
あらゆる宗教概念は 自然信仰の中の一つの対象にしかならない
と言うより
全ての 生物無生物 自然現象 物理の法則 数学の法則 哲学 神学 経典の中に神性があり 仏性がある
そう思うようになった
だから 自分は無神論者になり 無定見になった
イワシの頭も信心から これでいいし これで十分と思う
道端の石コロ一つ ぼさぼさ生える雑草に ふと和んだら 風景に心洗われたら
それは 石コロが 雑草が 風景が心を救ってくれたのだと思うようになった
三ノ輪橋の商店街は安い
野菜類 魚類も うちの近所より3割は安い
韮が39円 おっきなトマト6個で250円
ここへ来ると買って帰りたくなるが 重い荷物を持って電車はおっくうだ
茂蔵の工場直売店があった 市価より3~4割は安い値段
これなら 買っても荷物にならない
さっそく 酒のつまみにした
今日は家でゆっくり
雨がやんだ
涼しくて気持ちがいい日だ