最近はピラティスに関して、いかにPTの世界へリンクさせてゆくのかを考えています。
ピラティスは「痛み」に対して有効であると言われています。特にアライメントの崩れからくる肩こり・腰痛・膝痛など…。
これらは局所の器質的な異常(ヘルニアや狭窄症など)の観血的な治療が必要な痛みではなく、習慣化された運動パターンにより引き起こされる痛みです。
つまり、慢性痛の領域で有効なのではないかと思います。
しかし自分の中で混乱している点があります。
①ピラティスは自己の身体に注意を向け、「気づき」を促す。
②慢性痛は精神的な面からの影響が大きく、痛みに対して過剰に脳が反応してしまっている状態とも言われている。
そのため、認知行動療法のような「痛みを忘れる」・「気にしすぎない」といったアプローチが選択される場合があります。
慢性痛であってもさらに細分化してアプローチしてゆく必要があります。
①と②は相反する考え方であって、その使い分けが自分でははっきりわからない状態です。
①のピラティスのような自分の身体に気づきを与えるという考え方は、PTの領域でも重要視されています。
生態心理学や認知運動療法などでは、能動的に自分が探索行為をすることが運動学習において大切であると。(生態心理は無意識レベルでの知覚がメインですが。)
ここでいう運動学習は習慣化された固定的な運動パターンからの解放し、運動に応じたバリエーション豊富な動きを学習するということです。
クラインフォーゲルバッハの運動学でいえば「CWからCA」での運動制御へ。
CWの動き方は痛みを作りやすいとも言えます。
CWといっても片麻痺のようなパッと見でわかる重りを釣り合わせた姿勢ではなく、健常者でももっと細かいレベルでのCWとなっている(脊柱を分節的に使えず、下部腰椎を軸として上下のバランスを釣り合わせているなど)と捉えることもできるのではないかと思います。
慢性痛は脳の勘違いとも言われます。
この考え方では情報の捉え方が混乱していると、その混乱が痛みとして認識されてしまうので正確な感覚情報が判別できるようになることが痛みやしびれの軽減につながります。この点に着目しているのは認知運動療法です。
つまり、ピラティスを通じて「自分の身体へ気づく→痛みの軽減」という面を考えるとPTの領域でも共通した部分があるのではないかと思います。
ピラティスは「痛み」に対して有効であると言われています。特にアライメントの崩れからくる肩こり・腰痛・膝痛など…。
これらは局所の器質的な異常(ヘルニアや狭窄症など)の観血的な治療が必要な痛みではなく、習慣化された運動パターンにより引き起こされる痛みです。
つまり、慢性痛の領域で有効なのではないかと思います。
しかし自分の中で混乱している点があります。
①ピラティスは自己の身体に注意を向け、「気づき」を促す。
②慢性痛は精神的な面からの影響が大きく、痛みに対して過剰に脳が反応してしまっている状態とも言われている。
そのため、認知行動療法のような「痛みを忘れる」・「気にしすぎない」といったアプローチが選択される場合があります。
慢性痛であってもさらに細分化してアプローチしてゆく必要があります。
①と②は相反する考え方であって、その使い分けが自分でははっきりわからない状態です。
①のピラティスのような自分の身体に気づきを与えるという考え方は、PTの領域でも重要視されています。
生態心理学や認知運動療法などでは、能動的に自分が探索行為をすることが運動学習において大切であると。(生態心理は無意識レベルでの知覚がメインですが。)
ここでいう運動学習は習慣化された固定的な運動パターンからの解放し、運動に応じたバリエーション豊富な動きを学習するということです。
クラインフォーゲルバッハの運動学でいえば「CWからCA」での運動制御へ。
CWの動き方は痛みを作りやすいとも言えます。
CWといっても片麻痺のようなパッと見でわかる重りを釣り合わせた姿勢ではなく、健常者でももっと細かいレベルでのCWとなっている(脊柱を分節的に使えず、下部腰椎を軸として上下のバランスを釣り合わせているなど)と捉えることもできるのではないかと思います。
慢性痛は脳の勘違いとも言われます。
この考え方では情報の捉え方が混乱していると、その混乱が痛みとして認識されてしまうので正確な感覚情報が判別できるようになることが痛みやしびれの軽減につながります。この点に着目しているのは認知運動療法です。
つまり、ピラティスを通じて「自分の身体へ気づく→痛みの軽減」という面を考えるとPTの領域でも共通した部分があるのではないかと思います。