まゆだま

ほんとおんがくと そのほかいろいろ。

4月24日

2010年04月24日 | 音楽
社会人4週目。
相変わらず友達ができないものの(小学生か)寮生活には慣れてきました。
しかし寮にインターネット接続環境が整っていないため
週末帰宅したときにしかパソコンに会えないのがかなしい。
門限も食事時間も入浴時間も厳しいため
勤務後自由にうろうろできないこともかなしい。
街に行きたい。書店に行きたい。川に行きたい。家電量販店に行きたい。
学生ってほんとうに自由だったのね。

先日の休憩時間。
じゃがりこ(じゃがバター味)片手にヘッドフォンを装着し
誰も私に近付くなオーラを発散しながら昼食をとっていた私に
勇敢にも話しかけてきた方がいらっしゃいました。

「何聴いてるのー?」
「…おんがく」
見れば分かる。
「何の音楽聴いてるのー?」
「…ピアノ」



「CLANNAD / Tomoyo After Piano Arrange Album ピアノの森」

↑ピアノ

「凄いなー」
「…」
「クラシックが好きなの?」
「いや、そういうのではないのだが」
ピアノと言ってもCLANNADですから。
「俺ピアノなんか聴いたことないよー」
「…聴いてみる?」
危うく聴いてみれば?と言うところであった。
「や、いい」
あ、そ。

そのあと散々凄いだの何だのと騒いで、彼は去ってゆきました。
普段ほとんど喋らないからなのか、何をしていても凄いと言われるのだけれど
反応に困るから、自分と違えばとりあえず凄いと言うのはやめてもらえないものかしらね。

とはいえせっかく話しかけてくれたのだから
じゃがりこ1本くらいあげればよかったのかな。

4月9日

2010年04月09日 | 
どうにか1週間。

相変わらず友達ができません。
相変わらず休み時間のたびにひとりで本を読んでいます。
相変わらず昼食はひとりで食べることが多いです。
でも、家が同じ方向(埼玉県)の子と、一緒に帰るようになりました。
すこしおおきくなりました。

小学生か、自分。




『新編日本古典文学全集 50 宇治拾遺物語』


そういえば、ちょっと風変わりな子がいます。

週の半ば、窓際の席で黙々と本を読んでいたら、傍らに気配を感じました。
顔を上げると、同じクラスの男の子が、やたらとにこにこしながら突っ立っていました。
別に用事はなさそうだったので無視しようとしたら、「窓閉めようか?」と言われました。
別に窓が開いていようが閉まっていようがどちらでもよかったのですが
しかとするのも申し訳ないので、「自分が寒いなら閉めたら?」と答えました。

再び手元の本に目を落とし、2頁ほど読み進めて顔を上げると、相変わらず彼はそこにいました。
相変わらずにこにこしており、私と目が合うと「何読んでるの?」と嬉しそうに言いました。
このての質問にはすっかり慣れてしまっていたので、何も言わずにタイトルを見せると
「知らないなぁ~」と、嬉しそうに言いました。

「いつも本読んでるでしょ」
「うん」
「本好きなんでしょ」
「うん」
「1日に1冊とか読んじゃうんでしょ」
「うんまあ」(3冊くらいは読むけど…)
「凄いなぁ」
「凄くはないでしょ」
「ねえ今度オススメの本貸してよ」
「おすすめ?」

休み時間のたびに本を読んでいると、しょっちゅうおすすめの本を教えてくれと言われますが
この質問は非常に苦手です。
その日の気分によって読みたい本は違ってくるし
その日の気分の本だって「私が読みたい本」であって「誰かに読ませたい本」ではないわけだから
正直私に「おすすめの本」なんてないのかもしれないなぁと思う次第です。

「…普段、どんな本読むの」
「俺、本読まないの」
「…今までに読んだ本で面白かったのは何?」
「俺、本当に本読まないの」
「…宇治拾遺とか古今著聞集とか堤中納言とか、読んだら?」
「何それ」
「古典だけれど読みやすいと思う。ひとつひとつの文章は短いし、内容だって分かりやすいし」
「古典か~さすがだな~」
「それに何十年もたくさんのひとに受け継がれてきた文章って本物だと思うし」
「すごいな~」
「たくさんのひとの読みたい、読ませたいって気持ちがなきゃ、何十年も残らないでしょ」
「ん~」
「ベストセラーと呼ばれるものはすべてそうだと思うよ。何かしら人を惹きつけるものがあるはずだと思う」
「…で、貸してくれるの?」
「…貸してもいいけど、私が持っているのは新体系とか新全集だから」
「?」
「ええと、ちゃんと現代語訳されているもののほうが読みやすいと思うよ」
「…」
「講談社学術文庫とか、岩波とか、探せばあると思う」
「俺、買ってまで本読みたいって思わないんだよなぁ」
「…は?」

唖然とする私をそこに残し、彼は笑顔で去っていきました。
人が貴重な時間を裂いてちゃんと答えたというのに、何がしたかったんだ貴様。
久々に本気で腹が立ちました。

一部始終を見ていたクラスメート達曰く、「奴絶対まゆに気があるって!」とのこと。
気があるのかどうかはともかく、この日以来毎日毎日必ず私の読書を邪魔しに現れる彼の存在が
若干、ストレスです。
これが有意義な会話を交わせる人であればまだ良いのですが
彼との会話は、失礼を承知で申し上げると、いつもたいそう非生産的なのであります。
なんか、わざわざ何言いにきたの?って思う。


様々なストレスと戦いながら日々を生きている次第ですが
どうにかこうにか少しずつ楽しみをみつけてゆけたらいいなと思っております。

4月4日

2010年04月04日 | 
とうとう社会人となり4月2日から研修を受けているのですが
高圧的かつ意味不明な(失礼)教官や、華々し過ぎる(ギャルとも言う)同期の女性達に疲れて
わずか3日で脱落しかけています(←腹壊した)

基本自己中心的で自由人だから(わがまま)
「協調性」とか「チームワーク」とか連発されると、臀部がむずむずするのです。
頼むから私をひとりにしてくれ。
社会性、ゼロ。




ミヒャエル・エンデ/作 上田真而子/訳 佐藤真理子/訳  『はてしない物語』

小学校3年生の頃、サンタさんが持ってきてくれました。

ファンタジーという言葉を辞書で引くと
「幻想的な小説・童話」 (『広辞苑』第六版)
と書かれています。

幻想的という言葉を辞書で引くと
「現実から離れた、夢か幻のようなさま。空想の世界を思わせるさま。」(『広辞苑』第六版)
と書かれています。

雑誌「飛ぶ教室」に掲載された川島誠さんの文章に
「これはちょっと不思議なことです。文化人類学や民俗学が、『異人』とか『まれびと』とかの様々な呼称で、逸脱した人間の喚起する力、おぞましいとされながら同時に聖的な存在である理由を探求している時、本来、小人、巨人、盲人、などなどをファンタジーの源泉としていたはずの児童文学が、それらの力を排除していこうとしているのは。」
というのがありました。

9歳でこの本に出会ってから13年、たくさんの本を読んできました。
巷で「ファンタジー」と称せられる本もたくさん読みました。
しかし、この本に勝るファンタジーには未だに出会えずにいます。
この『はてしない物語』が、私の考えるファンタジーのかたちです。


研修センター(宿泊施設)にミヒャエル・エンデやトーベ・ヤンソンを持ち込んで
雑談の輪にも交ざらず黙々と読んでいるから
おそらく変わり者、近寄り難い人と思われていることでしょう。
耳栓をして超むっつりした顔で休み時間のたびに真剣にムーミンを読んでいる人なんて
自分でも近寄りたくないと思うもの。

ほんとうはもっと友好的な態度で同期と接するべきなのだろうけれど。
でも、本を読んでいる間だけは、自分が何であるかを忘れることができるのだよね。