スケッチブック

写真と文章で、日常を記録に残す

私はミミズ

2015-07-09 19:43:16 | 人生



左から、タブレット、最新のスマホ、2年前のスマホ


私は幼少期を海辺で育った。学校から帰るとランドセルを廊下に放り投げて、
紀ノ川の河口を目指して走るのが常だった。もちろん、数人の同級生を引き連れて、
というか、連れだって。持ち物は竹竿とビクに餌箱だ。目当ては、ボラの子供のイナだ。
釣って持ち帰ってもあまり喜ばれる魚ではなかった。小骨が多くて食べられるところが少ないからだ。
でも、あのグイグイと引く感触が何とも言えない快感であった。釣れ出すと「入れ食い」状態となる。

おそらく皆様は餌になるゴカイをご存じないでしょう。だからミミズで代用しましょう。
そのころミミズはどこにでも居て、簡単に捕れた。確か理科の実験だったと思うがミミズは
泥を食べながら前進する。泥の中のプランクトンを養分として生きているのだ。
前進また前進でフレッシュな泥を食べる。排泄物を吐き出しながら前進するから、
今来た道を後戻りすることはない。

今から5年ほど前の70歳後半のころから、どういうわけか、日々メリット・デメリットを見ながら
前進する生活になっていた。くねくねしながらメリットをつかみ、デメリットを排除する生き方だ。
前進あるのみで振り返ることをしない。なぜなら、そこには「ミミズの糞」しかないからだ。
と言ってしまえば、いかにも恰好良い生き方だと思われるむきもあるかもしれない。
ところが違う。振り返っても覚えていないのだ。過ぎ去るものはほとんど忘れてしまっている。

こっぴどく痛い目に会ったことは記憶にあるが些末なことはみな忘れる習慣がついた。
いや、正直に言えば、物忘れがひどくなったということです。記憶力が極端に落ちた。
高度な知能が必要な今日、スマホやタブレットを使いこなせなくては前進できない。
美味しいプランクトンにありつけないのだ。だから、そのためのツールとしてこれらのもの
を使っている。今年の夏バージョンのスマホの使い方を覚えると、2年前のものの
使い方を忘れてしまっている。なんとも厄介なことになってきた。


デジブック 『山道の紫陽花』





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