ジジイのたわごと

ジジイが適当に思いついたことを書いてみます

戦場カメラマン、渡部陽一さん

2011-01-03 04:05:51 | トピック
     


     


渡部 陽一
(わたなべ よういち、1972年9月1日 - )は、日本の戦場カメラマン、フォトジャーナリスト。所属事務所は、Be.Brave Group。


  大学在学中に教員から聞いた話でアフリカの狩猟民族に興味を持ち、全く現地の知識もないまま旅行者としてピグミー族に会いに行く為に、アフリカコンゴ民主共和国に行ったところ当時はルワンダ紛争のまっただ中であったためルワンダの少年兵に襲撃され、カメラを含めた私物全てを差し出すことで何とか助かったがリンチを受け、周辺の村人が虐殺されて行く様を目撃した。帰国後、周囲の人間にその被害と少年兵がいる現実を説明したが理解してもらえなかったことから、その場の状況を伝えられるカメラの必要性を痛感し、戦場カメラマンとなることを決意した。

• 初めてのテレビ出演は、2009年末TBSの『1億3000万人の法則』[17]。その後2010年頃から、友人である大村正樹からの強い勧めもあり、テレビ番組への出演を開始。TBS系のバラエティ番組『笑撃!ワンフレーズ』で知られる様になった[18]。その後、様々な番組に出演し、『笑っていいとも!増刊号』のレギュラーにもなった。

• 本人はテレビに出演するのも全て、戦場カメラマンとして活動するためだという。自分に関心を持ってもらい、撮影した写真を沢山の人に見てもらいたい。戦争の悲惨さ・命の大切さを沢山の人に知ってもらいたい。そして、平均して1年の半分は海外に滞在して仕事をするので、その活動費を稼ぐため[6]。戦場カメラマンとしての収入は不安定なものなので、バナナの積み込みなどをして、活動費を補ったりしてきた。

• バラエティ番組『SMAP×SMAP』内の「BISTRO SMAP」にゲスト出演した際に、中居正広から「何でこんなにテレビに出てるんですか?」と聞かれ、「僕も、毎日が、なぜこうなっているのかがよく分からないんですね。(テレビ出演の依頼が多く、大ブレイクに)驚いています。」と答えていた[19]。

• 戦場取材の資金稼ぎのため、テレビに出まくった2010年を「挑戦の年でした。普段はカメラマンですが、逆に撮られる側の恐怖感にも、気づくことができました。」と振り返る。来年は「しっかり、状況を見据えながら、柔軟に、フットワークよく、世界中を、跳び回っていこうと思っています。」と語った。

※ジジイのたわごと
  2010年は、いろんなテレビ番組に出演してたようである。彼が顔を見せるだけで笑い声が起きるようになり、すっかりテレビの有名人となってしまった。彼の柔和な笑顔やゆっくりとした話し振りを見ると、写真(下)のような厳しい姿からは、戦場カメラマンなんて想像出来ない。むしろ、お笑い芸人としての素質があるのかもしれない。

  戦場カメラマンが本職みたいだが、今の様に絶えずテレビ出演が続くようだと、お笑い芸人が本職で、たまに戦場カメラマンという事になるかもしれない。人間に闘争本能がある限り、地球上から戦火が無くなることは不可避だろうし、そこに彼の出番がやってくるわけだが、戦場で命を落とすことが無いよう、彼の活躍を大いに期待したいものである。


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