詩的な表現を身に付けようとしています。
文学の幅を広げようと画策した結果、導かれた結論です。
無学な男の勉強は、こうして進化・発展して行くのです。
詩的表現と詞的表現があります。
前者が短歌や俳句・川柳の類に近いでしょう。
ポエムとかスクリプトでしょう。
後者は歌の歌詞に分類されます。
歌詞はリードとか云われるのでしょうか?
無学なので解り難いです。
スクリプトは朗読や西欧古典演劇に近いでしょうか?
吟遊詩人とか高等遊民とか、鼻持ちならぬ感じもある。
単なる僻みにも聞こえます。
そもそも過去の私は、国語の評価は最低ラインです。
日常会話だって変です。
文学に挑むなんて無謀も甚だしい挑戦なのでした。
でも頃合いが良いと感じて、他の事をすべて蔑ろにした経緯もあります。
友人知人を何の断りもなく切って捨て去ったのです。
裏切り行為でもありますね。
私の人生は、こうした突然転換を敢行した歴史ばかり。
多趣味で定まらぬ価値観と、予想外の行動や言動ばかり。
興味は再現無く広がり、開いた風呂敷を放置するだけ。
人として如何なものかと思うこともあります。
でもメンタルヘルスを学んで得たのが、自分に正直であることが重要ってこと。
他人様の価値観に振り回されるから、解決できない苦悩が生じると知りました。
好きなことをする限り、結果はすべて自分の裁量範囲ですから、好き嫌いで判断できます。
他人の価値観で良否判定されても、自分は揺るがないのですね。
簡易に完結する詩や詞の世界。
思い返すと、同様から歌謡曲、Jpopと馴染みの主技ばかりです。
知らないできないは思いこみだけでしょう。
十分に馴染んで来たのです。
俳句や川柳だと、勉強しないと言葉が出て来ません。
語彙の少なさや、季語の知識が欠落しています。
これは若い頃の無精が祟っているのですね。
因果応報ですが、これから学んで身に付ければいい。
シルーバー川柳やサラリーマン川柳を読むと感動します。
的確な言葉選びと構成に身震いしますね。
流行歌も歌詞だけに分離すると、素晴らしい詩だと思える作品も多いです。
言葉遊びや語韻遊びも少なくないので、落胆や懺悔の念を禁じ得ません。
やはり昭和の中期までの歌詞は素晴らしい出来ですね。
平成にはいると意味不明作が増えます。
これも時代かと思えば、納得だけは出来そうですね。
言葉は要らない、感じて欲しいだけと主張している。
曲を含めて作品だと思えばいいかも?
デジタル時代の独り聞き音楽の特徴でしょうか?
時代の特徴は過ぎてから分かると、著名人が言います。
実感から得る事象なのですね。
渦中にいると見えない事実です。
確実に表現できるのは、その年齢と経験の自分言葉だと言えるだけです。
日記の読み返しみたいに、あの頃の自分は……と思うだけかも。
何とも頼りない足場を理解するだけです。
地に着いた言葉なんて絶対に出てきそうもありません。
魅力に引きずられ、言葉に溺れ恥じめた私。
言葉の力を身に付けるまでの、我慢と辛抱です。
でも言葉ありきの考えも嫌いなのです。
有るモノはあるし、無いモノはないいのです。
理念の集合体である言葉に翻弄されたままでは方輪走行です。
二輪車、三輪車、四輪車と車輪を増やして転覆しない力を身に付けたいところです。