初老男のノンビリしたブログ

近所や周辺の事柄に対して、書き記して行きます。

草は囁き、花は唄う

2017年09月26日 17時57分23秒 | 道すがら思う


詩的な表現を身に付けようとしています。
文学の幅を広げようと画策した結果、導かれた結論です。
無学な男の勉強は、こうして進化・発展して行くのです。
 
詩的表現と詞的表現があります。
前者が短歌や俳句・川柳の類に近いでしょう。
ポエムとかスクリプトでしょう。
後者は歌の歌詞に分類されます。
歌詞はリードとか云われるのでしょうか?
無学なので解り難いです。
 
スクリプトは朗読や西欧古典演劇に近いでしょうか?
吟遊詩人とか高等遊民とか、鼻持ちならぬ感じもある。
単なる僻みにも聞こえます。
 
 
そもそも過去の私は、国語の評価は最低ラインです。
日常会話だって変です。
文学に挑むなんて無謀も甚だしい挑戦なのでした。

でも頃合いが良いと感じて、他の事をすべて蔑ろにした経緯もあります。
友人知人を何の断りもなく切って捨て去ったのです。
裏切り行為でもありますね。
 
私の人生は、こうした突然転換を敢行した歴史ばかり。
多趣味で定まらぬ価値観と、予想外の行動や言動ばかり。
興味は再現無く広がり、開いた風呂敷を放置するだけ。
人として如何なものかと思うこともあります。
 
でもメンタルヘルスを学んで得たのが、自分に正直であることが重要ってこと。
他人様の価値観に振り回されるから、解決できない苦悩が生じると知りました。
好きなことをする限り、結果はすべて自分の裁量範囲ですから、好き嫌いで判断できます。
他人の価値観で良否判定されても、自分は揺るがないのですね。
 

 
簡易に完結する詩や詞の世界。
思い返すと、同様から歌謡曲、Jpopと馴染みの主技ばかりです。
知らないできないは思いこみだけでしょう。
十分に馴染んで来たのです。
 
俳句や川柳だと、勉強しないと言葉が出て来ません。
語彙の少なさや、季語の知識が欠落しています。
これは若い頃の無精が祟っているのですね。
因果応報ですが、これから学んで身に付ければいい。
 
シルーバー川柳やサラリーマン川柳を読むと感動します。
的確な言葉選びと構成に身震いしますね。
 
流行歌も歌詞だけに分離すると、素晴らしい詩だと思える作品も多いです。
言葉遊びや語韻遊びも少なくないので、落胆や懺悔の念を禁じ得ません。
やはり昭和の中期までの歌詞は素晴らしい出来ですね。
平成にはいると意味不明作が増えます。
これも時代かと思えば、納得だけは出来そうですね。
 
言葉は要らない、感じて欲しいだけと主張している。
曲を含めて作品だと思えばいいかも?
デジタル時代の独り聞き音楽の特徴でしょうか?
 
時代の特徴は過ぎてから分かると、著名人が言います。
実感から得る事象なのですね。
渦中にいると見えない事実です。
 
確実に表現できるのは、その年齢と経験の自分言葉だと言えるだけです。
日記の読み返しみたいに、あの頃の自分は……と思うだけかも。
何とも頼りない足場を理解するだけです。
地に着いた言葉なんて絶対に出てきそうもありません。
 
魅力に引きずられ、言葉に溺れ恥じめた私。
言葉の力を身に付けるまでの、我慢と辛抱です。
 
でも言葉ありきの考えも嫌いなのです。
有るモノはあるし、無いモノはないいのです。
理念の集合体である言葉に翻弄されたままでは方輪走行です。
二輪車、三輪車、四輪車と車輪を増やして転覆しない力を身に付けたいところです。