祈りへの巡礼

敬虔な祈りへの旅へ。

V-S-M紀行③

2015年10月28日 | 日記

10月30日 曇り

今朝のヴィルフランシェは雲一つない青空である。まさにコートダジュール、紺碧の空だ。

誘われるように改札も何もない駅から電車に乗ってニースに出かけた。VSMからわずか

10分足らず、あまりに近いのでビックリしてしまう。燦燦とした陽光に包まれたゆったり

した街並みだ。10分程歩くとそこは地中海だ。紺青色の海が地平線全体に溢れんばかりに

拡がる。どんな言葉で表現すればいいのだろう。豊穣さでむせかえるといった方が適切だ。

こぼれ落ちる海。ここにニンフを立たせると間違いなく一枚の絵画の名作が出来上がる。

海辺に寝そべって水平線の彼方を見詰めた。僕のロリータはどこにいるのだろう。波の音に

消されて所在が分からない。水平線の彼方を視て思った。愛とはまさに命との対峙にある。


V-S-M紀行②

2015年10月28日 | 日記

10月26日 曇り

思ったより朝晩は冷える。日中、風も強い。隣のモナコに住んでいる人に云わせると、

毎年の穏やかな気候とは随分違うという。そういえば数週間前にニース近郊で大洪水

が起きたとTVで言っていたな。時間が正確でないが今日は多分26日だろう。VSM

の仏語ECOLEには22か国から来たいろんな人物がいる。朝一番から丸一日仏語詰めだ。

日本語という膠着語で育ったえにしをイヤというほど感じさせられる。ゲルマンみたい

な屈折語であるインドヨーロッパ語族や孤立語の中国語と違って、アルファベットとい

うものが素直に頭に入ってこない。しかもこの年齢だ。世界に混じって語学競争をしよ

うという方が所詮間違っている。根っこの部分では到底かなわない。僕の場合、バラの

根っこにサツマイモを接ごうとしているようなものだ。とはいっても負けたくはないよ。

恰好はどうでもいいから、彼らをあっと言わせてみたいもんだ。

夕刻、坂道の突端に立って灰色の海を眺める。湾を優しく包む小さな半島がすぐ近くに

見える。あの向こう側にチャップリンが長く住んでいた邸宅がある。アメリカを追われ

るように去り、一体どんな気持ちでこの地に住だのだろう。なんだか坂道の向こうから

ステッキを持った山高帽のC.チャップリンがやって来そうだ。にっこり微笑んで一言。

あきらめるなよ、明日があるさ。C'est la vie!


ニース着

2015年10月26日 | 日記

10月24日 曇り

ニースのコートダジュール空港からようやくヴィルフランシュシュルメールに

着いた。海が一面に拡がる美しい街だが急な坂道が多く借りた家も高台にある。

道が分からない、家の所在地も分からない、鍵が開かない、WIFIが繋がら

ない、下まで買い出しに行かなければ飲み物食べ物が何もない。もう恐慌状態

である。ただでさえ要領が悪いのに。仕方ないだろ、自分で選んだ道だから。

でも、人生上手く出来ている。一つひとつ何とか解決するもんだ。坂道の途中

で偶然出会った老婦人が親切にもお店まで案内してくれた。家に帰ってようやく

一息ついた。海を眺めてランボーの地獄の季節でも思い浮かべようと思ったが

とんでもない一日。見つけたぞ!何を?太陽の代わりにとんでもない不自由を!

明日がいい日でありますように。


パリからの最終便

2015年10月24日 | 日記

10月24日 曇り

パリとも明日でお別れだ。この20日間長いようだがあっというに消えた。

振り返るといろんなことがあったが、しかし一切何も起こらなかったいう

不思議な感覚がある。数えてみるとパリは13回目。それでも日本共産体の

ゆりかごに育まれた僕からすると異国だ。この地はすべて強烈な個性で蠢

いている。セーヌもエフェルもオルセーも街並みも。この独特の個性が仏

全体を動かしている。その時空間に馴染まなければパリでは何も起こりえ

ない。

 

明日からはニース、地中海を超えればアルジェ、モロッコ。奇跡的にも

マダム・セシルの長男ジョンが今コートジボアールのアブジャンに住んで

いる。この不思議さ。全営為はle butに収斂してゆく。

宿命とはその謂いである。


仏紀行⑤

2015年10月21日 | 日記

10月21日 晴れのち曇り

朝8時前のパリはまだ暗い。それでもPASSY駅を左折しセーヌ川を渡るころには

朝焼けのオレンジに色に染まったエッフェル塔が左岸にくっきりと見える。これ

が徒歩の醍醐味だ。SAINT PLASIDまでの往復地下鉄代が惜しいからでもあるが

このところ毎日歩きだ。

昨夜はマダムセシルとパリ在住の現代美術家・川俣正氏のご自宅を訪問した。僕に

は現代美術はさっぱり分からんが、木を使った鳥の巣やゆがんだ家は仏ではかなり

有名らしい。芸大の教授職を辞してまでとことんやり抜く行動力や哲学に魅力を感じ、

30分程日本語で話し込んだ。哲学に一本筋がとっている。アートレスマイノリティ

としての現代美術。文化教養主義に堕落している現代芸術をとことん否定し、素の

地肌の日常生活から創造を継続する。何かおかしなところで深く共感した。