作家で元外務省主任分析官の佐藤優さん(57)の「生まれる時期で人生の可能性がまったく違うものになるのはおかしい」という指摘で、タケちゃんは自分の人生を振り返ってみました。
私の父母はともに尋常高等小学校卒で義務教育しか受けていません。このため、父は義務教育+αで、私や妹は高校まで行かせれば十分と考えていました。高校は東京・下町の進学校に進んだので、中学校の先生たちが大学進学を勧め、母も推してくれたことで、父も折れて受験を認めてくれました。
でも振り返れば、私が大学受験をした1960年代後半は、両親が営む紳士服仕立て業が一番利益が出た時代でした。大学に行かせるだけの経済的な余裕が少しはあったのです。
高度成長期でサラリーマンが注文紳士服を仕立てるゆとりが出てきて、注文が相次ぎ、年末は両親は徹夜続きで仕事に励んでいました。元旦の未明までかかって紳士服を縫い、早朝にお客さんのもとに届けることもありました。
私がもし10年早く生まれたら、経済的な面から大学進学は認められなかつたと思います。逆に10年遅く生まれていたら、大手洋服メーカーが紳士服の大量生産を始めた時代に入っていたので、やはり経済的に難しかったと考えます。
人生にもイフがないのは十分に承知していますが、大学で学ぶことができ、希望した新聞記者になれたのも、「生まれた時期と育った時代がよかった」と思わざるを得ません。「運がよかった」と素直に喜びます。