だいぶ前置きが長くなった.しかしながら,まだ本論を展開するまでには書かなければならないことが幾分残っている.このシリーズに興味を持ってくださるような奇特な方に対しては「釈迦に説法」になってしまうが,本稿では鉄道の軌間についての現状と,それに対して私が思うところについて述べる.
軌間とは,鉄道のレールの間隔である.まずは
こちらを参照されたい.これは所詮ブログ記事であり論文ではないので,引用する文献もWikipediaで十分である.
さて,鉄道のネットワークには規格や標準の類が数多あるが,その中でも最も重要なものは軌間である.他にも道床の種類,許容される軸重,車両限界,電化方式,信号方式など例を挙げればきりがないが,軌間さえ一致していれば,異なるネットワーク間でも線路をつなげ,どうにかして車両を直通させることが可能である.しかしながら,軌間が異なれば,他の如何なる規格が一致していても,線路をつなげることはかなわず,したがって車両を直通させることは不可能である.
軌間はその鉄道の輸送力,速さ,安全性などに直結する.また,ある軌間で一旦鉄道を敷設してしまえば,それを変えるのは大変な困難を伴う事業となる.その厳粛さに鑑みれば,こと軌間の決定に際しては,十分過ぎるほどに技術的な検討が行われてしかるべきである.先のリンク先をご覧になった方々にはお分かりいただけるであろうが,軌間は広くても狭くても,それぞれメリットとデメリットが存在する.概して,平らで堅固な地盤を持つ土地に輸送力が大きく高速な鉄道を建設したいのであれば広い軌間を,概ねその逆の条件であれば狭い軌間を,それぞれ採用すべきだということになる.
翻って現状を見れば,技術面での検討などなきに等しい状態で,既存の路線のものに合わせたり,あるいは何となく世界標準となっているものを採用する形で軌間は決定されている.物やシステムや技術というのは概ねそうしたもので,鉄道もその例外ではないといういい例なのであるが,こと鉄道の軌間に関しては,私は到底納得できない.鉄道のシステムとは,自動車や航空機と比較して,桁外れに多くの人命を預かり運ぶキャパシティを備えているからである.安易な選択や妥協が許されていいものではない.
仮に鉄道車両が転覆すれば,何十人~百人というオーダーで死傷者がでるが,十分に軌間を広く取ることにより転覆を避けることができれば,せいぜい脱線して軽傷者何十人といったレベルになるだろう.これは鉄道に限った話ではないが,多数の人命を預かる乗り物であることを考えれば,曲線通過時の抵抗が大きくなろうが建設費が多少かさもうが,安全性を最優先に考えるのは当然のことであろう.
では,軌間の検討と決定に関して,基本的にどのような考え方で臨めばよいのであろうか?暴論なのを承知で私は断言する.
「軌間は~事情が許す限り~広くとるべきである!」
物理を知らない文系の鉄道マニアの方々,鉄道技術のことしか知らない「専門家」の方々は判で押したように
「軌間は広けりゃいいってもんじゃない」
「軌間が狭いことによるハンデは技術力でカバーできる!」
「軌間が広いと建設費がかさむ」
「軌間が広いと車軸が長くなり折れやすくなる」
などという漠然とした理屈を並べ立てて狭い軌間を正当化したがる.しかしながら,これらの意見は物理的な不見識,不合理な精神論,目先の算盤勘定に立脚しているのだと私は捉えている.まず,メカニズムが大きく異なるとはいえ,自動車などのトレッドは事情が許す限り広く設定されている.また,これは私の情報収集能力が足りないのかもしれないが,枕木一本の単価を概算でもいいから把握した上で「広軌は建設費が高くつく」という文章には出会ったことがない.さらに言えば,車軸にかかる応力は,車輪と軸受けの距離に依存し,車輪と車輪の距離には依存しないので,「長い車軸は折れやすい」などというのも素人の言い分である.
さて,広い軌間は,横風,曲線通過時の遠心力や左右軌条の高低差などに由来する「横方向の外乱」に対する抗力をもたらす.これは,車両が転覆しにくくなることを意味する.高速化に伴って問題となってくる他の要因(
蛇行動や
ヨーイングなど)には,確かに技術的な処方箋がある.また,横方向の外乱に対する抗力も,車両の重心を下げることによりある程度は得られる.しかしながら,車両の重心を下げる設計は容易なことではない.それは概ね車高を下げ,さらにエアコンを床下に押しやることになるが,それは床下のレイアウトの自由度と引きかえである.台車の質量をわざわざ大きくすることも一つの手だが,それは下策というものであろう.それゆえ,重心を低くするという設計は,全ての車両に適用できるものではない.あとはせいぜい軌道の公差を厳しく管理して外乱の原因(の一つ)を小さくするのが関の山である.やはり,「転覆しにくい」という特性と車両設計の自由度確保という命題を両立させるには,広い軌間を採用するしかない.
もう一つ,広い軌間でなければ享受できないメリットは,台車内における設計の自由度の高さである.三相誘導電動機が普及した現在でこそ,狭軌の台車にも200 kWクラスのモーターを容易に積むことができるようになったが,実質的に直流整流子電動機しか使えなかった時代には
中空軸平行カルダン駆動方式という涙ぐましい技術を駆使しても,出力にしてせいぜい150 kW程度のモーターを積むことが関の山であった.軌間を広げれば,さほどレイアウト的な苦労をしなくても,大出力のモーターを積みつつシンプルな駆動方式を用いることが可能になる.これは,設計や保守を格段に楽なものにしうる.
一般に,システムを設計,製造,運用,そして維持する上では様々な規格や拘束条件がある.とりわけ安全性とコストは両立しにくい.それらを両立させるべく,設計,製造,運転,保守の担当者たちは血の滲むような努力をしているが,残念なことに,コスト面からの要求やプロセスの煩雑さに負けて安全性を疎かにしてしまうという事例は後を絶たない.こうした不幸なことを避けるためには,あらかじめ安全性に関して高いポテンシャルを有する規格を用いるしかない.ポテンシャルの高い規格を用いること,レイアウト的に自由度が高いこと,そして許容される誤差が大きいことは,多くの人(特に設計者)を苦悩から解放し,よりシステムを安全なものにする.このあたりは,実際に「設計」の仕事を経験したことのある方々には多くを語らずとも分かっていただけると思う.製造,運転,保守の仕事を経験された方々にも理解していただけるに違いない.「そこを何とかするのが貴方たち理系の人間の仕事でしょ!」などとのたまう文系の方々には,どうか黙っていていただきたい.
さて,鉄道の黎明期より少し後に始まって現在に至るまで,世界的には1435 mmの標準軌が,日本においては1067 mmの狭軌(日本標準軌間)が,それぞれ多用されている.次項ではそれらが標準となるに至った経緯などについて復習し,それらの問題点を指摘し,それらが現在そして未来の鉄道に於ける標準としては役者不足となりつつあるという認識を示そうと考えている.